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40、50歳くらいになって「もっと勉強しておけばよかった。」と嘆く大人によく出くわします。でも、彼等は過去を振り返るばかりで、実際に勉強している人は少ない気がします。また、私は、子どもに勉強しろと指示するだけで、自分自身は何もしていない大人が多すぎる気がします。なぜでしょうか?


私は、「勉強すればよかったって後悔するヒマがあれば今からでも勉強すればいいじゃない?」と思うのです。勉強なんてその気になればいつでもできるはずです。


自分はまだ20代からなのか、なぜこのように発言と行動が食い違うのか分かりません。



説明できる方お願いします!

A 回答 (9件)

30代男です。



>「勉強すればよかったって後悔するヒマがあれば今からでも勉強すればいいじゃない?」と思うのです。勉強なんてその気になればいつでもできるはずです。

良い観点ですね。
俺も、若い頃もっと勉強しておけばよかったと思うことがあります。
それは、「使える時間の差」ですね。
社会人の今では、平日は毎日終電上がりのため、家で勉強する時間は気力や翌日のことを考えると30分もありません。
社会人と大学生との大きな違いは、仕事の責任によるストレス等で精神的にダウンすることも普通にあることです。
ダウンすると、何も考えずぼーっとしていたい、ということもあります。そうなると、数ヶ月は勉強はおろか、遊ぶこともできない場合があります。(ある意味、鬱予備軍です)

たとえそこまで行かなくても、土曜も出勤して、日曜は仲間や彼女との付き合い、結婚すれば家庭サービス、となると勉強する時間は取れません。
俺は大学受験時代(浪人)は、朝から図書館自習室に通い、家に帰ってからもひたすら勉強し続けていたので、勉強をすること自体はさほど苦ではありません。
(受験生時代は1月2日から開いている自習室に通って勉強していましたし)
そんな自分にとって社会人の今、辛いのは、時間がないことです。
とりあえず出退勤の電車では参考書を読んでいますが、それでも正味1時間もありませんからね。
仕事に精神的余裕があれば朝出勤前に茶店で30分勉強して、帰ってから30分等やっていますが、週1日でも、図書館に朝8時に入って夕方17時までみっちりやれば1週間の通勤時以上の時間が取れます。

彼女や仲間との付き合いを断ち切ればそれも可能ですが、さすがに仕事の精神的疲れは彼女や仲間と遊んで癒したいですからね。
そうなると、無い時間を通勤時等を使って、チマチマ勉強することになります。

今はチマチマと資格勉強を続け、情報処理の高度や電気系の資格等を取っていますが、たいていがボーダー前後です。
1問の出来で合格した資格もあれば、1問のできで落ちた資格もあります。
だから、週1、確実に図書館に通って勉強できていれば、情報処理の高度程度なら余裕で受かっている自信はありますね。
やる気はあるけど、簡単には時間が作れない、それができないのが辛いですね。
自分の大学生時代を思い起こしての発言ですが、大学生なんて社会にとては自分が遊ぶためにバイトをする程度の存在で、社会的には不要のものと思っています。
それくらい、くだらない毎日を送っていましたね。(自分はですが)
大学では適当に講義に出て、あとはバイトか合コンか徹夜マージャン、
そんなくだらない毎日を過ごしていた自分を思うと、1日くらい図書館で朝から晩まで勉強する習慣があれば、情報処理程度の資格なら大学の4年間で5,6個は取れていただろうな、って感じます。

まあ、大学の頃の俺は、完全に受験勉強のリバウンドで遊ぶことしか頭になかったので、悔やんでもしょうがないんですけどね。

そういう感じで、勉強をしたい人間、そして少ない時間の中でなんとか勉強している人間にとっては、時間が余ってしょうがない学生時代を思い出して、「若い頃もっと勉強しておけばよかった」と思うことはあります。

でも、質問者さんのおっしゃるように、口だけでやらない奴らもたくさんいるですけどね。
俺は前述のように通勤時や家でも参考書は読んで資格試験は年何回も受けている生活ですが、勉強もしなければ資格取得等の自己啓発もできない奴らが、高学歴な奴らをみて「俺も若い頃もっと勉強すればよかった」というだけの同僚って結構いますよ。

「やろうと思えばできるだろ」と言っても、通勤時の参考書読みすらやらない奴らもたくさんいるのが現実です。

あと家庭もち、子持ちになると、家で勉強していると「休みの日くらい子供の面倒をみなさいよ」と嫁に怒られる奴もたくさんいるという現実もあります。

やろうと思えば時間は作れますが、社会人にとって一番影響がないのは通勤退勤時くらいでしょうね。
19時20時には上がれる暇な人達なら家でもできますが、そうでない人は平日は通勤退勤時の電車以外は時間は取れません。
そして家庭もち子持ちとなると、休みの日はよほどできた奥さんでないと、家でも勉強はできません。

その気になっても通勤退勤時の電車等の数十分(ラッシュだとそれすら取れないかも)しか取れないという社会人って結構いますよ。

>自分はまだ20代からなのか、

そうでしょうね。
実際に社会人になり家庭を持つと、自分だけの時間ってほとんどないと言う現実を思い知りますよ。(基本は家族の時間になります。)
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この回答へのお礼

長文コメントありがとうございます。恐縮であります。

歳を重ねると日々の生活(仕事や家族)をこなすことで精一杯になるんですね・・。そうなると時間が貴重なものになって、だから時間が潤沢にあった若い時期にもっと勉強しておけば・・・! と思うわけですね。

自分はそんな状況(通勤時や休日返上)になっても勉強できるか自信がありません。そうは言っても、心配しても何も生まれないので、これからは「今」以上に必死で勉強していこうと思います。

お礼日時:2009/07/04 11:20

一口に『勉強』といっても、学校の教科だけが勉強ではありません。



私は今40代でこどもがいますが診療録管理士の資格をとるために『勉強』中です。
そのなかで思ったのが『若い(10~20代)時にもっと勉強しておけばよかった』です。

学校の勉強ではなく、もっといろんな分野の情報にふれておけばよかった・・・という意味で『勉強』しておけば・・・と思ったのです。

この年になると入ってくる情報を100%頭に留めておくことが難しくなってきます。
でも若いときに入ってきた情報は基礎として残っているものだと感じます。

なので結論として、『若いときに勉強しておけばよかった』になります。
私の両親も若いときに・・・をいってました。学生のときは“今からでもやればいいのに”と思ったものですが、いざ自分がその年になると、ああ、こういうことか、と実感しております。

やっぱり若いときというのは勉強する『旬』なんですね~年取る前に理解しておきたかったです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

勉強はいつでもできるからこそ、『旬』の時期があるのですね。
確かに、旬の時期に勉強すれば吸収力は格段にいいのはその通りなんですが、年齢を言い訳にして何もしない大人(特に親)が非常に多い気がします・・・。旬であろうがなかろうが、せめて取り組む姿勢を見せて欲しいものです。

取り組んだ後に言い訳をするのと(たとえできなくても)、何も取り組まずに言い訳するのでは、説得力は歴然の差です。


自分も後悔しないように死に物狂いで頑張ります♪

お礼日時:2009/07/04 23:17

 まあそれもごもっともだけど。



 仕事しなくても生活自体は困らない。一日数時間は教育の専門家にきっちり教えてもらえる。その気さえあれば専門家に好きなだけ質問できる。

 そんなに恵まれた環境で勉強できるなんてのは学生時代以外ではほとんどないんですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。至極納得です。

自分が恵まれた環境にいる(いた)ことは、その環境から外れたときに初めて気がつくのでしょう。

でも、「あの時もっと勉強していれば、今もっと良い生活ができたのに・・・」と不満をもらすのは、結局他ならぬ自分の責任を今の不十分な環境に置き換えているので?、と思います。そしてそのような発言をする人は、たとえまた同じ環境が与えられてもその環境を無駄にして過ごすでしょう。

いずれにせよ、環境云々ではなくて、やはり、勉強自体は「学ぶ心」さえ持ち合わせていればいつでも、どこでもできるはずだ、私はそのように考えています。

お礼日時:2009/07/04 23:10

まだ40代ではないですが、「もっと勉強しておけばよかった」という気持ちはわかります。



40~50代は、精神的にすごくストレスがかかる時期だと思います。
20代なら自分の責任だけ考えていればいいですが、40~50代ですと、部下や後輩、上司のことまで自分に関わることは考えないといけません。しかも、正しい決断かどうかは、運もからんだ結果で判断されてしまうような。(悪く出ればそれも自分の責任)
休息の時間がないと、精神への負担が大きすぎます。
暇があっても、気力がないのでは。

もちろんそれでも勉強している人はいます。
ただ、20代が勉強するなら100%の力を出すように頑張ればいいけれど、40~50代だと、150%の力をだそうとしないと無理だと思います。

あと、「若いころ勉強しておいてよかった」という気持ちからくる「もっと勉強しておけばよかった」もあると思います。
若いころ一生懸命に勉強しておくと、あとになってすごく楽なんです。
私の場合、大学で資格とっておいて良かった!と何度実感したか…。もう一回やれと言われても無理、なくらい辛い事もありましたが、助けられてます。(もちろん、勉強しておけばよかった、と思うことも多々あります)

漢字をちゃんと勉強しておけば、辞書を引く手間が省けるし、英語を勉強して力をつけておいた人は、仕事でいざ必要となっても苦労しません。必要になってから勉強するって、必要時に間に合わないこともあるし、その時の生活を犠牲にしないといけないことも多いですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

部下や上司に挟まれて考えなくてはいけないことが多くなってくるんですね。勉強はストレスフルな精神状態ではできません。心にゆとりがないと落ち着いて取り組めません。

20代は自分のことしか考えなくてよい、だから20代は一生懸命に勉強してくとあとで楽ができる。←納得できました。

お礼日時:2009/07/04 11:39

会社で成功すると言う意味では多分今からだとダメなんだと思います。


就職は多浪だと良い会社への就職は出来ません。おまけに良い大学でないと入れません。
と言うことで24才程度(院で20代半ばか)までに良い大学を卒業すると言う事がエリート街道に乗るということになります。

もちろん社会に出て死ぬほど頑張ってそういう会社に就職するなり起業して成功するなどありますがそれは上で言うエリート街道に乗ることより概して大変な事が多いです。

なのである意味親心で言ってるんでしょうね。
勉強以外にも大事なことはあると言いますがまぁ勉強はそれなりに大事な事なんだろうなと思います。
人間見た目じゃないと言いますがやっぱり見た目が大事なように。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人生の残り時間が少なくなってくると勉強への動機が持ちにくくなってくるのでしょうか。戒めとして言っている親のセリフなんですね

お礼日時:2009/07/04 11:34

若隠居(といっても50過ぎてますが)です。

次官をフルに好きなように使えます。そういう意味では若い頃より時間はある筈なんですけどね。勉強のおもしろさが本当にわかってくるるのがその頃だからでしょう。私の場合は、役に立つとかそういうモチベーションじゃないんですよ。
試験に追われない、将来のプレッシャーもなく自分のモチベーションだけで好きな勉強をしてみると、勉強ってこんな楽しいんだと気づいたんです。今まで過ごした時間にこんな楽しいことに時間を使ってこなかったことが口惜しいです。

それに、脳の老化などもあり、思うような勉強ができません。若い頃にもっとやっておけばと思っても戻れませんしね。若い頃に遊んでないで数学をしっかりやっておけば良かった、語学をしっかりやっておけば良かったと後悔しています。

学習や訓練はつまらないけど、勉強は面白いですよ。自分の蒙を啓くことがこんなに楽しかったなんて、いつでもできると思うからこそやらなかったんですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>>勉強のおもしろさが本当にわかってくるるのがその頃だからでしょう。私の場合は、役に立つとかそういうモチベーションじゃないんですよ。

ultraCSさまがその感想を持つ気持ちはよく分かります。大人や親がこどもに勉強させる理由の大半は「いい成績をとるため、有名な大学に入るため」です。つまり、勉強は「手段」としてしかとらえていないのです。でも、そのような「いい成績、有名大学」という目標が関係なくなると、学ぶことそのものに喜びが感じられるようになると思うんです。「知的好奇心」というか、人間が本来持つ「知識欲」とでも言いましょうか。
つまり、勉強自体に自分なりの意味・意義が見出せれば、今取り組んでいる勉強が役立つかいくら儲かるか、なんでことはどうでもいいことになるのでしょう

私は、「勉強はいつでもできるからこそ、勉強するのに適する時期がある。」と考えています。なぜなら人生は有限だからです。歳相応の勉強があるのかもしれません・・。

お礼日時:2009/07/04 11:33

40,50にもなると“今”の生活で精一杯です。


余分に勉強しても趣味の範囲ならできますが、例えば会社を止めて大学に入り直す なんて冒険は、家族がいると不可能です。
ですから、今からでも勉強 なんて、現実には出来ないのです。
カネとヒマがあれば可能ですがね。


貴方ももう少し社会経験を重ねると分かると思いますが、
いい大学に入ると、やはり違うのが自分の世界が広がるって事だと思います。
自分はたいした所に就職できなかったとしても、ツレが弁護士だったり、医者だったり・・・
高卒の人に、こういったツレはなかなか出来ないでしょう。

社会に出れば学歴なんて とよく言いますが、確かにその通りです。学校で学んだ事を生かせる仕事に就ける人はなかなかいません。

ですが、人間関係や、その分野の世界を覗けるという事は、やはり高学歴の人の方が恵まれていると思います。

大人になると、色々な世界の事を知っていると有利な事が沢山あります。色々な職種に知人がいると、助かる事が沢山あります。

高学歴であるという事は、より高いレベルで世界が広がるという可能性を秘めています。
例え自分が無能であっても です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

勉強すれば間接的にでも自分の世界や視野を広げることができるんですね。知り合いがそれぞれ多様な職種に就いているとそれだけで話を聞けますしね・・。自分の生きてる範囲内では解決問題があったとしても彼等の力を借りれば解決できる可能性が広がるかもしれませんしね。

お礼日時:2009/07/04 23:02

どうも。

私も20代です。
確かに。なんかいい質問だな、と思ってコメントしたくなりました。
よく言いますよね。若い頃、もっと勉強・・・って。
年を取っても、勉強している人は多くいると思います。逆に、勉強しておけばよかった・・・って言いながら、してない人は、もう既に諦めてしまっていて、天井が見えているんです。
勉強した所で目指すところがない。勉強しようにも記憶がついていかない。勉強の習慣がない。などなど。
子供に勉強しなさい、っていうのは、自分のように後悔するなって意味でしょう。
私も思うときありますよ。もっと勉強できたよねって。ただ前向きに捉えてますね。だから今頑張っておこうって。
勉強できるかどうかは、気持ち次第かな、と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分が成し遂げられなかったことを子どもに託す気持ちはよく分かりますが、でも・・・、その姿勢はいかがなものかな?と私は思います。

後悔する気持ちはよく分かりますが、親は自分自身が頑張る姿を見せるのが大切な役割じゃないでしょうか。複雑な事情なのは確かですね・・。

お礼日時:2009/07/04 11:12

それは、若い時に勉強しなかった人(できなかった人)は大人になってもできないからですよ。


大人になってから、「もっと勉強しておけばよかった」という人はおそらく若い時もテストの度にそう言っていたに違いないんです。それでも勉強しなかった人が、大人になってからそういう言葉を使うんですよ。

若い時から勉強している人は勉強する習慣が身についているので大人になっても勉強できるんです。そういう人は間違っても「もっと勉強しておけばよかった」とは言わないと思います。

まあ、私も、若い時勉強しなかった口で、もっと勉強しておけばよかったと思っていますが・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大人になってからでは勉強する習慣はつきにくいんですね。納得しました。

人間、1回目に取り組まなかった人は、2回目以降同じ環境が与えられてもきっと取り組まないのでしょうね。 

お礼日時:2009/07/04 11:08

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