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はじめまして。

 以前から疑問に思っていたのですが、はっきりと形になりましたので、聞きたいと思います。

 古今東西を問わず、価値観の違うもの同士は仲が悪いと思うのですが、今話題になっているイスラム教とキリスト教ってそれほど違うものなのでしょうか。

 何かの授業で聞いた話しですが、イスラム教の創始者ムハンマドは自らをアブラハムの子孫だって言っていたんですよね。そのアブラハムをずーとたどっていくとイエスにたどり着くんですよね。
 ということは大元は同じってことになるんですよね。

 それなのにどうしてあそこまで憎しみあうのか完全に僕の理解を超えています。もっとも、イスラム教とヒンドゥー教だって戦争をしているわけですけれども。

 つまりパレスチナのハマスの幹部組織の人とか、イラクの上層部の人たちは何を根拠にして、自爆テロをするように人々を説得しているんでしょうか。
 彼らにはそれなりの政治的な理由があるんでしょうが、そういう理由じゃなくて、もっと宗教的な理由を掲げていると思うのです。もっともキリスト教には多数の流派がありますので、一言ではいえないと思いますけど。
 
 イスラム教徒がキリスト教徒の存在を許せない理由(もしくはその逆)って何なんですか。可能な限り平易な言葉でお願いしたいのです。
 知っている方は教えてください。お願いします。
 

A 回答 (9件)

>イスラム教とキリスト教の違いって何ですかね。



>>古今東西を問わず、価値観の違うもの同士は仲が悪いと思うのですが、今話題になっているイスラム教とキリスト教ってそれほど違うものなのでしょうか。

二つの宗教の基本的な違いは、直接的な信仰対象です。それも「信じている神様が違う」というような、よくある普通の次元の話じゃなくて。(という意味では、キリスト教はユニークな宗教だということもできます。)

確かにどちらも根っこは一神教です。
イスラム教の神様はアッラーの神。預言者ムハマンドを通じて教理を布教させました。そしてその教理の集大成がコーランです。つまり、イスラム教徒の直接的な信仰対象は「神アッラーの教え」即ち教典コーランです。だからイスラム教徒はコーランを忠実に守ろうとし、守らないと神アッラーの罰を受けると信じて疑いません。つまり、イスラム教徒にとっては神=律法だと考えるとわかり易いです。

ここらへんは、イスラエルのユダヤ教とまるで同じです。ユダヤ教の神様は創造主「天なる父」。その教えは(十戒などのエピソードでも広く知られているように)「旧約聖書」として集大成され、預言者モーゼを通じて布教されました。ですから、やはりユダヤ教徒の直接的信仰対象も創造主の教えであり、その教理を厳正忠実に守ることこそを神は求めておられる、守らなければ手ひどい罰を受けて当然だ、と信じています。ノアの箱舟やポンペイなど、神の下された恐ろしい罰に関わるエピソードはヤマのようにあります。結局ユダヤ教徒の場合も、神=律法なのです。

話が脇道に逸れますが、イスラム教徒とユダヤ教徒の長年にわたる争いの底流には、「天なる父」をめぐる骨肉の争い的本質が隠されているんじゃないか、と個人的な興味があります。

それはさておき、キリスト教徒の直接的信仰対象はイエスです。と言うより、「天なる父」が自らの息子を罪深き人類の贖罪のために“イエスという人間”の姿でこの世に遣わされ、全人類の原罪を含めたすべての罪を贖わせるために最終的にイエスを十字架に掛けて命を奪い、その見返りとして全人類に神自らが永遠の許しを与えた。すなわち、イエスは神がこの世に遣わした“救世主”(キリスト)である。その証として、イエスが人間として命を失った3日後、イエスは天に呼び戻される。つまり「復活」することでイエスが「神の御子」であることが誰の目にも明らかになるだろう...。端的に、キリスト教徒の直接的信仰対象は、「救世主であるイエスそのもの。及びイエスの生から死、そして復活から昇天までの出来事のすべて。及び天なる父が、旧い約束(旧約、つまり律法)に対する人間の違反をイエスの命と引き換えにチャラにしようという新しい約束(新約つまり愛)をされたこと。」なのです。
信仰するのは、天なる父の律法でもないし、イエスの説教でもなく、結果として、キリスト教徒にとっての新約聖書はコーランや旧約聖書とはまるで異次元の意味をもつようになります。逆に言えば、イスラム教徒もユダヤ教徒も、救世主はまだこの世に現れていない、イエスはただの預言者だ、と考えています。

再び脇道へ逸れますが、神の御子イエスは復活して天へ帰りました。だから、地球上にイエスの墓は存在しないとされています。仮にあったら、ムハマンドと同じただの預言者になってしまい、救世主ではなくなってしまいます。キリスト教そのものが崩壊してしまいます。
2週間ほど前、ツタヤで「抹殺者」(アントニオ・バンデラス主演のB級活劇)という準新作ビデオを借りました。たまたまこのイエスの墓と遺骨がテーマでした。背景事情を知らないとわけがわからず退屈したでしょうが、幸い多少の知識があったので結構楽しむことができました。

>つまりパレスチナのハマスの幹部組織の人とか、イラクの上層部の人たちは何を根拠にして、自爆テロをするように人々を説得しているんでしょうか。

>>イスラム教徒がキリスト教徒の存在を許せない理由(もしくはその逆)って何なんですか。

長々と申し訳ありません。ここは手短かに済ませます。イラク上層部やハマス幹部は、米英は異教徒だから抹殺しろ、コーランにもそう書いてある。と説得してるような気がします。コーランを持ち出せばきっと話は早いです。あるいは、異教徒じゃなくて悪魔だから成敗しろ、と言ってるのかも。
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参考になる本をご紹介いたします。



「世界の「宗教と戦争」講座―生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか」
井沢 元彦 (著)
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「イスラム教とキリスト教の違いって何ですかね。


ユダヤ教は新宗教のキリスト教を迫害したんですね。
それから新宗教家のモハムンドはユダヤ教とキリスト教の両方に迫害されたんですね。
旧宗教があとから出た新宗教にいちゃもんをつけて迫害、弾圧したんですね。イスラム教は後から出た宗教だから旧宗教には寛容であったはずですが迫害されたので戦闘的になったわけです。キリスト原理教も戦闘的な部分があるでしょう。ユダヤ教とローマに迫害されましたからね。逆に自分が有利に立つと迫害されたものは逆に迫害者になるんですね。馬鹿みたいですけど。そんな歴史です。
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 宗教の違いは難しいですよね。



 まず、教義の上のことですが、イスラム教は寛容で、条件付ですがキリスト教とユダヤ教の存在を認めています。イスラム教は結婚相手の宗教を指定していますが、その中に含まれています。キリスト教のほうは、それほど寛容ではないです。(現代の結婚事情についてはちょっとあやふやですが・・・)

 パレスチナとイスラエルの問題は、結構根深いものがありますが、単純に言うと祖国に関わる問題です。
 遥かな昔、パレスチナ地方には、さまざまな民族が住んでいました。そこに、神の啓示であるカナンの地を求めて、ユダヤ教徒が移住をしてきました。多少はぶつかっていたようですが、それなりに仲良く暮らしていたらしいです。
 そこに古代ローマ帝国が侵略してきて、ユダヤ教徒の国(イスラエル王国)を滅ぼしてしまいます。そして、彼らは祖国を離れて、あちこちの国に住むようになりますが、キリスト教は、ユダヤ教徒を差別していたため、かなりひどいことも多々ありました。(最たる例が、ナチスの大虐殺です。)そのため、彼らにとっては、祖国復活が悲願となります。
 ここで、話は変わって、パレスチナ地方の話になりますが、古代ローマ帝国が滅んだ後、色々な経緯がありますが、基本的にパレスチナ人が住んでいました。(支配国は最終的に、オスマン・トルコだったと思います。)
 話は戻るのですが、第二次大戦後、パレスチナの地にイスラエルが、建国されますが、これはすでに住んでいたパレスチナ人の権利を無視して、欧米列強によって決められました。つまり、ユダヤ教徒の祖国は作られましたが、パレスチナ人は祖国を失ったのです。そのため、パレスチナ人は、イスラエル及びその最大の後援者であるアメリカを憎んでいます。
 これが、パレスチナ人が、イスラエルに対してテロを行う、おおもとになっています。

 できるだけ、中立に近い立場で書いたつもりですが、もし気分を害される方がいたら、申し訳ありません。
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一つだけ気になったので補足させてください。


>パレスチナのハマスの幹部組織の人とか、イラクの上層部の人たちは
>
と書いておられますが、フセイン政権の重要人物であるアジズ副首相はキリスト教徒です(イラクの総人口の約5%はキリスト教徒です)。
また、パレスティナ自治政府のアラファト議長の妻と子もキリスト教徒ですし、アラファト一家はベツレヘムの聖誕教会(もちろんキリスト教会です)にも礼拝したことがあったはずです。
一連の状況をすべて宗教の違いで割り切ることは、どうも難しいのではないかと思います。
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 抽象的ですが近いもの同士のほうがむしろ反発が強いと言う事もあります。


 ヒンズューと仏教、ユダヤとキリストとイスラム、同じキリスト教内でもかつて宗派間での異端戦争のようなものもありましたし。
 本来の教義が近いとその解釈による違いは互いの存在意義に大きく影響します。相手の解釈を認めることは自身の否定につながりますからね。
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私も素人で本当のところを知りたいのですが、どちらの宗教も一神教であるところに排他性の根源があるのは、皆様のご指摘の通りと思います。


ですが、キリスト教の教義は精神世界のことだけに限られているのに対し、イスラム教は生活全般に係り、日常の細かな箸の上げ下ろしまで規定しています。
したがって、前者は政治と宗教を分離しやすいのに対し、後者は政教一致である点が決定的に違うのではないかな、と感じています。
これがいろいろ政治的な難しさを生んでいるように見えますし、とくにイスラムの側からの激しい反発を生んでいる土壌になっているのかなと思います。
また、たとえばアメリカはイスラムを民主化すると言っていますが、原理的に言ってこれは無理なのではないでしょうか。
たとえばコーランには
「アッラーは男と女に優劣をつけられたのであるし、お金は男がかせぐのだから、男の方が女の上に立つべきもの。反抗的な女は言って聞かせてだめなら寝床でこらしめ、それでもだめなら殴っても良い」と書かれているそうです(ネルソン・デミルの本に書いてあった)。
これではなあ・・・、と思うのですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>キリスト教の教義は精神世界のことだけに限られているのに対し、イスラム教は生活全般に係り、日常の細かな箸の上げ下ろしまで規定しています。
 なるほど、この見解ははじめて知りました。
 その他にもとても素人の方とは思えない知識を披露してもらい興味深いご意見をありがとうございました。

お礼日時:2003/04/02 22:20

 イスラム教では同じイスラム教内でも宗派が違えば弾圧し殺しあうこともあります。

イラクのシーア派等は弾圧されています。
 同様にキリスト教も宗派が違えば「異端」とみなされ弾圧されるという歴史がありました。
 イスラム教もキリスト教も一神教なので他宗教、他宗派に寛容ではありません。それだけ教義や戒律に厳しいということなので、原理主義になるほどその傾向が強くなります。
 同じ一神教とは言っても、信じてる神様が違うのだから対立するのは当然かもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 No.1のかたと同じような意見ですね。
 信じているものが違うというだけで、殺しあえるとは僕のような無神論者には完全に理解を超えている話です。ありがとうございました。

お礼日時:2003/04/02 22:16

多分,元は同じであるものの崇拝の対象が違うからだと思います。



「アッラーの他に神はない。ムハンマドは神の使徒である」という言葉に象徴されるように、イスラム教徒にとってアッラーこそが唯一の神となっています。
ムハンマドはあくまで「最後の預言者」「神の使徒」であって人間にすぎないという考え方です。


キリスト今日は,三位一体論に代表されるように,神と子(イエス)と聖霊が同じであると言う考え方で,イエスを崇拝の対象としているという点でお互いに相容れない宗教になっていると思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 なるほどイスラム教はアッラーが神様、キリスト教はイエスが神様というわけですか。
 それは大きな違いになるでしょうね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/04/02 22:13

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