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98歳の祖母が居るのですが、長男の父の家にて
ちょっと(かなり?)ぼけていますが、寝たきり
でもなく父や母に連れられて散歩に行ったりします。
私は実家を出て一人暮らしをしているのですが、
実家に帰るたびにぼけが進み、体が小さくなって
居るように思います。母も仕事のかたわら毎日世話を
しているので結構ぞんざいな扱いを受けているように
見えます。また、誰かが自分の部屋に入ってお金を
盗るという妄想(?)傾向が出てきており、部屋に
お金を隠しては、隠し場所を忘れて後で騒ぎになり
ます。
90前半までは、病院にいくと先生からその年で
そんなに元気で良いね、と逆にうらやましがられて
いましたが、今の祖母を見ると、いくら孫や子供が
沢山居て、やがて老衰で死ぬにしても、「そろそろ
死ぬかな」とみんなに言われ、とても幸せな老後
には見えません。
先日実家に帰ったときは、既に孫の私が誰だか
解らなくなっており、「なんかもう、生きているん
だか死んでるんだか解らなくなっちゃったよ」と
いうようなことを言っていました。
戦争を三回全て生き抜いて子供を育て、孫も沢山居て
寝たきりでもなく、衣食住の心配も無く死んでいく
ときでも、死の直前の生き方がとても幸せには見えず
人生の荒波を全てクリアしても最後の最後で幸せに
はなれないのか?と思うととたんに人生の意味がわからなくなり、誰のためでもなく元旦早々こっそり泣い
てしまいました。
今どんなに頑張っても、上手くいっても最後はこう
なります、と目の前に突きつけられたようでなんとも
いえない気分になりました。
生き続ける意味って一体何ですか?教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

私の祖父母は殆どが長生きで、今90、87才がいます。


去年亡くなった祖父は100でした。

ひとりは会社の近くに、ひとりは自宅の近くに住んでいるので、よく行くように
しているのですが、たしかに家族によくされているという感じは受けませんね。

87才の祖母の方が少しぼけていて、やっぱりお金を取られた
(置き場所がわからなくなる)、毒を盛られた(体調が悪い)と言います。

ボケについて調べてみたことがありますが、ボケるのには二つの要因があるそうです。
ひとつが環境、ふたつめが性格だそうです。
家族に相手にされなかったり、「ぼけちゃって!」とじゃけんに扱ったりしてると
余計に頑なになってぼけたり、ぼけがすすんだようにみえるらしいです。
あと、元々の本人の性格もあって人の意見を聞かないタイプの人、わがままな人
なんかもボケやすいみたいです。穏やかで、あまりこだわらない、ひとりでも楽しめる
趣味があるタイプがぼけにくいみたいですね。

で、その私のの読んだ説明では、この環境と性格の両方が揃わないと
ボケにくいと書かれていました。この話が本当かどうか、全くわかりませんが、
取りあえずボケている方の祖母はたしかに条件がそろっています。

あなたもこれから家庭をもたれることと思いますが、子供を育てる時に
弱いもの(年寄りとか、子供)に思いやりを持てる子供を育てたら
いいのではないでしょうか。具体的にどうしたらいいかはちょっと知りませんが
そういう祖母状態を見てあなたみたいに「かわいそう」と思えるかどうか
ということかもしれません。(なかなか一緒に住んでいると難しいことですが)

> 母も仕事のかたわら毎日世話をしているので結構ぞんざいな扱いを
> 受けているように見えます。
(略)
> 死の直前の生き方がとても幸せには見えず

私も祖父母の扱いがあまりいいように見えなくて、積極的に関わるように
(と言ってもおしゃべりに言ったり、通院する時に付き添うだけですが)
なりましたが、はっきり言ってボケてる人の相手をするのはめちゃくちゃ大変です。

手取り足取り相手のペースに合わせて行動したり、はあまり気になりませんが
(重くないし)妄想の相手をするのが大変です。
特に一緒にずーっと住んでいたら、だんだんじわじわ妄想が始まってくる
訳ですからどこからがボケでどこからがいじわるなのか判断がつかないのでは
と思います。そういう的に面倒を見る人が限られているとしたら・・・
逃げ道がないのでとても辛いと思います。

出勤しますので、簡単になりますが・・・(^^;
ひとりの老人を人家族だけで見るのはほんとうに大変です。
ちかくにあれば親戚や、デイケア等つかえるものは積極的に応援を頼んで
利用したらいいとおもいます。あなたも是非たすけてあげてください。
そうして整えてあげられたら、老後も悪くないと思えるのかも(とってつけたような・・)
ではでは(ちこくするー)
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私は小学生の時に父を亡くしました。

人の死を直面した時やはり生きている意味などをよく考えました。いろいろ考えた結果、私の答えが出ました。「意味はない」という答えです。ただ意味はないけど役割はあると思いました。
それは子孫を残すということです。かなり割り切っていて冷めた考えかもしれませんが・・・。
今生後9ヶ月のパパです。すごくすごくかわいいです。
自分の父を早くに亡くしている分、我が子が成人するまでは絶対に死んではいけないと思っています。
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私はせっかくこの世に生まれたんだから


この世界にある全ての(!)、いろんな、、、、
ものを自分の目で見たい、って思うよ。

例え自己満足でも。

人それぞれ生き方があるように
あなたのお婆さんはあくまであなたのおばあさんの道(人生)で
あなたにとっての人生はあなたにしかないんだから。

私も生きる意味なんて解らないし考えたら答えは「無い」にいってしまう気がするけど
せっかく生きてるんだから自分の生きてる世界がどんなものかを調べたいって思うな。
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まだ若いときに、人生の終盤を迎えようとしている人が身近にいると、自分の人生はまだこれからなのに、凹みますよね・・・・・・仕事でそういう人を何人も見ていたとき、やはりなんともいえない気持ちになりました。



kagami100さんのおばあ様とは逆に、私の祖母は、それまでは痴呆もなく元気だったのに、71歳で、癌で亡くなりました。私の結婚が決まった直後でした。
亡くなる1週間前までは、自分で歩けていたのに、急に容態が悪化し、突然という感じの死でした。
私の結婚が決まったときには、誰よりも喜んでくれたのに。花嫁姿を見てもらえなかったことが、ものすごくショックでした。

人によっては、「寝たきりで何年も苦しんだりしなくてすんだのは不幸中の幸いだ」という人もいました。でも、私は、「寝たきりでも、痴呆でも、生きてさえいてくれたら、花嫁姿を見てもらえたのに」って思いました。私にとっては、それだけで、祖母が生きている意味があったのです。例え、他人から見たら「死んだほうが幸せなんじゃないか」と思えるような姿になったとしても。

kagami100さんのおばあ様と、私の祖母、どちらが幸せかというと、私には、どちらとも決められません。
ただ、どのような形にしろ、人は生きていれば老いていき、いずれ死を迎える。それは、悲しいけれど、事実として受け入れなければならないと思っています。

何だか、直接の回答になっているのか不安ですが、参考になれば幸いです。
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おばあさんの今の状況はかなしい現実ですね


でも意味のない人生は最後の数年~10年であり90年間は意味があったわけですから、トータルで人生を考えてみたらどうですか?
最後はこうなると嘆くより、人生の中期を充実させることが人間にとって大事だとおもいます
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kagami100様



今どんなに頑張っても、上手くいっても最後はこう
なります、と目の前に突きつけられたようでなんとも
いえない気分になりました。
生き続ける意味って一体何ですか?教えてください。

そうですねえ、空しいような気分に襲われたのですね。
それはあなたが物事を論理的に考えられる方だということの顕われでしょう。

人間はいつかは死ぬ。まるで死ぬために生まれるとでも考えてしまいます。

でも、明らかに死ぬ目的だけで生まれて来たのではありません。

ところで、昨日は北朝鮮工作員キムヒョンヒのことがテレビでたくさん報道されていました。あの方だって殺された遺族達からすれば生まれて来なければよかったと憎まれていることでしょう。もし、自害完了して後に北朝鮮の実態を暴露することがなければ恐らく100%心底許せる方々は居ないでしょう。しかし、自分を表明して
語ったところに、おかしいことに意義が涌いてきたように感じるのです。でもこの子にも両親は居て複雑な心境で天国かはたまた辺境の地からか見ていても暖かい眼差しで愛情を伝えたいことだと考えます。

人はたとえどんなに変化しようとその親からしても、またその子供からしても、いとおしいものです。ただ生きているだけで、死ねばなお一層いとおしいものです。

また人は生まれて、無垢の笑みを浮かべる姿は、その声はただそれだけで周りを明るくもします。短命な親族を持つ家族のどうせ私等長生きは出来そうに無いという盲目的な不安感に比べて、現に98歳というご長命で生き長らえているというだけで無償の安心、安堵というものを与えてくれているように思えてなりません。

ただ、恍惚的な状態に日増しに変わっていく様は忍びないものでしょうが、考えてみれば意識がはっきりしていて死んでいくのと、だんだんと死への環境が整備されていると考えれば、本人の苦しみは次第に解き放たれているようにも思えるのではないでしょうか。


             瀬戸内のはずれの町よりsa
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難しい問題ですね。

簡単に答えがでるようなら、宗教が複数も世の中にないような気がいします。私が連想したことを思ったこと3言ぐらい書いとくので、ヒントにしてください。

よくわかんないけど、みんな生きている。

最後の死ぬ瞬間のために生きているんじゃなくて、(100歳までいきたのなら)100年間すべてがその人の人生。

生き続ける(生きる)意味は、人によって違うんじゃないだろうか。
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98歳のお婆ちゃまですか~、するとお父様や御母様もそれなりのお年って事ですよね~、たいへんですね~。



私も82歳の実母を診て生活しています。
「なんかもう、生きているんだか死んでるんだか解らなくなっちゃったよ」とおっしゃるお婆ちゃまの感じ、とても実感できます。
母もそれに近いことを良く口にするし、「朝になったら死んでいればよいのに」と口癖のように言います。
返事のしようがないんだけど、確かに自分を母の身に置き換えて想像してみれば、あまりに落ちた記憶力と理解力にすごくつまらない日々を過ごすことになるわけだし、身体だけじゃなく、言うことを聞かない頭が一番嫌だろうと思うんです。

長生きすることが幸せな人って、たとえば金さん銀さんみたいな人って、ほんの一部の人達で大抵の人は死んでほっとできるんじゃないかな、と考え込んでしまったこともあります。私自身も75歳までで私の人生を終わりにしたいな、そしたら子供にも良いお母さんのままでいられるし、幸せだけをお土産にできるから、って思います。

でも、いくら考えてもなるようにしかならないんですよね。生きている意味っていくら考えてもしかたのないことなんですよね。だからせめて今を充実した人生にして生きるしかないんだろうと開き直っています。
書いてしまえば簡単なことだけど、この境地に達するまではずいぶん泣きもしたし落ち込みもしました。

昔、子供のことで愚痴を言ったときに年上の方から「子供のことは時間が解決してくれるわよ、20歳までおしめをしている子はいないんだから、でも年寄りは時間が経つ程問題が多くなってくるし、期限がないから本当に大変なのよ」と言われたことがあります。
今まさにそれを体験しているお父様やお母様は、煩悩をくぐり抜けられたのでしょうか?!

どんどん医療が発達して、身体の長生きではなく頭の長生き医療も確率されてくるかもしれません。
それを願いつつ、取りあえず今はこの世に存在することだけできっと何か意味があるんだ、と信じて生活しましょうよ。
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現代のこの世の中、98歳まで生きていられること自体が幸せだと思います。

生きたくても生きられない、生きたかったのに生きられなかった人が現実多いです。
地方によってはある一定の年齢以上で亡くなると、葬儀は哀しいものではなく天寿を全うして亡くなった「お祝い」と捉えるところもあるようです。葬儀の最中も「ここまで生きれば立派だ」などと言いつつ酒を酌み交わし笑顔で故人を偲びます。
そんなことを言っても痴呆が進むと家族も本人もどうしても「情けない」という気持ちが先にたちます。私も曽祖父が痴呆で自宅で介護していたので家族がそれはそれは大変な思いをしていたことを当時子供でしたが鮮明に覚えています(よく母が泣いていました)。ですが自宅で息を引き取った曽祖父は安らかな顔をしていました。曽祖父は特に病院嫌いでもありましたが、長年愛した自宅の畳の上で死ねるということは当時のご時世からすると誰もが望んでいたことのようです。本人はそれが解っていたかどうかは解らないですが、辛い介護を続けてきた家族の「最期を自分たちで看取った」「おじいさんは愛した自宅で畳の上から送り出すことが出来た」という充足感は確かにあったと思います。
逆に祖父・祖母は共に60代前半でがんで亡くなっています。病院で管だらけで苦しんで叫んでいる姿も、病院からの電話で夜中に病院に駆けつける両親の姿も記憶に残っています。周囲も「まだまだ元気でいてほしかった」「早すぎる」と悔やんでも悔やみきれない様子でした。
確かに痴呆が進んだ本人もその介護をしている家族も精神的に大変です。情けないと思う気持ちは確かにあると思います。ですが、実際に亡くなる瞬間にはそういった気持ちはどこかへ飛んでしまうもののようです。その一瞬のために生きていると言ってもいいかも知れません。
先日バラエティ番組である老齢期にさしかかった俳優さんが「死ぬ瞬間に妻に『俺と結婚してよかったか?』と聞いて『よかったわよ』と言われることが一番の幸せだと思う」というようなことを言っていたのが印象的でした。
でも思うと痴呆という症状は死ぬことへの恐怖もなくなるようで、考えると死に向かう準備をしているのかなぁとも思います。愛する家族、大切に頑張って守ってきた家族と家に見守られながら旅立つ準備が出来ることはそれだけで幸せなことだと思います。実際介護に追われているとそんな気持ちになれないことは重々承知していますが、おばあさんが幸せに旅立てる手伝いをしてあげているのだと思ってあげて下さい。
思ったことをつらつらと書き綴ってしまったので解りにくい点もあるかと思います。ですが気持ちひとつで現実に起こっていることが幸せなのか不幸なのかが変わるということをお伝えしたいと思い書かせていただきました。
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人間は生まれた瞬間から、死へのカウントダウンが


始まっています。
いつ死ぬのか、どう死ぬのか、誰にも判りません。
ただ、運命みたいなものは実際にあると思います。
それを受け入れるしかないようです。

別に心配せずとも、必ず死はやってきます。
それまでの間は、運命に従い生きることですね。
いいこともあるでしょうし、そうでないことも
あるでしょう。
それが人生かと思います。
では、(^.^)/~~~
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