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最近HIVに興味を持ち 検査に行きます。というのも去年つき合っていた彼がもしかしたら風俗へいってたかもしれないからです。
感染していたらどうしよう、死にたくないという気持ちが強いせいか 不安で頭痛がします。 楽しい予定もイヤになってしまいます。しかし もし感染していても 毎日楽しく過ごすことには変わらないのでは?と思い始めました。 もし 死ぬのなら今この瞬間でさえ 楽しんでた方が 得なのでは?と。母は 死ぬのは運命だから仕方がない とよく言います。肝が据わっていて 強いです。 人間いつ死ぬかわからない。しかし 私はその現実を受け入れられずにいます どんなときも今の生活が続いていって 死ぬことなんて考えてなかったのです
どうしたら 死 を受け入れられますか? きっと死 を受け入れられたとき もっと 素敵に生きられるし 余裕も生まれると思うのです
よろしくお願いします

A 回答 (9件)

私も死を覚悟した瞬間が無いので薄っぺらい回答になりますが、


死を前にした人と向き合う看護士さんは皆キューブラー・ロスの「死の瞬間」
を読むそうです。そこに書いてある事をかいつまんで言うと
人間が死に至る過程は、否認、怒り、取引、抑鬱、受容の5段階に分けられる
というお話だそうです。死を覚悟したときの心の動きとしてこの本を読んでいくと
自分が死に面したとき(はどうかわかりませんが)、「ああ、私は今理不尽な運命にいらだっているけど、
これはよくある反応でこの後沈んだり色々あるけど最後には受容できるはず」と先の展望がある程度つかめて
安心できるらしいです。ガイドブックを読んで旅行するのと思いつきで旅行するのの違い
みたいなものなんですかね。とりあえず、そういう話もありますよということで。
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私の知識では「死=恐怖」です。

本来その恐怖をなるべく取り除く手段の一つが宗教でした。日本においては大多数が無神論者と良いながら、仏教の作法に則ってお墓に入ります。お坊さんの役目は戒名を授けるのでもなく、人間が生まれて必ず平等に訪れるの死をいかに和らげるかです。
なかなかできることではないのですが、死を恐れるという観点から、明日死んでも悔いのない人生をいかに生きるかが問われると思います。
それを瀬戸内寂聴さんは「切に生きる」といいます。宗教は本来お金がかかるものではありません。だから日本の宗教は信頼できない部分もあります。目一杯生きれば、後悔がなるべく少ない人生が送れれば、死を受け入れられるかもしれませんね。
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死ぬだ生きるガタガタ言う前に



HIVについて知識をもって下さい
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HIVの検査の結果は分かっているのでしょうか。

彼がHIVに感染していることは分かっているのでしょうか。付き合いはまだ続いているのでしょうか。かkもどうにもできませんが未来もどうにもできません。また想像に対しても何もできません。100年後貴女はどうなっていますか。どうにもできません。どうにかできるのは今だけです。楽しい予定を期待しているのは今ですから、その予定を今は楽しめません。今というのが現実のことです。現実がどうなのか。仮定の話に対してはどうにも対策が立たないのですが、人生損得勘定だけで行こうとすると必ずどこかで裏切られるのではないでしょうか。
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人は生まれた瞬間から死に向かって歩きだします。


生まれた以上は「必ず」死ぬんです。
それが時期にして早いか遅いか、どんな死に方か。
違いなんてそれだけなんです。

私にはこんな割り切った考え方ができていますが、それが幸せだとは決して思いません。
死ぬのが怖いと思うのは、生きている今が楽しいからではないでしょうか?
前だけ向いて生きていれば自分が死ぬことなんてあまり意識しないと思います。
それをHIVという考えるきっかけを突然に与えられてしまったため、今思い悩んでしまっているんだと思います。
質問者さんは若いようですし、今が健康ならまだ自分の死について深く考える必要はないと思いますよ。
将来結婚して子供が自立して、それからでも遅くはないはず。
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ウ~ン、人生とは、例えるなら 「甲子園に出場を果たした高校野球チーム」 のようなものではないでしょうか。



ある高校の野球チームが念願の甲子園に出場(人生)できた喜びも束の間、対戦相手(死神)はほぼ優勝を確実視されている強豪。
しかし、この高校のチームは全員、そんなこと気にもせず、勝利を目指して試合を開始します。

しかしやはり、壁は厚かった。初回に先制点を獲得したもののその後は相手投手に手も足もでず凡退が続き、逆に相手打線にはホームラン数本含めてボコボコに打ち込まれます。おまけに試合の中盤でそのチーム一番の強打者が死球を受けて退場してしまいます(HIV感染)。やがて最終回を迎え、得点も10対1。敗退(死)はマズ確実です。

しかしです。この高校野球チームの選手たちは、試合が完全に終わるまで勝利への執念を放棄するでしょうか? 多分、彼らは最終9回の自軍攻撃で2アウト2ストライク3ボールの時点でも、まだ勝利への執念を持ち続けていると思います。

このように人生とは、最後まで「生」への執念を持ち続けて生きることではないでしょうか。
でも、それが何になる?
結局、我々の人生とは、試合に勝利すること、すなわち「死」に打ち勝ち永遠なる「生」を手にすることと言えるのではないでしょうか。そのことが、私たちの時代で可能になるのか、それとも遥か未来の世代で可能になるのか分かりませんが、「永遠なる生」(あの世においてではなく、この世で)を獲得するという方角は、私たちのすべての経験と世界観が指し示しているように思います。

少なくとも、現在生きている私たちは、最後の最後まで勝利(永遠なる生)を信じて生きることが必要なのではないでしょうか。そしてそれが死で終わったとしても、その生き様は必ず目に見えない形で人類のDNAの中に記録され、そのことが次代に何らかの形で生かされていくのではないでしょうか。
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死に対する恐怖は「死んだ後にどうなるか分からない」という気持ちから出てくるのではないかと思います。


他の人も挙げていますが私もキューブラー・ロスの「「死ぬ瞬間」と死後の生」中央公論新社、中公文庫、という本は良書だと思います。
あと立花隆「脳死体験」文藝春秋社、文春文庫、も良い本だと思いました。
深い話は色々ありますが、あまりにも多くて限られたスペースでは書ききれません。質問者さんのこともよくわかりませんから。
とりあえず本を読んでみてはいかがでしょうか。
新興宗教が得意としている分野でもありますので注意してください。
お金で死はまぬがれません。
若くても死んだときが寿命だったのです。
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何も考えないことです。

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 私であれば、感染しても発症しない薬が実際にあるとテレビで見たから、それを飲み続ければ死なないはずなんだけど... とアドバイスしますが。



 また、薬でなくとも食事を制限することで、たとえ感染していても発症しないようにすることが出来るはずです。

 とにかく、あなたの母親は、冷酷で残酷な人間だと自覚することです。それを認識できないあなた自身も。
 普通の人間であれば、まずは問題を解決する方策を探すはずです。

 結局、誰が本当に思いやりを持っていて、誰が本当は冷酷なのか、幼少期の環境によって生じた思い違い、誤認識を正さなければならないですね。
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