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今、「源氏物語」(原文)を読んでいます。

まだまだ「桐壺」なのですが、過去時制じゃないの?っていうような箇所が多々あり、ほとんど現在時制で書かれています。
作者である紫式部は、どういった意図をもって、過去時制ではなく、現在時制で書いたのでしょうか?

冒頭の
《いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。》
は、過去時制で書かれています。(たまひ「ける」なかに、たまふあり「けり」)
つまり、前提条件として、この物語自体、語り手である紫式部から見て「過去」にあたる話を書いたものなのです。

しかし、続く、
《はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。》
は、現在時制で書かれています。

そうなってくると、よくわからなくなってしまいます。
語り手である紫式部から見て「過去」にあたる話という前提が間違っているのでしょうか?
それ自体は間違っていないとしても、なぜ「現在時制」なのでしょうか??

「源氏物語」、少なくとも、「桐壺」を紫式部が「現在時制」で描いた効果をお伺いしたいと思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

>「源氏物語」、少なくとも、「桐壺」を紫式部が「現在時制」で描いた効果をお伺いしたいと思います。



過去の出来事をあたかも現在(非過去)の出来事のように叙述するのは、一般に《歴史的現在》と呼ばれていますが、これは紫式部や『源氏物語』だけに固有のことではなく、小説(物語)の叙法としてごく普通に認められるレトリックだと思います。

その「効果」はとなると、一つには、読み手・聴き手に対し、物語の登場人物の心情なり体験なりを同時進行的に共有しているかのように感じさせる「効果」が、もう一つとしては、非過去時制で語ることで、読み手・聴き手に対し、次に生起する出来事への興味・関心を喚起する「効果」が考えられます。

ところで、語り手(作者)にとって、物語内容が《過去》の出来事ではあるというのは、同時にそれが語り手にとっては《既知》であることをも意味していますよね。
したがって、語り手が「過去時制」で語れば、それだけ作者の《既知》性がより前面に出やすいとすれば、逆に「非過去時制」で語れば、それだけ物語内容の《未知》性の方がより前面に出やすいと言えるのではないでしょうか。

その意味で、読み手・聴き手としては、物語が「過去時制」だけで語られるときには、無意識レベルにせよ、《既知》の語り手があたかも《未知》の自分よりも優位にあると感じるような気がします。

これとは逆に、語り手が「非過去時制」で語れば、少なくても、その時には語り手と読み手・聴き手とは同じ視点に立ち、同じ《未知》性を共有していることになり、これが必然的に読み手・聴き手の物語への興味・関心をもより掻き立てる効果を発揮するのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

丁寧な解説ありがとうございます。

レポートでこのテーマを扱おうと思っていたのですが、読書の絶対数が少ない自分には無理だと思いあきらめました・・・

お礼日時:2009/08/24 16:18

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