No.3ベストアンサー
- 回答日時:
公用文や学術書は江戸期の漢文が正式の文書と云う意識から明治期に、訓読体(所謂文語体)になりました。
当時、漢文の訓点はカタカナ書きするのが常識であり、その流れからカタカナ書きとなりました。(濁点、半濁点も使わない)大正期や戦前戦中も口語化やひらがな書きが提案されたりもしましたが、結局は戦後の幾つかの通達で「ひらがな」を用いる、口語などが決まって行きました。
参看⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E7%94%A8% …
高木貞治(貞二は誤り)「解析概論」は著者晩年に改訂作業が進められ著者没後に弟子達の手で作業を完了させたものが出版されています。これはひらがな文です。(改訂3版)増訂版は戦時中に出版されたものでカタカナ文です。多分外来語がひらがな表記だったと思います。(「ぐらふ」、「べくとる」等)改訂3版は、元の堅表紙のものは版元品切かもしれませんが、簡易装丁のものが手に入ると思います。
蛇足、昔「剰余価値学説史」(改造社版マルクス・エンゲルス全集)の訳書を見ていたら、第二巻第二部の訳者猪俣津南雄は本文はひらがな文なのに数学的記述の部分だけカタカナ文にしていました。(昭和4-5年頃の刊行?)
No.2
- 回答日時:
> 昔はカタカナ文だったようですが
初めは漢字ばかり(代表が「古事記」や「万葉集」など)でした。
後に仮名が出現しました。
カタカナは、漢文の訓点として用いられたため、どうしてもオカタイ文書と結び付いていたみたいです。
それは、学術用語にもカタカナが用いられ、お上の文書(法律)なんかは、当然のようにカタカナでした。
西洋で、学者などがラテン語を用いたみたいな感じに、少し近いかもしれません。
日本の敗戦によって、民主主義の世の中ということになり、お上と下々とを区別するような漢字とカタカナの組合せの文書が敬遠され、庶民にもなじみやすい言葉遣いと文字表記が推奨されるようになり、漢字はやさしくなり、仮名もひらがなを用いることが一般的な傾向となりました。
ひらがなの方が、見た目も柔かいということで、今日では学術方面でさえひらがなによる表記が一般的なものになっております。
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