天使と悪魔選手権

まず最初に念のために申しますが、私は哲学を体系立って学んだ経緯を持ちませんので、
この点を踏まえてご説明頂けますよう宜しく御願い致します。

先日ある命題を見つけたのですが、
それは「1方が他方の心身を犯すに当たって、社会通念が虚無化すれば罪そのものもなくなる」
と、いうものです。

自分では途中まで軽快にいって、
否定解を出せたつもりだったのですが、

ちょっとした操作の際に消してしまい、
再度挑んだときに、
「社会の干渉なく一方が他方の存在そのものを所有することは、本人の許可なしにあり得ない」
と、言う命題の肯定につまずき、
結局頓挫してしまいました。

どういうアプローチでこれを肯定すればいいでしょうか、
御指南宜しく御願い致します。

A 回答 (17件中1~10件)

>確かに頷けますがこれで証明としても構わないのでしょうか?



否定することが出来なければ正解でいいのではないでしょうか。

>「洗脳」の可能性は如何でしょうか?

方法論としては洗脳はあるでしょう。
しかしそもそも、洗脳なんて面倒なことをせずに殺してしまえばいいのではないですか?

洗脳という技術的な話はここではあまり意味を持たないと思えます。
魂、体、精神を完全に制御可能な”洗脳”は現代の技術では不可能ではないでしょうか。
そもそも、罪を消すために洗脳するなんて何か本末転倒のような気がします。
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この回答へのお礼

御回答有り難う御座います。

「私が若輩者だから否定し得ない」
と、言う可能性についてはどのように考えればいいでしょうか?

お礼日時:2009/10/06 18:08

過去の偉人が何を言ったのかは正直興味がありませんが、



精神はコップのようなものだ、空のときに初めて役に立つ。

といった人がいました。

この回答への補足

御付き合い有り難う御座いました。

補足日時:2009/10/19 23:59
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この回答へのお礼

この語句の その真意について考えてみたのですが正しく捉えられそうにありません、

済みませんが御解説を御願いします。

お礼日時:2009/10/14 00:58

頭で哲学を考えるから拙くなるのではないでしょうか。


なんのための哲学なのでしょう。
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この回答へのお礼

度重なる御指南有り難う御座います、
どうやら大詰めのようですが、今暫し御付き合いを御願いします。

ところでいにしえの哲学に学べば
「無知の知」と、言う言葉が紐解かれると思います、
意味については割愛しますが、
この点について如何でしょうか?

お礼日時:2009/10/08 16:26

>「私が若輩者だから否定し得ない」


>と、言う可能性についてはどのように考えればいいでしょうか?

ただ事実がそこにあるだけでしょう。
若輩かどうかは所詮経験知の差でしかなく、ドングリの背比べを競うのは愚かです。
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この回答へのお礼

なんだか私の言い方が拙かったような印象を受けました、

私が世間知らず、又は無知、又は低能だから
否定し得ないという可能性は如何でしょう?

お礼日時:2009/10/07 18:25

社会の干渉なく一方が他方の存在そのものを”管理”することは、本人の許可なしにあり得ない


なぜなら、その体、その精神、その思考は当人によってのみ制御可能であるから。

所有を管理に置き換えると少しはしっくりくるかも。
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この回答へのお礼

御回答有り難う御座います。

確かに頷けますがこれで証明としても構わないのでしょうか?

もし駄目な場合、
それを証明するにはそういう経路があるでしょうか?

後、これ自体が「犯す」ことなので堂々巡りになりそうですが
「洗脳」の可能性は如何でしょうか?

本人が認知できず、かつ抗えない方法で洗脳すれば
本人の許可も意志も関係なく
「管理下」に置くことが可能になると思えます。

但し
この際の罪の有無は
このスレッドの核心部分ですので
現状の解明段階で議論対象から外させて下さい

お礼日時:2009/10/03 00:44

>生まれながらに自己完結的に所有関係が構築されている状態があると私には思えます。



一般論としてはその通りで、私の手足を別の人が所有権を主張することはありません。
そして、一般論としては人が他者を潜在的に所有している状態はない(許されない)のではないでしょうか。
他人の所有権を主張するならそれは犯罪(法律違反という意味で)ですね。

哲学と一般論が交錯している感じですか?
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この回答へのお礼

御回答有り難う御座います。

>人が他者を潜在的に所有している状態はない(許されない)のではないでしょうか。
仰る通り確かにこのままでは一般論でしょう、
で、それは何故か考えたのですが、これを哲学の領域のものとして扱うには
根拠に乏しいからでは無いかと感じました。

「一般的にそういわれているから… そう認識されているから…」
と、言うだけでは確かにただの主張ですよね、
>生まれながらに自己完結的に所有関係が構築されている状態がある
と、言うこともしかりだと思います。
やはり何らかの確固とした根拠が必要だと思います。

もしこの、私の感じた
「根拠に乏しいから駄目なんだ」
と、いうことが正しいならば、
次は、「ではどうすれば根拠を得られるか」
と、いう話に持ち込めると思うのですが、
その1つの手段として、
これを命題として扱い肯定できるか、
又は否定すべきものなのかを証明する、
と、言う手法があるのではないかと思ったのです。

確かに他の手法により根拠を得ることも可能かも知れませんが、
今、他にどのような手法があり得るのか、
私の中にアイディアが浮かばない為に
「命題として扱い証明を試みて根拠とする」
と、言う流れに縋ってしまっている次第なのです。

もし他に根拠を得る方法があるならばその方法をも
又は、他に方法がある無いに関わらす証明に関して
御意見を更に頂ければ幸いです。

どうぞ宜しく御願い致します。

お礼日時:2009/10/01 00:00

>自己完結する裏付けなどもないでしょうか?



それがあるなら

>社会通念が虚無化すれば罪そのものもなくなる

社会通念など無視すればいいということになるような。
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この回答へのお礼

御回答有り難う御座います。

自らの四肢が生まれながらに自らの所有である
(と仮にさせてください)
ように、
生まれながらに自己完結的に
所有関係が構築されている状態があると
私には思えます。

だからこそ、
人が他者を潜在的に所有している状態の有無が
ことさら問題となると感じているのです。

お礼日時:2009/09/28 13:48

>彼しかいなくて社会が成り立たない場合


>彼はそれでも今なお、
>所有し続けてるのでしょうか?
>私としては所有に無自覚でも
>所有権に代わりがないと思うのです

所有権を裏付けるものが必要じゃないでしょうか。
裏付けとは客観性です。
誰から見てもその人の所有物だという納得のいく理由です。
社会が成り立たなければ客観性は望めませんよ。
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この回答へのお礼

裏付けと言うことののでその点だけに言及しますね、

裏付けには他者から以外にも
自己完結する裏付けなどもないでしょうか?

お礼日時:2009/09/25 23:11

罪に関して考えるときは、



感情→社会規範→法律

の順で考るのが筋でしょうね。
最初に不快という感情がなければ社会規範(こういう事はやってはいけない)にはならないし、法律として規定もされないでしょう。
だから、最初の部分の不快な感情という意味において私と質問者さんの罪は同じものですね。
私は法律上の罪を言い、質問者さんは感情レベルの罪を言っているということですかね。

所有権に関しては「誰にとって、誰のものか」という風に考えないといけないのではないでしょうか。

例えば駅前に放置されている自転車は誰のものでしょうか。

1.購入した本人からすれば自分のもの
2.実はこの自転車は盗難されたもので、犯人は自分のものと思っている。
3.3か月以上駅前に放置されているので、近所の人は迷惑をしており、駅(JR)に対して撤去を求めている。つまり所有権は駅側にあると考えている。
4・或いは遺失物としてみなすなら、本来警察が管理すべきものではないのか。

そんな風に考えると、

>50歳になるまで『私』の四肢や思考は『私』のものではないのですか?

という質問も「誰にとって」つまり、その所有権について考察している人は誰かということがファクターとして入ってくるのではないでしょうか。
私という自覚を持たない当人にとっては手足を自由に動かすことは出来るが私の物という概念はない。
他人から見れば明らかにその人のものである。

所有権というものを客観的にみた場合と、主観的にみた場合では見え方がまるで違うという事ですね。
例えば、死という現象を主観的にみると、
私は私の死を自覚できないので、私にとって私の死は無い、つまり、私は死なない。
となるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

御意見有り難う御座います。

自覚かない状態
つまり無自覚時の所有権についてが
ここ数日のポイントかな?
と、感じるのですが、

無自覚なタイミングの有無に関しての
ケースとして大きくに分けると
1、過去と現在の如何なる時も
いわゆる所有していることについて無自覚

2、過去に故意かどうかに関わらず
所有している認識を持ったことがあるが

1度または複数回
所有について無自覚になった時を経て、
今も無自覚

3、過去に故意かどうかに関わらず
所有している認識を持ったことがあるが

1度または複数回
所有について無自覚になった事を経て、
今は所有意識を持つ

4、所有意識を持って以来
何どきも無自覚なことはなかった

彼がそれを所有している事実があれば
もちろん他者から見たらば
彼はどのケースでも
所有し続けているのだと思いますが

彼しかいなくて社会が成り立たない場合
彼はそれでも今なお、
所有し続けてるのでしょうか?

どう思われますか?

私としては所有に無自覚でも
所有権に代わりがないと思うのです

如何でしょうか?

お礼日時:2009/09/24 06:10

間違えた。



>ここの部分の「他方」と

ではなく、

>ここの部分の「1方」と

です。
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この回答へのお礼

私の方がかなり間違えています、どうぞ御気になさらず。

お礼日時:2009/09/21 22:33

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