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古典文法の「敬語」の中の「謙譲語」は、話し手が(登場人物の)動作の受け手に敬意を払って、動作の受け手の行動に対して使うもの、という説明が一般的ですが、「謙譲語」というのは、話し手が自分の行動に対して(へりくだる意味で)使うものではないのですか。少なくとも、現代語ではそうなっている気がするのですが。文語と口語では、謙譲語のニュアンスや使われ方が違うのか、それとも、私の解釈がおかしいのでしょうか。教えて下さい。

A 回答 (5件)

古典の謙譲語について。


古典、特に源氏物語かなんかで勉強されているのではないかと思いますが、感覚の違いとして、まず大前提が違うのではないでしょうか。文章として捉えているから違和感があるのだと思います。古典の文章、特に源氏物語などは、「物語」というだけに、誰かが物を語っているものです。
決して今の小説のように、事実や行動、結果を客観的に記していません。
例1-1)〇〇先生が向こうの通りをあるいている。
例1-2)〇〇先生が向こうの通りを歩いていらっしゃる。
文章を客観的に書くなら1-1のようになりますし、
自分の立場を明らかにするなら1-2のようになります。
つまり、現代の小説は中立の立場で書くのに対して
古典の作者は、だれだれに仕えているという立場にたって
物を語っているので、そこには位に順列がつくのです。
〇校長先生>▲先生>私
ということになると、「私」の行動はもちろん一番下なので、すべて相手をたてる敬語になります。
また、「校長先生」も、この場合一番上なので、無条件に敬語の対象となります。
微妙なのが、この「▲先生」。「▲先生」はもちろん「私」より上の立場なのですが、同時に「〇校長先生」よりも下の立場にあります。「▲先生」自身が自分の行動を言うときは「〇校長先生」に対して敬語をつけるだけでいいのですが、「私」が「▲先生」と「〇校長先生」のやり取りを語る場合、謙譲語と尊敬語が必要となるわけです。
例えば、「▲先生」が「〇校長先生」に資料を渡す場合、「▲先生」自身は『私(▲先生)は〇校長先生に資料をさし上げた』となります。もちろん、この場合、「さし上げる」は謙譲語ですよね。
ところが、その場面に「私」が出くわして、◇先生にそのことを話す場合、「▲先生は〇校長先生に資料をさし上げていらっしゃいました」となるわけです。つまり、「さし上げる」の謙譲語を▲先生の行動に使って、▲先生の〇校長先生に対する敬意をあらわし、「いらっしゃる」の尊敬語を使って「私」の▲先生への敬意をあらわすのです。
そう考えると古典も現代もそう変わらないのではないでしょうか。
ただ、現代では、他人の行動に謙譲語を使用するのは全て失礼にあたるという感覚があるようなので(もちろん、古典の世界でもただ単に使用すれば失礼でしょうが)、使用する事が少なくなってきているのかもしれません。
長くなってしまいましたが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

なるほど…納得です。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 01:45

 apple-appleさんの解釈は間違っています。


 「話し手が(登場人物の)動作の受け手に敬意を払って、動作の受け手の行動に対して使う」ということではなく、「話し手が(登場人物の)動作の受け手に敬意を払って、動作の主の行動に謙譲語をつけて使う」ということです。
 従って、文語と口語も謙譲語の使い方に違いは全くありません。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりでした。ご指摘ありがとうございます。

お礼日時:2003/05/23 01:41

現代語でも,基本的にはその説明(古典文法の説明)と同じ,と考えてよいと思います。


「謙譲語」とは,「動作を受ける人」に対する敬意を表します。(このため謙譲語と呼ぶ代りに「受け手尊敬」という言い方をすることもあります)

たとえば,山田さんが鈴木課長に事情を話した時,「山田さんは鈴木課長に事情をご説明申しあげた」と言えば,課長に対する敬意を表していることになります。
ところが,こういう言い方をすると,受け手(課長)に対する敬意があらわれる半面,場合によっては為手(して。動作を行う主体。ここでは山田さん)を低めているようで失礼だ,ということになりかねません。
そこで古文ではこのような場合,2方面敬語などといって,謙譲語の後に尊敬語をつけることで,両者への敬意を表します。
今の例で言うと,「山田さんは鈴木課長に事情をご説明申しあげなされた」とか「事情説明をお申し上げになった」のようになりましょうか。
つまり,謙譲語「申し上げる」で課長への敬意,それに尊敬語「なさる」「お~になる」をつけることで,山田さんへも敬意を表す,というわけです。

ただ,このような言い方は,確かに両方面への敬意を表してはいるが,ちょっとくどい,わずらわしい,と感じられるようになったのでしょう。
そこで,こういうときはとりあえず山田さんへの敬意を尊敬語で表し,課長への敬意はたとえば肩書きをつける(「鈴木さん」でなく「鈴木課長」)などの形で表すようになったのではないでしょうか。
(謙譲語を使っても,人間関係上などの面で,山田さんに失礼にならない場合は,逆に尊敬語のほうを残して,「事情をご説明申しあげた」とする場合もあるでしょう。)
また,動作の主体が自分の場合は,主体への敬意を表す必要はありませんので,もともと謙譲語だけでよい訳ですから,今日でもそのまま使われている,ということだと思います。

というわけで,ご質問の
>「謙譲語」というのは、話し手が自分の行動に対して(へりくだる意味で)使うものではないのですか。
>少なくとも、現代語ではそうなっている気がするのですが。
に対してのお答えとしては「2方面敬語の煩わしさを避けるため,主体が自分自身である場合に限って謙譲語を使うようになった」のではないかと思います。

敬語に関して専門的に研究しているわけではありませんので,もし違っていたらごめんなさい。

なお,ご質問の文中

>「謙譲語」は、話し手が(登場人物の)動作の受け手に敬意を払って、
>動作の受け手の行動に対して使うもの

の後半は,動作の「為手」の行動に対して,ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

具体的でとてもわかりやすい説明です。納得できました。ありがとうございます。
なお、最後の件は、ご指摘の通りです。

お礼日時:2003/05/23 01:43

専門的なことは分かりませんが


現代口語の語感として。。

自分の上司である部長の所在について
こたえるとして;
a「~部長はお席にいらっしゃいます」
b「~部長は席におります」

aは社内のほかの目上の人からきかれた場合
自分と部長の関係で尊敬語をつかう

bは外部の方、お客様などからきかれた場合
部長とたずねた方の関係でへりくだる謙譲語をつかう
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この回答へのお礼

早速にありがとうございます。

お礼日時:2003/05/23 01:48

文語文法と口語文法では敬語の定義?というか使われ方が違うと思います。



文語文法については高校生用の古文の参考書、口語文法については中学受験用の国語文法の参考書をご覧になると良いかと思います。

この回答への補足

アドバイスありがとうございます。口語・文語それぞれの文法書をひもといているのですが、どうも、よくわからないもので…。

補足日時:2003/05/23 01:45
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