プロが教えるわが家の防犯対策術!

 かの永六輔さん(若い人は知っているでしょうか)の奥さんは、貴方にとってセックスはと聞かれ、安心感かなと答えています。

 私も想像してみました。

 男に征服される女の心理は、“開放感”ではないかと。

 男は征服感が、あります。我が物にしたという、あるいは我がうちに取り込んだというような。

 女の場合は、我が身を与えた、開放した、という開放感があるのではないかと。

 男性からの回答も受けますが、女性からの回答を希望します。

 (kigurumiさんに回答を求めるのはムリですよね)

 

A 回答 (7件)

#2の者です。



>「互いの思惑や目的が丸っきり食い違っている」にとても興味があります。
>どう違うのか知りたくなりました。

との返信を拝見し、すっかり困惑しておりました。
いえ、、、「どうしてそう思ったんだっけ???」となってしまって。大汗
次から次へと変容する己の思考に、自身が付いて行けておりません。
見事に間抜けな回答者です。。。

何となく、、、です。(ごめんなさい!)
夫以前の相手には特に強く感じましたし、夫と肌を合わせている時も感じます。
「あ!全っ然私の考えている事、分かってないでしょ??」って。苦笑

たまに出される夫からの注文が、気の乗らないものだったりすると益々。
で、「今日はそんな気分じゃないもん!」と拒否したり、
「何でそんな事!仕方無いなあ、感謝しなさい」とか、ってなるのですが。
大体が「そんな気分」の時は、私が勝手に自発的にやっちゃっていますので。(あーーー恥ずかしい。。。汗)

さて、「気の乗らない時」が本題です。
思いっきり「チグハグ感」を抱えつつ、「してやった(偉そうに!笑)」というのに、事が進むにつれ「まあ、いいか♪」となる事がほとんどなのです。

その「まあいいか♪」の理由について思うのです。
絶対に相容れないもの、として、男と女は存在している。
(勿論、様々な事情を抱える方々は現に存在しますし、この私自身も自分を「男寄りの感覚」と捉えていますが、「性」と言う二種類の存在は、互いに互いを混ぜ合わせられるようなものでは決してない、と思うのです。)

その「相容れない存在」を、色々な関係性に於いて「結び合わせる力」が有るように思うのです。

曖昧模糊とした自分の感覚を追って行くうちに浮かんで来たのが「DNAの二重螺旋構造」です。

(ほぼ)全ての生物の遺伝情報を担っているのがDNA。
二本の「相容れない線」を四種類の塩基?が繋ぎ合わせて螺旋構造を作っています。
二本の線をそれぞれ男と女。
繋ぐ塩基をその時々の関係に於ける「結び合わせる力」と感じたのです。

相容れないが故に、助け合える「方法」なり「きっかけ」なり、が塩基かな、と。

セックスに於いて、男女は直接的に言えば互いの「感じ方」を理解出来ません。
その無理解を基礎に、男女が分かり合えない、と言う状態が生じてしまう、と思うのです。

でも、その無理解を無理解のままにして、それでも溝を越えて繋ぎ合える手や心が有る。
本来繋げる筈の無い手や心を繋いでいるのは、
例えば、性技であったり、性器であったり、受け渡された精液とそれに乗った生命力、ではないかと。
それらと、二重螺旋の内側の塩基がイメージとして重なってしまいました。

何だか意味不明なイメージだらけの回答になってしまって恐縮です。
少しでも私の感じた事柄が伝わると良いのですが。。。。
あ!生物学の観点から誤述が有りましたら、お詫び申し上げます。
生物は苦手だったのです。。。汗

それから、出来ましたら
>我が物にしたという、あるいは我がうちに取り込んだというような。
この点について、男性が「何を取り込んだ」と感じているのか?の補足が未だ頂けておりませんので、お願い出来たら、と思います。

遅くなりましたのに、図々しく申し訳ありません。
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この回答へのお礼

 実は私も困惑しているところです。

 “我がうちに取り込んだ”なんて、どうしてこんな表現をしたのだろう?。。。汗

 ただ単に、我が物にした(征服感)を強調しようとして、このような表現をしてしまったようです。特別に意味を含めたわけではないので、見逃してください。

         _____________________________________________


 この欄をお借りして。

 yukkinn66さん。そして他の回答者の皆さん。中身の濃い回答を寄せてくださってありがとうございました。私にとって大収穫でした。

 実りの秋かぁ。。。秋だなぁ。

お礼日時:2009/10/05 08:41

静観しておりましたが、気になりましたので。



>自分は不感症なのか?今またもや敗北感です。

わたくし自身も「不感症」でした。
敗北感を抱くどころか関心も疑問も殆ど持ちませんでした。
相応に快感は得てはいましたけれども、何と言うか、相応に忙しく楽しく過ごしていましたし、むしろセックスとは男性が望むものだから…という「受け身な姿勢」という感じでした。
で、そのスタンスのまま「子作り」から「子育て一直線」に走ったから、つい最近なのです、真に感じ交感していると思えるようになったのは。

heartmind様の仰る「不感症」とは、セックスの快楽は相応に享受しても、自ら積極的に貪り合いたいとまで思わないという意味ですよね。
まだお若いのですし、全然、これからだと思います。

>演じるべきか?演じざるべきか?
>演じていると知って相手を傷つけはしないか?

当面は演じて損はないと思います。
でも「演じていると知られてしまう」不自然な演技は、パートナーの相手以上に、ご自身がそのギャップに秘かに苛まれかねません。
あくまで感じた際に、大胆にご自身をさらけ出していく感じでよろしいのではないでしょうか。

大切なのは「パートナーの愛撫によって」頑ななheartmind様の身持ちが崩れ、歓びを感じているその様子がパートナーに以心伝心することだと思います。
つまり共にエクスタシーを味わい分かち合いたいという気持ちと姿勢ではないでしょうか。
演技であっても、パートナーに本当に歓んでもらいたいと願うならば、相応の気持ちがこもるから決してまずくはないと思われます。
ここのところは、男性の方々に伺ってみたいところですね。

でその結果、男性が「征服感」を大いに感じるにしても、結局は女性がそれを助長してきた面も古今東西に認められるのではないでしょうか。
「被征服感」をアピールすることで、男性に「守って(囲って)もらう」「養ってもらう」等々、有史以来地位が低かった女性の控えめでしたたかな戦略だったとも考えられるのです。←「哲学」?

余談ですけどココ・シャネルって、もちろんご存知ですよね。
貧しい境遇の女性は下働き、妾、遊び女兼女優くらいしか生き方を選択できなかった時代に、自らの腕と才覚だけで自立する生き方を懸命に模索した女性です。

豪奢な生地や装飾品を手掛けることも叶わないという世知辛い事情故にジャージー素材を利用したり、わざとフェイクのコスチューム・ジュエリーをじゃらじゃらつけてスノッブをかましたり。
はたまた修道女の如く「黒」という喪色をファッションに効果的に取り入れたりもして。
とにかく斬新なセンスの持ち主で当時のファッションをリードしました。

身分が低い女性だから愛人止まりなのだけど、そのお歴々が並みの殿方ではなかったし相当にもてたのは、彼女の元来の容姿に勝ったプライドの高さや自立した姿だったのでしょうね。
そんな彼女であっても、口説かれたり情を重ねる際には、きわめて「女性的」であったでしょうし、自ら「被征服感」を感じて安らげる瞬間だったに違いありません。
むろんパートナーの殿方たちも、日頃尊大で高慢な彼女が我が手中に「征服されきっている無防備な様子」を見るにつけ、相当ご満悦であったのは想像に難くはないのです。

どうせ女に生まれてきたのですから、最大限に「女の愉しみ」を享受しないと、人生損ですよね。
もちろん、質問者様をはじめ殿方におかれましても、相応しい女性に対し、存分に「征服感」を味わってくださればよろしいのではないかと…。
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この回答へのお礼

 男の征服感。

 女の被征服感。

 ハイレベルの回答をもらうと、かえって緊張してしまいますね。

 この質問をしてよかったと思います。

 この質問に興味をもたれた方も、mashumaro2さんの回答を通して、さらに思いを深めることでしょう。

 演技? しらけます。 ばれない“程度”のほうがいいのでは。

 日常生活で、愛情を交感し合えれば、“不感症”なんてさしたる問題ではないと思います。

 理解し合おうという努力さえあれば。

 余談ですが、ココ・シャネルって誰ですか。

 ・・・たぶん不感症ではないでしょう。

 でなければ、演技が完璧だったはず。・・・と、思います。

 

お礼日時:2009/10/03 22:11

>ごめんなさい。



いえいえこちらこそごめんなさい。
感情的になっていたかもしれません。

何か皆さん、性を楽しんでらっしゃるようで羨ましいです。

自分は不感症なのか?今またもや敗北感です。
不感症にも人権を!!
などと声高に言うこともないですね。
今や、ホモセクシャル、レズビアン、S、M等など、
性の多様化への認識が高まっているのですから。

しかし、不感症としては、考えさせられます。
演じるべきか?演じざるべきか?
演じていると知って相手を傷つけはしないか?

まあ、いいです。

何でも楽しむことはいいことですね。いいな。

この回答への補足

 不感症。

 満足感がない。

 ということを言っているのでしょうか。

 ・・・・バレなければ、いいのでは。

 と言っても、微妙。

 感想は。ご返事をいただいてから。

補足日時:2009/10/03 21:21
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こんばんわ。

♀です。

このご質問がなぜ哲学のカテにあるのか分からないまま、
よって哲学的な回答はできないまま、乗っかってみます。

おお!開放感!というのはドンピシャ!かもしれません。
自由に、自由に、自由に「表現できる」開放感。
人間の持つ「表現方法」の中で、
性交渉というのはわりと大きなウェイトを占めますから。

それから「意識」からの開放感とでも言いましょうか、
脳が溶けるような開放感とでも言いましょうか。


>男は征服感
:ということは女には敗北感でしょうか。
まあいいです、敗北感を感じてやっても(←何様?)。
正直なところ、真剣に求めた性交渉の場合、
(お付き合いチックな氷の摩擦ではなく)
女性のみなさま「ぶっ壊されたい!」と思いませんか?

上腕二頭筋やら大胸筋やらに取り込まれ、
打ち抜かれて砕かれて粉々にされちまいたい、
グラニュー糖ぐらい粉々にされちまいたい、
あ、そうしたらどっか飛んで行けちゃったりもして、
これまた開放感?!


しかし実は女性も征服感を感じ、
男性も敗北感を感じてるんじゃないですか?
だって男性は
包囲され閉じ込められ高圧で締め付けられ
そうして女性の中で溶解され液体になっちまうんですよ?
あ、水みたいにサラサラになって
どこへでも浸透できちゃったりしたら、
それも開放感かも(笑)。


以前、別カテで、
「セックスにおいて女性は求める性で
 男性は与える性なのですか?」とか
「ボルトとナットはどちらが偉いのですか」
みたいな質問がありましたが、

個人的には
「どちらも欲する」で「どちらも受け取る」で、
どちらがどちらになることもできて、
その両方になることもできて、
だから双方で満足できるのだと思ってます。

まあ「表現」であり「交渉」ですから、
一方が何かを感じっぱなしってことはないと思います。
「征服感」やら「開放感」やら、
「感じること」も流動的なんじゃないかと思います。


ではでは。
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この回答へのお礼

 このような回答を得られるとは思っていませんでした。
 
 興味深い回答です。

 実は個人的には敗北感を感じてもいるのです。

 イカサレテシマッタ、なんてね。

お礼日時:2009/10/01 22:29

男ですが、回答させていただきますね。



思うに、男女の性意識にしろ、セックス観にしろ、相互依存的な関係にあるような気がします。
ですから、たとえ社会通念上は、確かに「セックスは男性の女性に対する征服である」と考えられているかもしれませんが、一面においては、それは男性が女性の注文通りにハメられただけのことという解釈もできなくはないですよね。

>男に征服される女の心理は、“開放感”ではないかと。

男性にしても、セックス(射精)によって鬱積していた性欲が充足されるときには、やはりオルガスムスに至った女性と同様、一種の解放感(スッキリ感)を覚えるのではないでしょうか。
また、女性にしても、好きな男性が自分とのセックスによって快感を覚え、その頂点で射精に達したとなると、それなりに女性としてのプライドを擽られると思います。
一方、女性はそのつもりになっているのに、男性が欲情してくれなかったり、セックスの途中で萎えたりされようものなら、逆に女性としてのプライドも傷つくのではないでしょうか。

>男は征服感が、あります。我が物にしたという、あるいは我がうちに取り込んだというような。

確かに、たとえば、はじめのうちは羞恥心から男性に身を委ねるのを抵抗していた女性が、それでも多少強引に性的攻勢をかけているうちに、徐々に官能的に反応し始めてくるのを確認できると、男性としても思わず一種の「征服感」を覚えるかと思います。
が、昔も今も女性はしたたかですから、本当は醒めていて、「してやったり」などと内心ほくそ笑んでいるかもしれませんよ。

まあ、セックスの結果として、お互いにそれなりに充実感なり、慰藉感なりを覚えることができたなら、本当は男女のいずれがいずれを「征服」したかなんてことは取るに足りない問題ではないでしょうか。

なお、男女が社会的な一個人の立場でそれぞれの欲望の実現をはかるときには、必然的に相互の我欲が醜いまでに対立せざるをえませんが、性欲に関してだけは、相互に強く主張すればするほど、それが互いの求めるところとなり、双方の欲望が融合しながら、最終的には一種の欲望の死に到達できる、つまり自己解放が実現するのではないでしょうか。
そこに、男女を有機的に結びつけ合わせるセックスの尊い意義なり、価値なりが潜んでいるのではないかと思われます。
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この回答へのお礼

 納得です。

 お互いに征服しあっているんですね。

 男は能動的に、女は受動的に。

お礼日時:2009/09/30 23:51

女性です。



性行為の面白い所は、互いの思惑や目的が丸っきり食い違っている/相容れないのに、それが充足され、交流が出来る、と言う点かと。^^

男は男の立場から「征服」する、それは確かだと思います。
でも、それが女の立場からは必ずしもそうではない。

我が身を与える、と言う観点もありますが、
与えると同時に、男から「奪って」もいると思うのです。
例えば、
精液、
放出と同時に男からは失われる精力?は、同時に女に生命力(簡単に言えば元気)を与えてくれます。
これって「奪って」いませんか?^^

>我がうちに取り込んだ

質問者様は男性でいらっしゃいますか?
男性側が何を取り込んでいる、と感じるのか、補足頂けませんか?

私としては、具体的物理的に「取り込んで」いるのは女の側かと。
例えば、性器、精液、生命エネルギー(これはまあ、交流、ですが)

男がセックスで「取り込んで」いるのは、自分が作り出した「女と言う幻想」だけじゃないかなーーー??とは、酷い言い草でしょうか?^^
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この回答へのお礼

 「幻想」・・・当たっているようです。

 「男は女に生命力を与えている」

 この意見はとても、新鮮です。

 多くの男性は、『眼からうろこ』的な感想を持つのではないでしょうか。

 それから「互いの思惑や目的が丸っきり食い違っている」にとても興味があります。

 どう違うのか知りたくなりました。

 

お礼日時:2009/09/30 23:47

うわーもうやだ!!


全然違います。もうちょっと女性の心理を理解してほしいです。

征服感は、お願いですから、早めに捨てて下さい。

どうして征服したいんですか?相手は貴方と同じ人間ですよ。
貴方も征服されたい人であって、相互に征服しあいたいというなら、
話はわかりますけど。でもそんなこと無理ですよね。被征服あっての征服ですから。

まず、同じ人間どうしの関係だということに気付いてください。
セックスなんて人生において、とっても小さなものでしかありません。

ご飯食べたり、睡眠とったり、お話したり、テレビ見たり、とかそのどれよりも重要だと思えませんよね。

だって、現代人は無能になってからも結構寿命ありますよね。
所詮、生殖目的に過ぎないのです。
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この回答へのお礼

 ごめんなさい。
 
 決して女性を軽く見ているわけではありません。

 ただただ、動物的本能としての征服感を感じただけなのです。
 
 私にも人間的な理性があります。

 だから、女性を尊敬しています。

 分かってください。

お礼日時:2009/09/30 23:34

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