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はじめまして、高2男子です。

早速ですが、先日倫理の授業の中で、「リベラル・アーツ」という言葉が出てきました。別に授業の内容としてではなく、先生の雑談の中にです。その先生の話によると、東大の教養課程(?)とリベラル・アーツがどうたらで、本来皆が学ばなくてはいけないのに、日本の大学では教えている所が少ない云々……(すいません、ものすごくうろ覚えなんです)。

興味が湧いて、授業の後先生に聞いてみたのですが、説明が難しすぎたのか単に自分が馬鹿なのか、ちんぷんかんぷん。自分でも調べてはみたのですが、ウィキペディアの内容はちょっと何書いてあるのか理解できないです…。

リベラル・アーツというものを、出来れば易しく、教えてもらえないでしょうか?

A 回答 (3件)

 下記のURLでは、立花隆 「東大生はバカになったか―知的亡国論+現代教養論」の内容とリベラルアーツについて書いています。

先生がお話ししたことを勝手に想像して書きます。

http://www.mypress.jp/v2_writers/mokomoko2560/st …

 子供の高校では、1年を終えると、理系か文系か、国立か私立かを決め、クラス分けになりました。入試に必要のない科目は、余り学習しないシステムになっており、極端な場合、入試に関係する科目以外は中学レベルの知識しかない学生が大学に入学することになります。以前、大学では一般教養部1,2年があり、教養科目が充実していましたが、ある時期から軽視されてきました。
 リベラル・アーツ教育の考え方として重要なのは将来どのような職業につくにしても人文科学、自然科学、社会科学の三分野の知識を専門に関係なく、幅広く修得することが大事だという前提に立っていると言うことでは、欧米の先進国では当たり前になっているようです。

 大学時代、教養部の先生から講義の中で
「工学部の学生は将来、殺人のための武器を作ることもあるかも知れない」
「大学は、良い社会や国民の幸せを作るためにある」
「人格の形成には真善美が重要だ」
「君達と同年配の働いている人の税金の一部が国立大に使われている。将来、社会に何らかの形で還元することを心がけなさい」
 等言われ、寮に帰ってから友人と議論したことがありました。

 日本の学生の学力の低下、高級官僚が自分達の天下りのために組織を作ったり、高額な予算を付けたり、大学生が大麻を栽培したり、総理が漢字を知らなかったり、大臣が非常識な発言をしたり、一流の大学を出ているのにおかしいと感じます。もう、教養の欠如の兆候はいろいろなところに出ています。リベラル・アーツの話をした先生は現状を理解し、心配しているのではないかと思います。

 日本の高度成長期は、これに合う人材の大量育成でよかったと思いますが、これからは日本独自の教育システム、欧米のような少人数教育、特にリベラルアーツ教育を考えることが必要と思っています。大学にいて博士号を持ち、専門に特化した研究をし、研究論文がある数だけたまれば大学の教官、教員になれます。教育に対する資質を判断する尺度はありません。極端な場合、知識や研究に関しては教員レベルであるが、教養に関しては学生レベルと言うこともあり得ます。長年の本格的な教養教育の欠如で、教養教育ができる教授がどの程度残っているか、切実な問題です。
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No.1の回答に補足を。


以下、私なりの理解である。偏見もあるだろうが、大体こんなものだろう。

その昔のヨーロッパ。大卒が普通ではなかった頃、大学と言うのは心ゆくまで学問をきわめたいという(物好きな)人のたまり場であった。
しかし、ただ専門的な知識ばかり身に付けるのでは、学者として尊敬されないだろう。単なる変人扱いである。
そこで、尊敬される学者になるために、幅広い教養を身につけ普段から人々の役に立てるようになろうとする動きが出てきた。そういった知識は、たとえ専門外のことであれ、他の人と話題にするためであるのはもちろん、自分の知識が意外なところから広がっていく助けにもなるだろう。そして、やがてそのような知識は体系的に整備され、「リベラル・アーツ」と称されるようになった。

転じて現在の日本(欧米でも、近いものはあるそうだ)。
大学では、旧帝大クラスの国公立、早慶クラスの私立の名門大でさえ、ろくに常識的知識(歴史とか哲学とか)も知らず、あまつさえ漢字を間違えたり計算が出来なかったりする学生すらいる(しかもそれを恥ずかしいと思わない)。
大学の教育方針も、こうした学生に常識を補ってやろうとするものではなく、ただ少しばかりの専門知識を身につけてやって会社に入れようとするばかり。昔は学生が1、2年の間にリベラル・アーツがみっちり仕込まれ、学生も自分から知識を蓄えようと躍起になっていたものだが、今では1年のときから学生が自分の興味のないことはおろそかにしても問題ないようになってしまっているのである。
天下の東大ですら、名目上こそ「一般教養」というのは残っていても、事実上は専門的な知識ばかり学ぶ学生が多くなっている。
こうした知的に貧相な(最近の流行語で言えば、『おバカな』)大卒者ばかり量産する大学教育を、倫理の先生はお嘆きになったのであろう。

>何故そんなに難しく言ったのか疑問ですが
過去への郷愁ではないだろうか?
今の一般教養課程は、かつての本来の「リベラル・アーツ(と呼ぶに値するもの)」とは最早別物…と考えていたのだろう。少なくとも私は、別物だと思う。

なお、もし興味があれば、こんな本もお勧めしたい。
「教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化」(竹内洋・中公新書)
多分、高校生には難しいだろう。
しかし、敢えて難しいこと、自分が不案内な分野に挑戦し、いくらかでも知識を得て自分のものとしてやろうとする姿勢こそ、リベラル・アーツの本質である。
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liberal arts


http://eow.alc.co.jp/liberal+arts/UTF-8/?ref=sa

大学の一般教養課程のことですよ。
それを何故そんなに難しく言ったのか疑問ですが。
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