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明治時代に地主、又は町内会長などをしていた家柄の人は、
江戸時代は武士だったのでしょうか?
だとするとやはり徳川なんかの大名が、
当時土地を管理していたからでしょうか?
他の職種の人が地主になるようなことは、この時代には考えられませんか?

今、家系のルーツを調べています。
でも当方、歴史に疎いもので。
以上よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>当時先祖がいたエリアは、「小杉御殿」があり、城下町もあったそうです。



水を差すようで申し訳ありませんが、私の申しました城下町は江戸時代に城があった町ということで、一般的には県庁所在地です。

中世には各地に城郭がありましたが、江戸時代に入ると一国一城となり、第二、第三都市の城は廃城となりました。当然、そこに詰めていた武士も引っ越していますので、資料はほとんど残っていないことが多いのです。

一般に家系を江戸初期前後まで遡れるのは、公家、武家、僧家、社家(神主)、豪農、豪商などに限られ、それ以外の百姓・町人は寺の過去帳などで江戸末期まで遡ることができる程度です。

とはいえ、可能性が皆無とは言えないので、あきらめずに調べてみてください。

それと、除籍謄本は取りましたか?
これも古い方から順に閉鎖されてしまいますので、この機会に是非申請してみてください。
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この回答へのお礼

>それ以外の百姓・町人は寺の過去帳などで江戸末期まで遡ることができる程度です。

仮に先祖が一般市民だとしても、江戸末期まで調べられる可能性もあるのですね。諦めずに調べてみます。

>それと、除籍謄本は取りましたか?

これで先祖の職業もわかるのですか?一番古いものを取り寄せればいいのでしょうか?明日、問い合わせてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/25 18:09

ご質問にある「地主」とはどのようなことを指すものでしょうか?


単に「土地を持っている人」という意味なら明治時代には地主でない人の方がむしろ少なかったと思うのですが。
多分ご質問の趣旨は「大地主で町内の多くの人に土地を貸していた」という意味かと思います。

さて、武士であったかどうかはその町が城下町であったかどうかにもよります。

藩によっても違いますが、私がフィールドとしている加賀藩では、武士は原則として金沢城下に住んでいました。
ここでは武士と町人が同じ町内に住み、武士が町民に土地を貸すこともあったようです。
しかし正確にはその土地も藩主から借りているもので、命があれば直ちに変換すべきものでしたから、現在の土地所有概念とは異なっています。

ただし、全国的にはこのような例は稀で、他の藩では武家屋敷を城内または城の周囲に置き、その外側に町人屋敷を形成して一線を画していたようです。
もし城下町なら、調べている人も多いのでかなり詳しく状況が分かると思います。
どちらにしても、一度図書館の郷土文献コーナーで調べてみたらどうでしょうか?
それと、図書館で郷土史家を紹介してもらい町名を苗字を言えば大体武家か町民かの推定は可能かと思います。

明治時代に町内会長を務めていたのは、初期のころは江戸時代の有力町人が多かったと思いますが、徐々に能力のある人が抜擢されていったようです。
ちなみに江戸時代にも町内会のような組織があって藩からの伝達が末端の百姓・町人にも伝えられています。
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この回答へのお礼

>武士であったかどうかはその町が城下町であったかどうかにもよります。

思い当たることがあり、調べてみましたら、当時先祖がいたエリアは、「小杉御殿」があり、城下町もあったそうです。もし先祖が武士でなかったとしても、なんかしらの理由で武士との関わりがあったとしてもおかしくなさそうですね。なんかドキドキしてきました。

>図書館で郷土史家を紹介してもらい町名を苗字を言えば大体武家か町民かの推定は可能かと思います。

近くに郷土史料を扱っている施設があるので、調べてみようと思います。ヒントを下さってありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 09:01

江戸時代以前は、土地をもっていたのは、


武士ではなく、農民や商人の金持ち、
つまり、豪農・豪商と言った人たちでした。

武士は、土地(持ち主)から、税(実際は米)を徴収する権利はありましたが、
土地(農地)そのものを持つことはできませんでした。

大名のような、一部の武士(経営者)を除き、
ほとんどの武士は、今で言うサラリーマンです。

また、一部の大大名を除き、武士階級は転勤族でした。
特に、譜代大名や旗本(徳川家直属武士)は、
かなりの頻度で転勤(国替え)させられています。

豪農・豪商が戦国時代に武士であったことはよくある話ですが、
豊臣秀吉がごとく、戦国時代に農民が武士になった例も、
数多くあります。

江戸時代になると、世襲制が強化され、
そのような例はずいぶん減りました。

豪農・豪商の中には、税をたくさん納めている功労等から、
武士のように、苗字帯刀を許された例はありますが、
武士ではありません。

幕末になると、武士の威厳も無くなり、
金ほしさから武士の権利(株)を、町人に売り払う
ようなことはあったそうです。

今の山形県の酒田市で繁栄した豪商である本間家は
「本間様には及びはせぬが、せめてなりたやお殿様」と、
言われ、殿様よりも、財力や権力があったといいます。

ご参考になれば

参考URL:http://www.nipponrentacar.co.jp/freeroad/yamagat …
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この回答へのお礼

土地を持っていても武士とは限らないんですね。

>大名のような、一部の武士(経営者)を除き、
ほとんどの武士は、今で言うサラリーマンです。

江戸時代でも今と似て階級があったんですね。
なんか哀しい現実です(笑)
豪農・豪商が一部の武士より、財力や権力があったのですか。そういうことも視野に入れて調べてみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 09:08

1945年(終戦)以前は農家以外の人が農地を持つことが許されていたので基本的には誰でも地主になれました。

その土地へ住んでいる必要もありません。管理人(代理人)を置いて小作農家から小作料を集めることができたのです。

幕末まで武士だった家系なら比較的簡単に分かるでしょう。
*一族に何らかの遺品や系図が残っている(分家では残らないケースが多い)

*地元の先祖を祭っているお寺で調べる。

戦国時代に武士を止め百姓になった場合は調べるのが難しいでしょうが、一族の中で聞き取り調査をすれば何らかの
言い伝えがあるかも知れません。我家の祖母はよく、うちは長袖の出(公家か、武士が正装で着た公家風の着物のことか?)だから行いに注意するようにと子供たちを諭していました。このような小さなことでもヒントになりますよ。
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この回答へのお礼

>一族に何らかの遺品や系図が残っている

家紋が徳川の系列が使っているのと似ていると聞いたことがあります。やはり武士なんですかねぇ。確かお墓に家紋が刻まれていたと記憶しています。

>地元の先祖を祭っているお寺で調べる。

なにはともあれ、一度お寺に行ってみることにします。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 09:14

江戸時代に名主や豪商だった家は、その前の戦国時代に


武士であった家が多いと聞いたことがあります。

戦国時代が終わって戦争が減った時、失業した武士が帰農
したというケースもけっこう多いそうです。

そういう家はたいてい地域の有力者ですので、町内会長を
勤めているケースも多いかと思います。

なお私の家の先祖も地主だったみたいですが、家運が傾き
今はボロボロの状態です。
やはり細かく見ていけばケースバイケースかと思いますので、
親戚や地元の古事に詳しい人から直接話を聞くのがよいか
と思います。

あと、意外と昔の事情に詳しいのが、お寺です。
過去帖がきちんと保管してあれば、先祖が何をしていたか
けっこうわかるという話を聞いたことがあります。
私も法事の時に、自分の家の先祖が戦国時代の頃に他所の
土地から流れてきたという話を聞きました。
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この回答へのお礼

>江戸時代に名主や豪商だった家は、その前の戦国時代に
武士であった家が多いと聞いたことがあります。

失業した武士が帰農 したというケースもあるということは、当時の人々も精一杯生きていたんですね。やはり武士説有力ですね。

>あと、意外と昔の事情に詳しいのが、お寺です。

やはり一度行ってみようと思います。ただ、うちのお寺は戦時中に新しく立て直したとか聞いていたから、過去帳が残っているか不安ですが、ヒントを頂けて助かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2003/05/23 09:20

明治時代に地主だった、という場合には、地元の有力者であったと推測できます。


ここで注意したいのは、武士は地元とのつながりが薄かったという事です。
私の先祖は旗本だったと、祖父が調べ上げましたが、明治維新後は
没落し(苦笑)普通の市民として今に至っています。

むしろ、その地域の庄屋や豪農が地主となっていったケースが多いと思います。
もし、ご先祖が地主だったという場合は、古くからあるお寺の
有力な檀家であったと想像されますから、その線で調べてみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

>武士は地元とのつながりが薄かったという事です。

うちの場合はそうではなさそうでしたし、豪商や豪農の線で考える必要もありそうですね。
うちも今ではすっかり小市民になってしまいました(笑)。やはりお寺に聞いてみようかなと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/25 10:06

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