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毎日TVで報道されている普天間基地ですが、
映像をみると街の中心に基地があって、さぞ住民の方は騒音やら恐怖心やらで大変だな、と感じます。

その一方、わざわざ商店や民家が密集する真ん中に基地を作ったの?と不思議な感情も持ってしまいます。
米軍占領下で有無を言わせずに土地は収容できたかもしれませんが、ほかにも土地はあるわけで、わざわざ街の真ん中に基地を作るとは思えないのです。
もしかしたら基地の周囲に人が集まって街ができたのではないか?
とも感じます。
もしそうならTVインタビューで「基地は迷惑」と言ってるのはちょっと変な話になります。

実際のところはどうなんでしょうか?

A 回答 (1件)

普天間飛行場は、1945年4月に沖縄本島に上陸した米軍が、日本本土決


戦に備え、戦火で焼け野原になった宜野湾市中心部の台地に急いで滑走路を作
ったのが発祥だ。日本の降伏後、普天間飛行場は戦後5年間、使われない米軍
基地として放置され、1950年の朝鮮戦争とともに再び米軍が使い始めた。
この5年間に、もともと基地内の土地に住んでいた市民が、戦火を逃れた避難
先や収容所から戻ってきたが、自宅の土地は米軍に強制的に借り上げられてい
たので、代わりに基地の周辺に密集して住むようになった。
普天間の北方には、米空軍の嘉手納基地がある。こちらは米軍が沖縄上陸時
から、ずっと途切れなく飛行場として使い続けたため、避難していた地元住民
が戻ってきたとき、飛行場の後背地を弾薬庫用地などとして広大に強制借り上
げしてクリアゾーンを作った。しかも、嘉手納は滑走路の前面が海である。だ
が普天間は、米軍が基地として使わず放置していた間に地域住民が戻って家を
建てたため、クリアゾーンがほとんどないままとなった。嘉手納と異なり、普
天間の滑走路は海と平行している。米軍も、普天間は非常に危険な飛行場だと
間接的に認めている。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
よくわかりました。

お礼日時:2009/12/16 12:23

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