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祖父母が戦前住んでいた満州本渓湖について調べています。
本渓県宮の原平安区ジュンコウガイに住んでいたとのことですが、現地本渓に赴いても地図は全て戦後に書き換えられており、地名が残っていませんでした。
資料も乏しく、どなたか宮原付近を御存知の方はおられませんでしょうか?

A 回答 (3件)

私は宮の原平安区廣祐街で生まれたものですが、


当時、順孝街に住んでおられた方の名簿(苗字のみ39名)を持っておりますが、個人情報ですので、ネットでは公開できません。
地図については、私も探してましたが、「太子河」によりますと、宮の原地区
終戦前、短期間で作られたところなので、当時の敗戦間近の混乱状態を考えると作成されていないのではないかと思います。
旧市街である本渓湖地区の地図については「太子河」に記載されてます。
宮の原地区については簡単な略図がのってます。
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この回答へのお礼

貴重な情報をありがとうございました。正直、回答をいただける方が折られるとは思っておりませんでしたので興奮しました。
「太子河」は絶版になっており、国会図書館でも在庫が無く、広尾や日比谷を探そうと思っていたところです。よって「太子河」の記載を知らないため、父の戸籍にある「平安区」すら本当に平安なのか?という程度の知識です。祖父は本渓湖煤鉄公司に勤めていたためその寮は順孝街(rusuminさんに伺うまで漢字すら分かりませんでした)にあったとのことでしたが、現在の地図で言うとどのあたりにあたるのかもしもご存知でしたらご教授願いたいと思いますがいかがでしょうか?

お礼日時:2010/01/23 22:53

私の父も本渓湖煤鉄公司に勤務しておりましたが、昭和18年以降になると


戦地召集されて工場にはほとんどいなかったようです。
「太子河」は私も以前所持しておりましたが、北海道立図書館に寄贈して
しまいましたので、手元にない為、順孝街の位置を正確にお教え出来ませんが
記憶によりますと、本渓市南部の平頂山からはそう遠くないと思います。
北部の旧本渓湖市街は明治末期から栄えてきた為、「太子河」に地図が掲載
されてますが、宮の原地区は終戦前5年位で形成された新興地帯なので、正確
な地図は当時の状況を考えると存在しないのではないのでしょうか?
このあたりは「太子河」に詳しくのっております。
尚、「太子河」はインターネットの「日本の古本屋」に現在2冊存在します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!rosuminさんのお父様も煤鉄におられたんですね。現地に赴いた際の印象では本渓宮原が大都市で、本渓湖は鄙びた町といった感じでしたので宮原は当時から大きな街だったと思っておりましたが戦時の宮の原は新興都市だったんですね。「太子河」をインターネットで調べさせていただきましたら本郷の書店に在庫ありとのことで偶然職場の近くですので明日探しに行こうと思います。本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/01/26 23:24

 本渓湖に縁のある方のようで、懐かしく思います。


 本渓湖の親睦的な会がありますが、ご存知でしょうか。もう39年も続いている会で今年は40周年全国大会(最後)を熱海で9月に予定されています。毎年、本渓湖にも訪問しております。会報も発行しています。
 会員は当初1000人ほどでしたが、老齢化で今は半分以下になりました。
しかし熱海の最後の総会には100人ほどが予定されています。皆さんは勿論本渓湖関係者ですが、第二世の若い人も居ります。日中間の活動もやっています。ホテルオークラも会員です。図書の出版もあり、歴史的資料も二冊(大きい図書館にはあります。国会、東京都、横浜) 今までの発刊は、『太子河』、『本渓湖会物語』。また、一読をお勧めするのが、今月発刊の『旧満州本渓湖の街と人々』(幻冬舎、塚原静子、1365円)がで、これらがご参考になるでしょう。
 ご縁があり、必要なら事務局連絡所(東京)などお話いたしましょう。     小生は終戦時小学6年生 鈴木です。
「戦前の満州宮の原について教えてください。」の回答画像3
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