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狂信的な護憲論者の方は、武器を持つから、自衛隊がいるから、在日米軍がいるから、外国に侵略される可能性がある。

だから、「誠意と善意を持って誠を尽くせば、侵略されることはない」と性善説を主張していますが、それならば、、「誠意と善意を持って誠を尽くせば、空き巣に入られることはない」のならば、自分の家にカギをかけるから泥棒に入られるのでしょうか?

ですから、自分の家にはカギはかけないのでしょうか?

それから、死刑廃止論者の方は自分の妻や娘がレイプされて殺害されても被告に死刑を求めないのでしょうか?それとも、他人事と身内の問題は別なのでしょうか?

詳しい方教えてください。

A 回答 (10件)

以前、護憲論者と論議をしたことがありますが、質問者が言われている性善説は無知な国民向けの騙しの説明であって、彼らの目的は、日本から米軍、自衛隊を無くし無防備となった時点でソ連(今は中国)に攻めてきてもらって、共産国家設立するのが最終目標とのことです。

日本内部からの革命は出来ないので、隣国からの侵略による革命に方向転換したそうです。共産国家が設立できた後には、核兵器を持った強大な軍事国家にしたいと言っていました。
上記理由ならば、なぜ護憲を主張するのかという疑問にも納得できるはずです。
以前、死刑廃止論者の弁護士の妻が通り魔に殺害され、やっと死刑の必要性がわかったということで、死刑論者に変わられた弁護士の活動をテレビの特集で放送していました。結局、そんなものなんでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

納得しました。

お礼日時:2010/01/07 17:10

 1.護憲論について: 


 人の世に100%性善説も、100%性悪説も通用しません。そんなものは100%観念論です。国家というものはそう言う「性善なる人、性悪なる人」の混合集団で構成されています。民主主義国家であろうが、全体主義国家であろうが、あるいは君主制国家であろうが全てそうですね。そして国家の意志というものは結局のところ主権者が最終決定するものではないでしょうか? 主権者というのは如何なる政体であろうと人間ですね。性善なる人とは自己の欲望を他者の欲望の下に置く人、性悪なる人とは自己の欲望を他者の欲望の上に置く人、と考えれば、それぞれの国家の「主権者」の意志がどちらの側に振れるかによってその国家の性善なるか、性悪なるかが決まると思います。

要するに、或る時代時代に於いて或る国家がどういう行動を取るかを予測することは出来ません。人に欲望がある限り、その総意としての国家にも欲望が生じ、他国を自己の欲望の下に置こうとする行為は無くならないと思います。故に戦争は無くならないと思います。或る時代に於いて、他国の欲望を武力で押しつけられたくない(つまり、武力侵略を受けたくない)と考えている国家があるとすれば、相手の侵略意図を諦めさせるほど十分強力な自衛力を備えることしか方法は無いでしょう。土下座して「どうか攻めてこないでください」とお願いしても駄目でしょうね。一国だけで十分な自衛力を持てないなら、どこか気心の合う国と共同で抑止力(つまり共同防衛=同盟)を備えると言う方法もとらねばならないでしょう。
  
 日本は平和憲法を持っているから他国からの侵略は無い、などと考えている人は全くのノーテンキと言うしかないと思います。なぜなら、日本の憲法で他国の行動を縛ることは100%出来ないからです。
なお、日本の憲法は戦争放棄を明確にうたっていますが、自衛力の行使(平たく言えば自衛の戦争)は放棄していません。これは自然法と言って、法の条文に明記されていなくても万国・万人に自然に備わっている権利であるとされています。従って日本も堂々と「自衛隊」を持てる訳です。

 2.死刑廃止論について: 
 これは一般に「人権派」と言われる人たちが唱えていますね。こういう人たちは(全てではないと思いますが)通常、被害者よりも加害者の、善人よりは悪人の人権を尊重する傾向が強いように思います。私は俗人ですから、常々こういう人たちの胸に一発タマを打ち込んでみたらどういう行動を取るだろうか等と考えます。こういう人たちも100%観念論者(つまり頭で考えるだけの人)に過ぎないと私は考えます。
  
 私は「法」の役割として、罪を犯した本人を懲らしめ改悛させるという役割が大きいことはもちろん知っています。しかし、それと同等の重みを持って「被害者の感情を慰撫する」(つまり被害者の恨みを本人に代わって晴らす)という役割も重要であろうと考えます。最近も若い女性が鬼畜にもまさる残忍な殺され方をされる事件が頻発しています。もし、これらの犯人が死罪にもならずに生きていて、いつか社会に帰って来たら、私ならとうてい許せず、娘の敵討ちをすると思います。殺人が新たな殺人を呼ぶことになりますね。法がそれに代わって恨みを晴らしてくれると言うことをなぜ拒否するのでしょう? 
 
 もちろん、冤罪と言うことは十分に考慮しなければなりません。最近も冤罪による死刑からかろうじて生還された実態もあります。しかしこの一点にすがって死刑を廃止しろ、というのは大方の市民感情に反するのではないでしょうか? 冤罪防止には他のもっと現実的な方策(例えば最近叫ばれている「取り調べ全課程の映像記録と公開-いわゆる見える化」など)を徹底するべきだと思います。正義と力の裏付けのない優しさは単なる責任回避以外の何ものでもないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>日本は平和憲法を持っているから他国からの侵略は無い、などと考え>ている人は全くのノーテンキと言うしかないと思います。なぜなら、>日本の憲法で他国の行動を縛ることは100%出来ないからです。
>なお、日本の憲法は戦争放棄を明確にうたっていますが、自衛力の行>使(平たく言えば自衛の戦争)は放棄していません。これは自然法と>言って、法の条文に明記されていなくても万国・万人に自然に備わっ>ている権利であるとされています。従って日本も堂々と「自衛隊」を>持てる訳です。

全く同感です。

>正義と力の裏付けのない優しさは単なる責任回避以外の何ものでもな>いと思います。

仰る通りだと思います。

お礼日時:2010/01/07 17:07

死刑廃止に関しては賛否両論ありますが・・・


死刑廃止に反対している側としては
新証拠で無罪の可能性がある・・・つまり冤罪の可能性が0じゃない故に死刑を執行してしまったとき取り返しがつかなくなる。


護憲に関しては9条を改憲していた場合にイラク戦争やアフガニスタンの戦争で日本人が人を殺していた可能性があるのは知っていますか?
また、
>狂信的な護憲論者の方は、武器を持つから、自衛隊がいるから、在日米軍がいるから、外国に侵略される可能性がある。
に関しては武器を持たぬ国を攻撃した場合国際世論特に西側は黙ってないでしょうね。
それともし改憲するならば
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸・海・空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

前項の目的を達するため陸・海・空軍その他の戦力を保持しない
部分を削除し
また、陸・海・空軍その他の戦力を必要最低限度国を守るために保持し国外での殺人および武器の使用は正当防衛時以外認めない。
前項の目的を達するため、正当防衛をおよび自衛権について明記する。
正当防衛とは敵から攻撃をされたときに発動する。
故に個別的自衛権は認めるが集団的自衛権は認めない。

こんな感じでいんじゃないでしょうか
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>新証拠で無罪の可能性がある・・・つまり冤罪の可能性が0じゃない>故に死刑を執行してしまったとき取り返しがつかなくなる。

これは特例として分けて考えれば済むことです。そもそも、殺人を犯して反省もしていないものや本人も罪を認めている場合もあります。

この辺も法廷戦術で、罪を認めて反省の弁を述べれば、死刑は免れる!という計算があるからでしょう。

>護憲に関しては9条を改憲していた場合にイラク戦争やアフガニスタ>ンの戦争で日本人が人を殺していた可能性があるのは知っていますか?

攻撃されれば身を守るために攻撃をする。ゆえに双方に死傷者が出るのは当然だと思いますが・・・

>武器を持たぬ国を攻撃した場合国際世論特に西側は黙ってないでしょうね。

国際世論が動いて具体的な行動に移るまでにどれだけの日本人が殺され国土が蹂躙占領されるのでしょうか?そんな能天気なことはいってれれないのでは?

お礼日時:2010/01/07 17:00

元々死刑反対派であったのが家族を殺害され、賛成派に転向した弁護士の方がいた気がします。

お名前は忘れてしまいましたが。
人の考えは変わるものなのでしょうね。私は当然のことだと思いますし何ら批判する気はありません。

改憲と死刑廃止は性質として似ていても同じ問題では無いでしょう。そのことは他の回答者様が仰るとおりだと思います。
護憲と死刑廃止を叫ぶ人は同じでは無いでしょう。似ているとは思いますけど。

私は友人に言わせれば歪んだ人間で、人前で綺麗事を言える人はその問題を必ず傍観し、他人事のように見てるものだと思っています。他人事だからすました顔で「それは間違ってる」なんて言えるのでしょう。
前述の弁護士のように、当事者になった場合にも意見を変えない人がいるならば、見てみたいものですね。
改憲についても同様に、明日、日本がどこかの国と戦争になった場合にも同じように自衛隊や日米安保の廃止を訴えてられるのか、楽しみな反面、そんな気概のある人間はいないだろうなと思いますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>前述の弁護士のように、当事者になった場合にも意見を変えない人が>いるならば、見てみたいものですね。

乃木将軍は、自分の息子が戦死した時も、取り乱さず「名誉の戦死です。」といったそうです。弁護士という職に就かれている以上、一般人以上の信念を持ってもらいたいと思いますが・・・

>改憲についても同様に、明日、日本がどこかの国と戦争になった場合>にも同じように自衛隊や日米安保の廃止を訴えてられるのか、楽しみ>な反面、そんな気概のある人間はいないだろうなと思いますね。

国防とは最悪の状態を想定して立てるものであると思います。イザという時に間に合わなくなるのではないでしょうか?

お礼日時:2010/01/07 16:44

こんちゃ!




護憲論の場合

こういう問題は常に建前という理論が存在するので

本音は別だと考えるべき。


死刑廃止論の場合

廃止論の人はたぶん逆に家族に犯罪者が出た場合を重視してるんじゃない?

犯罪者はどんどん死刑にしろ!とか言ってて、自分の息子が罪犯したらしゃれにならないよね?

って感じ?




新年なので真面目に考えました^^
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>護憲論の場合
>こういう問題は常に建前という理論が存在するので
>本音は別だと考えるべき。

国防を建前でされるのはたまったものではありません。イザという時に間に合わなくなります。さすが、「島国根性!平和と水はただ!」では困ります。

>死刑廃止論の場合
>廃止論の人はたぶん逆に家族に犯罪者が出た場合を重視してるんじゃ>ない?

これはチョッと違うと思いますが・・・?

お礼日時:2010/01/07 16:26

前者の「誠意と善意を持って誠を尽くせば、侵略されることはない」関しては,完全に誤りです.



後者に関しては,No1で述べられていますが,法律システムには合理性が求められているからです.
感情的には大半の人が復讐したくなるものです.その感情は人として自然な,人間らしい感情であり,否定すべき物ではありません.私が当事者ならば死刑を望みます.

が,その感情を法律に組み込むのは別問題で,

・憲法は一般人に不可侵な人権を認めている
・冤罪による死刑は人権侵害である
・死刑は取り返しが付かない
・冤罪を0%にはできない

という点から,死刑の是認は,法律が一方で不可侵な人権を認めておきながら他方で人権侵害を認めることになり,矛盾を生み,不合理です.法律に矛盾があってはならないので,死刑は廃止せざるをえない.と考えられます.冤罪でない人間の死刑は問題ありません.参考URLをご覧ください.

個人的には死刑は廃止されるべきで,死刑に相当する厳罰を考えるべきだと考えています.

参考URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>法律システムには合理性が求められているからです。

なるほど。

>個人的には死刑は廃止されるべきで,死刑に相当する厳罰を考えるべ>きだと考えています.

もっと議論されるべきです。

お礼日時:2010/01/07 16:17

武力が戦争や紛争の原因では有りません。


本来の原因は、様々な格差です。

空き巣の例ですと、
(1)空き巣は貧困で、被害者は富裕と言う経済格差
(2)空き巣は「貧困になれば犯罪を犯す」と言う思想格差
が存在するからです。

この格差を無くさなければ、治安は良くなりません。
社会保障などにより、経済格差を小さくしたり、道徳教育を徹底する等し、思想格差を減少させるのが、解決方策です。
しかし、この解決は個々・自力では困難なため、自衛力としてカギが存在するワケです。

国家間の格差の場合、更に解決が難しいから、自衛力として軍事力を持つワケです。
また、格差の中でも、この軍事力格差のみは、抑止力として働く場合があります。

脳天気な平和主義者は、そもそもの戦争や紛争の原因である格差を無くす必要性や、具体的解決策には余り言及せず、その部分は、ただただ「話せば判る」と言い、一方で、現実的な抑止力である軍事格差は無くせと主張しています。

概ねの常識人は、地球上に存在する全ての格差を無くすことは、事実上は不可能に近いほど非常に困難であり、抑止力は必要であると考えていますので、脳天気な平和主義者は相容れないのです。

平和主義者は、北朝鮮の様な思想的・経済的な格差が大きな国とも「まず武力放棄し、話し合えば理解し合える」と主張していますが、常識人とは全く相容れません。
これこそが、「話し合いでは何も解決しない」と言う証明に他なりません。

死刑廃止論に関しては、自身や身内がどの様な被害を受けても、加害者には死刑は求めないという人は存在しますし、死刑を望んでいた被害者遺族の中には、加害者が死刑執行された後に、死刑廃止論者になる方もおられます。

この原因は、概ね二通り有り、罪を憎んで人を憎まず的な考え方と、死刑により加害者が刑罰や遺族の憎悪憎から逃避出来るのがおかしいと言う考え方があります。

これは脳天気な平和主義者の問題とは異なり、個々の倫理・道徳・宗教等により考え至ることですから、良し悪しや、いずれが正解かは、簡単には言えません。

ただ、自衛力と同じく、「死刑」と言う刑罰が、犯罪抑止に繋がっている部分は否めないとは思いますので、死刑に無縁の生活を送っている人々においては、存置論も否定すべきでは無いと思います。

選択肢としては、死刑を廃止する代わりに、死ぬより辛い様な終身刑が存在しても良いのかも知れません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ただ、自衛力と同じく、「死刑」と言う刑罰が、犯罪抑止に繋がって>いる部分は否めないとは思いますので、死刑に無縁の生活を送ってい>る人々においては、存置論も否定すべきでは無いと思います。

仰るとおりだと思います。

>選択肢としては、死刑を廃止する代わりに、死ぬより辛い様な終身刑>が存在しても良いのかも知れません。

もっと議論されるべきですね。

お礼日時:2010/01/07 16:10

改憲論者でも死刑廃止論者は沢山います。


有名なのは亀井静金融大臣です。

そもそも護憲論者の論理は国家間の問題で、社会問題である泥棒やレイプ殺人の問題とは違います。泥棒はやレイプ殺人どちらかといえばテロに近いもので交渉の余地がありません。戦争はまだ外交交渉という余地があるので泥棒やレイプ殺人とは問題が発生する元が違います。

「誠意と善意を持って誠を尽くせば、侵略されることはない」
「誠意と善意を持って誠を尽くせば、空き巣に入られることはない」

良く似ていますが侵略は国家がするものであり、空き巣は個人が行うものです。
そういうわけで護憲論と死刑廃止論は確かに単純に考えると似ているように思えますが、論理的には違うものです。

「他人事と身内」の問題ですがこれは余程の聖人でなければ同じ心持を持てないでしょう。
自分(身内)が被害者の場合と加害者の場合で異なる感情を持つのは当然です。
例えば交通事故で車が歩行者を轢き殺したとき:
 身内が被害者だったら「運転危険罪で重罰を課してほしい」「死刑にする法律を作れ」
 身内が加害者だったら「歩行者も車の通るところを注意せずに歩いていたのが悪い。過失致死にしてほしい」
となります。
レイプ殺人の場合でも加害者側に立てば「これ見よがしに挑発的な服装をしているくせに拒むからだ」と被害者側を攻めてきます。

こうした事態をなんかしようとハムムラビの時代から「法定刑」が出来て四千年以上も積み重ねられてきました。(詳細はここでは述べません)
にもかかわらず質問者様をはじめとして今の法律体系ではしっくりこないという方が多数おられることもよく承知しております。
特に死刑に値する(と今の法律で定められている)罪について裁判所が匙をなげて「裁判員制度」を作りました。
私は死刑は限定的に使うべきだという考え方です。本人も周囲の人も証拠もすべてに疑義のない場合に限定するのです。冤罪で死刑にされた人は明らかにいます。

どちらが身内であっても公平に裁く事が裁判の根源だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>どちらが身内であっても公平に裁く事が裁判の根源だと思います。

仰るとおりだと思いますが、現行では、被害者やその遺族の人権よりも加害者の人権のほうが守られているフシがあります。
それに納得していない人たちが多いのではないでしょうか?

>そういうわけで護憲論と死刑廃止論は確かに単純に考えると似ている>ように思えますが、論理的には違うものです。

その通りだと思います。

お礼日時:2010/01/07 15:59

そもそもこの手の問題は、社会的な制裁をどのようにするべきかの問題であって、その場合当事者の意見感情は反映されない一般論であるべきなのです。


そうしないと、死刑だけでなくすべての問題に「感情」を取り込まないといけなくなるからです。

それは置くとして、私は死刑廃止論者ですが、自分も身内が殺されたら「自分で犯人を殺してやりたい」と思います。これは法律論ではありません。単なる感情です。死刑で代替できるとは思っておりません。
可能な限り、自分で犯人を殺す方法を考えます。


もうひとついうと、私は護憲論者ではありませんので、護憲論者と死刑廃止論者は同一ではない、と申し上げておきます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>そもそもこの手の問題は、社会的な制裁をどのようにするべきかの問>題であって、その場合当事者の意見感情は反映されない一般論である>べきなのです。

仰るとおりだと思いますが、現行では、被害者やその遺族の人権よりも加害者の人権のほうが守られているフシがあります。
それに納得していない人たちが多いのではないでしょうか?

お礼日時:2010/01/07 15:53

後者に関してだけ。


>死刑廃止論者の方は自分の妻や娘がレイプされて殺害されても被告に死刑を求めないのでしょうか?それとも、他人事と身内の問題は別なのでしょうか
私は死刑消極論、死刑慎重論をとります。

が、身内で――ということなら、交通事故でも死刑を求めたがる人はいるかもしれません。
トラックの酔っ払い運転で、自分の子供がひき殺されたら、私は死刑を求めると思いますよ。心情的に。

また、殺されなくても、たとえば、目を見えなくされるなどの障害が残る傷を負わされたら、その人を殺したいと思います。

また、レイプ犯に対しても殺人と同じ罪を適用しろ……という意見も聞いたことがあります。

被害者やその身内の立場に立てば、殺人でなくとも、加害者を殺してやりたいと思うことはあり得ます。
ですが、被害者の感情に100パーセント従っていては、世の中というのは成り立たない。
どんなに被害者や被害者の家族が加害者を殺してやりたいを望んでいたとしても、過失致死や重度の傷害、強姦などに死刑を適用しては……いけないと思う。
逆に被害者の家族が死刑に反対したり、あるいは被害者にそもそも身内がいない場合でも、ある種の殺人などに対しては、死刑を行うべきでしょう。

被害者のためではなく、私たちの社会を守るために、死刑が必要なら死刑にする、というのが正しいと思います。
被害者の感情に引きづられては、とんでもないことになるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>被害者の感情に引きづられては、とんでもないことになるでしょう。

仰るとおりだと思いますが、現行では、被害者やその遺族の人権よりも加害者の人権のほうが守られているフシがあります。
それに納得していない人たちが多いのではないでしょうか?

お礼日時:2010/01/07 15:47

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