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私は自由研究で土方歳三のことを調べたいと思っているのですが、分かりやすく説明している記事がないので、ぜひ知っているかたがいれば、教えていただけると嬉しいです*(生涯の事

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A 回答 (6件)

土方の一生ということで、私が知っている認識している範囲で


ざっくりご説明をば。

幼少期
武州多摩(今で言う東京日野市)の大百姓の末っ子として産まれる。
幼い頃から奉公に出ては、番頭とケンカしたり、同じ職場の年増女を
妊娠させた、などヤンチャなエピソードが残ってます。
約10年間の奉公を終え、実家に帰ってきてからは、実家秘伝の「石田
散薬」を行商しつつ、各地の道場で他流試合を重ね修業を積んだと
言われてます。この頃に、天然理心流の近藤勇に出会い、正式に
入門します。

新撰組結成
治安が悪くなっていた京都を守護するために、清河八郎が幕府の金で
浪士を集めてました。近藤や沖田、井上ら同郷のものと、この浪士隊に
加わります。
しかし、清河の本来の目的は尊皇攘夷であり、浪士隊をその先鋒である
ということを打ち明けました。これに反対したのが、土方、近藤等、武州組
と水戸藩浪士の芹沢等、天狗党たちでした。
とりあえず、芹沢を局長とし(近藤も局長だったが実権はなし)新撰組を
結成します。悪行が目立った芹沢一派を粛清し、近藤が局長、土方が
副局長の武州多摩がメインの新撰組が出来上がります。

鬼の副長
新撰組といっても、所詮イナカ侍。幕府はいいように取り合ってくれません
でした。土方はイナカ侍だとしても、一介の武士として立ち振る舞うよう、
厳しい規律を作りました。命令に背くもの、逃げるものは切腹。新撰組の
死因の1位は切腹といわれるほど、多くの粛清がなされました。
試衛館の門弟であった、山南敬助も例外なく切腹させる徹底振りでした。
新撰組を一躍有名にさせたのが、池田屋事件です。新撰組は池田屋で
攘夷志士(テロリスト)が会合をしている情報を仕入れました。これを幕府
に報告。幕府の援軍を待って、強襲する予定でしたが、幕府がグズグズ
していることに業を煮やした土方が、新撰組だけで討ち入ろうと提案し、
見事にそれをやってのけました。後から駆けつけた幕府軍に対しても、
新撰組の羽織を着ていないものは全員切り捨てろ、と命令しているので
これ以上近づいては命の保証はできぬ、と啖呵を切り幕府軍の力を
1つも借りずに成した大業です。

新撰組瓦解
長州・薩摩が手を結んでからは、幕府軍は劣勢。新撰組の中でも組織
だって隊を裏切る輩が増えてきました。土方は斉藤一にスパイ活動を
命じ、隊内の不穏な輩の動きを事前に察知し、その陰謀を打ち破ります。
幕府側がいよいよ窮地に陥ると、新撰組は幕臣として取り扱われます。
戊辰戦争の緒戦、鳥羽伏見の戦いが始まると、銃器の圧倒的な差で
幕府軍は徹底的にやられます。ここで多くの隊士が戦死、または脱走
していきます。江戸へ逃げていきます。
幕府の命を受け、局長の近藤は大久保剛、土方は内藤隼人と名乗り、
甲陽鎮撫隊を率いて甲府へ出陣。
この際、盟友だった永倉新八、原田左之助らが離別します。

転戦
甲府での勝沼の戦いにおいて、大久保(近藤)が単身投降。しかし、
新政府軍に大久保が近藤と知っているモノがいて、近藤は斬首。
近藤が出頭している間、斉藤一を会津に向かわせ、他の隊士と共に
東北にて戦の準備をさせる。自身は宇都宮城を陥落させる手柄を
得るが、この際に足を負傷し、会津へ護送されることになる。
会津戦争が始まるものの、幕府軍は劣勢。会津で命を散らそうと
いう隊士と仙台まで引き体制を立て直そうという隊士とで別れ、
ここで新撰組は分裂する。
土方は仙台にて榎本武揚と合流。生き残った隊士を率いて、どこまで
も戦う決意を決め、蝦夷地へと渡ります。

戦死
蝦夷地、五稜郭に立てこもった旧幕府軍は、榎本を総裁とする「蝦夷
共和国」を成立。土方は陸軍奉行となる。
土方は蝦夷の地においても、鬼の副長のままで、箱館政府を樹立し、
祝賀会においても、「浮かれてる場合ではない」とクギをさし、新政府軍
が攻めてきて、自軍を包囲したさいにも、冷静な対処でそれを退けた。
また、蝦夷での内陸戦においても土方が守る二股口は常に連戦連勝
だった。しかし、新政府軍の箱館総攻撃が開始さて、新撰組の隊士
であった島田魁らが守備していた弁天台場が、包囲され孤立したため、
歳三は籠城戦を嫌って僅かな兵を率いて出陣。
箱館一本木関門にて、敗走してくる仲間を率いて進軍させ、「我この柵に
ありて、退く者を斬る!」と発した。土方は一本木関門を守備し、七重浜
より攻め来る新政府軍に応戦、馬上で指揮を執った。その乱戦の中、
銃弾に腹部を貫かれて落馬、絶命。



敵からも味方からも恐れられてた土方だったが、和歌や俳諧などの
趣味を持っていた。が、決して上手い方ではなかった。
鬼と呼ばれた土方が
「しれば迷い しらねば迷ふ 法の道」
などの愛くるしい詩を残しているのがなんとも微笑ましいです。
ちなみに、「法の道」とは「恋の道」のことです。ちなみに生涯独身でした。
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この回答へのお礼

こんなに細かく教えていただき、ありがとうございます!!土方の幼少期から戦死するまでの事がよーーーく分かりました♪また分からなくなったらご利用させていただきます*


本当にありがとうございました★

お礼日時:2010/01/15 11:34

他の回答者様への指摘回答になってしまいますが、司馬遼太郎の作品はフィクションです。

作者自身も、そう明言しています。歴史の流れがつかみにくい時に、流れを把握するために参考程度に読んでみて、詳細は資料集で確認するのなら、調べやすくなり便利かもしれません。

難い文章が苦手な方でしたら、(株)光栄で出版されている『爆笑新撰組』が読みやすいのではないかと思います。結構、砕けた文章で書かれています。砕けすぎていて、自由研究には不向きな面もあるかもしれませんが、分かりやすいですよ。
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この回答へのお礼

いろいろな情報提供、ありがとうございます!!これで自由研究はバッチリ★だと思います。本を探してみてみたいと思います*

お礼日時:2010/01/15 11:37
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 司馬遼太郎作「燃えよ剣」を読むべし。


 長いが土方の生涯が中心だし、その頃の風俗や起こった出来事にも詳しい。
図書館へGo!
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 司馬遼太郎作「燃えよ剣」を読むべし。


 長いが土方の生涯が中心だし、その頃の風俗や起こった出来事にも詳しい。
図書館へGo!
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もう、伝記は何種類か読まれましたか?



読んだ本を示していただければ、他にも読んだ方が良いと思うものを
紹介できると思います。
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この回答へのお礼

まだ読んではないんですが、読めばよく歳三のことが分かるということですね!!アドバイスありがとうございます*またご利用させていただきます☆

お礼日時:2010/01/15 11:32

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