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先日、三回忌法要とお墓の開眼供養、納骨をしました。
今になって、気になりだしたことがあります。気にしなくていいのかもしれません。
気になっているのは、当日の強風の為、開眼供養の読経の途中でろうそくの火、
灯明が消えていたことです。ガラスの筒の中にあったので、最初はついていた
のですが、消えてしまいました。墓前に来たときは風が弱くなっていたので安心
だったのですが、途中から、また風が強くなり、消えてしまいました。
五穀、五つの根野菜、5つの供物(果物)、酒、塩は挙げました。
灯明は、仏様の目と聞いたことがあります。しかし、仏様は目が見えないという
話も聞きました。
魂入れの際、灯明が消えていても気にしなくていいものでしょうか?

A 回答 (2件)

真言宗の僧侶です。

他の宗派のことは知りません。

真言宗は、観念(イメージ)というのを大事にします。実際にそのものがあればいいでしょうが、風が消してしまったのなら、観念で火がついていると思う。これは良く行われることです。
仏像だって本当に仏様がそこにいたら安置する必要はないんです。仏像をおいて、そこに仏様がいると観念しやすくしているのです。
そして、お墓の開眼供養は、お坊さんがお墓に仏様の五つの眼を観念する儀式といってもいいでしょう。お墓という仏教徒の象徴である塔を、仏様(分かりやすく言えば仏像かな?)にしてしまうのです。


《ここから脱線》
ちなみに真言宗だと、灯明は仏様の智慧の光といいますね。仏様の光で照らしてもらい経本を読み、また仏様の光を供物として仏様に供じて仏の教えを受け継いでいる心を供じるということなんでしょう。

酒と塩は普段は使いませんが、霊園などで開眼供養すると、霊園の石屋か施主さんが用意しているので、無碍にもできずに、お墓の周りに巻いたりします。真言宗は、神道も仏教の一部のように(神仏習合)扱うのでなんの問題もありません。

お墓の前での儀式ではあまりやりませんが、お堂の中での修法では、お供えになった供物がたとえ一つでも、それを何万人という仏様に供養できるように何万個にもする呪文(真言)を唱えてお供物を増やしたと観念したりもします。仏教(密教)ってイメージすると結構面白いですよ(笑)
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 宗派がわかりませんし,一般的な仏教宗派では,御酒や塩はお供えしないので,神仏習合の慣習が色濃く残っている地域の方でしょうか。


 私の住んでいる地域では,お墓には自然光(太陽光線)があたっているので,灯明(ろうそく)を立てません。なので,うちのお墓の開眼供養の際にも灯明(ろうそく)は立てませんでした。
 ですので,灯明が消えていても気になさることはないと思います。

 
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