「平成」を感じるもの

霊魂と人の存在価値について


ここの哲学の霊に関する議論や、霊を信じている知り合い、ネット上の宗教系のサイトなどで

『霊魂の類が存在しなければ人間は単なる化学反応か何かで生まれた存在ということになり、存在価値がなくなってしまう』
『自分が死んで何もなくなっちゃうって思ったら怖い。だから私は霊を信じたがってるのかもしれない』
『我々が単なる肉の塊であるはずがない。神様が祝福を与えて下さった存在なのだ』

と言った主張を何度か耳にしました。

しかしながら、私は、自分たちには霊魂が存在するから特別だとか、死んでも魂になって天国なり地獄にいくとか、神によって作られた存在だ、といった考えを聞くと、そこまで自分を特別扱いしてもらいたいのかなぁ、とうんざりした想いになります。

例え守護霊だの霊魂だのが証明されたところで、
『私は偉大なる神に祝福された人間なのです!』『それがどうした。俺もそうだし、みんなそうだ。そんなことより、仕事終わったの?』
で終了するだけな気がします。
せいぜい『あの人(動物、物)は低レベルな霊魂の持ち主なので差別していいです』みたいな新しい人種差別が発生する要因になるだけな気がするし。

神さまがいたところで、所詮は『なんらかの性質をもった何か』でしかないわけで。役に立つんなら役に立たせればいいけど、天気予報以上の何かになりうるんだろうか?

さらに言えば死んでから天国だの地獄だのに行きたくない。そのまま消えてしまいたいと思ってます。


そもそも自分が単なる化学物質ならなんで価値がないと決めつけられるのか?
『俺は俺。単なる化学物質だろうと霊魂があろうとなかろうと、自分なりの価値を持っている!』でいいと思うんだけど。
むしろ自分になんの価値もないほうが精神的に自由に生きていけないかな?自分の思うがままにというか。



まとまりがなくなってしまいましたが、

・人間は自分が生まれながらの価値だの意味だの何もない、ただあるがままに存在するものだと受け入れた上で、『自分はゴミ?それならそれもまたよし!』と言える人間になって初めて幸せになれるのではないか。

・貴方は貴方です。それ以上でも以下でもありません。立派な守護霊を持ち、神に祝福された霊魂を持つ馬の合わない他人と、魂を持たない肉の塊でしかない友達がいれば、私は友達のほうに大きな価値を付けます。

・生まれ変わりとかあの世とかないほうがいい。死んだら消えてしまう。それがいい。(それでも死は怖いし、好きな人が死んだら苦しいけど、正直、宗教系の死生観ってなんかおしつけがましいしうざい。自分なりに必死に生きてきたのにそれを善悪で判定して天国だの地獄行きだの何さまだっつーの)

・蚊?潰すよ。かまれたくないもん。クジラ?食べるよ。旨いし。動物実験?肯定するよ。そのおかげで発展した医療のおかげで俺今生きてられるし。


こういう考えを持つ宗教なり哲学ってありますか?

A 回答 (10件)

仏法です。

しかし既存の仏教全ての宗派が神や霊魂を取り扱って釈尊が最初神や霊の話しをしないとの戒めを破っています。毒矢経にある話です。

来世に行くのは霊ではなく因縁です。過去世から持ってきて自分という個性を作りまた来世に行くのが人生です。

善因善果はまだ仏法の入り口で

善即悪 悪即善

これでまだ真ん中あたりですが、殆どの人が何で善と悪が一緒なんだ!?と理解できないです。

全ては心というともっともっとわからない人が増え、僧侶や大学教授でも分からないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仏法ですか。確かに釈尊の考えとされる文献や、般若心教の和訳を見ると、釈尊は神仏や霊魂の類を突き放して考えているように私には思えますね。
神仏も霊魂も全ては自分を縛る色界に生じた執着でしかなく全ては空である、といった感じで。
この解釈があってるかは分かりませんが。

そもそもの目的が生きることは苦しみだから、輪廻から解脱して消え去ってしまおう、という感じですし。

善即悪 悪即善については、私は『あらゆる事象に意味はなく、それを認識した人間が主観によって善か悪かを解釈しているだけ』というふうに解釈しました。それもまた主観でしかないのでしょうが。

お礼日時:2010/04/03 13:02

高等仏教ですね。


人の中に仏の命も菩薩の命もあるそうです。
 人の行動として認識できますね。
 神の働きも人を助ける働きとして、行為行動として見れるそうです。
 あの世だとかそういうものから結局自分の命の中に見るしかないための 導く教え仮の教えということでしょう。
 結局自分の中にそれらを見つけるしかないでしょう。
 菩薩?子供を育ててるお母さんの行為行動ですよ。
 結局、働いて、がんばって、いい人になって、幸福は自分で作りましょうということです。
 結局現実しかありませんから。
 >>貴方は貴方です。それ以上でも以下でもありません
 そういうのは仏教哲学でしょう。高等仏教です。仮の教えや導くための教えではなく、真実の教えの高等仏教だと思います。


 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
基本的に宗教の教義って、コミュニティの維持や科学的な知識がなかったころの一般大衆を導くための生活の知恵的なものが元になっていると聞いたことがあります。

例)命を奪うのはよくないから肉食はダメ → 肉を食べて食中毒が多く発生したため

  牛は神聖な生き物だから殺すな → 昔は重要な労働家畜だったから

  酒は悪魔の飲み物だから飲んだらだめ → アル中が増えて労働人口が減らないように

  悪いことしたら地獄に落ちるぞ → 犯罪発生の抑制

そういった低次元のものから脱却する必要があるようですね。

お礼日時:2010/04/09 11:21

なるほど、なるほど。

あなたの理解できている段階は概把握できました。既存の空間は書籍で知る限りはマスターしているようですね。その次と、口伝そして知りえたものの生かし方ですね。

生きる苦しみを楽しみに転じることは実践になります。仏法の実践です。実践部分を東洋心理学と言います。苦しみが苦しみのままであるなら釈迦仏法ですね。考え方の違いです。

苦しみの元となる欲望を滅するのが釈迦仏法でその煩悩を菩提とするのが本仏三尊仏法で人生の苦しみを楽しみとして謳歌してます。jinseiwalker 人生謳歌
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。
仏教にも色々な考え方(実践法?)があるようですね。
たしかに実践に勝る机上の空論はありえない。
がんばっていこうと思います。

お礼日時:2010/04/09 11:16

これにもあらず、あれにもあらず・・・あらず・・・


という否定的論法で真実を明らかにしてゆく事にも限りがあるのではないでしょうか。
宗教の本質は否定的論法の前には無力のようにさえ見えるものですが、否定し尽くす事もまたできないもののように思われます。
最後はご自身の体験から得たものだけが、真実となるのでしょうが
その真実だけが普遍的であるとも言えないのです。
しかし、その小さな真実の貴重さを基に、大きな真実を推し量ってゆく事は有意義のようにも思われます。
そこにご自身の宗教があるように思われます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分自身の認識が完全でない以上、何が最適か、なんて決められないですよね。
でもそこから自分の結論が出せるかを考えたいと思います。

お礼日時:2010/04/09 11:14

神を信じていても歪んだ思想もあれば、信じていなくても歪んだ思想は山ほどもある。


神を信じようと信じまいと「人間の思想が是か非かだ」ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

その考えは非常に共感できますね。結局は個人の問題にすぎないというか。

ある意味、宗教も道具であると考えれば、刃を人を殺す狂器と化すか、美味しい料理を作る包丁にするかは使い手次第、ということですよね。

お礼日時:2010/04/09 11:13

jinnseiwalker人生謳歌です、質問のお礼有難うございます。



空観も一通り勉強しているようですね。その空観さえも捨てれば空観を観じることは完成です。今はまだ捨ててないようですので、念のため。方便ですのでどうってことはないのですが。

全ては空であるという解釈は空間に執着しています。それではどうすれば良いのか、ですがあなたはゴールに近い文説明が難しくなります。そこでここに求めてきたのでしょう。気持ち分かります。

しかし生きることが苦しみという解釈で仏法を理解していたのらまだ途中段階です。その苦しみを楽しみとして転じていく力を持つのが釈尊の本義ですので。

善即悪 悪即善の解釈は正解です。では美は醜 醜は美など簡単でしょうね。壷の中で宇宙を見ることも。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

生きる苦しみを楽しみに転じる、ですか。シンプルな分、難しそうですね。

美は醜 醜は美、これもやっぱり美醜は見る人間の認識で付加されるものであり絶対的なものではない、そもそも美醜などという概念自体が実体をもたない幻のようなもの、と解釈してますね。

壺の中で宇宙を見る、井戸の中のカエルは大海を知らずとも空の広さを知る、といったところでしょうか。
どんなに限定したところでこの空間全てが宇宙であるわけで、やはり認識次第でどんな場所にも宇宙を見いだせる、逆に言えば宇宙に壺を見ることも可能、ですかね。

お礼日時:2010/04/03 22:47

「こういう考えを持つ宗教なり哲学」があるかどうか知りませんが、少なくとあなたの考えがあります。

それを宗教といってもいいし、哲学といってもいいでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

それもそうですね。仮に私と同じような思想の宗教があったところで入信する気は皆無ですし。
教義と営利団体としての宗教組織は別物だと解釈してるので既存の宗教団体に関わる気はないです。
私の考えは私だけの考えですから。
ただ、私自身、自分に自信のない若造なもので、自分の考えの参考になるものを探してしまう。
情けない限りですね。

お礼日時:2010/04/03 13:06

「認識工学」があれば宗教も不要です。

私には。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

認識工学ですか。よく知りませんが、脳がどのように外界を認識するかを生物学的に分析する学問という認識でいいでしょうか?

フレーム問題など、脳の機能にはいろいろと興味深い内容が多いですね。

お礼日時:2010/04/03 12:54

我々は有機体ですが、認識体でもあります。

認識することで、物質が生まれます。ご存知ですか?
よって、認識しないとき(睡眠や死)は、宇宙は存在しておりません。宇宙が最初からある、という先入観があなたにはあるようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

初期仏教の考えですね。
正直、言葉遊びなだけな気もしますが、なかなか面白い考え方だとは思います。

ちなみに、じゃあ認識体たる自分はどうやって生まれたのでしょうか?
また、脳に化学的生物的刺激を与えれば認識はころころ変わりますが、認識体の本質って脳でいいんですかね?

お礼日時:2010/04/03 12:50

死んだらどうなるのかは誰にも分りません、生れ変るのかもしれないし、消えてなくなってしまうかも知れないからです、


でも、生れ変りはあるようですよ
宗教で近いのは天理教かな、自由度が違いますね、いろんな意味で・・
そう思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

死んだらどうなるか誰にも分からないと言いつつ生まれ変わりがあるという論理が理解できませんが、個人的にはあって欲しくないですね。

天理教ですか。新興宗教って神なり仏なりにすがれ、的な印象がありましたがそうでもないんですね。
関わる気はありませんが。

お礼日時:2010/04/03 12:44

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