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人の心は必ずしも変化していくものでしょうか。
特に「愛」において。
感情はどんなに燃え上がっても、いつかはその炎の強さは弱まっていくものでしょうか?
永遠に変わらない感情は無いのでしょうか?

A 回答 (7件)

感情というものはその時々で変化しますよね…燃えあがったり、冷めたり。

永遠に燃え上がっていたら疲れてしまうし(笑)私も普通に恋愛を重ねてきましたが、永遠に想いが変わらない人は、一人だけです。もう別れてしまったけど、彼の事だけは永遠に忘れないと思います。前に誰かが言っていた「自分が死ぬ時に一番愛している人を思い浮かべるとき、その人は結婚相手ではない」と聞いた事があるけど、今は納得できます。
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この回答へのお礼

一番愛する人は、結婚相手にしてはダメなのでしょうか。
一番愛する人と結婚したいものです・・・

お礼日時:2010/04/05 16:48

本当にそうですね~!でも、結婚できなかった…まぁ、結婚できなかったから心に残ってるのかもしれませんね!ちなみに現在、結婚してますけ

すよ!

この回答への補足

今のお相手は、一番愛した人では無いのですか?
ちょっと気になりました

補足日時:2010/04/05 20:08
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生物学的な言い方をすれば愛情も脳内の生化学的な働きに左右されますので、永遠とはいかないでしょうね。


動物実験などで脳に化学的な刺激を加えることで、子育てをやめさせたり求愛行為を誘発させたりできることは分かっているので、人間の愛情も同様と考えられると思います。

恋多い人の遺伝子とかも発見された、なんて話もあります。
恋愛感情が一定時間で冷めるのは、いろんな異性と子供を作り、少しでも優秀な子孫を残そうとする本能と言われてますので、人間が人間であるかぎりどうしようもないのかも。



個人的な考えですが、愛には本能的(動物的、あるいは生化学的)なものと、理性によるものの両方があると思います。
本能の部分は単純な情動反応にすぎず、外部刺激によって簡単に左右されます。
ですので、逆に言えば、自分の愛が長続きするように自分に刺激を与えることで愛を長続きするような努力をすれば少なくとも寿命が来るくらいまでは長続きするかもしれませんね。
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この回答へのお礼

>自分の愛が長続きするように自分に刺激を与えることで愛を長続きするような努力をすれば

非常に理屈に叶った御回答勉強になりました!

お礼日時:2010/04/06 11:22

もちろん好きで結婚しましたよ(笑)すごく落ち着ける人です。

でも、「今までで一番好きだった人は?」と聞かれたら、昔の別れた彼です。きっと30歳過ぎるとそう思えます。
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この回答へのお礼

一番の人とは結婚できなかったのですね・・・
でも幸せそうで良かったです!

お礼日時:2010/04/06 11:31

間違いなくありますよ!


ただ、最初からインプットされた本能とちがい、愛は努力なしに成長はできません。
正確には「永遠に変わらない感情」ではなく、「永遠に変わらない愛」です。
熱力学の第二法則によれば、入力よりも出力が大きくなることはありえないのです。
しかし、それは物理法則のルールです。
物理法則や天体の法則、数理の法則などは、必然ともいえます。
しかし、愛のような世界では、そのルールは適用されません。
簡単にいえば、入力よりも出力が大きくなる性質は愛の持つ一つの属性です。
1を与えれば、2返ってくる。そして、また4与える、それに対して8返ってくる・・・入力よりも出力が大きくなる性質が前提なら、無限な愛や永遠の愛は事実上存在しなければならないことになりますよね。
愛とは、相手を喜ばすことにこれでいいという線引きがない世界のことを言うのです。相手に喜んでもらえたら、もっと喜ばせたい、もっと喜ぶ姿がみたいと思うようになるわけですから・・・
ただ、最初にも言ったように、この愛という最高にして不滅の力を得ようとしたら、ただ時間が経つのを待っても、何も起きませんよね。
最高に価値あるものを得るに相応しい努力をした者にこそ、そのような愛は体得できるはずです。
愛の努力・・・たとえば、人間には、大きく分けて12タイプの性格がありますが、あなたは、愛することが苦手なタイプの上司を全部制覇しましたか?
どんなタイプの上司にも部下としての愛を捧げることができましたか?
もっと極端な例では、意見の合わない人や敵対者はどうですか?
愛せますか?
逆に、目下の人や後輩、部下に対しては、らしく愛せてますか?
そもそも身近な親兄弟に対して本当の愛でちゃんと愛せてますか?
もし、どれかに引っかかっていたなら、愛の修行が足りないと言わざるを得ません。
そういう愛の積み上げの中で、自分の愛が豊かに成長してゆくようになるわけですから、そんなに難しいものではありません。
難しいのは、愛されることばかり望み、愛することの喜びや愛の感性を眠らせてしまった人にとってはでありましょう。
燃え上がるのは、一時の感情に過ぎません。
感情の炎は、一時的に強くても所詮は移ろいやすいものであり、簡単に好きと嫌いの逆転を招きます。
永遠性は、お互い与え合ってどこまでも無限に一つになろうとする愛のみが持っているのです。
まずは、身近な隣人から地道に愛するようになることです。
老若男女、どんな人をも愛せるようになれば、偏りのないバランスの取れた人間が完成するのです。
そうなった人のことを円満な人、幅のある人、丸い人というわけです。これに近づけば近づくほど、愛もあなたの質問の中で問うたような永遠な愛になっているはずです。
私も自分でいうのもなんですが、愛に於いては相当の修羅場をくぐってきましたからね、反逆者だろうが、上司だろうが、おばさんだろうが、幼児だろうが、高校生だろうが、どんなタイプでも一通り苦手意識はなく、愛せるようになりましたがね・・・
ただし、愛といっても一様ではありません。優しいだけの慈愛だけでなく、厳愛もマスターしてないとね♪
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2010/04/06 11:42

好みや執着心は、変わらないと思います。




錯覚ってありますよね。
例えば「いいな」と思っていた人と、あれよあれよと言うまに付き合いだして、結婚をしたとする。
ところがあんなに好きだった相手なのに、周りからうらやましがられたのに、心が冷めた自分に気づいたとする。
何故なんだ と。

思い出してみると、まだ付き合う前に周りが「彼女はマドンナ、高値の花だよね」と言っていて、「俺たちが食事に誘ってもどうせ相手にもしてくれやしないだろう」と言っていたとする。

「高値の花をものにして、同僚からすごいと思われたい」と思った場合、高値の花をどうやって攻略しようか思っていると、他の女性たちの話で彼女はクラシック音楽が好きだということを知る。

ふーん退屈 とか思っていたが、レコード店でクラッシックのコーナーに一応行って見る。
ベストのCDを一応買ってみた。
で、買った以上 一応聞いてみる。 なかなかいいじゃないかと思う。

同僚に「君たちクラッシック音楽は最高さ」とか言ってみたりする。

そんなあるとき、マドンナと給湯室でばったり。
「ども」と挨拶をすると「〇〇さんってクラッシック音楽がお好きだと噂で聞いたんですけど、どの曲が好きですか?」とかマドンナから声をかけられた。

「いやあ 好きと言っても最近ハマりだしたばかりでして。」と焦る。
最近買ったCDの曲名を思い出し、「ビバルディーの四季の夏なんか毎日出勤前に聞いています。」とか言うと、「ああ、確かにあの曲は仕事前の曲としていいですね。ナイスチョイスです」とマドンナがにっこり。

「いやいや まだまだ知らない曲が多くて、よかったら良いと思った曲を教えてください」とか言うと、「じゃあ CDを貸してあげます。」と。

ここからCDのやり取りをするようになり、やがて二人の付き合いが始まったとする。

クラッシック音楽を理解できる自分。
高値の花と呼ばれる女性食事して、まわりから「おお」とうらやましがられる自分。
美しい女性と一緒に歩いていると、まわりの男たちにうらやましい表情を向けられる自分。
美しい女性をトークで喜ばせて、「なんであの男なんだ」とうらやましがられる自分。

彼女の好きなものは自分も好きになっていき、彼女によって眠っていた自分の感性が呼び覚まされたような気分になり、彼女に感謝している自分。

そんなこんなで結婚をしたとする。

夫婦で外出すると、確かに周りは二人に注目 というか彼女に注目をするが、そう頻繁に自分の給料じゃあ外食に行けない。

自分は彼女に合わせてイタメシがすきだと言ったが、実はあっさりな日本食がすき。
いまさら「朝はパンじゃなくて、白いご飯と味噌汁が食いたい」とはいえない。

クラッシック音楽も、もともと好きじゃないので、最近部屋にかかっていると、切りたくなる。
自分を悩ます食事や音楽を提供する妻をみて、だんだん うっとうしく感じる。
別れたらこのうっとうしい環境から開放される とふと思ったりする。

馬鹿な 俺は周りからさんざんうらやましいと言われたんだ。宝石を手放す気か。

と悶々とするわけです。


彼の場合、自己顕示欲が強く、まわりに自分を注目して欲しと願うキャラだったので、その目的のために、マドンナを利用したわけで、相性は合っておらず結局無理をすることになり、無理をすることに意義を感じない場合、逆に我慢でストレスを溜め込むことになるわけです。


空気のような関係と言われる夫婦はお互い無理しない。
相性が合うから、存在をそれほど感じないが、確かに存在しているから安らぐわけです。

というわけで、<好き>が個性により自然発生したものか、<他のものを獲得するため>の手段を愛だと錯覚したかで違ってくると思います。


それに人は、新しい刺激に対して慣れ(順応・適応)ができないと、神経すり減らします。
例えば時計を買ってすぐは時計の音が気になり夜も寝れませんが、しばらくすると時計の音がしていることすら気づかなくなる。
慣れたことで、存在しているのに存在していないとして脳が修正してくれるんです。

これを脳がしてくれないと適応障害になり、生活が営めなくなる。

時間の経過とともに、順応により相手から強い刺激を感じなくなっても、相性が合っていれば、安らぎは残り続けます。
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この回答へのお礼

><好き>が個性により自然発生したものか、<他のものを獲得するため>の手段を愛だと錯覚したかで違ってくると思います。

これを自分でしっかりと見直すって大事ですね

お礼日時:2010/04/06 11:47

愛は変化します。

憎しみに変わるのです。永遠の愛はよってありません。

いつくしむこころは慈悲と言います。慈悲には愛と憎しみのように反する作用はありません。ただ慈悲があるかどうかです。

この慈悲心は努力修行によって獲得します。愛は放っておいても生じますが、慈悲心はそのようなものではありません。大悪人でも呼び起こすことはできます。

詳しいことは仏法を知れば理解できますが既存の宗教者は全員エセ仏法者ですので道は険しいでしょう。
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この回答へのお礼

難しいですね・・・

お礼日時:2010/04/06 11:52

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