A 回答 (16件中1~10件)
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No.1
- 回答日時:
くわしい回答はさけますが、さわりだけ。
弟子たちの手によって、
イエスにマイナスのことばを口にさせる…
あまり考えにくいことですし、
つくりばなしだとは思いにくいですよね。
この言葉は、旧約聖書の詩篇22篇の冒頭部分です。
神に見捨てられた、
しかし神に希望をおきつづける信仰者の姿が
重ねあわさります。
また、十字架という犯罪人の処刑に甘んじた、
というイエスの姿は、
まさに神に見捨てられた者にさえなられた、
ということでもあります。
No.2
- 回答日時:
男性弟子は誰一人としてその場にいなかったのですから、作り話でも間違いはないですね。
マクダリアのマリアはその場にいましたから、とはいえあの状態では、イエスが何を言ったかは正確に聞き取れるものではなかったでしょうね。おそらく、近い「音」はあったのでしょうが別の意味でしょうね。後のものが旧約聖書に対応して創ったということでしょうね。
巷の解釈では、意味を成しませんからね。イエスは全てを知った上で捕えられ、処刑にされる道を選ばれたのだから最後に「何故見捨てたもう」などという凡人の下手な芝居じみた言葉など発するはずがないですからね。
イエスがユダヤの一宗派の予言どおりの道を歩んだならば、当然、仕事が済んだから『迎えに来ておくれ。』といったはずですね。
実際、『エリア、エリア、ラファエロ、迎えに来ておくれ。』と言ったとご本人はおっしゃっていますね。(信じる、信じないは別にして)
つまり、「エリア・エリア」とは言ったということなので、その音を聞いたものが旧約聖書の一節だろうと間違って推測したというのが正しいところじゃないかと思いますね。
まあ、イエス様はあの世でもとても偉い方ですから、例え、肉体を持っても霊的覚醒は尋常じゃないので、死に際して「意味のない言葉は発しない。」というのが常識的判断ですね。
No.3
- 回答日時:
非常短期間、若いときはキリスト教の中にいましたが、門外漢です。
孔子のおことばと伝えられるものに『子曰。鳳鳥不至。河不出圖。吾已矣夫』(拙訳:鳳鳥は至らず(こない)。河は圖をださない。あぁやんぬるかな。天我を滅ぼせ李)
というのもありますね。
一つの感懐か、天よ頼みますよ。という祈りではないでしょうか?
孔子も、我鬼神に祈らずというが、愛弟子が孔子の病を悲しみどうか祈らしてくれと頼むと、そっと涙を隠して私の一生は祈る事であった。人は自分の思想のためには自分で祈っているものだ。
と答えています。
イエスもこのように主なる存在に祈っているのだと存じます。
それは主なる存在が正に聞いていることを意識している言葉だと存じます。
伝えられる孔子のことばの伝え方も、イエスのこのことばの伝え方も、肉の身の中に入っている聖なる意識存在の思想状況を理解させるようには伝わっていません。
それはそういう身に自分をおいて理解するより仕方ないものです。
書いてある文章に頼りすがるだけでは、イエスと主なる存在との関係を思う事はできないようです。
不遜ながら、拙考を投稿します。お許しあれ。
No.4
- 回答日時:
ANo.3
pupuppidou さんから補足のことを書かれてから、補足するのでは多少補足しにくいので。
この経験界にまだいる状況の最後ですが、人間体存在の知性と意識では広大無辺な創造の主たる方のことを理解しかねるなぁというお話かも知れませんね。
そしてどうぞ主のみ意志がなされますように、という主への呼びかけなのではないかと存じますが。
No.5
- 回答日時:
>これは作り話なのでしょうか?
十中八九作り話ですが、一つだけはっきりしていることがあります。
仮に、イエスの最後の言葉が「エリエリ」だとすると、
四つの福音書のうち二つは嘘っぱちだということです。
解釈については、他の方の回答を楽しみにします。
No.6
- 回答日時:
こういう事にお答えするのは非常に僭越ですが、
私は文語訳の「主よ主よなんぞわれをみすてたまいしや」このリアリティーにみちた悲痛な言葉に
胸打たれました。イエスを手の届かない方ではなく、まさに苦難のしもべとして、
傷ついた葦であり、いまにも消えそうな灯心である弱い人間のためにそこまで降りてきて、
一粒の種となられた。それだからこそ、その場にいてつぶさに見ていたた百人隊長が「本当にこの人は神の子だった」と証言したのだと思います。どうかもっと説得力のある回答が与えられますように
祈ります。
No.7
- 回答日時:
こんにちは。
確かにイエス様の最後の言葉が、「神様への悲観や不満」に聞こえる言葉だと
いうことには違和感がありますよね・・・・。
イエス様は私達の罪(sin)の故にこの地上に来られました。
「イエス様は私たちの罪のために死なれた。」
「イエス様は私達の罪を背負って死なれた。」
というようなフレーズを耳にしますが、私達の罪は、
唯一罪の無い方、イエス様にしか償うことができませんでした。
今まで罪の無かったイエス様に死が訪れた最後の瞬間、
イエス様に私達の罪が入り(罪そのものになり)
それゆえ、口にした言葉が、「神様への悲観や不満」=「神様を疑う」
言葉になって現れました。
あの言葉を口にした瞬間、紛れも無くイエス様ご自身が罪となり、
そこで命を落とされた(罪が死んだ)からこそ、私達の罪が癒されたことが
このときのイエス様の言葉によって知る事ができるのです。
このときのイエス様の言葉は作り話ではなく、真実の言葉だと
私は信じています。
質問とずれていたらすみません・・・。
No.8
- 回答日時:
作り話であったとしても、そのような物語を作り、それに共感する人が多く、ゆえに普及しているのでしょう。
作り話であると考えても、そうでないと考えても、結論は同じことになると想いますが。
一人の人間が、人間全体の罪を負うことはできないでしょうね。
負わせたことにすることはできるでしょう。
No.9
- 回答日時:
作り話だったと仮定しましょう。
であれば、実際に子が犠牲になることでこの世界は保たれ、親(神)もそれを望んでいる・当然のことである という信条、信念(世界観)がそういった物語を作ったのでしょう。真実の話だったと仮定しても、イエスは神の子なのであるから、その感受性と判断力に誤りがあるはずもなく、「見捨てられた」と思い、そう発言したということは、親(神)が見捨てたからです。
真意も何もないでしょう。
結論としては、親が外道だったのです。
「一粒の種」は、犠牲とはなっていませんね。嫌々ではなく、むしろ喜んでいるでしょう。
人間は種 とは違います。血も流すし、その死に様は酷いものでもあるでしょう。
と、ここまで書いて思ったのですが、もし人間の中にも嫌々(つまり犠牲)ではなく、献身するというくらいの覚悟がある人間がいて、それがイエスであったとするなら、イエスは確かに一粒の種となったのでしょう。しかし、そのような人間がいなければ、存続させることができない世界であると言うなら、悲しいことです。
本人に犠牲になったつもりがなくとも、種とは違う、その酷い死に様、死に方を見て、周囲の人間は「犠牲」になった人間を哀れみ、悲しみ、尊崇しなければなりません。
犠牲になる人間がいなければ世界は保たれないし、発展もしないと思っていれば、確かにそうなるでしょう。
そのような世界においては、イエスが「犠牲」にならなければ、人間が滅びてくれるというわけです。
No.10
- 回答日時:
とにかく、作り話であるとするなら、そういった世界観を持ち、そのような物語を作り、それを認めている人間がそのような世界を作り続けていることになります。
そうでなければ、実際の人間関係の場でも認めないのだから。作り話でないとしても、一人もしくは少数の人間が犠牲にならなければ
もともと、生成・維持・発展することができない世界であるのだから、そういった事実を元に、人間は罪悪感を持ったまま、それに相応する世界を維持し続けていくことになります。
もしイエスが神(完全)であり、「神」に対する依存心がなければ、「そのような世界になるなら、人間のためにも犠牲にならないでおこう。人間が、人間自身を罪深い存在であると思い、罪悪感を持ちながら生きることで、実際にそのような世界を実現させ続け、結果として苦しみながら生き、死んでいかなければならないのなら、私が犠牲にならないほうが良いだろう。滅びてもそのようにしたほうが良いだろう。自分の為にも。」
と気づいたでしょうね。そこまで気づけるような、価値のある人間でなければ犠牲としての効果や意味がないなら、ぜひイエスには犠牲にならないでいて欲しいと想います。
生贄がなくても維持発展できる世界も作ることができると思うんだけどね。
それともやはり自分が移行すれば良いのかな???
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