なぜ女体のみが性的魅力を湛えるのでしょうか。
人間の場合、一般的には、女体は性的に愛撫の対象であり、
男性ばかりか、時に女性をも、ドキリと魅了する対象のように映ります。
ですが、男性の身体は、必ずしもそのかぎりではないと思われます。
漢字変換で「女体」は変換可能ですが、男性のそれは変換されません。
語彙にも性差が潜んでいるように感じられ、少々興味を抱きました。
(山の名称では「男体山」「女体山」と出てくるのですけれども、
「男体」は「女体」ほどには用いられていないようですね。)
以上、ご教示のほどよろしくお願い申し上げます。
No.24
- 回答日時:
豊かな世界が広がる皆様の回答に飲まれるようにしておりました。
自分の回答の四角張って想像の余地の貧相な事。。。
恥を知らずにまたお邪魔致します。。。苦笑
「魅力を感じる」には「見つめる」事が第一に必要です。
その形を脳内に止めて、対象物が眼前を去った後も「脳内愛撫?笑」が可能に出来るように、とつい人は望みます。
出来る限り後天的性質の影響を受けないようにと考えるとどうしても「原始」の想像になってしまうのですが。
言語も充分に発達しておらず、柔な身を守る為の衣服など、お粗末に過ぎる時代。
「身を守る/生き延びる」を常に意識し続けてヒトと言う種は生きていたと思われます。
そんな過酷な生活の中でも、進化に依る発達が生み出した知性は美を求めたと思われます。
日の出の度に手を合わせるのは、一日の安全を祈る為だけでなく、その圧倒的な美しさにこそあったかも知れません。
獲物となる鹿や牛や、命の躍動感が溢れる壁画がありますが、やはり「美しいもの」は「美しい」と感嘆していたのでしょう。
さあて、ヒトがヒトを美しいと感じたら、どうしたのかなあ?と思ったのです。
「脳内愛撫」を可能にするには、対象の形、動きの変化による形の変化、色、、、、
離れた状態で、つまり互いに安全な状態のまま、得られる情報はこの辺りでしょうか。
この時代、男性は狩猟生活。女性は採集生活を送っていたと言われます。
となると、「静」の時間がまだしも長かったのは女性。
つまり「見つめ易かった」のは女性。
それは男→女、女→女もそうだと思われます。
返ってこの時代、男性を見つめる事って、至難の業ではなかったでしょうか。
獲物を追って走る、飛ぶ、木に登る、飛び降りる。。。槍で刺す、切り分ける。。。
見事に「動」の言葉が思い浮かびます。
あまりにもお粗末な意見とは思いますが、
女体が魅力的とされるのは、単に「見つめ易いから」と言う理由に依る「見つめられて来た歴史の長さ」では?と言う意見です。
さらに、何らかの理由から男女の営みに至る時があったなら、
男女ともに相手の美に触れられるチャンスを得る訳ですが、
この際、「見たい場所を見させる」「触れたい物に触れられる」のは、圧倒的に男性ではなかったかしら、と。
いえ、、、単純に腕っ節の強さの差がありますので。
いつも夫に簡単に裏表ひっくり返されている身として、毎度仕返しを試みますが、無理です。涙
私がチビスケだからいけないのですけれど、全身全霊掛けて押さえつけても夫はいとも簡単に私の四方固めを外してくれます。汗
この男女の力の差は、文化に依る後天的な物なのか?
生物としての当然の先天的な物なのか?はどうなのでしょうか。。。
男を見つめるのは大変です。
動体視力の弱い私に限らず、多くの人がそうではないでしょうか。
いつも動き回る、身体の形を変える、
対象を拘束して形を止めて見つめるのも、其処に至る労力が馬鹿になりません。
でも女性は、採集と言う「止まっているもの」を集める仕事。
充分ゆっくりその変化を追う事が可能です。
さらに、捕まえて拘束し、好きに見つめる事だって容易い。
見つめる事そのものの難易度の違いと、其処に起因する見つめられて来た時間/歴史の長短が、女体美と男体美の歴史?の違いかも知れません。
だってだって、安心して身を預けてくれる夫ですら、私からの愛撫(もどき?)に身体が逃げちゃって思いどおりになどなりません。
女性が愛撫に身をよじるって、あれは、逃げようにも拘束されているから、拘束が可能だから、ではないのでしょうか。
哀れ、男性は快楽に身をよじる事すらままならないのですね。。。
あーーーでも、妻の下手っぴな愛撫から逃げたい一心だけだったりして。。。爆
この回答への補足
yukkinn66ちゃん、ご回答をどうもありがとうございます。
追ってお礼を申し上げますね。
>あーーーでも、妻の下手っぴな愛撫から逃げたい一心だけだったりして。。。爆
さっきから、と~っても気になっちゃって、お礼を書けないわけで。。。照x爆
それは私だけでしょうか?!
遅くなってごめんなさい。お礼を申し上げます。
>豊かな世界が広がる皆様の回答に飲まれるようにしておりました。
はい、それは私も同じですが
>自分の回答の四角張って想像の余地の貧相な事。。。
どこが~~?
エロスの匂い漂うわけで。。。
大真面目に申し上げると、本当に不思議だったのですよ、
「女体」に対し嫌悪感を抱く一方、元を取って余るほど「女体」を堪能なさっているご様子が。
でも近頃ネットを拝見している限りでは、女子校育ちの私の方が変わり種のように思えてきました。
学校に男子がいなけりゃ、フロイドの羨望説の意図が何なのか察しがつかないのかもしれないし、
それとも個人的な資質で「何かが壊れている」のかもしれません(笑)
>「魅力を感じる」には「見つめる」事が第一に必要です。
>「脳内愛撫?笑」
はい。視覚は最も想像力を駆り立て、反芻しやすい感覚なのかもしれませんし、
または、長い歳月をかけて先祖代々研ぎ澄ませてきたのかも。
以前NHKで、まっ暗闇の中で会食や新人研修を行うレポを放送していました。
すると不思議なことに、急に周囲との連帯感や親密性、協調性が増し、他の感覚が鋭敏になったそうな。
裏返せば、視覚は理性と結託していることになりましょうか。
>見つめる事そのものの難易度の違いと、其処に起因する見つめられて来た時間/歴史の長短が、女体美と男体美の歴史?の違いかも知れません。
なるほど、さすが、目のつけどころが違いますね。
たしかに衆人の視線を浴びるほどに、男女を問わず垢ぬけるのかも。
ご指摘の「男性は狩猟生活」「動」が示唆するのは、男性は「あらたに何かを見出す」生き物、
つまりは「ハンター」でしょうか。
狙いを定めて凝視、息をひそめて…って、そりゃあ、《獲物》の習性や動静に長けるわけです。
《獲物》を求めて放浪する習性?を内に秘めているのも当然に思えてまいります。
>いえ、、、単純に腕っ節の強さの差がありますので。
>いつも夫に簡単に裏表ひっくり返されている身として、毎度仕返しを試みますが、無理です。涙
>私がチビスケだからいけないのですけれど、全身全霊掛けて押さえつけても夫はいとも簡単に私の四方固めを外してくれます。汗
ん~。 仕返しって、なんなんだろ~。
意外とお子さん3人がかりで押さえつけると、マイッターとなりそうな。
しかし、男性の魅力として?あの「父性」というのも、まったく摩訶不思議なものですよね。
私などは立ち会い出産の賜かな、と思うのですが、それはむしろ少数派なのでしょうし、関係薄いかも。
やはり私有財産的概念の芽生えによるのでしょうか。
たしか、アメリカのワシントンだかジェファーソンの頃って、まだ奴隷制度がまだ存在していて、
奴隷の女に産ませた子どもは奴隷とみなしたから、一挙両得だったとか、たしかそんな話を聞いたような。 不確かな話ですみません。
それに奴隷といっても、古代ローマのそれなど、精神性を分かち合う間柄もあったでしょうし。う~ん。
>生物としての当然の先天的な物なのか?はどうなのでしょうか。。。
フムフム。ご回答を拝見していると、男女の個体差、そしてそれにもまして、
当然の先天的な《モノ》を持つ=主体的な性的役割を担う男性(=狩人)が、
客体かつ受動的な女性(=獲物)に対し、性的魅力を見出すというのが、さも当然のように思えてきます。
女性は見い出す必要性を感じるところだけに無駄なく気を配ってきたのでしょうね。
>女性が愛撫に身をよじるって、あれは、逃げようにも拘束されているから、拘束が可能だから、ではないのでしょうか。
>哀れ、男性は快楽に身をよじる事すらままならないのですね。。。
はい、これも女性には不思議な現象?ですよね。
何でも男性の身体は快楽のツボが完全一極集中化されているようですよ(消息筋による)
で、女性はどうよ?なのですが、これこそ「脳内愛撫」のせいなのかも。
だって、人間ドックのときに、やたらくすぐったくてたまらないのに、あるいは、
ご主人とくすぐりあっている時は、何らセンシュアルな雰囲気ではなく、だからくすぐったいのでは。
そしれ女性が愛撫に身をよじるというのは、自ら貪欲に感じようと鼓舞しているのではないでしょうか。
逆にソノ気がないのに同様のことをされたら、凍りつくに決まってる。でしょう?
あっという間に字数が尽きて残念です。
似た質問を見かけたので、金夜には締め切らせていただきます。
やはり、この手の質問者には、楚々として情感豊かな貴女が相応しいと思いましたよ^^
ご回答を頂戴してとても嬉しかったです。質問した甲斐がありました!
本当にどうもありがとうございました。 またね!
No.23
- 回答日時:
他の回答者様のご指摘どおり、アメニズムもといアニミズムでしたね。
この様に本当に適当な性格なので、適当にしておいてくれていいですよ。
私に関しては本当にお気遣いなく。
ロマン派的妄想芸術のリアリズムとの解離性とその逆追求芸術の人権軽視問題についてですが、
鈍感と繊細の関係についてかんがえてみるとどうでしょうか。
繊細さはだれしももちあわせていたいと考えます。人の気持ちが分かる人でありたいとか、
人の気持ちに土足で入る人にはなりたくないとか、推し量って尊重してあげようと、
その為に距離をとってイメージする。鈍感な人になるのがこわいから、繊細さを失うのが
こわいから。(この辺が少女趣味だとおもうんだけど)
だけど、距離をとってばかりいたら、本当の肌触りは分からない。肌触りを知ってこそ、
本当の繊細さがわかる。鈍感にならないと繊細になれない。
骨の髄まで人間の本質を知りたい渇望そういう逆説的な人間への愛
どちらの妄想も情熱も勿論、芸術という名のもとにおいてだからこそ許されるのでしょうけど
そこに倫理的な考察を入れるとすごくややこしくなっちゃいますね。
heartmind様、いつもおつきあい下さって、ありがとうございます。
>ロマン派的妄想芸術のリアリズムとの解離性とその逆追求芸術の人権軽視問題についてですが、
>鈍感と繊細の関係について
>人の気持ちに土足で入る人にはなりたくないとか、推し量って尊重してあげようと、
>その為に距離をとってイメージする。
なるほど、相手の懐に土足で入らない配慮のような、そのためのロマン派的妄想絵画なのですね。
自らの内なる言葉や信条を基に、独自の道や自由を希求するのは一方で、怖れ怖気づくものなのかも。
そしてまた、
>骨の髄まで人間の本質を知りたい渇望そういう逆説的な人間への愛
覆いを取っ払ってしまわねば何も見えてこない、そういうものもある、と。
(ところどころ曲解がある際には忌憚のないご指摘をお願いします。)
>どちらの妄想も情熱も勿論、芸術という名のもとにおいてだからこそ許されるのでしょうけど
>そこに倫理的な考察を入れるとすごくややこしくなっちゃいますね。
そうですね、そんな気もしてまいりました。
このご回答を拝見していたら、以前拙文を投稿した(他の方のご質問の)主題絵画を思い出しました。
それがね、いまだに未消化なのですよ。
http://www.kunstkopie.de/a/holbein-dj-hans/der-t …
「死せるキリスト」ながら、主題を非宗教的なものに求めるという、そんな萌芽があるかのようで。
ドストエフスキーの『白痴』で「信仰を失わせるおそれがある」と触れられている絵画です。
当時ホルバインは信仰の下に描いたはず。
そしてそれは、後の十七世紀オランダ絵画の「開示」の源流なのでしょうか。
当時の静物画は人生の虚=ヴァニタスを好んで描きました。何故でしょうね。
Willem Claesz Heda "still-life with oysters pieter claesz"
http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/c/claesz/s …
既存の宗教のヴェールを剥ぎ取り、「個人」の概念の創出と「虚」。
精神と肉体、人間内部での理想と現実との葛藤。
それに対して懐深い人間的な共感を抱き、相手との距離を繊細に推し測るというような。
ロマン主義のドーミエがキホーテを好んで描いたというのもわからなくもなく。
http://nationalgallery.org.uk/paintings/honore-v …
死との対峙の瞬間と微細な心情を描いたドラロシュとか。
http://nationalgallery.org.uk/whats-on/calendar/ …
その一方で、クールベのような「卑俗性」「人生の一断面」「社会の欺瞞の象徴」を描いた画家がいて。
自らの農民の出を誇りに思い、道端で働く名もなき労働者を扱う信念によるものだったのでしょうか、
画期的ゆえに非難の嵐を巻き起こしたようで、でもこれは人権軽視ならぬ人権擁護に他ならないですね。
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei: …
いつも以上に何だか脈絡のない内容になってしまいました。申し訳ありません。
ところで、他回答者kadowaki様が、No.28の中で面白いことをおっしゃっているのですよ。
>それにしても、「愛」にしても、「美」にしても外来語でしかなく、これらの観念を表出するための自前の倭語をわれわれ日本人が必要としてこなかったという点もなかなか興味深いとは思いませんか。
ですって。
たしかにそうですよね。
私は韓国ドラマはちょっと食指が伸びないので、あまり良く知らないのですが、
(唯一宮廷料理対決する女官のそれは見れた)
また西洋とは異なる「愛」という意味合いのようですよね。実際はどうなのでしょう。
日本人が「愛」だの「美」だのという倭語を持たなかったからといって、
薄情で相手を思いやらない民族だった、あるいは情感に乏しかったのか。
いえ、そんなことは決してなくて、
やはり日本人がそんな言葉に頼るまでもなく、つまりは必要としてこなかったにすぎないのではないのかなあ、
などと思っているのです。
ちょっと、少女趣味繋がりで、触れてみようと思いました。
他にもご回答を頂いております。
次に続きます。
どうもありがとうございました。
No.22
- 回答日時:
animismのことかなぁ。
付喪神というのもあるんだけで。インドでも、尊崇するお方が座ったところの砂や土を大切にするという信仰がありますね。
磁力というか、磁極というか、vibrationが残っているそうですね。
受ける側がそういう気持ちで紡ぎ出したり、造出したりするんではないかと、すこし無神論的に読書した限りですが。
付喪神は感じますね。アニミズムもは全ては神、霊である、という神聖なfeelingに根ざしていますね。
この回答への補足
(お礼欄よりの続きです)
…日本人もそうだが、沖縄人も穢れに対して異常に敏感だ。 そこには浄、不浄の信仰がある。 それは生活を支配する観念であり、また社会秩序でもある。 何か不幸や、不吉なキザシ、あるいはふだんの生活の秩序がおびやかされることがあれば、それはケガレであって、直ちに清められなければならない。 ”浜おり(海に入って身体を浄めること)とか、井戸で洗う、雨にあたる、水のないところではごく少量、二、三滴の水をふりかけるだけでも穢れをとり除く。 いずれにしても、水である。
神事の際、神人が身を浄める。 沖縄でも、これをみそぎという。 その他、死、出産、鳥が家に飛び込んで来たときなどに、これを穢れとしてその一家が浜おりする。…
…衛生なんていうと、白衣や消毒薬の匂いを連想してしまうが、精神と肉体の未文化の社会では、キヨメは凶なる霊、悪い力に対する予防であり護りである。 現代人の衛生観念のような、単に生理的、機械的なものではない。 全身全霊的なものだ。 だから、前に引いた例でもわかるように、汚れた部分を洗うだけではすまない。 全身全霊的なものだ。 だから、前に引いた例でもわかるように、汚れた部分を洗うだけではすまない。 髪の毛一本一本まで洗わなければならないのだ。
これには、ただ洗うとか、汚れをおとすというだけはなく、「ウマレキヨマワリ」つまり新たなものに生まれ変わる、再生の意味があるようだ。
ところで、これを原始的な信仰だなんていってすましているわけにはいかない。 われわれの生活の中に、現にこの伝統は生きつづけている。 日本人ぐらい、風呂に入りたがる人種はいない。 世界で有名だ。 風呂好きは高温多湿のせいばかりではなく、民族をあげてのマニアといっていいだろう。 「まず一っ風呂あびて、さっぱりしてくる」とか「いらっしゃい」なんて、互いにサッパリしたがる。 これはまた、ひどくニホンゴだ。 だいたい、クソ面白くもない日常生活で、湯あがり気分ほど日本人が生き甲斐を感じる瞬間はないんじゃないか。 お風呂はただよごれを落し、身体をきれいに保つという実用的な意味だけでなく、多分に精神的で、マジナイ的要素がある。 自分で気づかないで、毎日ミソギをやっているのだ。 「ああ、いい気分だ。生きかえった」なんて、まさに再生の告白だ。
ここから日本人独特の前道徳的道徳観念が生まれてくる。 いい加減ワルイことしたって、一っ風呂浴びてしまえば、何だか自分の方はさっぱり清まったような気になって、それ以上罪悪感は追っかけてこない。 それから後のことは、また翌日の入浴まで、その日その日の風が爽やかに吹くというわけだ。…
…これにくらべると、西欧キリスト教国の人なんか、執念ぶかい。 罪の意識は、生まれたときから死ぬまでつきまとい、毎日毎日己の行動が、悔いと反省にみち、それをパーマネントに告白し、責めつづけていかなければ神の思し召しにそわない。 まったく異質な精神界である。
西欧精神と必死になって結びつこうと焦る日本の近代主義インテリたちは、こういう基本的な入浴行事あたりから、運命的な精神の位相を考えてみる必要があるだろう。 そういう生活的なギャップをそのままにして、上っ皮だけつぎはぎしたところで、空虚である。…
…原罪。 つぐなうことのできない罪だとか悔恨なんていう、じっとりと隠された下着のようなしち面倒くさい深刻な世界観は、こういう人たちにこそふさわしい。 これがキリスト教的道徳観の底にからんでいる。
われわれの周囲を見わたしたってそうだ。 あまり風呂に入らない、つまりミソギしないようなやつらにかぎって、寝床に入ってからも考えこんだり自己反省して、不眠症になったりする。 そこへゆくと、「オラア一日でも風呂にへえらないと、気色がわるくってね」というようなミソギ派は、朝に夕にザブザブ流して、たまりようもない。 ぐっすり寝込んでケンコーだ。
戦争責任論なんてものが、いくら歯ぎしりし、シャッチョコだちしても、絶望的にぼやけてしまう。 どうも一般に肉体化しないのは、やっぱりミソギのせいだろう。──
「神と木と石」岡本太郎(「神秘日本」みすず書房)
アニミズムがお風呂考に発展するとは…全く思いもよらない展開だとは思われませんか。
最後のあたりは思わず小気味良くて笑ってしまいました。
西洋社会での実体験を基に、真に筆者が目指していたものは一体何だったのか、
そして強く個性あふれる作品群を通じて表現したかったのはどのようなものだったのかと考えるに際し、一助となる文章かもしれません。
生の尊厳やら、見えない躍動感とかも、そのうちの一つだったのかもしれません。
そしてアジアの心象はなんだかとても広汎で懐深いもののように感じられます。
krya1998様、度重なるご回答に心より感謝申し上げます。
インドの不可視なvibrationにも通じるものがあるとのこと。
そうですね、やはり「受け取る側の気持ちが紡ぎ出す」のだと私も思います。
そういったアニミズムにつき、沖縄を訪れて大いに感じたユニークな芸術家がおります。
長文となりますが、以下に引用させていただきますね。すみません。
── …沖縄には日本の原始宗教、古神道に近い信仰が未だに生きている。 のろはその神秘的な女性の司祭、つまりシャーマンである。 各島、各村々にかならずのろがいて、宗教的儀式や祭をつかさどる。沖縄列島では「のろ(祝女)」、先島では「つかさ(司)」というが、役割は同じだ。
古い時代、沖縄では神と交わるのは女だけの資格であり、直接神事に関する一切は男にはタブーだった。 この信仰の権威は、一般的にはかなり衰えたといわれているが、しかし民間や離島などには、まだ根強い伝統としてのこっている。…
…このような古代宗教の世界、沖縄にも、やがて武力による政治権力が抬頭してきた。 「按司(あじ)」とよばれる豪族の出現である。 十一、二世紀になると、これらの族長がそれぞれ城を築き、世は「いくさ花遊び」としゃれた表現でよばれる戦国時代となった。 それも次第に整理統合されて、十五世紀のはじめ、尚巴志によって沖縄全土の統合、支配が完了する。
こうなると、古い権威である女性の宗教的指導力は、現実的な男性の政治権力とぶつかり、抑えられてくるのだが、その姿は沖縄史の流れとからみあって興味深い。…
…一見、権威づけのようだが、実は神の仲介者であり、神格でもあった彼女らの精神的な支配力を、官僚的な地位にすりかえ、政治に従属させたのだ。
十七世紀のはじめに、沖縄は薩摩の島津氏に征服された。 この最大の国難に際して、女たちの神は何の神威も示さなかった。 支配者であり、知識層だった武士階級は、儒教的教養を身につけて、女の祭や神託なんて、未開迷妄、始末におえない迷信と考えるようになった。 また男尊女卑の薩摩への憚りもあったろう。…
…「香炉はどこですか。」と聞いてみた。 隅の方に三つ四つ、石ころが半分枯葉に埋もれてころがっている。 それだという。 どこかで拾ってきたという程度のものだ。 その中に、本当の神聖な石があるのかもしれない。 あるはずだ。 しかし中のどれがそうなのか、あるいは全部セットになっているのか、のろの息子さんははっきり言わない。…これだ、と言われれば、そうかと思う。 そのつもりになって、見ようもあるが、でなけりゃどうしたって、ただの石っころだ。
何の手応えもなく御嶽を出て、私は村の方に帰る。何かじーんと身体にしみとおるものがるのに、われながら、いぶかった。 なんにもないということ、それが逆に厳粛な実態となって私をうちつづけるのだ。 ここでもまた私は、なんにもないということに圧倒される。 それは、静かで、幅のふとい歓喜であった。
あの潔癖、純粋さ。──神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。 そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。 日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。 おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。 でなければこんな、なんのひっかかりようもない御嶽が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。──こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。 日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。 この御嶽に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。 そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。…
…私は今まで、エジプトの神殿、アクロポリス、出雲大社が神聖だと思っていた。 しかし何か違うのではないか。 それは人間の意志と力にあふれた表情、いわば芸術の感動ではなかったか。 それを通して、背後にある恐ろしい世界、その迫力みたいなものに圧倒される。 権勢をバックにした豪荘さ、洗練を極めた形式美。 つまり力と美に対する驚歎であり、アドミレーションである。
沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。 何度も言うように、なに一つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。 清潔で、無条件である。 だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。 神聖感はひどく身近に、強烈だ。 生きている実感、と同時にメタフィジックな感動である。 静かな恍惚感として、それは肌にしみとおる。
神は自分のまわりにみちみちている。 静寂の中にほとばしる清冽な生命の、その流れの中にともにある。…
(補足欄に続きます)
No.21
- 回答日時:
再びおじゃまします。
大して知識もないのに、なんか面白いので、ずうずうしいことを承知ですいません。
「同性愛」「両性愛」「メイル・レイプ」「女性による性的虐待」
こういう視点は、全く想定外でしたのでショキングです。「ミニスカート」についても、私は
普通に好きですが、和服の裾の乱れの隠微さからくる視点でみてるのかな。だけど、中身は、
パンツ、パンツみたいかなあ?かわいい見せパンならいいけど。「おこし」から「ズロース」
になった直後の時代は、そうでもなかったんじゃないかな。
女性の開放的なファッションは、男性にとっては必ずしも好ましいものではないのでしょうね。
「みたくないもの見せんな」的な、だからこそ、そこに女性の自律というものがあると思うの
ですが。
同性愛については、「少女趣味」的イマジネーションには、大好物ですよね。やっぱり、
プラトニックな美しさをみてしまいます。(少女マンガではですけど)
フェティシズムに関しては、もう日本人にとってはDNAにしか思えません。
アメニズムという、物に魂が宿るという発想。大切な人の形見のパジャマを着たり、
生活に密着してますよね。(だからパンツ好きなのかな?)
「均整のとれた美しすぎるしたいには、エロティシズムを感じない」というご指摘は、
やはり、日本的な感覚を感じます。「はかなさ」、「せつな」は、もはやそれにはなく、
恒常的な西洋の建築物のようです。「一瞬」が好きな日本人には「永遠の美しさ」は
それほどうったえてこないのでしょうか。では、このことが、男性の肉体美にピンと
こない原因だとすれば、西洋の文化がもっと浸透すれば流れが来るのかな。
視覚芸術(絵画)と牽強付会の関係は他の回答者のかたも述べられていますね。
この部分はどうも難しいところだけど、
ロマン派をサロン的だとか少女趣味であるという逆の立場と突き合わせてみると
何かもっとはっきりするかな。
今すごく、裸婦の絵が描きたくなってきました。
順番が前後してすみません。あらためてお礼を申し上げます。
図々しくうかがっているのは私の方ですし。
>「同性愛」「両性愛」「メイル・レイプ」「女性による性的虐待」
>こういう視点は、全く想定外でしたのでショキングです。
はい、あまり「触れたくない」話題ですよね。
相手を侮辱したり支配することが主な動機なのかもしれませんね。でもそれって、
身体を求められてためらう女性に「愛しているんだから、いいじゃないか~」なんて、
「愛」を言い訳に強引に迫り貶める男性と、本質的には大差がないのかも、です。
>「ミニスカート」についても、私は普通に好きですが、和服の裾の乱れの隠微さからくる視点でみてるのかな。
>だけど、中身は、パンツ、パンツみたいかなあ?
先に挙げた「ミニスカート」のサイトは、結局何が言いたいのか、鈍い私にはいまいちでした。
(だったら参考に載せるなよってなわけで、すみません、笑) ただ、上野千鶴子の
>性的な身体を女性は見られることによって獲得していきます。女性にとって自己身体意識、あるいは自己身体イメージの獲得は、思春期以降、男性からかくあるべき身体として自分に付与される視線によって、その視線を内面化することによって獲得されます。
これによれば、ほしのあきのボン・キュッ・ボン!☆の肢体の持ち主とかならいざ知らず、
セックスの際に自分の体型に躊躇したり、あるいは男性が生身の自分ではなくヴァーチャルな女性に
うつつを抜かして、自傷気味に陥るというのもわかるような気がしました。
この点、男性はどうでしょうね。
仰る通り、外出するなら、ミニスカートの下に見せパンを履くに違いないわけで。
でも、その領域こそは、男性の幻想世界なのでしょう。 ほっときませう。
>女性の開放的なファッションは、男性にとっては必ずしも好ましいものではない
>「みたくないもの見せんな」的な、だからこそ、そこに女性の自律というものがある
う~ん、若いお嬢さん方のそれは、若さゆえのご愛嬌だと思いますが。
でも、男性の本音としてはどうでしょうね。
慎ましさを好みナイスバディを維持できる女性(=自律)で、二人だけの空間で自分のためだけに
見せてくれ(=他律)ってことだったりして?!
>同性愛については、「少女趣味」的イマジネーションには、大好物ですよね。やっぱり、
>プラトニックな美しさをみてしまいます。(少女マンガではですけど)
いや~、友達から借りて読んだことがありますが、吉田秋生の『カリフォルニア物語』以外はちょっとダメなんです。
すみません。
その作品も実は、同性愛が主題ではなくて、一人の青年の青春を描いたものなのです。
でも、それは大学時代の男性の友人から借りたものだったから、少女漫画とは一口に言ってもジャンルも多彩でしょうし、
漫画好きな男性であれば、案外イケるものもあるのかも。
まあそれにしても仰る通り、一般的には、同性愛に対する嫌悪感は男性より女性の方が少ないのかもしれませんね。
何故でしょうね。
フロイドの「男根羨望説」やら男性願望みたいなものがある女性が多いということ??←まったくわからん
>フェティシズムに関しては、もう日本人にとってはDNAにしか思えません。
>アメニズムという、物に魂が宿るという発想。大切な人の形見のパジャマを着たり、
>生活に密着してますよね。(だからパンツ好きなのかな?)
う~ん。これはどうでしょうね。
案外フェティシズムなんて、時代の文化や生育環境で決定されてしまいそうな。
だって、女性の乳房における「巨乳」「おっぱい星人」なんて、そんなに古くはないですよね。
でも、仰るところのアニミズムに根ざしたノスタルジックな情感は良く理解できます。
「均整のとれた美しすぎるしたいには、エロティシズムを感じない」はどう捉えたら良いのでしょうね。「絶対」「完全」を崩すところにあるのでしょうか。
利休形(茶道具)の楽茶碗などは、どれもいびつで歪んでいて、釉薬の流れは趣があるものですよね。
また、貫入と呼ばれるひび割れはフラクタルの枝分かれにも酷似しているそうですよ。
自然の「景色」にはフラクタル性があり、秩序がそこに存在することを古の頃より、日本人は身体全体で感じとり愛でてきたのでしょうね。定形紋様などとはまた別のものとして。
上等だと思います。
heartmind様のストレートなおっしゃりようがとても小気味良く、
それでいて色々と考える機会を頂きました。楽しかったです。
また是非よろしくお願いしますね(こちらは金曜の夜に締め切る予定です)。
本当にどうもありがとうございました。
No.20
- 回答日時:
ANo.18
私たち伝来のインド哲学の心理学・生理学でも、左の脳は左の睾丸から脊柱を通って、右の鼻に通るアパーナという呼気ですが、これは区分分割、しどちらかというと感覚世界(物象世界)に自己存在とやり遂げを確認していく、獲物に座り手下の猿を睥睨して酒盛りをする時代の斉天大聖孫悟空男性性の機能で、国家と文明、文化、人為と作為、言語と法律、概念の世界なのだそうです。人が性と生殖という穢れない十全的世界にそういうものを持ち込んだとき(持ち込まされたとき)、性交による自己確認の性欲となったというのが私の思考です。
そういう不自然性は男性性に端を発している。女性性は自然的、生物的、受身、受け入れ的であって、創造主の原理にあり、この創造界の基本性と基本原理がそれだと存じます。
自らの確認をみずからではしない、他人にも求めない。という原理です。
そういうありようが性の現場でも本来だと存じます。男性性という社会文化性を性に持ち込んだところに人間の罪悪の一端が生じた。
男性の性生理と機能は、一時的でありまた受精懐妊そして出産には肉体としては関らない。
だから流浪のお客さん、来訪者、遍歴者。だと存じます。
素盞嗚尊なんですね。お手伝いである。本来は。それは他の生物でも同じだと存じます。
性交のときの状況が何か主体的、積極的のようで、単なるエージェント、行為代理者だと存じます。
そういう性欲(aggressive)から見た女性の性的魅力は、文明的でaggressiveだと存じます。
紹介申し上げた発掘物や地母神(古代以前の伝統的類似の女性像はたくさんあるのですが)は、そういう、文化以前の女性観念を表現しているかどうかは存じませんが、文明以後の様子とは全く次元や観念を異にしていると存じ、掲げました。
多分文明以前の私たちの思いや意識、性観念は経験できない、難しいと存じます。
インドでは弁天様やいろんな神様の原形がありますが、どの女性でもある女性というものはカリの女神だと存じます。汗水で働き、生き、恐ろしい事もなさる。そして守護もする。
いろいろな像に変化します。だけど原初の女性の像はないのです。
地母神なのかなぁと存じます。あぁそれぞれのURLの説明は、私にはあまり関心がなくて、画像の紹介のために掲げました。
お礼が遅くなりました。ごめんなさい。
krya1998様のこの度のお考えは、鈍い頭の私にも、そうか!と言うくらいに納得がいくものでした。
何度も拝見させていただきました。 ありがとうございました。
>インド哲学の心理学・生理学でも、
>左の脳は左の睾丸から脊柱を通って、右の鼻に通るアパーナという呼気
>感覚世界(物象世界)に自己存在とやり遂げを確認していく
>国家と文明、文化、人為と作為、言語と法律、概念の世界なのだそうです。
>男性性という社会文化性を性に持ち込んだところに人間の罪悪の一端が生じた。
なるほど…と思いつつ、じっくり拝見致しました。
では、男性性という社会文化性を性に持ちこむ以前は、いったいどうだったのだろう…
…と考えるのは、やはり、文明以前の意識や観念である以上、
現代に生きる私達には、およそ推し測ることのできないものなわけで。
ただもしかすると、
受け取る人によっては、「何か」をたしかに感じ取ることができるのかもしれませんね。
的を射ていない憶測で申し訳ないのですが、そのような理解に至りました。女性性のそれと共に。
我がパートナーには「斉天大聖孫悟空や素盞嗚尊のごとく主体的で積極的であってほしい」と
女性なら誰もが願うはず。
ところが昨今では、かならずしもそのかぎりではなくなってきているようです。
しかもそれが、女性の社会進出と性解放の結果、男性にも変化が及んでいるようにも映ります。
でもそれって、どちらか一方が悪いとか、その結果が自業自得である、などというわけでもなく。
肝心なことは、自分自身の性をありのままに見つめることを通じて、もう片方の性にも想いをめぐらす
と申しましょうか、
つまりは、男性性と女性性のどちらの観点からも捉えられてしかるべき問題が、
こと現代には多く横たわっているように思われて仕方がないのです。
とかく「性」の問題は個人の範疇におさまりやすいものかもしれませんが、はたして
自分(たち)だけがうまくいっていれば、それでいいのでしょうか。
いえ、決してそうではないとも思うのですよね。
ことに女性においては、相応の避妊の知識は知り得ていても、あまりに多くの事柄を知らなすぎる気も致しまして。
(私だけ?)
ああ、また、ごっちゃになってしまいました。すみません(汗)
>そういう性欲(aggressive)から見た女性の性的魅力は、文明的でaggressiveだと存じます。
これについてなのですが、
いままでのお説を伺うかぎりでは、男性の性的魅力にこそ、より文明的なaggressiveを感じますが…。
女性は地母神なのでしょうね。やはり。
気の流れについても、非常に興味深いものに思われます。
昔の人って、偉大だと思います。本当に。
krya様の説かれるインド哲学の魅力にちょっぴりふれることが出来たような気がしました。
「地母神」と言えば、No.22に引用として記した岡本太郎が、母──岡本かの子についても記しています。
彼女はいわゆる母親ではなく、童女だったと。
世間の悪い噂によって幼心に深く絶望感が灼きつき、一種の社会不安が今なお孤独感の根底にある、と。
──われわれの心の中には、いつでも漠然と女性のイメージがある。
それはふくらんだり、あせたり、また色濃くもどってくる。
現実の女性の姿がさまざまな色合いで、その像にかさなる。 しかし印象的なのは、もっとも濃厚に女性的な女性。 その強烈な香りは女性像を一つの彩りによっておおってしまうのである。 女性自身もそういう姿にあこがれるだろうし、またそれを体現することをねがうに違いない。 男は己の「男性」の対象として、そこにロマンティックな夢を描くのである。
私にとって、それは岡本かの子だ。──女の原点(「呪術誕生」より)
テレビ・コマーシャルでマスコミを賑わせ、大阪万博の太陽の塔に代表される
一連のプリミティヴで奇抜な芸術作品を創出していった彼は、
プライベートではずいぶんとプレイボーイで、フェミニストだったとのこと。
男性のフェミニストというのは、少なからずマザコンの気があるのでしょうね、きっと。地母神礼讃。
追伸:性に関する別質問が立ったようですので、こちらの質問は週末までに締め切ることに致しました。
このたびも、もったいないほど多くの得難いご回答を頂戴することができました。
こちらこそ、是非ともまたご教示のほど、よろしくお願い申し上げます。
ご回答を本当にどうもありがとうございました。
No.19
- 回答日時:
すみません。
ずいぶん無効になったURLがあったので。文化文明、人為以前。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%AF%8D% …
http://www.h7.dion.ne.jp/~bergonzo/origvenus.html
http://www.1mcc.com/mac/mikasanomiya-iwakuni/PC1 …
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000 …
http://www.kitombo.com/foto/0213.html
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3% …
文明・人為の架空押し付けの美
http://www.fujitv.co.jp/events/art-net/art-scien …
http://en.wikipedia.org/wiki/Bhumidevi
女性美や美についてのサイトがずいぶん無効になってしまい、一部ですがご参考に供します。
的はずれかも知れませんね。雑音かな?ブロックアウトをしないでください。
krya1998様、こんなにたくさんのURLのご教示。
さぞ大変でしたでしょう?
ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございます!!!
そりゃあもう、素直に嬉しいです^^
のちほど、ゆっくり拝見させていただきますね。嬉しいなあ。
どの像も、豊満な容姿をしておりますね。
豊作や豊猟(漁)、安産を祈願したのでしょうか、
そう思って、私は他の回答者様(kadowaki様)に対し、ぐだぐだ愚見を述べてしまってしまい、
それこそkrya様の次のご回答中「多分文明以前の私たちの思いや意識、性観念は経験できない、難しい」に他ならず、
私の方が至って間違っていたと反省している次第なのです。
時に、考えるのは自由であるといくら言っても、やはり限度と言うものがあり、
考えるだけナンセンスにかぎりなく近いものは、私も避けたいと思っております。
この点につきまして、今後とも忌憚のないご教示をkrya1998様にお願いしたいと思っておりますし、
そしてまた、kadowaki様のご回答のお説もまったくもってごもっともと察せられ、
逆にこの件に関し、大変ご不快な思いをなさった点につき、深くお詫びしたいと思います。
No.18
- 回答日時:
mashumaro2さん。
ずいぶん続きますね。そんなこという私も再度訪問、許せよとかいって頭で暖簾を分けます。mashumaro2さんともあろうかたが、この性的という包丁をどの程度有効とお考えかな?
性的で上がってきているご回答って性、繁殖と肉体と心理の性欲とをごっちゃにしていませんか。
後者は時代、社会、文化のが醸成してきている、後発的個人存在にはアプリオリになっている、仕組みとカテ、枠組み、おしつけでしょう?
違いますか?だからそんなのを取っ払えなんてはいいませんし、取っ払えるわけが普通はない。普通は。
でもそういう枠で出来上がっている思い、人間的、人為的、文化的存在が性的魅力なんていったって、所詮は根も葉もないものだと思わないですか?
検討し、論ずる意味がない。時代、文化、民族、必要度、押し付け枠で異なる。
そこからの対象の存在性質などは儚いものでしょう。
あぁせっかくなのに申し訳ありません。
性、繁殖ということでは魅力の主格は女性、現場のイニシャは女性。対象客体は男体でしょう。
女体、男体は文化の為せる事ではないでしょうか。それは性の現場の状況からしてそうでしょう。
周りに近年の女性美に拘らない、20ももっと下に人もいますが、太っていてなんていうと、関係ないの一言です(女性の研究者)。
歯牙にもかけない。当たり前だと存じます。女性を対象とする観念は文明の産物に過ぎないのではないでしょうか?
ここでURLを出すと、また書いたものが消えますので一端送信します。
原初的本来の性と繁殖の場では女性が主体です。
そういう場での対象化客体と、文化の穢れの人為的作為の心理からの魅力と教え込まれている観念とは区別するべきです。
それではちょいと、URLを別便で送信します。
この回答への補足
krya1998様、再度のご回答をとても嬉しいです。
ご教示のURLにつきましても、本当にありがとうございます。
この週末をはさみ、お礼が少々遅くなりそうです。すみません。
krya1998様の仰ることはごもっともで、「女性を対象とする観念は文明の産物に過ぎない」
という「当たり前のこと」につき、私は知りたいと思い、こうしてご教示を願っております。
私としては、真面目に「性」「身体性」につき、質疑応答を重ねているつもりでおります。
不埒に映りますれば、学問の素養や論理的思考に貧しい私の至らぬところに因るものです。
この点につきまして、krya1998様のみならず、
他の回答者の方々に対しましても、私は心苦しく、また本当に申し訳なく思っております。
ご教示頂いたURLを早く拝見したいです。
遅くなってすみません。あらためてお礼を申し上げますね。
>再度訪問、許せよとかいって頭で暖簾を分けます。
こちらこそ、いつも本当にどうもありがとうございます。
自分でも今までよくわからなかったのですが、最近では、西洋哲学/思想よりも東洋のものに
惹かれていると感じておりますので、krya1998様のご教示はどれも得難いものばかりなのです。
>この性的という包丁をどの程度有効とお考えかな?
はい、おっしゃる「包丁」とは、婆子焼庵における若い女性の放つ魅力という意味でしょうか。
それとも、何でもかんでも「性的なもの」とこじつけて捉えようとする「姿勢」でしょうか。
>性的で上がってきているご回答って性、繁殖と肉体と心理の性欲とをごっちゃにしていませんか。
はい。仰る通りだと思います。
私は都合良くこじつける悪い癖を自認しており、それは課題でもあります。
「わからない」「論理的思考が苦手」ゆえの混同あるいは錯誤だと考えております。
>所詮は根も葉もないものだと思わないですか?
>検討し、論ずる意味がない。時代、文化、民族、必要度、押し付け枠で異なる。
そうなのですよね。たしかに。
「検討し、論ずる意味がない。」
全く、そうなのかもしれません。
でもやはり、私には論ずる意味がある。
ただ、それだけです。
そしてそれは、どうやら私だけではなさそうなのです。
たとえば、そうですね、修行僧ではなくて、
ごく普通の若い男性であれば「おぅ可愛いなぁ。」と、うら若い女性に応えるとします。
結婚前の中の良い恋人たち、あるいは新婚間もない妻でも、妥当だと思われますよね。
でも、「おぅ可愛いなぁ。」と凝視する「相手」というのはビデオかパソコン上のヴァーチャルな女性、
逆に、現実の生身の彼女の女体にはなぜか感応せず、むしろ「忌避」ことすらあったりするのです。
決して仲違いしているわけでもなく、ただ、男性側に「その気がなく」、
むしろ相反して「愛している」とさえ言ったりもするのです。
で、女性側としては、これが全く理解できないわけで。
理解できないならまだしも、仮想の女性の女体に、我が身の女体と「私」が劣る感覚に陥ります。
女性性として最大の危機であり、崩壊とも言えましょう。
楽しかった過去までもが一様に不幸のどん底であったように思え、あらゆる一切が全て猜疑心に包まれ、自傷ぎみに。
で、これに対する一般的に得られるであろう助言として列挙すれば、
・女性としてより一層自助努力する(=外見を磨く、美しくする)。
・積極的に外の世界で仕事なり趣味を見出し没頭する。
・男性の人間性や資質と勘案し、早々に別れる/自ら達観する。
・性交以外の二人の関係に綻びがないか見直す。
・男性とはそういう生きものだ。
以上のようなところで、心理学もどきの人生相談に映ります。
「そうか。そんなものか、男性って。」と深く考えずに、
助言のもとにより良く生きる方法を模索するのが、スジであると誰もが考えることでしょう。
でも、当の女性にしてみれば、いっこうに「わからずじまい」のままなのです。
何が何だか、わからない。
無理矢理納得するしかなく、自分の選んだ男性が悪い、
つまりは自分がまずかった、という論理になります。
でも、セックスの面だけで相手を選んでパートナーにしているわけではありません。
で、男性側も自身の性欲を実は良く知り得ていない、知ろうとしない、そのように映ります。
また、昨今では草食化といって、若い年齢なのに性欲が希薄であったり、飽きっぽかったり、
数世代前とは全く状況が異なるのようなのです。
たしかに現代の文化の範疇で、各人がよりよく生きるように努力すれば良いだけであって、
「性」などは、語り尽くそうにも語り尽くせるわけもなく、ある意味「芸術」と同じであり、
考えても始まらない最たるもののように考えられがちと思います。
でもふと、あたりを見回してみると、そうやって
「性」という名のパンドラの箱を開けないで、やり過ごしている部分が多いわけで。
人目にふれない、いえ、わざと見て見ぬふりをしているような感じ。
問題が顕在化するとすれば、その関係者になり得るのはいったい誰/何か、と。
「性」は、誰にも身近なものであり、自らの心身に直結するかけがえのないものであるはずです。
「私には検討する意味がある。」と言ってもよろしいのではないでしょうか?
しかも古今東西の文化社会において「禁忌(タブー)」の最たる存在とみなされてきた
「女体」の「性的魅力」とはいったい何か、と共に、「性」が不当に貶められてきた部分があるのではないか、
更には、過去の思想哲学も無関係ではなかろうと思った末に、私は哲学カテで質問した次第です。
次に続きます。
No.17
- 回答日時:
ましゅまろさん。
こんにちわ。宙ぶらりんです。
7番様に投票しようかと迷いつつ、
思いついたまんま書いてみます。
当方は、板チョコみたくバキバキに割れた腹筋と
瓢箪のような力瘤と子持ちシシャモのような脚を持ち、
メスの機能を持っているメスなのですが、
「女体」の定義のようなものは、あるのでしょうか。
わたしも女の体には「生的魅力」を感じ、感心します。
「あるもの(たち)」を「包容」する洞窟を持ってるし、
「あるもの(たち)」を「生み出す」洞窟を持ってるし、
人間が生きるための栄養である母乳
を湧き出させる お山を持ってるから、でしょうか。
わたしは公共の更衣室で着替えをする機会が多く、
エストロゲンの分泌が激減した後(50代~60代)の
女性の裸体をしょっちゅう見ているのですが、
彼女たちの体もやはり「生的魅力を湛えて」います。
☆
どなたかが、「ヒトは育つのに時間がかかる」
と、おっしゃっていましたが、
まったくもってその通りで、
たとえば60年や70年ぐらい生きていても、やはり、
「社会」の「対義語」として、のような、
「おかん」のようなもの、に対する、
「執着」のようなもの、というのは、
なくなることができない、のではないかと思うのです。
☆
もうひとつは、ヒトが言語を持っているから、
というのも大きな理由のようにも思います。
「にょたい」という言葉から、
にょたいを想像することができ、
にょたいを認識することができ、
にょたいであると決めることができる、
「そうしてから視覚に入る」ことができる、ということです。
関係ないけど、はるな愛ちゃんは美しい。
この回答への補足
neutral様、前回に引き続いてのご回答、とても嬉しいです。ありがとうございます。
週末をはさんでお礼が遅れます。ごめんなさい。
>当方は、板チョコみたくバキバキに割れた腹筋と
>瓢箪のような力瘤と子持ちシシャモのような脚を持ち、
腹筋が割れているなんて凄い!
その脚、譲っていただきたいです!!
私は故あって、筋トレ気分で加圧リハビリを毎日自宅で行っております。
体重も増やしちゃいけないし、当然、筋肉もつかぬまま、だましだましの日々です。
でも、neutral様は筋肉がちゃんとついているのでしょうから、
しっかり体重もあって、とても美しく健康的な身体なのだと思います。
男性ほどにタフじゃないから、きっと正しく鍛えて管理も行き届いているのでしょうね。
たしか先に頂戴したご回答で、
「筋トレの時間は、わたしにとって瞑想のようなもので本物の休憩」と仰っていましたね。
筋トレをお始めになった理由について、ちょっとうかがってみたくなりました^^
遅くなってごめんなさい。あらためてお礼を申し上げます。
>「女体」の定義のようなものは、あるのでしょうか。
! そうですね。 たしかにそうかも。
「女体」の定義って、いったい何でしょうね。
>わたしも女の体には「生的魅力」を感じ、感心します。
>「あるもの(たち)」を「包容」する洞窟を持ってるし、
>「あるもの(たち)」を「生み出す」洞窟を持ってるし、
>人間が生きるための栄養である母乳
>を湧き出させる お山を持ってるから、でしょうか。
ちょっと、ここは割愛できないくくりだと思いました。
「性的」でもあり「生的」なのですよね。
おっしゃること、いちいち納得させられます。
そしてまた。
でも、生命を育み産まなくとも、女性性であることには変わりがなく、
でも、かならずしも生まれついた性がその性と合致する、というわけでもなく。
で、男性ももちろん、生を身体に孕み育まなくとも、
新たな生に欠かせない存在なわけで。
いったい、何なのでしょうね。
ますます、良くわからなくなってきました。
「一生を通じてその生き様」によるものなのか、
あるいは「にょたい」という言葉からなのか。
う~ん、どうなのでしょう。
>関係ないけど、はるな愛ちゃんは美しい。
いえいえ、関係ないなんてことはないと私は思いますよ。
たしかに美しいですよね。
おそらく、「生まれながらの性」以上に、節制したり努力を怠らない面があるのでしょうね、きっと。
努力家なのではないでしょうか。
彼女は「女装」しているから、他人の眼には解り易く映るのだと思います。
迷いがないようにも映りますね。
でも、ご本人の胸の内、こればかりはわかりませんね。
むしろ、詮索するだけ余計な御世話なのでしょう。
渡仏時代に、私のとても親しかった先生が、ある時「ゲイだ」と告白してくれました。
でも、本人自らが、ゲイなのかバイなのか「良くわからないよ」と語っていました。
もちろんその告白以外、何の顕著なところなどありませんでした。
見た目からも、判断出来るわけもなく。
自分でもわからないってどういうこと~?と思いましたが、
まあ、そんなこともあるのでしょうね、きっと。
私にはよくわかりませんけれども。
でも、生まれ故郷から移り住んだということは、少なからず逃避の意味だったようで、
両親や兄弟と関係修復するのに結構時間も心労もがかかったらしい(気がした)。
カトリックの国だと、一昔前はまだまだ厳しい姿勢で臨んでいたのでしょうけれども、
今は、どうなのだろう。
「自分の心/外見」にとっての「性」と、
「パートナー」としての「性」と、
「家族/社会」における「性」。
日頃は画一的であることに対して何の疑いも抱かないのですけれども、
古今東西、一人一人によって、異なる部分もあっても不思議はないのでしょう。
で、もしかすると、自分自身で押し殺している部分もあるのかもしれないし、
その時々で錯覚したり、気が変わったりすることもあり得るものかも。
う~ん、これについても、よくわかりません。
考えるほどに、つくづく「性」って、奥が深いのだと思われます。
いかがでしょうか。
ところで、「筋トレ」デビューについてお話をうかがってみたかったのは、
人はなぜ自分の身体を鍛えたり、身だしなみとして手入れをしたり、
あるいは装うのだろう、という疑問からです。
ひどく当たり前の話しなのですけれども。
女性が身繕いしてきた歴史は太古の時代に遡れるのかもしれませんが、
筋トレの歴史はさほど古くはないと思います。
neutral様は、カジュアルな装いをお好みなの?
お話のかぎりでは、サラ・コナー然とした女豹のようなしなやかさを思い浮かべますが、
何でもお似合いになるスタイルには違いないのでしょう^^
私は幼稚園より電車通学組で、高校までず~っと制服に身を包んできました。
なので、物心つかぬうちから、制服一枚隔てた外と内、公と私について思うところがありました。
「なぜ私は制服を着るの?」って。
で、電車の中で、しばしば痴漢に遭ったりもしました。
夏服の方が、多かったです。
ちょっと胸の襟ぐりが深くて、清楚な可愛いデザインだったからでしょうか。
それでね、「冬服と夏服で私の何が違うのだろう」とか、
「制服姿のときと私服のときと、いったい私の何が違うのだろう」
などとしょっちゅう思っていました。勉強もせずに、笑
フェティシズムにも繋がっているのでしょう。
これについても、何に由来するものなのか、本当に不思議なのですよ。
男女の別で傾向も次元も異なるものなのでしょうか。う~ん。
ご回答を頂けて本当に嬉しかったですし、また是非よろしくお願い申し上げます。
本当にどうもありがとうございました。
No.16
- 回答日時:
ありがとうございます。
末摘花のお話は人間的でこころが温まりますよね。多様化の文化がプラスにでているのでしょうか。
「たらちね」っていう枕詞も日本独特のマザコン文化ですよね。重力に逆らえない体の衰えに
対する愛情表現。
急にかまきりのこと思い出しました。セックスして、食べちゃって、あーあおいしかったって、
正に骨の髄まで性を味わっている。ついでに佐川君、食べたいほどに愛していた。
「愛のコリーダ」も似てますね。
一見すると物質的な愛情と思えるけど、ほんとに逆説的に情熱をぶつけている。
いったいどっちが表面的な愛情なのか?わかんなくなっちゃいますね。
「愛には愛で感じあおうよ」って、どう思います?「感じあおうよ」って何よ。「あおうよ」って、
気持ちは分かるんだけど、相手を無視している様な憤りを覚えますよね。
「恋人たちの予感」で、「ばっかじゃない。相手が感じているなんて幻想に決まってるじゃない。」
て言う言葉は妙にスッキリする。
また、どっちつかずになりそうだけど、性においての女性の人権軽視に対する問題意識は持っていたい
ですね。
この回答への補足
heartmind様、重ねてのご回答を本当にどうもありがとうございます。
後ほどお礼を申し上げますね。
ご教示頂いた中で一つ、言及しておいたほうが良いと思い、取り急ぎ記させていただきます。
>性においての女性の人権軽視に対する問題意識は持っていたいですね。
はい。仰ることは理解できますし、そしてまた「女性の」に「男性」「子ども」も付け加えたほうが
相応しいとも考えております。
つまりこの場合の人権侵害にあたる「性」には男女の別や齢の別がないのではないかな、と。
「同性愛」「両性愛」「メイル・レイプ」「女性による性的虐待」などをサーチ願えますでしょうか。
「女性の性的虐待」が事件化するのは少年保護施設や監獄などの公権力が心身に影響を及ぼす場が舞台のようですね。
ニコル・キッドマン主演の『誘う女』、あれは実際の犯罪を基にながらも、やはり映画ですから、
ファム・ファタルの香り漂う感じに仕上がっているのでしょうけれども。
つくづく「性とは何か」「身体とは」、
そしてそれが自分にとって無関係ではない(なかった)と考えさせられるのです。
あえて(なかった)と記したのは、記さないのと記すのと、何か言葉の羅列以上の意味合いが
ありそうに思ったまでです。
ついでながら、「ミニ・スカート」の考察について、たまたま見つけたので、ご参考までに。
たしかに、私の女子高生の頃は制服のスカート丈がかなり長かった気がシマス(笑)
で、きっと当のお嬢さん方は何も気付いていないのでしょうね。いえ、どうでしょうか。
http://www.kinokopress.com/civil/0501.htm
遅くなってすみません、あらためてお礼を申し上げます。
>末摘花のお話は人間的でこころが温まりますよね。
>多様化の文化がプラスにでているのでしょうか。
はい。そうですね。
多様化って、何の多様化という意味でしょう。
末摘花といえば、美しい黒髪。あとは何と言っても「香り」ですよね。
平安時代の貴族たちは代々薫物(たきもの)調合の秘法を受け継ぎ、欠かせないたしなみの一つでした。
衣にたき込めたえび香に、未だ見ぬ姫君への恋心が募るなんて、ちょっとスノッブかも。
http://www.kaorihanafusa.jp/kaori_file/story/sto …
>「たらちね」っていう枕詞も日本独特のマザコン文化ですよね。
>重力に逆らえない体の衰えに対する愛情表現。
はい、それって紛れもない愛情表現なのでしょうね。
マザコン文化は世界的に普遍なもののように映ります。
「たらちね」が素朴な表現であるはずなのに、もし「嫌みな表現」に響いたのなら、
現代のアンチ・エイジング至上主義の風潮に流されているというあらわれかも。
それにしても、「乳房」って、不思議なものですよね。
赤ちゃんにおっぱいをあげているときって、いやらしくないと思うのですけど、
私達の子育て時にはもうおおっぴらに人前で授乳はしませんでしたよね。
昔はきっとそんなことなかったのだと思います。
でも、授乳以外の象徴としてモチーフにもなり得たわけで、
あのドラクロワの絵に描かれたマリアンヌの乳房は、革命理念の比喩だったんですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E8%A1%86% …
古今東西において、女体のうちで「乳房」ほど多義的な象徴と嗜好の対象であった部分は、他にないように思われます。
それも《持ち主である私達女性の望むと望まざると》、です。
(まあ、でも、しょうがないのかなあ。)
>急にかまきりのこと思い出しました。
>セックスして、食べちゃって、あーあおいしかったって、正に骨の髄まで性を味わっている。
あはは、急に思い出しちゃいましたか(笑)
悪食だから、大切な交尾相手をエサだと思って食べちゃうんでしょうかね。
さしずめ、噛みつきたい!という感じでしょうか。
>正に骨の髄まで性を味わっている。
はい、女冥利ならぬカマキリ冥利かも(笑)
しかし、命がけの交尾、というのは、ある意味凄すぎます。
>ついでに佐川君、食べたいほどに愛していた。
倒錯的なものがあったのかもしれませんけれども、おそらく、
日本では想像し得ない別の社会、圧倒的な孤独感やら渇望感の中での「食べたいほどに愛していた」
だったのかも。
そしてそれら、孤独感、渇望感を癒す感覚とセックスは繋がりがありそうな気も致します。
>「愛のコリーダ」も似てますね。
ん~。どうでしょうね。 私なんかは、これはこれでまた、その世界があるような。
で、「切り落とした」としても、決してサロメともユディットとも、ちょっと違う感じがします。
まあでも、相手の命を永遠に絶ち、我がものにするという点では一緒なのでしょうけれども。
>一見すると物質的な愛情と思えるけど、ほんとに逆説的に情熱をぶつけている。
そうですね。
これに多少通じるものとして「遺髪」なんかがあげられますね。
ご存知でしょうけれども、西洋アンティークの喪のジュエリーとして、
亡き人の遺髪をリングにおさめて身につける習慣がありましたよね。
でも、この類の物は、全く食指が伸びません。やはり。ちと怖い(笑)
>いったいどっちが表面的な愛情なのか?わかんなくなっちゃいますね。
う~ん。どっちがどっちというのも、また、表面的な愛が何たるか、
ごめんなさいね、私もわからずじまいなのですが。
でも、何となく感じることは
少なからずセックスが死の衝動らしきものと結びついていそうだ、ということです。
>「愛には愛で感じあおうよ」って、どう思います?「感じあおうよ」って何よ。「あおうよ」って、
気持ちは分かるんだけど、相手を無視している様な憤りを覚えますよね。
まあ。そうですね。
でも、自分が恋慕している相手であれば、それはそれで心地良い響きになるとは思われませんか。
「性」にも同じことが言えますよね?
犯罪とみなされる痴漢行為と、恋人同士や合法的あるいは内縁の夫婦同士の前戯とでは、
「やってる行為自体」は大差がないはずです。
このあとも幾つかご回答を頂いております。 本当にどうもありがとうございます。 続きます。
No.15
- 回答日時:
mashumaro2さん、こんばんは。
>やはり「女性が望まぬ妊娠を避ける」説が「経験上」素直に頭に入らなくて困っております。
妊娠なんかしたこともない私が、にもかかわらず、女性の性行動はセックスで妊娠する可能性があることを予め弁えていることによって大きく規定され、これが男性に対する性行動を規定し、引いては男性の性行動を規定すると唱えたがるのは、人類誕生時の頃の男女の性行動はどうであったろうか?と想像力を逞しうしたとき、厳しい生存条件の中で女性が生き残っていくためには、男性に対して様々な性戦略を駆使せざるを得なかったはずと思われてならないからです。
これは私の勝手な想像ですが、採集・狩猟時代には、女性たちは老若入り交じり、親族同士で集団生活を営まざるを得なかったのではないか、そこで彼女らが示した性行動とは、後世のいわゆる管理売春に近い性格を帯びていたのではないでしょうか。
採集・狩猟時代の女性がこれ以外の性行動を取った場合、当時の過酷な環境の中で果して生き残り得たのだろうかと疑われてならないのですが。
当然ながら、男性がセックスを求めてきたら、女性集団の族長(遣り手?)は男性に対し、その代価として貴重な動物性タンパク質の食料を要求したはずですし、さらには若い女性の産んだ子供は年増の女性たちが協力して育てたのではないでしょうか。
要するに、人類発生段階において、すでに女性は男性にセックスを拒否し、しかるべき代価を約束されないとセックスには応じなかったのではないかということです。
たとえ、一夜を共にした男性がイケメンだったがために、その後ずっと恋い焦がれたとしても、彼女らが生き残っていくためには、敢えて集団の掟を破り、タダでセックスに応じたとは考えにくいところです。
以来、今日に至るまで、男性は恒常的に欲求不満状態に置かれるように、つまり女性とのセックスを切望するようになったのではないでしょうか。
>例えば女性が妊娠出産した際には、当時は未知なる力、呪術的な意味合いを「視て畏れ」、またあるときは、他の男性が女性に言い寄ろうものなら、その様子を「視て嫉妬、競争心を駆り立てられ、妄想し」厳格に遠ざけたのではないかな、と。
男性がこういう性行動を取るためには、さらに時代が進み、呪術的文化を生み出せるまでに文明化していることが前提であるような気がします。
しかも、自分の支配、所有する女性に「言い寄ろう」とする男性を遠ざけるようになるには、自分の死を意識し、この恐怖を克服するために自らの継承者を求めるべく、女性に《わが子》を産んでもらう必要性を感じることが前提であるような気がします。
なお、男性が自らの後継者(=わが子)を欲することと、私有財産という観念の誕生とは同時発生的だったと考えるしかないと思います。
のみならず、男性がわが子を欲したことは、さらに《父》の誕生及び婚姻制度の誕生をも意味することだったと思います。
>私が思うに、女性は容易に妊娠できるから避妊のために身を包んでいたというよりも、
初潮があった女性がしばしば男性の視線を遮断しつつ育てられたのも、既婚女性がそうと明示するための装身具を強制されたのも、いずれも男性がそうしないとわが子を持つことができなかったからと考えた方がより適切であるような気がしますが。
処女崇拝をはじめとする、女性が強いられた性的貞節の発生事情についても、私にはこのように説明するしかないのですが。
>男女の性器を隠した理由とは、生命の誕生に対する呪術性の「装飾」の一環で、《そうして隠して見えなくなった》からこそ、結果的に《余計に性的妄想を駆り立てられるようになっていった》とは考えられないでしょうか。
もちろん、おっしゃるような事情もあったかもしれませんが、私としては、人間だけが意識裡でセックスの観念を先取りし、以てこれを欲望するようになったために、男女間の利害得失、損得勘定に大きく規定された性意識、セックス観に囚われざるを得なかったような気がします。
その意味では、われわれのいかなる性意識やセックス観にせよ、すべては男女の性的な関係それ自体から、つまり男女間の性的駆け引きから生まれたと言うしかないと思います。
そして、その淵源をたどっていくと、やはり人間だけが「女性の性行動はセックスで妊娠する可能性があることを予め弁えていること」にたどり着かざるを得ないのです。
なお、男性が女性の身体を美的対象として崇めたり、賞美したりしたがる根本動機にしても、やはり女性が男性に対して課してきた性的禁欲及び女体を高く売りつけるための性戦略を抜きにしては説明しがたいように思われます。
*小生も字数制限に抵触し、途中いろいろと端折りましたことについてご海容の程願い上げます。
この回答への補足
kadowaki様、理解の至らぬ私にこの度も丁寧なご回答を頂戴し、心より感謝申し上げます。
追って、お礼欄に記させて頂きたいと思います。
もう少々お待ち頂きたく、よろしくお願い申し上げます。
そして、heartmind様が以前ご教示下さったエポケーなるものを、私も試してみようと思い、
こちらの欄を使用させて頂きたいと思います。
(No.9ご回答より)
>女性が男性に禁欲を課した、男性の抑圧され、行き場を失った性欲や性的好奇心は、その代償として、
>女性の身体や付属物に対する種々のフェティッシュな欲望を育まざるを得なくなったのではないでしょうか。
>さらには、こういう男性のフェティシズムが、やはり代償行為として、
>自らの純粋観念の具象化としての視覚芸術(絵画)に向かったと解するとしたら、これはあまりにも牽強付会が過ぎるでしょうか。
はい、仰ることは私にも何とか理解できそうです。
「性」と「視覚芸術(絵画)」、
そのいずれにおいても、「暴力性」「衝動性」を孕んでいると思います。
また「エロス」「タナトス」とも無縁ではないと考えます。
特筆すべきところでは「幻想」はいかがでしょう。
時代の要請で、以前から覆われている「幻」を剥ぐことにより、本質的に社会と対立し得るものとして。
あとは「マンネリズム」などもアリかもしれません。
それから、女体と性的魅力の関係性についてですが、
女性のヌードでも、美しく思えるほどに、何ら性的魅力を抱かないものもあると思うのです。
美が綻んでいるのを見出すほどに、センシュアルな感覚が自身の内に生じるものなのでしょうか。
この度も得難いご回答をどうもありがとうございます。
>厳しい生存条件の中で女性が生き残っていくためには、男性に対して様々な性戦略を駆使せざるを得なかったはずと思われてならないからです。
これについては良くわかります。大いに賛同致します。ただ、
>要するに、人類発生段階において、すでに女性は男性にセックスを拒否し、
>しかるべき代価を約束されないとセックスには応じなかったのではないかということです。
私はこれが、どうしてもモダンな考え方に思えてならないのです。
人類が、二足歩行になり、嗅覚の役目が薄れ、発情期の兆候を示さず通年で妊娠可能になったメスの女性に対し、
それに付き合えるようなタフなオスの男性が選ばれてきたのではないかと思うのです。
そしてその当時は、余程ストライクゾーンでない男性を除く複数の男性と、やや乱交ぎみに交わっていたのでは、と。
私有財産の価値観のない当時、子どもを認識したのは母親だけであって、時に子を殺されることや病死も多々あったでしょうし、
おおかたどの子に対しても相応に群れの中でオスは許容していた時期があったのではないでしょうか。
ですから、「本能が壊れた」のとは逆に、旺盛な性交能力と繁殖能力をもつ者同士がカップリングをして、淘汰されてきたのではないかと思うのです。
そうして私有財産=我が子の意識の萌芽に伴う形で一夫一婦制に移行していったのではないかな、と。
「避妊」のために、女性自らが「隠すようになった」という箇所が、どうしても違和感を感じます。
「隠す」のが目的というよりも、やはり「覆う」ではないのかなあっていまだに思います。
我ながら頑固で困ります。すみません。
現代人なら誰しも「避妊」が必須な機会がありましょう。
それには色々な諸事情が二人の背景にあるわけで、
はたして原始時代にいかなる諸事情などがあり得たのだろうと思うのです。
現代とは逆に、「ヤラせてくれない」からたんぱく質を贈与するのではなくて、
「ヤラせてくれる」から、そのメスの女性はオスから人気が出るし、贈与もひっきりなしなので、
豊かに肥えて生き延びて来れたのではないのかなあって。
で、余剰の食べ物は、子供にも与えることができたわけで。
一夫一婦制に移行する全段階の話です。
人間の性行動は、その群れの中で暮らす以上はその縛りを受け、その範疇で男女の駆け引きが各々行われてきたのではないでしょうか。
>そこで彼女らが示した性行動とは、後世のいわゆる管理売春に近い性格を帯びていたのではないでしょうか。
ここは古代のアマゾネスの集団を想起致しました。
十分あり得ると思いました。
>以来、今日に至るまで、男性は恒常的に欲求不満状態に置かれるように、
>つまり女性とのセックスを切望するようになったのではないでしょうか。
やはり、ここのくだりは、女性が妊娠しては困る諸々の要因があって「避妊せざるを得ない」わけで、
その状況下で恒常的に男性には不満が生じていくようになったのではないでしょうか。
またしても、呆れ顔のkadowaki様のご様子が目に浮かぶ心地が致します。
でもね、どうしても「避妊しなくちゃいけない」という事情が後世のものに思えてならないのです。
そして元々はもっと大らかに、性交を複数の相手と営んでいたのではないのかなあって。
で、その当時の名残が、オスたる男性の中に多分に残っているのではないかと思います。
他の部分は直ちに納得がいきました。
快くご教示下さりまして、本当に感謝の念に堪えません。
厚くお礼を申し上げます。ありがとうございます。
追伸:若い男性の草食化と人工授精(体外受精)、女性の社会進出などにより、
婚姻制度は相応に存続するにしても、
必ずしも性交が必須ではなくなるということも、将来あり得ると思われますか?
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