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擬態語が擬態語として成立する条件とはどういうものでしょうか。日本語に擬態語が多いとよく言われますが、自分も日常随分使っています。擬態語というのは副詞(句?)が多いのかと思いますが、ほかの人が使っている状況を知らなければ適切に使えないと思います。自分はそのような現場を覚えていないわけですが、どうやって使えるようになったか不思議に思います。このことと関連してどういう人がどういうところで使い始めて擬態語として定着できたのかも知りたいと思います。

A 回答 (4件)

#1、#3 です。

連続ですみません。
#3の続き
~ケースも多そうですね。

「音と関係ない擬態語」にこだわって語源をお知りになりたいのであれば、
もう少し具体例を挙げていただくと助かります。

でも「チュートリアルの徳井はシュッとしてる」と言われて今は私も適切か適切でないかがわかりますから、言葉を身につけるって不思議ですね。大阪以外の人は字面だけ見てもさっぱりニュアンスが伝わらないものなのでしょうか。
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今週はなかなか見れなくてお返事遅くなってすみません。



擬態語の文法的な分類は以下でだいたいカバーしていると思います。
http://www.geocities.jp/niwasaburoo/12gitaigo.html

私はど素人なので、専門的な用語は並べられませんが、
素人は素人なりに自分の体験を交えて意見を述べようと思います。

音と意味の関係性は無視できないと思いますが(#2様も挙げられているオノマトペなど)、
私も音と意味の間にそれほどの関係がない場合もある、というご意見に同感です。
そこで、「音韻に無関係な擬態語は、なぜ意味が共有できるのか」に限定してご一緒に考えたいと思います。

なお、ご質問の、「成立する条件」については、明確な答えは見つけられていませんが、下記の論文はなかなか興味深いので、もし「専門的な」回答の方がよければお読みください。
日本語の擬態語については同じ日本人でも少しずつ受け取り方が違う、というのが興味深いです。
http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/684 …


擬態語ではありませんが、私が「どうやって使えるようになったか」を強く覚えている単語の一つに「雰囲気」があります。私が初めてその単語を認識したのは11歳の時でした。13歳まで周りが「フインキ」と発音している思っていました。そして、何回か間違えた使い方をしながら、雰囲気という単語の意味合いを文字通り雰囲気でつかんでいきました。
この体験を踏まえると、擬態語に限らずほぼ全ての単語は「ほかの人が使っている状況を知らなければ適切に使えない」というご意見に、私は同感です。

フンイキという単語はフインキと発音しても、オトナの間ですらたいてい通じるのではないでしょうか。似たような単語に、シミュレーションとシュミレーションがあります。つまりここで私が言いたいのは、
「単語の意味を構成する要素の大半は、音節の並び順ではなく、前後の文脈である」ということです。


一方これと真っ向から対立する事例があります。つまり「音そのものが持つイメージ」です。私が思いつく限りでは、人名に顕著に顕れるでしょう。
例えば、紫音くん、という名前の男の子は、シオンという音の響きが先行するのであって、ユダヤ人を連想する日本人は少数だと思います。ましてシオンからガンダムのジオン軍だとか、有名人の中のシオンだとかを連想する人も少数派でしょう。
「カエラ」や「いまる」という実在の日本人名に対して、その語源を常に結びつけて考える人間は少ないでしょう。つまり、「意味より語感重視で新しい単語が生まれる瞬間」(今の場合固有名詞ですが)が確かにあると、私は思うのです。

言葉は生き物ですから、そのルーツを探るのも楽しいですが、ルーツ自体が不明瞭になって、意味が本来とかけ離れた意味になることもしばしばでしょう。「適当にやる」「当たり前にやる」などの語源と正反対の意味で使われる副詞もあるはずです。


そこで答えは質問者様自身に考えていただくとして、私は一つ体験談を挙げて締めくくりたいと思います。
関西弁はご存知ですか? 中でも大阪弁は擬音語・擬態語が突出して多いと思います。道の突き当たり・終点を「ドンツキ」というのはその象徴でしょう。
私は県外から大阪に越して数年住んだことがありますが、初め
「あんたシュッとしてるなぁ」
の意味がわかりませんでした。
つまりその時点で、「シュッと」という擬態語の持つ意味は、音韻だけに頼らない・普遍的でない、ということなのです。
大阪に生まれて、大阪に育ったからこそ、「なるほど、シュッととは、そういう時に使うのか。そういう意味か」と身に付いて行くのではないでしょうか。
「あんたのシュッとの使い方はおかしいで」ということの積み重ねで、シュッとに対する合意が形成されていくものだと思います。
そして、理屈や用例がある限り、擬態語のニュアンスはネイティブでなくても、後天的に学んでいくことが可能だ、と私は思います。

中には、福澤諭吉に代表される文化人・文豪が作った、「明治の当時には最先端の」造語が、日本語の擬態語として定着したケース

参考URL:http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/684 …
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この回答へのお礼

いろいろ勉強しなければならないと実感させられました。人間は一人では生きてゆけないということの一面にもつながるのだろうかと思いました。言葉は人間にとって最も大切な環境条件なのかとも考えました。ご教示の数々をありがたく存じます。

お礼日時:2010/06/14 15:30

主題は、


1.擬態語の成立における言語感覚(事象や情景と音の因果関係)。
2.母語及び社会環境の中で、
  事象と擬態語の対応が如何にして身についたか。
に分けられそうですね。

擬態語は言葉の成立と熟成の中で定着してきたものですから、
「いつどこで誰が」には答えが困難です。
文筆家や著名人などの造語が定着したものも中にはあるのでしょうが、たまたまそれらには、定着するだけの特性があったと言うことだと考えます。

別件の質問でもご紹介したのですが、
『日本語は何故美しいか』黒川伊保子著が参考になります。
ご質問に直接的な答えがあるわけではありませんが、
母音が心情に与える効果/影響について述べてあります。
1)---「日本語の特異性」より引用---
日本語は、母音を主体に音声認識をする、世界でも珍しい言語である。
現在、日本語と同じように、母音を主体に音声認識をする言語として確認されているのは、ポリネシア語族のみ、~中略~、欧米各国やアジア各国の言語においては、すべて、子音を主体に音声認識をしている。しかも、これらのことばの使い手の脳では、母音は、ことばの音として認識されておらず、右脳のノイズ処理領域で「聞き流して」いるのだ。
話者の音声を、母音で聴く人類と、子音で聴く人類とがいる。
「言語を聴く、脳の方式」という視点でいえば、世界は、大きく、この二つに分類される。この方式の違いが、人々の意識の世界にどんな大きな違いを作り出すかについては、~中略~、「日本語が、圧倒的少数派の方式の言語である」ということである。
----------------------
2)「語感の正体は、口腔内物理効果の体感である」との理論を立て、「発音体感は、意識と所作と情景を結ぶものだ。辞書的な意味によって発音体感の意味を語ろうとすると、美しい関係性モデルはでき上がらない。なぜなら、意味は記号であり、慣習的に使われているうちに、ことばが生み出されたときの意識や情景とは乖離してしまうからである」が著者の原点です。
3)「私たちは、事象に似た発音体感を味わうために、言い換えれば、魂の共鳴を感じたいがために、ことばをしゃべっているのかもしれない。~略~。」
4)日本語には約2400のオノマトペ(擬態語・擬音語)があり、日本人は日常会話にこのオノマトペをよく使い、このオノマトペこそ語感そのもの。日本人が何世代にもわたって使ってきたオノマトペは、人々に支持されてきた。フィーリングに合わないオノマトペは使われなくて廃れてしまいます。
5)体感・心情に直結する母音を核とする日本語にオノマトペが豊富なのも納得できます。

■ご質問に戻って、
・上記引用中の「発音体感は、意識と所作と情景を結ぶものだ」に集約されていると思います。
・母音が圧倒的にその効果が大きい。
・日本語話者は、情景が自然発生的に音に転化する。
・日本語話者は、音と情景のつながりに自然に共感できる。
・従ってオノマトペが共有され定着し豊富になる。
以上がご質問の答えに近いのではないでしょうか。
前記の書籍の一読をお奨めします、集英社新書にあります。

ついでに:
・オノマトペは幼児語の同類の扱いで言語学者の研究対象外でしたが、近年変化が見られます。
・世界でも稀有な母音語である日本語では、無意味の音の連なりオノマトペも有効かつ重要な情報交換の手立てなのです。
・インドのヴェーダには、言語として意味を持たない音の綴り(かたまり)があるようです。音の人の情感への影響を利用して精神安定、病からの回復力を目指す、呪文の類だそうです。真言も同種の狙いがあるようですが。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまってごめんなさい。詳細にご教示いただき大変参考になりました。いただいた情報を大切につかわせていただきたいと存じます。ありがとうございました。

お礼日時:2010/06/14 15:24

ど素人です。


「言語聴覚士の勉強を教えてくれ」と頼まれて、構音について勉強したことはあります。

私のうろ覚えの知識では、
数々の外国語を比較すると、
擬態語にはある程度の法則があるそうです。

つまり、英語だろうと日本語だろうとスワヒリ語だろうと(私はスワヒリ語を知りませんが)、

「SP」「SW」で始まる語は 速い動作を表す「ことが多い」

というような、各国の共通イメージがあるそうです。
これを聞いた時私は、「擬音語だけでなくて、擬態語でも、言葉が通じなくてもお互い同じ感覚を抱くなんて、人間って素敵だな」という、神秘性(?)を覚えました。


スピード、スプラッシュ、スピン

など、口から「スプ」(または「シュプ」)と音が漏れる感覚そのものが、
人種に関係なく「なんとなく速い」というイメージをもたらすそうです。
実際、スピードは「スピード」って音声が鳴るわけではないのに、
「速い」「速さ」というイメージに、「しっくり」きますもんね。


だからたぶん、外国人が日本語を勉強する時、
「しっくり」
という単語を知らなくても、
「しっくりって、こんな感じかな?」
っていう感覚を、内在的に覚えるのではないでしょうか??

それは私たち日本人が「シャウト」っていう英単語を知らなくても、
「シャウトってこんな意味かな?」と抱く感覚と同じだと思います。
「英語の他の単語を知らなくても」
「幼児でも」
シャウトという音の並びに対する感覚は、万人共通のものがあるのではないでしょうか。
(もちろん、「多い」というだけの話ですよ、「全員」ではありません)


参考ページ示せなくてすみません。


だから、
「ちゃっちゃと」 と 「のんびりと」 は
前者が速くて 後者が遅いのが ある意味 語発生的に自然であって、

「のんびりと」= 速い様子
「ちゃっちゃと」= 遅い様子

として教えると、無意識のうちに(人類として)違和感を感じるのだろう、
と私は信じます。
言葉って考えると楽しいですね。
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この回答へのお礼

早速ご教示いただきありがとうございます。お話のような音と意味の間に関係がある場合も多いと思いますが、音と意味の間にそれほどの関係がない場合も多いようにも思います。やはりその言葉が使われていた現場の状況からその意味が学ばれるということなのでしょうか。

お礼日時:2010/06/09 21:07

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