痔になりやすい生活習慣とは?

太平洋戦争で連合軍も無降伏主義をとっていたら

太平洋戦争時の日本軍は事実上の無降伏主義を採っており少なくとも部隊単位での降伏は皆無だったかと思いますが、連合軍も同じ方針だったとしたら…と考えてみました。
史実において連合軍がまとまった形で降伏したのはフィリピン、マレー・シンガポール、ジャワだったかと思います。これらの戦いで連合軍側が玉砕するまで絶望的な抵抗を続けた場合、それぞれの戦いの帰趨ひいては戦争全体の帰趨はどのように変わっていたと思われますでしょうか。各国の世論がそれを許すかという問題は考えないものとして。

また逆に、日本軍が「常識的な」レベルで降伏を認めていたらどうなっていたと思われますでしょうか。

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A 回答 (10件)

こんにちは、hortensia様。



年齢的に皆様のように大戦中の日本軍と連合軍の兵力や戦術又は戦術論などは分からない部分も多いですが、アニメとかでの太平洋戦争の話とかは好きで色々と観たり読んだりしました。

太平洋戦争で連合軍も無降伏主義をとっていたら
また逆に、日本軍が「常識的な」レベルで降伏を認めていたらどうなっていたと思われますでしょうか。

私なりに考えてみたのですが、この場合は日本軍と連合軍の立場を入れ替えて考えると答えが見えてくるような気がします。
連合軍がフィリピンを守っている日本の守備隊を攻撃しようとジャングルの中を進軍しようとしたら、日本軍が主要な橋を全部破壊してしまった。
橋というのは川だけでなく渓谷を渡るものも含まれますので、橋が無いと大きく迂回して危険なジャングルの中を長距離移動する必要が有ります。
たぶん連合軍の指揮官は進軍をあきらめて撤退するか大規模な工兵隊の増援を依頼すると思います。

逆に首都守備隊が日本軍だったら、電力施設や給水施設がやられて海上からの支援の艦も撃沈されて完全に孤立してしまっても精神力があれば必ず死守できると兵達を鼓舞して、最後の一兵が死ぬまで徹底抗戦を続けたと思います。
日本軍の場合は質問者様の言う「常識的なレベル」が連合軍側よりも非常に高かったと感じますので、降伏を認められていたとしても降伏はしないで玉砕してしまったのではないかと思います。

精神力が軟弱か強靭かで比較したら当事の日本軍の強靭さはおそらく世界一だと思いますが、それに対して連合軍の兵士は軟弱であるという事ではなくて、連合軍の兵士は常識的な範囲の軍人スピリットをもっていて普通だったのではないかと思います。

ですから、もしも連合軍が無降伏主義で防衛していたら、私も日本軍のほうが負けていたと思います。
私が調べた所では、正確な数字は分かりませんでしたが日本軍側は全ての物資が底を打っていた事は確かなようで、相手が降伏しなかったらあと二日以内には全ての弾薬が尽きていたと書かれているサイトが有りました、この状態から推測すると日本軍にはまともな補給が届いていなかった事は確かなようです。

回答の中で色々と論議もあるようですが、質問が「もし、だったら、」、「どうなっていたとおもいますか?」なのですから、私はこう思いますと言う意見に対して合っているの間違っているのと不要な突っ込みをする必要はないと思います。

初めにも書きましたが、過去の大戦に興味が有りますので皆様の意見を分かる範囲で客観的に第三者的な立場から調べてみて分かった結果だけを書きます。
片手片足の兵士までというのは、パーシバルが来た時の日本軍側の状態がそれだけ酷かったという事を誇張して表現してあるだけで、負傷兵も戦闘に駆り立てられていた事は事実のようですので別に嘘という訳ではないようですよ。

第一次大戦から第二次大戦までの歴代の日本軍の元帥と大将合わせて77名中の39名までを調べた結果、39人中35人が武家の出身者で3名が皇族、漁民農民の出身者はゼロでした。
軍部内で作戦の中枢を牛耳っていたのは貴族や武家の出身者というのは本当のようです。
ドイツの調査はでは、当事貧しかった日本の武士の家庭では生活の為にみな自前の畑で農耕をしていたので勘違いをしていたのかもしれませんね。

南方戦での日本兵の死亡原因で一番多かったのはマラリヤであったようです、第二次大戦中にワニに襲われて死亡した兵士の数は日本兵が圧倒的に多かったという資料も発見できました、虎にもやられたみたい、毒蛇は不明。

ノモンハンというのは一応ロシア側が勝ったという事になっているようですが、色々と調べるとどちらともいえない痛み分けだったみたいな事も書いて有りました。
私が調べた戦跡では、日本の死者8500人、負傷者9000人、ロシアの死者8000人、負傷者15000人になっていました。
ただし、装甲車両数が日本軍は100台なのに対して、ロシアは10倍の1000台、航空機も180機対250機で日本側が圧倒的に不利なのに足りない所は精神力で補って根性だけで戦っていたみたいなので日本軍のほうが凄いかもしれないと感じました。

硫黄島は日本軍が凄く頑張ったので、私の好きな所なんです。
戦争ですからアメリカ軍だって頑張るのは当たり前の事ですが、常識的に考えて兵器の重火力の差や兵員数や水や食料や医薬品などの状況を考えると、あの状態で1ヶ月間も島を守り抜いた日本軍兵士の精神力は異常なくらい凄まじいものだと思います。(普通は戦う前に降伏ですよね)

私も全ての日本軍があんなに頑張らないでもっと早く常識的に降伏していれば、沖縄県民の大量死や東京大空襲、そして広島長崎の原爆の犠牲者も出さずに済んだのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですよね、連合軍が日本軍並に粘っていれば攻略に失敗・あるいは致命的なまでに遅れていたかもという想像は
少なくとも荒唐無稽ではないと思います。ただその後の展開の具体的な予測はなかなか難しいんでしょうね。

お礼日時:2010/06/16 19:56

大人げないのはわかりますが、また珍回答が(×_×;)



>橋というのは川だけでなく渓谷を渡るものも含まれますので、橋が無いと大きく迂回して危険なジャングルの中を長距離移動する必要が有ります。

ないです。
マレーのときは師団工兵が橋梁をかけなおして進撃しています。また、迂回が必要なときは「ジャングル」の中ではなく、舟艇を使って海側から迂回します。海から英軍の背後に迂回上陸、のち強襲を10回以上やっています。

>負傷兵も戦闘に駆り立てられていた事は事実

ウソです。シンガポールのときは、師団段列もついてきており、負傷者を収容しています。
軽傷者が戦闘に参加することはありえますが、片手片足ほどのことになったらそのような負傷者を放置しておくと部隊の士気が低下するので、特に優先収容しています。
片手片足の兵士はいたかもしれませんが、そのような兵士まで戦闘に必要とするほど、マレー・シンガポール攻略に投入された近衛、第5、第18師団は逼迫していません。

>第一次大戦から第二次大戦までの歴代の日本軍の元帥と大将合わせて77名中

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D% …

帝国陸海軍全大将が載っていますよ。明治期に入隊した人が士族出身なのは、武士階級が食い詰めて入隊、または軍に武士道を見いだして入隊したかなので、珍しくありません。
陸軍に長州藩士、海軍には薩摩藩士が多いはずです。
ただし永年勤続した明治期入隊者はともかく、大正から昭和に入隊した大佐以下の将校に華族、士族が多いというのは、明らかにまちがいです。
また、陸海軍とも昭和15年ごろから、士官学校(兵学校)出身の現役士官の補助として、「予備士官」という制度で大学生から人材をえることをしています。大学に行くほどですから貧困層は少ないでしょうが、大学生に華族はともかく、昭和10年代に「武士」がいたかどうか。これも常識で考えてください。

>当事貧しかった日本の武士の家庭では生活の為にみな自前の畑で農耕をしていたので勘違いをしていたのかもしれませんね。

2・26事件の「行動将校」つまり、叛乱を指揮した将校に軍人の息子はいましたが、華族、士族はいません。
あと、2・26事件の昭和11年に武士がいたかどうかは、常識で判断してください。

>ノモンハン

作戦レベルでソ連軍は勝っていましたが、戦術・戦闘レベルでは日本側は優勢でした。また、当時のソ連軍から観た日本軍については、日本側兵力量の過大視が指摘されています。


>痛み分け

ちがいます。ソ連側が主張した国境線で確定したので、作戦を成功させたソ連側の勝利です。

硫黄島の大惨事をして、好きな所という神経を私は持ち合わせませんが、仮想戦記がはやったせいで、このようなトンデモをネットで発言する人が多いように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/16 19:57

#1です。



41年に開戦してフィリピンが攻撃されると、米軍はコレヒドール要塞にこもって抵抗します。42年5月に全軍が降伏してコレヒドール攻防戦が終了しますが、マッカーサーが「リターン」するのはなんと44年になってからです。とてもではありませんが、そんなに長期間抵抗することは不可能ですね。補給があるならまだしも、当時の米軍はコレヒドールに補給ができるような状態ではありませんでしたから。
シンガポールにしても同じことです。42年2月にシンガポールは陥落しますが、結局45年8月の終戦まで連合軍はシンガポールを物理的に奪回できませんでした。そもそもシンガポールが降伏したのは水源が破壊されて真水が手に入らなくなったからです。戦国時代の昔から、水源を絶つのは城攻略の死命を決するものでした。人間、食事をしなくても半年くらいは生きられますが(恐ろしいことに実験済み)、水を飲まないと数週間で死んでしまいます(すごく恐ろしいことに実験済み。このときは食料だけは与えられた)。

またなぜか注目する人がほとんどいないのですが、日本が喉から手が出るほど熱望し、開戦の直接の原因ともなった南方資源ですが、手に入った後にたいして有効利用できなかったのです。どういうことかというと、当時の日本では「得た資源をどういう風に利用するのか」ということを戦略的に考えていた人が誰もいなかったのです。いわゆる軍需大臣みたいな人がいなかったのね。海軍は海軍で、陸軍は陸軍で勝手にやっていたのです。

ここから重要なことを書くのですが。
そのため、本土では石油やガソリンが不足しているのにシンガポールでは石油が余っている、なんて状態が起きたのです。「本土でガソリンが不足しないためにはタンカーをどう配置する」なんてことを考えていた人がいないのです。いや、正確にはいたのですが権限がものすごく低くて、「作戦で使うからタンカーよこせ」といわれると差し出すしかなかったのです。
だから輸送用のタンカーや輸送船が常に不足していた。さらにそれでなくても不足しているのに作戦用にどんどん船を取られて「これじゃあ大砲や航空機の生産にも影響が出てくる」となる。さらに、米軍の潜水艦がやってきて輸送船やタンカーがバカスカ沈められてしまうのです。これじゃ持たないから「護衛艦をくれ」と要求するも艦隊決戦至上主義の作戦部では「商船の護衛なんかにゃフネは回せねぇ」といわれる始末。
東条英機首相は軍人とはいえバカじゃないですから、「国家の生産のためにはこのくらいの船が必要」てのはちゃんと分かっていたのですが、前線からは「船が足りない、作戦用にもっと船をよこせ」とせっついてくる。挙句に田中作戦部長が東条首相に向って「バカヤロー」と暴言を吐いてしまいます。でもバカヤローがどっちなのかは、いざ作戦をしようとしてもその燃料が不足していることに気づき、なんでガソリンねえんだ、いやだって輸送用のタンカーを作戦用に全部取られちゃったから持って来られなかったんですよって段階になってようやっと「ああ、商船に護衛って必要なんだねえ」と気づいたけど文字通りの後の祭り。

そもそも資源を有効活用できていなかったのですから、そこで多少頑張ったとしても頑張らなかったとしてもたいして影響はなかったのですよ。連合軍が南方の生産施設を本土に対するほど徹底した戦略爆撃をしなかったのも、「輸送船を潜水艦や空襲で沈めれば同じこと」と分かっていたからです。元々は自分たちのものですから、戦後の再利用のことを考えていたかもしれません。

日本人の精神力を礼賛する方も含めて、学研文庫から出ている名著「海上護衛戦」を読んだほうがいいですよ。
ついでに日本軍の名誉のためにいうと、日本軍ほど階級社会がない軍隊も当時そうはなかったのですよ。成績が優秀なら、農民の子でもちゃんと士官になって出世できましたから。これがイギリス軍だとものすごい階級社会ですし、ドイツ軍でも将軍達の名前にやたら「フォン」が多いのも彼らが貴族階級だったからです。平民の子であったロンメル将軍(だから彼の名前にはフォンがない)はヒトラーに好まれたから出世したのですが、元帥が与えられるとき「貴族じゃないアイツに元帥を与えるとは何事ぞ!」って将軍達は大反対したのです。だから武士や公家の子じゃないと指揮官になれないなんて大嘘を書くのは本当にやめてもらいたいものです。ついでにマレー作戦のときに手足がない兵隊が、とか、マラリアで将兵がバタバタ倒れて、とかもとんでもない大嘘。当時は補給がちゃんとしていたから負傷兵や傷病兵はきちんとした手当てが受けられました。「日本の会社は社員が鬱病でも、病気でも過労死するまで働くほどの精神力があるのです!」ってのが自慢になると思うのかね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/16 19:44

まだ明らかなる間違いがあり、あまりにもなんなので訂正しておきます。



>日本軍の将校の殆んどは武家又は公家の出身者で、明治維新後の話ですから

ちがいます。例を挙げるなら二次大戦にも生き残った戦艦長門は、戦前から世界6大戦艦といわれた由緒あるフネです。が、大正時代に軍籍に入って太平洋戦争がおわるまで艦長を勤めた31名のうち、華族は鮫島具重大佐(終戦時中将)一人だけです。

2・26事件が起きたとき、ドイツ大使館は日本の陸海軍将校の調査報告をしており、陸軍将校は農村部出身が多く、海軍は都市部中流階級が多い、と本国に報告しています。
ただ、皇族男子は明治天皇の方針で、配線まで全員陸海軍に行くのが戦前の通例でした。

>近代戦と戦国時代の戦との違いも分からない

帝国陸軍は第一次上海事変で、国民党中国軍に軍事顧問として勤務していたドイツ人将校のデザインした当時最新の陣地を、その将校が自殺してしまうほどあっさり攻略しています。これは欧州各国の陣地構築とその攻略方法を、陸軍が徹底的に研究していたからです。
陸軍の悪口はいろいろありますが、ソ連をナチス・ドイツとの戦争で勝利に導いた労農赤軍元帥のG.K ジューコフ元帥は、戦後西側記者のインタビューのとき、一番苦労した戦いは、との問いに、「ハルハン・ゴルだった」、つまり日本とやったノモンハンだと即答しています。ソ連圧勝に見えるノモンハンですが、人的損害は日本の5倍以上だしています。

>南方のジャングル地帯を大部隊が進軍する

陸軍が上陸したマレー半島のコタバルから、シンガポールまでは自動車道路が整備されています。英軍は250以上の橋梁を破壊しながら交代しましたが、逆に言えばそれだけの橋がかかっていた整備された道だったのです。
もっとも、日本軍の不整地地帯における移動能力は確かに高く、インパール作戦の初動で、英国側を驚愕させることになります。ただ、これも言い換えれば単にトラックがたりないから歩いただけの話なんですが。

>護衛機無しで攻撃に出て、途中で敵機と遭遇した場合でも天皇陛下からお預かりした大切な魚雷や爆弾を途中で捨てて空中戦を行なうような事は絶対にあってはならない事だったからです。

兵器はそうですが、バクダンや魚雷はガダルカナルやラボール消耗戦のとき、必要とあらば投棄していました。ラボールからガダルカナルに戦闘機を飛ばすときは、零戦でしたが60キロ爆弾を2個搭載させられます。ガ島の米軍に落とせということですが、現実問題として燃費が悪くなり、空中で敵機と遭遇したときの初動が圧倒的不利になるので、基地から見えないところで捨てていました。

>米英の兵士の軟弱さに付いては特に変化はしていません。

ありえません。そんな軟弱ならインパールで陣地を守り抜いて反撃したり、硫黄島で大損害を出しながらもついに占領することはできないでしょう。
ただ、日本兵は総じて士気が高く、錬度も高く訓練されていたので、沖縄戦でアメリカ側は「欧州はこれに比べたらピクニック」という発言を残しています。

あと、南雲忠一のことですが、適材適所をできなかった海軍の人事に問題があります。これはもう個人の問題ではなく組織論になるので、これ以上は書きません。

いずれにせよ、軽々しく断定したり、侮蔑したりするのは、歴史に対するありかたとしては考えものです。また、質問者さまへの回答になっておらず、さらに質問者さまが、まちがった認識をもたれることを危惧したので、書き添えた次第です。

私は誹謗中傷などではなく、調べたらわかるまちがいを、訂正しているだけです。誤った回答を質問者さま、またここを見た他の人が信じるのを恐れます。それだけのことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/16 19:42

回答ではない投稿や、他の回答に対する指摘や誹謗中傷は、このサイトのルールに反するので出来るだけ無視するようにしているのですが、私的にも反省する部分があることも含めてもう一度だけ説明をさせて頂きます。



私が一番反省している部分は「馬鹿南雲」の表現の所です。
実は投稿する際に、この部分はもしかしたら質問者様からご指摘があるかも知れないなという懸念を感じつつもそのまま投稿してしまった部分でも有り反省をしております。

特に補足も何もしていないので、回答を読まれた方に理解してもらう事は困難だったとは思うのですが、初めの回答は字数を切り詰めて切り詰めて何度も手直しをして、改行分を含めて1999文字の回答になっているのです。

決定的に記入可能な字数が不足していたので、本題の部分のパーシバル中将と山下中将には敬称を付けていますが、山本五十六などは呼び捨てになっていて失礼だと自分でも思いますし、第二次大戦の最大の転換ポイントとなったミッドウェイ海戦を一つの例として引用していますが「馬鹿南雲」に関しても出来るだけ字数の少ない馬鹿の2文字を選んで使ってしまっただけの事です。

(状況分析の出来ない艦隊指揮官としては能力不足の南雲とか、空母艦隊を率いるのには適任ではなく任務遂行能力に疑問の有った南雲、兵学校を好成績で卒業したが古い大鑑巨砲主義の教育しか受けて来なかった南雲など長い文章を書く余裕がなかったという、御家の事情がありました) 

(当時の日本軍の指揮官や作戦参謀達の多くが世界を知らな過ぎる、近代戦と戦国時代の戦との違いも分からないような人達は、当時の戦闘の指揮官として采配を振るうには時代遅れの無能な人種であり、精神力さえあれば何とかなる的な人間が多かったと言う事を、ぎゅーっと凝縮した例として「馬鹿南雲」と称していて、当時の大本営の多くの無能な指揮官達の代表礼とさせて頂いただけ、だったのです)

>日本の軍人(将校は全員が元さむらい)
これも同じです、日本軍の将校の殆んどは武家又は公家の出身者で、明治維新後の話ですから民間人となっていたとしても、その殆んどが元は由緒有る血筋の人達で占められていましたので、と書く余裕はなかったのです。
(強いて言えば、「殆んど」の3文字すら書き足す余裕は無かったのですよ)
状況を説明する為の補足の部分で本文ではないので、ここを一生懸命に説明しても意味が無かったからです。

百姓一揆についても同じ事です、百姓はもうこのままでは絶対に死ぬという状況に追い込まれるまで堪え続ける精神力を持っている訳ですから。

>水道施設、電力がとまり、要塞機能は海に対しての物でした。
それは南方のジャングル地帯を大部隊が進軍するなど、軟弱な彼ら米英の頭ではとうてい理解できないような想像を絶する困難な進軍作戦だったからです。
ワニや毒蛇がうようよと生息する泥沼の中に人柱を立てて橋桁にして、その上を大砲や戦車やジープが走行するという信じられないような無茶苦茶な進軍作戦でした。
日本軍の側には、初めから電力などは必要最小限の発電機しかなく、まともな飲料水などは早々に底を突いていて、沼や川の水からコレラなどに感染して多くのしょう兵を失い、無謀な行軍の結果体力を消耗した兵士達は次々とマラリアで死んで行きました。
虎などの猛獣に襲われて命を落とす兵士も多く、平地でも厳しい1日40キロ以上の強行軍を何日間も繰り返すなど、軟弱な欧米人の軍隊には絶対に真似できません。(たぶん世界中の何処の軍隊にも真似は出来ないと思いますが)

>海軍の話ですが、空母の攻撃隊が戦闘機の護衛を要求して、・・・
これは与えられた武器や装備に対する考え方の違いによるものです。
日本の軍人は神である天皇陛下から武器や弾薬や軍服に至るまで、全ての装備を「お預かりして、使わせて頂いている」という事になっていました。
護衛機無しで攻撃に出て、途中で敵機と遭遇した場合でも天皇陛下からお預かりした大切な魚雷や爆弾を途中で捨てて空中戦を行なうような事は絶対にあってはならない事だったからです。

>太平洋戦争のときの陸軍は言っていましたが、ガダルカナル、インパールでその傲慢のツケがまわってきます。
この時は既に兵力や重火力、補給や航空戦力など全ての面で連合軍側が圧倒的に有利な立場になっていただけの事で、米英の兵士の軟弱さに付いては特に変化はしていません。
むしろこの時の日本軍や日本兵の方は、圧倒的な戦力差にもめげずに完全に精神力のみで戦況を打開しようとしていたのですから、尚更もの凄い精神力だと感じます。

初めの回答で書く事が出来なかったのですが、将校などの軍人や民間登用兵が共通して持っていた、この信じられないような不屈の精神こそ「大和魂」と称される物の正体なのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/16 19:41

ちょっと、あからさまな間違いがあるので、知る範囲で訂正しておきます。



>日本の軍人(将校は全員が元さむらい)

ちがいます。陸軍幼年学校、陸軍士官学校に受験して合格した人と、兵卒から昇進して将校になった人で、侍ではありません。

>何も文句を言わずに、ただ黙々と野良仕事に精を出し続けて来ました。

一揆という方法で、代官所に訴えることができます。一揆は暴力的なものはほとんどなく、また一揆を起こさせてしまうようなことをしていた場合、その土地・農民を管理していた者が責任を問われます。

>米英の兵士や指揮官と言うのは非常に軟弱

と、太平洋戦争のときの陸軍は言っていましたが、ガダルカナル、インパールでその傲慢のツケがまわってきます。

>連合軍側の兵士は元々精神力が弱く

なので、この一言も根拠がありません。

>マレー・シンガポールでは自分達の方がはるかに有利

シンガポールは、水道施設、電力がとまり、要塞機能は海に対しての物でした。陸から、つまり背後から襲われる想定はしていません(それでも、沿岸砲を内陸に向ける努力はしています)。また、本国から回航してきた戦艦2隻も喪失しており、防衛の見込みがありませんでした。
シンガポールは要塞ではなく、都市です。都市機能が崩壊したうえで、全市民を巻き込む市街戦を回避する判断を英国はしたので、合理的な降伏です。

>サムライ.スピリットと粘り強い農民魂が米英の兵士には無い

海軍の話ですが、空母の攻撃隊が戦闘機の護衛を要求して、発進が遅れることが日本海軍には続出しました。司令部でも護衛にこだわり、時期を逸することがありました。一方のアメリカは護衛なしでも攻撃にでることは珍しくなく、これは「いまやらなくては大変なことになる」という状況のとき、柔軟な考えができるか否かの違いが出たものといえるでしょう。

>馬鹿南雲

このような発言は非常識ですが、本来水雷が専門の南雲忠一を空母機動部隊の指揮官にすえた、当時の帝国海軍の年功序列の硬直した人事に、問題があります。
南雲指令はミッドウェイのとき、米軍機の襲撃の際、空母赤城の操艦を自ら行い(といっても、舵輪を回したわけではなく、それをする水兵に指示をしたわけですが)、米軍機の放った魚雷8本を全て回避する腕前をみせています。
本来得意としていた水雷戦、とくにガダルカナルでの艦隊消耗戦のときに前線指揮を執ったらよかったのにと、当時でも言われていました。
ミッドウェイの敗北は、南雲司令一人に責任をかぶせられるほど、単純なものではありません。

あまりにあまりだったので、書き添えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/16 19:40

No.2様の回答に対して「回答を評価するに」一票入れておきました。



日本軍は捕虜になる事が許されていなかったので、いよいよ駄目だという状態になった場合は全員自決か玉砕の二者択一は仕方がなかったのですが。

もしも、そうでなかったとしても日本の軍人(将校は全員が元さむらい)は死ぬまで使命をまっとうし続けようとしますし、使命がまっとう出来ないことが明らかな場合は自決の道を選びます。(一所懸命)

一兵卒は民間人ですが、天皇は神であり国民が神である天皇と神国日本のために死ぬのは当然の事で有るという洗脳教育を受けていましたので殆んどの兵士は上官の将校の玉砕命令に従いますし、一部従わない場合はその場で上官に殺されますので従うしか有りませんでした。

古来から日本人は農耕を行い一つの土地に固執する土着民族で、階級差別を受け、理不尽な法や無謀な年貢の取立てに苦しめられ犬猫以下の暮らしを押し付けられても、どんなに辛くても、どんなに苦しめられても、じっと押し黙って歯を食いしばり、踏まれても蹴られても、虫けらのように切り殺されても、何も文句を言わずに、ただ黙々と野良仕事に精を出し続けて来ました。

その不屈の精神と農民魂の上に洗脳教育が加わっていたので、どんなに苦しい状況になっても、どんなに厳しい状態に追い込まれても、とにかく堪え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ、欧米人には到底マネの出来ない不屈のど根性が日本兵には備わっていました。

それと比較すると米英の兵士や指揮官と言うのは非常に軟弱で、ちょっとでも苦しくなったり、戦況が不利になったりすると直ぐに降伏を考えたり、一兵卒の兵士などは平気で敵前逃亡を図ったりします。

日本軍では絶対に考えられない事で、日本兵と米英の兵士の決定的な違いは互いに愛国心や軍人魂は持ってはいても、米英の兵士が一番大切だと考えるのは最終的には自分の命であり、日本兵のように自分の命を捧げてまで国の為に尽くそうとは考えない所に有りました。

連合軍側の兵士は元々精神力が弱く、日本兵のように自分の命を賭してまでも国の為に戦おうという強いモチベーションを持っていなかったために、マレー・シンガポールでは自分達の方がはるかに有利な状態でまだまだ充分に戦える状況でありながら、日本軍の攻勢が続き飲料水施設が破壊されたというだけの理由で、いとも簡単に降伏してしまった訳です。(サムライ.スピリットと粘り強い農民魂が米英の兵士には無い)

パーシバル中将が山下中将の所に降伏の話し合いをする為にやってきた時に、日本軍側の陣地内の悲惨な状況を見て非常に驚いていたと言う後日談が残っています。

そのときの日本軍側の状況は一説によると、ある資料では以下の通りだったと記されていました。
日本兵の3人に1人は負傷兵で、兵力不足を補う為に動ける負傷兵はたとえ片手片足しかなくても全員戦闘に参加させられていた。
砲弾の残り数は、大砲一門当りに対してわずかに4発ずつしかなく。
銃弾の残りも銃一丁にたいして20発しか残っていなかった。
あと1日どころか、あと半日も戦闘が続いていたら弾薬は底をついてしまい、日本軍は戦闘を続行する事が出来なくなる状況だった。

連合軍側の欧米人の兵士達が軟弱で、直ぐに弱音を吐き少しでも犠牲者が増えて戦況が厳しくなると、直ぐに弱気になって日本側の降伏勧告ビラの空中散布などの作戦にはまってしまた訳です。

ですから、
>これらの戦いで連合軍側が玉砕するまで絶望的な抵抗を続けた場合、

連合軍側は玉砕どころか、ほんの数日で山下中将率いる日本軍を逆に全員自決か玉砕戦に追い詰める事が出来た。
(まったく絶望的な抵抗ではなく、連合軍の米英の兵士にほんの僅かでも歯を食い縛って頑張って戦う勇気と粘り強さが有れば日本は負けていた)

その後連合軍の反転攻勢によって日本軍の南方侵攻作戦は失敗、各地の日本軍は徐々に孤立して玉砕。

その結果として、日本は原爆を投下される前に、同盟国のドイツよりも早く連合軍に降伏する事になったと思います。

>また逆に、日本軍が「常識的な」レベルで降伏を認めていたらどうなっていたと思われますでしょうか。

質問者様のいう「常識的な」レベルといのが、連合軍側のパーシバル中将のレベルであったと仮定した場合は、南方の日本軍は殆んど全てが途中で降伏してしまったと思いますので、結果は同じで日本の敗北による終戦が凄く早まっていたと思います。

この場合はもっと根本的な所で考えるとすれば、馬鹿南雲のせいでミッドウェイ海戦で大敗を喫した時点で、当初から開戦に大反対していた連合艦隊司令長官の山本五十六が大本営の御前会議で和平交渉による停戦を提案、首相兼任陸軍大将の東条英機らがこの提案を受け入れて連合軍側との和平交渉が進められていたと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
シンガポールの戦いにおける日本軍はかなり危機的な状況だったようですね。ああも早く攻略できたのは非常に幸運だった感じがします。
>日本軍の南方侵攻作戦は失敗
やっぱりここまで変わっちゃいますかね~。実際シンガポールが抜けないとかなり影響はでかそうですが。

>もっと根本的な所で考えるとすれば
戦略レベルを言い出すとそうなってしまうので、あくまで戦術レベルの話としてお聞きしました。とはいえ、兵隊、部隊の無降伏主義と国家としての往生際の悪さが切り離せないのは確かでしょうけど。

お礼日時:2010/06/11 03:49

まあ漫談ですが。



日本の降伏下手は日露戦争のときからでして、これは軍上層部が国際法に則った降伏の仕方を、教育していなかったことにはじまります。ロシア側は日本兵の捕虜が尋問に素直に応えるので、かえってニセ情報ではないかと思ったほどです。
基本的には、国籍、氏名、階級、軍籍番号だけのべればいいのですが。

降伏することも任務の内であり、降伏して捕虜になれば相手に食料、監視の兵力を使わせることを強要します。また、降伏を認めないと、士気が下がります。降伏した軍人を卑怯者呼ばわりするのは日本軍の悪癖で、捕虜生活から帰っても近所の目が冷たいわけです。

日本側がバンザイアタックしてしまうのは、このような風土があり、東条が戦陣訓なとという物を広めてしまったこと、そして味方の増援や武器弾薬食料の補給が断たれて絶望状態に長くさらされてしまった結果でもあります。しかも、太平洋の場合は孤島で、陸路退却もできないという絶望感が加わります。

補給が断たれるとういのは軍隊にとって致命傷で、退却、ないし降伏というものを視野に入れるのが普通の判断です。スターリングラードのドイツ6軍がそうですね。
しかし、日本の場合は内閣総理大臣が命令として、生きて虜囚の辱めを受けず、などと言っているので、上級司令部に「降伏したい」と言えないのです。

太平洋戦争の開戦半年は、実質「敵のいないところに正規軍で押し入った」ので、連合軍が玉砕を選んでも、結果は変わらないと思います。
日本側が降伏可能であったとしても、死傷者が減るだけでしょう。

ただ、捕虜生活に、欧米と日本は雲泥の差があります。
欧米の兵が降伏し捕虜収容所にいれられても、そこでもキチンと軍隊生活は維持され、最先任上級将校が指揮官となり、外務(管理している敵軍との交渉・赤十字との交渉)、内務(衛生、居住環境の維持。食料分配の管理)、医務、法務、などキッチリと組織します。
日本はこれができず、江戸時代の牢屋のように牢名主が好き勝手やるような風潮がありました。これは、降伏後どうするかの教育をしていなかった弊害です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
餓島とまで言われたガタルカナルの戦いや、奇跡の撤退などともてはやされるキスカ島撤退作戦、いずれも、降伏を認めないが故の悲劇でありファインプレイですよね。

お礼日時:2010/06/11 03:39

>連合軍側が玉砕するまで絶望的な抵抗を続けた場合


日本の無条件降伏が早まっていた。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そう思うのですが、具体的にどのあたりでどのような展開の元に・・・というのが予想されますかね。

お礼日時:2010/06/11 03:15

前提条件が彼らの価値観からしてありえないのではありますが、まあ仮にそうだったとしても戦争の帰趨そのものには影響を与えなかったと思いますよ。


欧米人の降伏っていうのは、我々日本人の考える降伏より相当しぶといです。できる限りのことはやりつくし、矢尽き刀折れてもう他に術がないというところまできてようやく降伏します。そんなに簡単に降伏しないんですよ。はっきりいって、逆境に対するねばり強さは日本人の何倍も上です。
日本人が考えている以上に欧米人の思想っていうのはマッチョで、やれることをやりつくさない奴は「臆病者」ととてつもなく批判されるんですよ。アメリカで、「臆病者」のレッテルを貼られると男扱いしてもらえなくなるんです。マッカーサーが「アイシャルリターン」に異常なまでに固執したのも、もしリターンしないと「逃げた臆病者」で終わるからです。
日本軍は、絶望的状況になるとバンザイ突撃をして玉砕したがります。はっきりいってストレス耐性が低いんですよ。「あーもうダメだ」となると「もう突撃して楽になろう」と思うんです。捕虜にはなれないから、もう死ぬしかないというわけです。
それに比べると、アメリカ人は本当に他に手段がない限りは、他に手段はないかと考えて手を尽くそうとします。太平洋戦線でも、日本軍がバンザイ突撃をせずにねばり強く抵抗したのはペリリュー島と硫黄島くらいで、沖縄戦のときも、ねばり強く抵抗しようとする参謀と「グダグダしたことやってないで一気に突撃して潔く散るべし」という参謀との間で深刻な対立を招いています。

>また逆に、日本軍が「常識的な」レベルで降伏を認めていたらどうなっていたと思われますでしょうか

これへの回答もシンプルです。無駄な死傷者が出なかったことでしょう。

この回答への補足

お礼の「もちろん勝敗に影響を与えるなんてことはありえないと思いますが」というのは、
太平洋戦争全体の結果の話です。

補足日時:2010/06/11 03:12
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もちろん勝敗に影響を与えるなんてことはありえないと思いますが、例えばジャワ攻略戦での蘭軍は相当あっさり降伏してませんか?また、マニラやシンガポールで泥沼の市街戦に持ち込んでいたら・・・などと考えるとその後の展開が色々変わってきそうな気がしたので、色々ご意見を伺ってみたいと思った次第です。

お礼日時:2010/06/10 15:31

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