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少年犯罪が起きるだびに耳にする人権。
そもそも人権って本当に皆が「持っている」ものなのですか。「持っている」ことをきちんと証明することはできるものなのでしょうか。

私は生まれたばかりの赤ちゃんには「ない」ような気がしますし、他人の人権(生きる権利とか)を奪ってしまった人には「なくして」しまうべきもののような気がします。
と考えると、人権って最初から「ある」ものじゃなくって勝ち取っていく、または育てていくもののような気がします。あと、義務を遂行している人には最大限「ある」けどそうじゃない人には少ししか「ない」とか?

そうじゃないと結構不公平なものだと思います。
おばかな質問かも知れませんが分からない人って多いんじゃないでしょうか。全く勉強したことがないのでわかりやす~く教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

momonjoさんは人権という言葉をどのように捉えてらっしゃるのでしょう。


これは単なる決まり事に過ぎません。
人は右で車は左、あるいはお酒は二十歳になってから、と同じです。
天とか神とかが無条件に与えてくれるものならば、
わざわざ憲法という法典に明記する必要も無いはずです。
フランス革命の「人権宣言」は
「最高存在の面前で、かつその庇護の下に」発せられたとありますが、
この「最高存在」とは新興宗教のご神体みたいなもので、
革命の指導者たちが考案した人口神に過ぎません。
バモイドオキ神と同じようなものですね。

そして憲法ですが、これが国民の「権利と義務」を宣言した
ものであると考えているのであれば、それは誤解です。
これは国家への禁止、命令に関する条項、つまり国家の義務を
基幹としたもので、国民の義務に関する条項などはいわば蛇足です。
ですから基本的人権は‘国家によって’「妨げられない」「与へられる」もの、
言い換えれば「人権」という概念は公対個、公権力対私人という
局面でのみ表在化するものなのです。

簡単に言えば、私人Aが私人Bの人権を侵害や蹂躙など出来ない。
出来ない、というか概念上それはあり得ないことなんです。
例えば私人Aが私人Bを殺しても、それは私人Aによって私人Bの
人権が侵害されたことにはならないのです。
これは人権問題ではなく単なる刑法上の問題です。
一方、殺人の容疑で私人Aが公権力によって身柄を拘束されれば
当然そこからの処遇は人権に関わる問題となります。

これを不自然に感じる人は多いと思います。
よく「被害者の人権派はどうなるのだ」という疑問が発せられますが、
この疑問自体が人権についての根本的な誤解に基づいています。

人権が「天から与えられる」「全人類の普遍的権利」であり、
それが何かしら超越的なものによって保障されるもの、
とでも解釈しているのであれば、
そんなもの赤ちゃんも老人も「持ってない」し、
「持っている」ことを証明など出来るはずもありません。
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この回答へのお礼

たくさんの回答ありがとうございました。
ここでまとめてみなさんにお礼を述べさせていただくことをお許しください。
私には良回答のポイントをお付けすることすらできませんでした。自分の考えに近いものを良しとすることになりそうだったからです。(それではイヤ)

それにしても圧倒的に勉強不足を感じています。人権の概念そのものがはっきりと分かっていませんでした。なにか根本的に間違っているのではないかとは思っていましたが…
人権に対する考え方が一通りではないことも実は驚きでした。こういったことはもうすでに「定説」のようにひとつのまとまった捉え方があるものだとばかり思っていました。

正直言って疑問がすっかり晴れたわけではありませんが、このページと参考サイトはきちんと保存して
これからも何度も読み返していきたいです。
考え続けることが大事なんだと自分に言い聞かせて…(頭悪い人間のいいわけ?)

お礼日時:2003/07/13 00:14

#9さんとは若干見解が違うのですが:



>日本国憲法第11条に、「国民は、すべての基本的人権
>の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基
>本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、
>現在及び将来の国民に与へられる。」

この解釈についてなのですが、

>これはどういうことかというと、国家が国民に対して
>「基本的人権を保障します」という約束事なのであっ
>て、人権が「ある」とか「ない」とかいうことではな
>いのです。

憲法の条文を素直に解釈すると、「基本的人権は・・・与えられる」と書いているだけで、「国家が」という言葉は出てきません。英語で言うと主語がないわけですが、もともと憲法の原文は米国人が考えたもので英語だったはずです。英語で主語がない場合、主語は「神」であることが普通です。つまり、生まれつき持っているもの、と言うことです。
そもそも、国家が与えなくとも「侵すことのできない永久の権利」なのですから、与えられる必要はないのです。これは、多分憲法原文の誤訳で、givenを「与えられる」としてしまったのではないかと思います。気を利かせて「保持する」とでもしておけば、このような解釈の齟齬は生まれなかったのですが・・・。

憲法の理念としては

・まず「犯すことのできない永久の権利」としての基本的人権が存在し
・日本国憲法はその存在を確認する意味で記録している。

であると考えます。決して、国家から与えられたものではないと考えます。
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現代は「人権」というものが当たり前にあって、余計にその存在意義を認識できないのかも知れません。



「人権」という概念の発祥は以外に新しく、1789年にフランスで結実したもので、その概念が世界的に普及していったのです。
知っておられるでしょうが、日本では戦後に制定された現行憲法で初めて取り入れられられたのです。

>そもそも人権って本当に皆が「持っている」ものなのですか。「持っている」ことをきちんと証明することはできるものなのでしょうか。

日本国憲法第11条に、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と明記されています。
これはどういうことかというと、国家が国民に対して「基本的人権を保障します」という約束事なのであって、人権が「ある」とか「ない」とかいうことではないのです。

つまり、
>私は生まれたばかりの赤ちゃんには「ない」ような気がしますし
ということではなく、生まれたばかりの赤ちゃんにも基本的人権を国家が「保障する」ということなのです。

刑法の条文を読めば、法律は「○○してはいけない」というふうには書かれていません。「○○した者には××の刑罰を与える」という具合になっています。
例えば、殺人罪を例にあげたとして、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する。 」という具合です。
法律は「人殺しはいけないことだ」という曖昧な理由に罪を科すのではなく、「憲法で定めた人権を侵した」ことに対して罪を科し、罰するのです。

>人権って最初から「ある」ものじゃなくって勝ち取っていく、または育てていくもののような気がします。あと、義務を遂行している人には最大限「ある」けどそうじゃない人には少ししか「ない」とか?

歴史的には人権とは「勝ち取ってきたもの」であると言えるでしょう。人間の歴史とは良くも悪くも「権利獲得」の歴史ということもできます。


長崎の事件などの凶悪犯罪が怒るたび、私も理不尽な思いにかられるます。個人的にはこういった凶悪犯罪者には「人権剥奪の刑」にすればいい。とか思うこともありますが、それは一個人の感情の問題であって、本当に国家がそういう措置をとったとすれば大問題だと思います。

とは言え、凶悪犯罪の抑止は、人権保障の面からも絶対必要なことだと思います。
ここからは私の考えなのですが、子供(何歳までを「子供」と規定するかの問題もありますが)を殺害した場合の刑罰は特に重くする必要があり、子供を殺害した場合の罪状に関しては少年法の適用範囲外として特例的に扱ってもいいのではないかと思います。

またそれとは別に、終身刑の創設と、懲役刑の強化も必要だと考えています。

懲罰を強化すれば犯罪がなくなるとは思いませんが、それを差し引いて考えても、現在の刑罰は余りにも手ぬるいと思います。
国家は人権保障を掲げているのであれば、生存件という人権を侵害した者には徹底した処罰を科すべきだと、私は考えます。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1503/ …
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そもそも無いのだと思います。

日本国憲法など、あたかも天から授けられた権利などと、自然法思想に入り込んでしまうのですが、実証されないばかりか、それは歴史や世界を見ればまったく逆の実証がされますね。

結局のところ法規範を国家なり、誰が制定しなければ人権もありえませんし、それを保護することさえできません。

人権にも内容はいろいろあるでしょう。実際に刑罰においては、自由や生存など、その一部が制限されているわけです。

人間に対する人権はいつから始まるかについては、それぞれの法によって異なります。たとえば民法においては出生をもって民法上の権利を得ますが、相続の権利は胎児も持っています。近年、受精卵を用いた医療や実験が話題になりますけども、受精卵の扱いについても法の規制がかかりだしましたので、一部の人権は受精卵の段階からあるということになります。
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人権といっても、その中にはたくさんの権利が含まれていますね。


ここでは「生きる権利」注目しているようなので、その前提で。

ほとんどの人権は義務とのトレードオフでしか手に入れる事が出来ません。

ただし、「義務を果たすことで権利が獲得できる」場合と「権利を主張するからには義務を果たす必要がある」場合があります。

「生きる権利」に関して言えば「権利」が先に存在し、「義務」は後から課せられるものと考えます。
そして、「生きる権利」を得るために必要な義務(たくさんあると思われる)の一つに「他者の生きる権利を侵害しない義務」があると思います。

しかし、「他者の生きる権利を侵害した人」の「生きる権利を奪う権利」は誰が持っているのでしょうか?

難しい問題です。

そこで私はこう考えます。
「他者の生きる権利を侵害した人」が「生きる権利」を主張するためには、より多くの義務を負わねばならない。
そこで課せられる義務は「反省」であり、「償い」であり、「なんらかの人権を一時的に剥奪されて生き続ける義務」であろうと。

少年犯罪に関して言えば、「他者の生きる権利を侵害しない義務」を教えなかった親や教育機関に関しても「反省」、「償い」、「なんらかの人権を一時的に剥奪されて生き続ける義務」を課すべきだと思っています。

少年犯罪関しては「犯罪を犯した少年だけを罰する」と言うだけでは根本的な解決にはなり得ないでしょう。
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人権は、国家から国民全員で勝ち取ったものなので、国民全員が等しく持っています。


人権を国家から獲得するための戦いは、主にヨーロッパで戦われたんですが、昔のヨーロッパの領主は例えば初夜権なんて権利を持っていて、領民が結婚する場合には、新婦の初夜は領主のものでした。
こういう、一部の特権階級である王様や貴族=国家に対して国民が勝ち取ったのが、人権なので、犯罪者の人権であっても必ず守るようにしなくてはなりません。
そうでないと、国家は憎らしい相手を犯罪者にでっち上げて人権をはく奪することが、できてしまうからです。
もちろん生まれながらに人権があるなんてのは、幻想に過ぎません。人権は我々が国家権力から勝ち取ったものなんですから、犯罪者の人権は必要ないといっているような人々は自らその成果を手放そうとしている愚か者ということになります。
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人権は、はじめからあるものです。


生まれてすぐの赤ちゃんにも、死にそうな老人にも、あります。
日本国憲法は、はじめからある人権が「ある」ということを確認の意味で書いているに過ぎません。

と言うのが一般的な人権の解釈です。

なんでそんなものがあるのか?と言うのは歴史を紐解いてください。

犯した罪に応じた刑罰を与えるのは裁判所がやっていることです。
死刑については、別に「人権を剥奪する」という決定を裁判所が下しているわけではありません。単に、罪に応じて「死を持ってそれを償え」という命令を裁判所が下しているに過ぎません。
死刑執行直前の死刑囚にも人権はあります。人権はあるけど、国家権力に殺されるだけです。死ぬ寸前まで人権はあります。
まっとうに生きている人でも、家に突然悪漢が飛び込んできて殺されることもありますよね。それと同じです。

なぜ悪い人の「人権をなくして」欲しいんでしょうか?別に人権をなくさなくても、相応の罰を与えることは可能だと思いますが。
国家権力が人権を自由に剥奪したりできるようになったら、あなたもある日突然人権を剥奪される可能性があるんですよ?たとえば、政権と違う思想を述べたら「おまえは危険だ」といきなり殺されたり。冗談ではなく、戦争中は実際にあったことです(「治安維持法」って知ってます?)
今の日本では「小泉さんはダメだ!」といっても、殺されるなんてことはありません。それは、人権が保障されているからです。そして、誰にもそれを奪ったりできないからです。
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とても極端な言葉に代えてしまえば「人を殺した人を殺してもいいか」ということですよね?


そしてソノ人がいかなる情状であっても、あるいは判断する能力が無くても。
やはり人権は万人に平等にあるべきだと思います。守られるべきだと思います。
また、少年犯罪などは「更生させる」という希望を第一にしていますし、それでいいのだと思います。
ただしその法を利用して悪事をする少年がいれば別と思います。ですからココをしっかり見極めてもらうしかない。ですね。
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赤ちゃんにはあるでしょう。


赤ちゃんを殺されて器物破損ではすまないでしょう?

「罪を憎んで、人を憎まず」これで合ってたっけ・・・
特に今回のような少年犯罪場合には、
犯罪を行った本人よりも、家族とか学校の先生、近所の人といった周囲の大人たち、社会に責任があると思います。
もっとしっかりした教育を受けることができれば、こんなことにはならなかったでしょう。
少年もかわいそうな被害者なのです。

考え方が古いかな?

人権は人としての最低限の権利です。
それ以上の権利は自分で勝ち取っていかなければなりません。
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 人権があることと、命を守ること、一部の人から「生きる資格がない」と考えられること、これらはすべて別のことです。


 基本的人権は憲法によって認められていることです。だから少なくとも日本人は生まれたときから人権があります。憲法に書いてある条文が、その証明です。
 赤ちゃんは一人では生きられませんし、弱い存在です。それは人権がないのではなく、一人で生きていく力がまだない、ということに過ぎません。家族や社会が守ってやっていくべきものです。
 「人権を無くしてしまうべきだ」という人に対して判断を下しているのは裁判所です。極刑こそ、一個人の人権を奪う合法的行為です。
 それ以外に、「登山途中一人しかぶら下がれないロープに2人つかまっている場合」とか「船が大破して一人分の浮力しかない板きれに2人つかまっている場合」とか、正当防衛である場合とか、特殊な場合はありましょうが、好んで積極的に奪っていいものではありません。
 何かの被害にあって「殺してやりたい」と思うことがあっても、そうせずにいられないことと相手に人権がないこととはイコールではありません。
 私は今のところこういう考え方に従っています。
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