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テレビニュースを懐疑的に見る人と真に受けて見る人、どちらがまともですか?

最近、TVニュースを懐疑的に見ています。

この見方、まともですか?

それとも真実を報じているに違いない、と決めつけながら見る人の方がまとも?

ご教示を

A 回答 (9件)

どちらもまともではありません。


複数の情報源から総合判断することが「まとも」だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに

お礼日時:2010/07/04 00:42

TVのニュースだけですべてを判断するのは危険でしょう、マスコミがむちゃくちゃなのは、あなたもなんとなく感じているはず。



色々な情報から自分で客観的に判断する必要があると思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃるとおりです

お礼日時:2010/07/04 00:43

事実(実際あった事)は聞き入れますが、それ以外のコメンテーターの私見は聞き流す


でしょう。どちらかというと、後者の方に時間が割かれているのが問題ですが。

TVは観ないですね。民放は淘汰されるべきだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

コメンテーターって偏り過ぎのコメントしますよね

お礼日時:2010/07/04 00:44

普通の人は、ニュースを真に受けていると思います。

それは、ニュースなどのテレビ以外から情報を得ていない人が多いと思うからです。

何かニュースの言っていることはおかしいと懐疑的になる人は、ニュース以外からの情報を知っているからでしょう。そういう情報も無いのに懐疑的になる人は、単なる性格的に疑り深いだけです。

ニュース以外の情報やその他の知識を合わせて考えると、このニュースは明らかにおかしいと思うのは、一部のインテリですね。

普通の一般人は、ニュースを真に受けて、すぐにそのニュースのことを忘れてしまうというのがほとんどでしょう。

世論調査などを見れば、マスコミの言いなりになってしまっている人がほとんどということが推測できます。

要は、ニュースを信じるかどうか、その裏づけがあるかどうかですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>世論調査などを見れば、マスコミの言いなりになってしまっている人がほとんどということが推測できます。

同感です

お礼日時:2010/07/04 00:47

テレビ局の視聴率とスポンサーの意向が最優先されている結果でしょう?


嘘はついていないのですが、テレビ局の思惑通りに視聴者が感じる様に、思惑に合った所は誇張して流し、思惑以外の所は割愛している様に感じます。
また、コメンテーターの質が落ちてますね、私もある専門の知識が有りますが、もう少し勉強してコメントしてほしいと(ピンボケ)思う時があります、責任をもって発表してほしいですね。 コメンテーターもテレビ局の意向を感じて、意に沿う様な発言をしているのでしょうか?
視聴者も、他の局のテレビニュースや色々な新聞、ネットの情報を総合して判断する事が必要です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> コメンテーターもテレビ局の意向を感じて、意に沿う様な発言をしているのでしょうか?

全くその通りだと思います


テレ朝の夜の古館さんのニュース番組は、時にねつ造編集報道までいたしますから・・・・
怖いですねぇ

お礼日時:2010/07/04 00:53

 現代のこのあふれるほどの情報量の前にして私達一人一人が出来ることは、自分に必要な部分だけを取り出し、そこからそのニュース内容やソースの真贋を見極めることでしょう。



 テレビや新聞に出たからといって、それが全ての真実を伝えているかといえば、それはちょっと首を傾げざるを得ません。一部のドキュメンタリや特集を除けば、新聞やテレビにしてもそれぞれがきちんと取材し分析評価した後、ニュースとして社会に流していることは多くはないでしょう。地方新聞などはもうご当地情報誌でしかなく、紙面のほとんどは大手から購入したニュースかあるいは他愛もない地元ニュースや広告であって、まるで小学生が作る学級新聞そのままです。

 他者からの購入、模倣、パクリ、推測、思い込み、密告などなど、ニュース記事を作り上げるためのソースも多種多彩です。でもこれは実は今も昔もそうは変わらない実情なのですが、今と昔で大きく違っていることがあります。それはマスコミに働くあらゆる人間たちの質です。

 もちろん人間の本質的な質という意味ではなく、マスコミ人という意味での質です。現代のマスコミはあまりにも右へ倣え的な迎合主義が強すぎます。さらにいい意味での冒険主義や反権力的な姿勢もますます希薄になるばかりです。ジャーナリストという言葉が白々しく聞こえてきます。

 とくに政治家や官僚などへのインタビューをテレビで見るときに、その気持ちが一層強くなります。たまに政治家たちの痛いところを突きかけても、ちょっと恫喝されたりしただけで口を閉ざしてしまうし、さらには赤子の手をひねるように簡単に話しをはぐらかされてしまいます。自分ならそこをこう言って追い込んでやるのに、なんてテレビを観ながら地団太を踏む人たちも沢山いるのではないでしょうか。会見場で聞こえるのは記者たちの鋭い突っ込みではなく、ひたすらキーボードを叩く機械的な音だけです。

 その音は「どうだ、おれたちってこんなに早くキーボードを打ち込めるんだぜ。すごいだろう」なんて、他愛もない自慢にしか聞こえません。結局彼らは記者ではなく、右から左にお仕着せの情報を運ぶ単なるメッセンジャーボーイでしかないのです。

 さらにテレビニュースの弊害は、過剰なくらいのCM至上主義でしょう。CMのためならたとえどんな重要な人物の価値ある話であっても、容赦なく叩き切ります。その姿にマスメディアとしての覚悟や誇り、責任感はありません。

 
 テレビ新聞ネット週刊誌などなど、情報を入手できる方法は多種多様です。私たちが出来ることはそれらの量に振り回されず、ひとつひとつのニュースに対して常に公平な目を持てるようにすることでしょう。
 
 結局私達個人が取捨選択するしかないのです。そのためには私たちがもっと世の中の仕組みや人間がもつ多彩な面を知識として吸収し、さらには経験することが必要なのかもしれません。  
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ジャーナリスト、と云うと聞こえが良いですが、実態は(マスコミの)ご都合主義者、メッセンジャーボーイになりさがってますよね

お礼日時:2010/07/04 01:01

そのような考え方を「情報リテラシー」とよびます。



テレビが、新聞が、報道が、という前にそもそもすべての情報は、誰かが取捨選択し、誰かの目を通して描かれたもの、であることを認識する必要があります。

たとえば、ある国の首相がめがねを掛けた所を捕らえて、

A:首相はわれわれの質問に答えるために、わざわざめがねを掛け、一度文章を確認するしぐさをして、もったいぶって説明した。

B:首相はわれわれの質問に答えようと、めがねを掛け、一度文章をしっかり確認してから、ゆっくりとした口調で説明した。


どちらも同じ首相の言動を捉えた内容ですが、Aは首相の言動を批判的(意地悪)に捕らえており、Bは好意的に捕らえているように感じると思います。これはその場にいる記者などが、どのような気持ち・態度で発言を捉えるか、ということに尽きます。

またテレビではある事象を説明するのに、本来するべき説明を省く、ということも行います。うそは言っていないのですが、説明があるかないかで意味がまったく逆になることもおおいものです。

「真実」というのは難しいものです。どのような場合でも、その人の見た目と考え方でしか「真実」の断片は切り取ることはできないものですし、完璧な真実の再現はありえません。

ですからニュースに限らず、すべての情報を「真に受ける人」は情報リテラシーの低い人、どのような立場の人が伝えようとしているのか、どのような視点で報道しているのか、違った角度からの情報は無いか、など検証しながら見るのが情報リテラシーの高い人だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃるとおりで大変参考になりました

お礼日時:2010/07/04 01:04

>最近、TVニュースを懐疑的に見ています。


>この見方、まともですか?

まともじゃない。
そこまでしてニュースを見るような人は異常。鹿児島で豪雨という映像ニュースがあって、それを懐疑的に見るような見方は異常。巨人が2-1で勝ったというニュースを懐疑的に見るような見方も異常。


>それとも真実を報じているに違いない、と決めつけながら見る人の方がまとも?

まともじゃない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

鹿児島で大雨が降った
どこそこで交通事故があった
東京で殺人事件があった
マツダで殺傷事件があった

そんな事象を懐疑的に見る人はいません



質問の趣旨としたら、主に政治関係と見るのが常識的でしょう

お礼日時:2010/07/04 01:10

  あなたが「ニュース」と表現されている事柄をどのようなものと理解されているでしょうか?


テレビに限らず新聞や時事雑誌など、いわゆるジャーナリズムと呼ばれている情報媒体の記事についてはどれも同じと思いますが、通常何気なく「ニュース」と言っている記事(テレビも言葉や画像による記事と言って良いと思います)には二つの意味を含ませて言っていると思います。一つは「報道記事」であり、今ひとつは「解説記事」と言われているものでしょう。

  「報道記事」については「事実」を読者に伝える事にその使命があるとされていますから、その情報媒体側が殊更に内容を改竄したり、脚色したりということは出来るだけ避けるでしょうね。ただし、内容にも「見落とし」「調査不足」など精度に欠陥を含んでいることは良くあると思います。また、その「ニュース」の価値や重要性、緊急性等はそれぞれのジャーナリズムの判断によりますから、取り上げる大きさや、報道するタイミング等に機関ごとの差が出来ることになります。A社では大きく取り上げたがB社では没になった、ということも起るのではないでしょうか。

  こういう点を考慮するとあなたのご質問への回答ですが、報道記事については、

  (1) 各社とも「内容は正確に書こう」と努力していると考えるべきでしょう。しかし、人間の努力の範囲ですから100%完全を期すことは無理である。
  (2) その記事の扱い方(大きさ、緊急度など)は各社の考え方で判断されるので、読み手側のそれらの判断とは差が出来る可能性が大きい。

と言うことではないでしょうか? これを「真に受ける」「懐疑的に見る」という区分で表現することにはなじまないと思います。


  「解説記事」については、ジャーナリズム個々に持っている「思想信条」があり、従って、解説記事にはこの思想信条の差がかなり大きく影響します。A社ではXの立場で解説しているが、B社ではYの立場で解説している、と言うことは良くあることです。読売新聞は右寄り、朝日新聞は左寄り、などは世間周知のことですね。しかし、これとても「真に受ける」「懐疑的に見る」などというような性格の事ではないと思います。要するにどちらも自社の信じる思想信条から見て「こう考える」と言っているわけで、読者を殊更だまそうとはしているわけではありません。


  あなたへの最終的な私のアドバイスです。
  ジャーナリズムの記事をどのように読み解くかは、個々人の知識・知性に依存しており、そこから何を得るかには何の規制もありません。従って、「真に受けるか」「懐疑的に見るか」は完全に個人の自由です。どちらがまともか?などと考えるようなことではありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

大変参考になりました

お礼日時:2010/07/04 01:16

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