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>世の中一番怖いのは無視されることだ。

年々歳々この命題が質量増大しているような気がします!

若いころは、世の中から必要とされなくなることが怖いことだと思っていたんですがね、最近、少し成長して、本当は無視さえされなければ必要とされなくても良いことが理解できるようになりました。

世の中を見てみると、この二つが峻別できずに、無視されなければよいだけなのに「必要とされている」はずと自分自身をも騙し、爺になっても会社の役職などに執着している見苦しい御仁がいらっしゃるな。迷惑だね。

どうやっても必要とされず、同時に無視されていると感じてしまった可哀そうな人がいて、その人は秋葉原で無差別殺人することで、「無視される状況」から脱出しようとしたんじゃないかな。その人もこのサイトを見つけて、言いたいことを発言しておれば、お慈悲を持って回答を寄せてくれる方もおるでしょうから、無差別殺人などしなくても済んだのにねぇ。

ゲマインシャフト、つまり共同社会が機能していた時代には、息子夫婦と同居して、孫もいて、地域にはガキの時代から知っている親友、悪友がいて、自分よりも年上の菩提寺の住職は自分が子供の頃の話を聞かせてくれたりして、とにかく、社会から無視されているという事実と直面することはあまりなかった。ところが、ゲマインシャフトが崩壊して、人生の一時期だけ強く関与するゲゼルシャフトに全身全霊をささげてしまった爺は(その点、婆はまだ良い)、退職、引退を機に、一切のしがらみから解放されると同時に宇宙の孤独を感じざるを得ない状況におちいる。

人類の福祉を考える時、人の半分は爺になり、残りの半分は婆になるわけですから、この人たちが「無視されていない」という感覚を持ち続けることが一番重要なのかもしれない。

昨今の様にコンピューターアプリケーションが進歩してくると、くだらない質問にはくだらない回答を寄せ、まともな質問にはまともな回答を返すコンピュータアプリケーションも作れるようになるのではないかね。国が税金で大規模なコンピューターシステムを構築して、現実の社会から無視されている爺たち、婆たちの質問を受け付け、無人で適当な回答を返すしくみですね。このコンピューターアプリケーションにはある判定ロジックが組み込んであり、そのロジックが反応した場合だけは有人回答ルートに回るようにしてある。ロジックにより、プログラム回答では不十分と判断されるような質問を選ぶわけだな。

暇を持て余すと同時に、誰も話を聞いてくれない世の爺たちは一所懸命に質問を投稿し、返ってきた回答がプログラムによる自動回答か有人回答かに対して一喜一憂することになる。つまり、このシステムの利用初期の段階では、プログラム回答を得た場合よりも、有人回答を得た場合に「無視されていない」と感じている訳だね。

ところがコンピューターアプリケーションにも学習の機能が付いており、初期には有人回答に回さねばならなかったような質問も段々とプログラム対応可能となってくる。そのうち、100回ぐらい質問してもすべてコンピューター回答であしらわれる人も出てくるでしょうね。それが普通になる。

その頃になると、回答がプログラム回答か、慈悲を持った人による有人回答かは判別困難になり、また問題じゃなくなる。結果、コンピューターに向かって質問を投稿し、プログラムによって生成された回答を読むことで、孤独を癒し「無視されてはおらんのじゃ」という麗しき誤解をもちつつ、死を待つ老人たちで一杯になるでしょう?

世の中が豊かになり、老人福祉で食う、寝る、や、医療が満たされるようになると、最後に「老人の相手をする」という福祉サービスが残る。これが実は労働集約的で手間暇かかるので、コストも一番懸かるでしょうね。やりたい人も少ないかもしれません。ですから、上記のコンピューターシステムに1000億円ぐらい掛けても国としては費用対効果が高い。

このような世の中がくるのでしょうかね。

A 回答 (27件中21~27件)

YES

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この回答へのお礼

Thank you for your answer.

この回答とお礼の例は、コンピューターがプログラム回答し、またこちらもコンピューターを使用してお礼をしている状態を模してみました。回答の言語に自動対応してお礼も英語になっているのがお分かりになるでしょう。

お礼日時:2010/07/08 10:39

 来ると思います。



 その先頭を、われわれ哲学カテファンは、走っているのではないでしょうか。
 そしてネット依存者も。

 そう思う根拠は、

 人間は自然環境の厳しさを拒否し、自身を守るために人工の環境を作り上げました。
 それはコンクリート環境。自然は植木鉢に依存しています。

 それから生きるために、商業社会を発達させました。

 だから現代は“経済”が人間の生存に大きな影響を与えることになりました。

 人間は生きるため、商業を発展させ、その商業は自らのために、大衆にメッセージを送り続けています。
 そのメッセージは大衆を心地よくさせ、大衆はその気になって、満足、満足。
 そのメッセージが、架空の、絵空事の、事であるかもしれないのに。

 ☆ 物質は現象そのものが事実。
 ☆ 心、精神は?????

 
 

 
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

コンクリート環境でコンピュータに相手をしててもらう老後と
木造環境で人間を相手に喧嘩したり、愛し合ったりする老後。

どちらを選びましょうか。

お礼日時:2010/07/08 10:59

福祉が充実してくれば、じわりじわりと、そういった需要が出てくるのは必然です。

誰しも現状に満足出来るとは思えないですから…

しかし優先順位として国家規模での福祉が充実してからというのが前提です。生活以上のことを望むというのだから、よほど国家経済が潤沢である状態でしかありえない。

ま、不可能じゃないですか

それに秋葉原での犯行が老人だったなら一人も死ななかったと思います。

結びつけは難しいですね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2010/07/08 10:55

きませんね


プログラム対応可能、、、血が通ってないですね。人の情など何もない無機質な感がします

情があって情報といいます。
わかりやすく書くとこういうことです。
 まぁ、隣近所仲良くという世間もありますよ。私の周りには。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

拙者の時代にRPGといえばReport Generation Progamだったのですが、最近ではRole Play Gameの事だとか。
この小さなゲーム機に向かって真剣に対応している若者を観察すると、若者の興味、感情に対してはすでにコンピューター対応が実現していることが分かります。

老人の孤独を癒すプログラムは独立したゲーム機ではなくて、過去の質問や回答を蓄積した大規模なデーターベースを利用して回答をGenerateすることになります。
既に、ハーレクイン・ロマンスという商品ではコンピューターを使って血の通ったストーリー、人の情けなどを設計しているそうです。騙されて読んでいる人はほとんど気がつかないようですね。

お礼日時:2010/07/08 10:51

>年々歳々この命題が質量増大しているような気がします!



 それは大工さんの中で質量増大しているだけのような気がします!
 多くの人の命題ともなり得るとは想いますが。
 
 朕は単に無視されるだけなら全くと言っていいほど気になりませんが、誰かを揶揄するための釣り質問をしておいてブロックされていると腹が立ちますね。それは無視されたからというより、貶められたと感じるからでしょう。基本的に、例えばここでスルーされても相手に対して何も思いませんが、他者の目や相手の動機を考えると腹が立つことはありますね。相手に悪しき動機がないと解ればなんとも思いません。むしろ皮肉や中傷するようなことを言ってくるくらいだったらスルーされたほうが良いですね。

>最近、少し成長して、本当は無視さえされなければ必要とされなくても良いことが理解できるようになりました。

 一個人としてではなく、一般個人として機械的な対応さえされていれば満足という事でしょうか。
 もう少し成長すると無視される・されないということはどうでもよくなる時が来るかもしれません。
 仕事ばっかりで内面を成長させることをないがしろにしてきたのであれば、今からが重要でしょう。

>「無視されていない」という感覚を持ち続けることが一番重要なのかもしれない。

 木造さんも現役引退したら適当にあしらわれるだけになるかもしれないですが、適当に軽くあしらわれるくらいだったら一人でいたほうがマシだと想います。

 お墓はどうしましょう、作りますか?お墓を作れば死んだ後も適当に相手をしてくれるかもしれません。しかし意識されるのはせいぜい面識のある孫や曾孫の代まででしょう。石造100年となるのでしょうか。「骨を海に撒いてくれ」という人もこだわっているという点に関して言えば大差ないですね。

 究極的な強さというのは何もない誰もいない場所で一人穏やかな心境でいられることだと想いますが。

 どうもまだ自己実現されていないように思うのですが、どうなんでしょうか。

 拙者、目的遂行のためには他者に相手にされては困るのでござる、ニンニン。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

現役時代に自分が選択したゲゼルシャフトにおいて自己実現した。
ゲゼルシャフトから身を引く、つまり引退するタイミングでその「実現した自己」ってのが抹消される。

さて、ゲマインシャフトにおいて自己実現してきたのかと問えば、してこなかった。
だから、これから自己実現しなくちゃならないのですが、社会からは無視される可能性が高いでしょうね。

>究極的な強さというのは何もない誰もいない場所で一人穏やかな心境でいられることだと想いますが。
同感するところ大ですが、はたして「誰もいない場所で一人穏やか」という状態で、人間の「間」の部分を見たときに、人間的といえるかどうか。

お礼日時:2010/07/08 10:37

根巣の被害者が減るという意味で。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

根巣ってなんですか?
病巣?被害者と関連する者ですよねぇ、、、。

お礼日時:2010/07/07 15:59

トタンでできているけど構造自体はすばらしい家


黄金で出来ているけど構造は単純な家

仏陀は前の例を凡人は後の例をめざす。

高い材料を求めて生涯を費やしたが、防衛する力が衰えて宝石で出来た家は他者により解体されていく。

市場で調達したものは市場に還るのが道理ですから、市場原理主義を最高原理とみなす社会はスカスカしたものにならざるえない。
よって、「無視されてはおらんのじゃ」サービスと天国サービスは有望です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ゲゼルシャフトにつぎ込んだ汗と涙は一時的共同幻想であったと、退職時に気付かされますね。
一方、ゲマインシャフトはといえば、水もやらなきゃ肥しもやってこなかった自分がいて愕然とします。

ところで「天国サービス」てのはどんなものですか?
何処かで買えるん?

お礼日時:2010/07/07 16:00

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