電子書籍の厳選無料作品が豊富!

道徳経の四大について

道徳経の一文に、「世の中に四大有り」との記述がりますが、
「地」まではすっきりしますが「人」の所がすんなりきません。
すんなりこない理由は、私が
「天」=法則(例えば、形而上学)
「地」=理屈(例えば、工学や物理学)
と勝手に理解しているのですが、「人」はなんとなく、そんな
分類ができない気がしています。

この道徳経の一文は、ただ単にリソース(資源)として
(例えば、軍隊の戦略上重要な項目)
「天」=天候
「地」=地形
として考ええると「人」も大切なのは表現として妥当と思えますが
道徳経の内容としはおかしい(四大には「道」自体も入っているので)
理解と考えています。

これは「道」「天」「地」と同じくらいに「人」は大切なんだよ
という意味なんでしょうか?

私の考えが、今一つ深い所にたどりついていない感じがあり、
質問させて頂きました。

どなたか、お考えを教えていただけるとありがたいです。

A 回答 (2件)

天と地は、直感的に分かりますよね、天は超越的な存在で


なおかつ支配的なもの、神であったり物理(原理)であったり
するものでしょう。
それに対し地は、人の生きる基盤であり、生産であったり
環境(現象)であったりするもので。

我々が感じているのはこの2つなので、「天と地」と対比され
ますが、そこには主体としての「人」が先入化されています。
実用的に問題はないにしても、思想においては、そうした先入
要因の明確化は不可欠です。
そうして得られた主体「人」と、「天」や「地」を結ぶものが
「道」だと言えるでしょう。
天を知る物理、地を知る愛(生態系の循環~社会生命的自覚=
他我化)として。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答感謝します。

ご記述の内容、同感します。

「主体としての「人」が先入化」との西洋哲学的な内容を
あっさりと記述されている所が、またすばらしい点と
再認識致しました。

少し、もやもやが、晴れました。

ありがとうです

お礼日時:2010/07/20 14:35

老子というお方は変わった考え方の方なんですね。


仏教で言えば、人間はみな仏性が宿っているからその仏性を日々磨いてぴかぴかにしないといけない、それ故修行が大事と教えているわけですが、
老子は、人はみな本来仏性があるのだからあくせくせず、修行修行で悩みを作らず、ありのままでいれば良いではないか。という考え方なのですね。つまり欲を出さずに食べられる程度に生きればよいということですね。老子にとってはそれが自身を一番光らせる道なのですね。
天空と大地、その狭間にいる人はそのように生きるべきだというのが老子の教え、道ですね。
現代人には到底無理かもしれませんが、たまには時間を作って一人静かに休むことも大切ですよ。ということですね。
参考に
    • good
    • 0
この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

「無為自然」の思想には、私にとっては、ものすごく魅力があります。

>老子というお方は変わった考え方の方なんですね。

7年前に、道徳経を読み始めた時に、理解ができず、自分がものすごく
「あせった」記憶があります。

やはり文面通り、天や地と同じように、人間も大きな存在なんだ
との超越的な思想なのかもしれません。

お礼日時:2010/07/20 14:30

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!