

中世、近世のヨーロッパの王族の外出について教えてください。
この時代の王族(特に国王やその配偶者、王位継承者などの重要人物)は
自分の意思で自由に居城から出ることができたのでしょうか?
所謂お忍びの外出などあったのでしょうか?
また、どのくらい遠くまで外出することができたのでしょうか?
政治的な理由なく、国外に出かけることなどは可能だったのでしょうか?
外出が難しいのならば、どのような理由があれば外に出ると考えられますか?
出かける場合は護衛がいると思いますが、それはどの程度の規模だったのでしょうか?
質問が多くて恐縮ですが、わかる範囲でかまいませんので宜しくお願いします。
A 回答 (2件)
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No.2
- 回答日時:
ヘンリー8世の時代を小説で読んだだけなのですが(邦題:ブーリン家の姉妹)、16世紀イングランドでは季節ごとに宮殿を変えていたようです。
宮廷に出入りできるクラスの貴族も従えて、大所帯で宮廷ごと移動していたらしいですよ。No.1さんがおっしゃるように、伝染病を避けつつ。夏の離宮という言葉はロシアなどあちこちあるので、たぶんいろいろな国で冬と夏の宮廷の場所が違うというのはあったんでしょうね。クーラーもないし、伝染病も出るし、、、
それとこれまた小説で恐縮ですが、その父ヘンリー7世の時代、皇太子夫妻(王太子と言ったほうが正確なんでしょうか)が他の宮殿に行ったりして、当然こういうのは随行がぞろぞろと付くわけですが、移動はあったようです。
小説ですから細かい部分はフィクションですけれど、移動については史実でしょう。
滞在している城の外に狩に出かけたりもしたようです。お忍びではないですけど。
それとヘンリー8世は梅毒だったかもしれないと言われています。もしそうならば、梅毒をもらうような場所へ出かけていたんでしょうね・・・・・。また、そういう説が出てくるということは、娼婦に会えるような場所に王族が行く可能性があったということではないでしょうか。
スペイン(正確にはカスティーリャ=アラゴン連合)はレコンキスタをやっていたので移動ばかりでしたが、その後もしばらく移動していて、王宮が定まらなかったり、遷都したりしていたようです。
たとえばキャサリン・オヴ・アラゴンこと王女カタリナ・デ・アラゴンは、アルカラ・デ・エナーレスの城(マドリードに近い)で生まれ、グラナダのアルハンブラ(南部のアンダルシア地方)で育ったようです。
カタリナの姉、カスティーリャ女王フアナは夫(外国出身のフィリップ)が亡くなった後、夫の棺と従者と共に、数年間(!)カスティーリャの各地をさまよっていました(「フアナ」でウィキペディアを見ると書いてあります)。
これがまた「狂女王」と呼ばれた彼女のイメージを強めているんですが、実は埋葬場所を求めつつ、伝染病を避けて移動していたためではなかったか、という説もあるようです(ホセ・ルイス・オライソラ著の伝記で読んだ)。
昔の王族は居城が一箇所に固定されず、意外と移動していたんだな、という印象があります。
18世紀フランスのルイ15世はヴェルサイユ宮殿に住んでいましたが、ヴェルサイユの森にある鹿の園ってところに行ってたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E3%81%AE% …
ネット上の個人旅行記などで調べてみると、ヴェルサイユの森は宮殿の周辺らしいので、遠いところじゃないですね。
しかしヴェルサイユ自体が広いので(ベルばらを見ててもそうだったな)、離宮など宮殿周辺も含めて見学するんだと1日がかりだそうです。ホームレスも住んでいるんだとか。
具体例をあげて頂きありがとうございます。どれも興味深く読ませていただきました。
ヘンリー7世の皇太子夫妻の話は、ヘンリー8世に関する小説で私も読んだことがあります。
鹿の園のルイ15世は名を伏せて訪れていたと書かれていますが、流石に梅毒をもらうような場所へ行くのはお忍びだったのでしょうか…。
今思いましたが、お忍びってくらいですので、あまりやましい記録は残っていないものなのでしょうか。
No.1
- 回答日時:
各自回答しますと
(1)王族(特に国王やその配偶者、王位継承者などの重要人物)は自分の意思で自由に居城から出ることができたのでしょうか?
地域によって違いますが、たとえば、イタリアの都市国家における有力者は、都市から出ることはなかったでしょう。
ドイツ・フランスなどの地方では、巡察などの大義名分で出入りしていたようですし、なにより教会に赴く都合で居城から出ることはそれなりに多かったはずです。
(2)所謂お忍びの外出などあったのでしょうか?
推測の域を出ませんが、それなりに可能性はあったでしょう。
もっとも、厳しい外出制限などはないようですから、その必要性がないかもしれません。
ただし、伝染病の流行した地域などでは注意が払われていたとは言われています
(3)また、どのくらい遠くまで外出することができたのでしょうか?
せいぜい政治権力の及ぶ範囲までですが、宗教的理由からの外出は特例で範囲は無限に近かったようです。
(4)政治的な理由なく、国外に出かけることなどは可能だったのでしょうか?
中世において国外の概念はありませんから、回答できませんが、政治権力の及ぶ範囲に関しては(3)の回答で考えてください
明言しておきますが、中世・近世においては、現代的な国家概念がありません
(5)外出が難しいのならば、どのような理由があれば外に出ると考えられますか?
難しくないですが、いわゆる湯治・宗教儀式などの大義名分は案外、通るはずです。
(6)出かける場合は護衛がいると思いますが、それはどの程度の規模だったのでしょうか?
規模は権力の大きさに比例しますし、外出者の意向によります。
これらに関しては、文学作品などから摘出した話もありますが、様々な文献から総合して考えた私見ですので、参考までに
わかりやすい回答ありがとうございます。
割と自由だったのですね。
権力者なのだから、外出を止められる者もいなかったのでしょうか。
文学作品などで得たイメージなのですが、暗殺が多かったようですので、権力者が無闇に出歩くのは危険なのでは?と思ったのです。
もっとも小説などはドラマティックな部分を特に題材にするでしょうから、実際はそう多くもなかったのかもしれませんが。
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