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私の年齢は30代後半です。国鉄の分割民営化直前は長崎県北部の中学生でして、なかなか国鉄を利用する機会はありませんでした。

国鉄の分割民営化の原因となったのには国鉄の労働組合の存在があると言われています。
もっと詳しく聞いてみたら、民営化前の職員は意識が低かったと聞きます。

ここでお聞きします。
実際に職員の方の意識の低さというのは、当時の国鉄を利用していて感じましたか?


社会人になって毎日のように東京都内をJRを利用していましたが、職員の方に対して不快に思ったことはありませんでした。電車が遅れることもほとんどありませんでした。(遅れた際は職員の方は誠実に原因説明をしてくださいました。)

数年前までドイツに長期滞在しておりましたが、(あの時間に厳格なドイツでも)電車が遅れることはザラで、乗客はそれが当たり前という感覚でした。(職員の態度は良かったですが。)

とにかく日本のレベルの高さを感じております。

A 回答 (8件)

わたしはJR発足時には大学生でしたが・・・



民営化以前の国鉄職員の対応を一言で言うと、
「客を客扱いしないどころか、憂さ晴らしの対象としか見ていない」
というところです。
私が国鉄の乗客だったのは小学生から高校生ぐらいまでですが、
子供相手には一層その傾向は強く、
なんの落ち度もないのに国鉄職員から怒鳴られたり詰問されたりした経験は数えきれないぐらいあります。

それは別として、大人に対する対応でも、私が現実にみた事例をあげると・・・

●新宿駅の小田急乗り換え口の窓口で
客「世田谷の船橋っていうのは、(小田急の)千歳船橋で降りればいいんですか?」
窓口の国鉄職員「知らねえよ」(はっきりとこう言いました)

●大船駅で、急行伊豆(臨時列車に付き短い8両編成)の扉が閉まった際に
客「えっ、これ伊豆号? 乗らなきゃいけなかったのに。」
駅員「短いって放送でいってただろ」(これもはっきりとこう言ってました)

お客に対しての言葉ですよ。信じられますか? でもこれが現実でした。
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この回答へのお礼

>お客に対しての言葉ですよ。信じられますか? でもこれが現実でした。

信じられません!

これまでの回答者さんは「プロ意識はあったが、、」「組織が縦割りで硬直化していたから、、」とある部分では職員さんの側に立った見方(要因分析)をされていましたが、こうなるとそういう見方も吹き飛んでいってしまいますね。

お店でもたった一人の従業員のいたらなさが、お店全体の評価となってしまいます。


「知らねえよ」「短いって放送でいってただろ」・・・これだけで、トラウマになってしまうには充分です。
民営化を推進された方には英断と感謝します。

お礼日時:2010/07/25 14:55

三度の回答、失礼します。



私鉄、といっても、いろいろな会社があり、いろいろな人がいます。
サービス面では、私にとっては、国鉄の次に悪いのが小田急、というのが印象でしたが・・・・
とはいえ、繰り返しになりますが、いろいろな人がいますので、一概には言えません。

運転面では、私が思い浮かべる車掌の姿は・・・

京浜急行に乗った際、列車が発車してホームを離れるまで、車掌がドアを開けたまま半身を乗り出して、
常に車掌弁に手をかけたまま、真剣な表情でしっかりとホーム前方を確認している姿を見ました。
それに引き換え国鉄の車掌ときたら・・・・
駅に停車してもドアも開けず、窓から眠たそうな顔だけをだして面倒くさそうにドア扱いをしている姿、
頻繁に目撃しました。特に寒い冬場にはそういう車掌が増えました。

またある時、国鉄東海道線の運転台を、たまたま仕切り窓のカーテンが開いていたので覗き込んだところ、運転士が腕組みをし、足をマスコンに乗せてふんぞり返っている姿を目撃しました。
当然、列車は惰行中ですが・・・・ 
ブレーキハンドルに手もかけていないんですよ。想像できますか? しかし事実なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/28 12:15

 No.4です。



 私鉄についてですが、最も衝撃を受けたのが小田急です。
 国鉄ではよく見た暗幕を下ろす車掌さんはいませんし、安全に対しての妥協はありませんでした。その為に安心して乗る事ができました。
 例えば各駅停車が通過待ちをする時、運転士さんと車掌さんがホームに降りて駅員さんと一緒になってホームの安全確認をします。駅を通過する時は窓を開けてホームを確認します。
 乗務員のみなさんは大きな声で動作確認します。信号の指さし確認は当然ですし、車掌さんの「出発進行」の声は最後尾の車両でなくても聞こえました。
 ここまで徹底した姿を国鉄で見る事は少なく、競合区間において国鉄は絶対勝てないと思いました。
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再度の回答お許しください。


先にあげた事例はサービス面で下が、運転面でも、

昭和51年10月、函館本線で貨物列車の機関士が居眠り運転、速度超過により脱線。
昭和57年3月、名古屋駅で、特急「紀伊」の客車に連結しようとしたディーゼル機関車が客車に激突。
原因は機関士が泥酔状態であったため。
(時期は忘れましたが)武蔵野南線(貨物専用線でほぼ全線がトンネル)内で、貨物列車が停止後退行。後続の貨物列車(赤信号で停止中)に激突。原因は、運転士が居眠りにより長時間機器操作を一切行わなかったため、列車が上りこう配で自然と原則、停止、退行したため。

など、職業意識の欠落した事故は枚挙にいとまがありませんでした。「たるみ国鉄」と言われていたものです。
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この回答へのお礼

ひどいですね。

やはり、どんなにプロ意識を持っていても組織の雰囲気がたるんでいたら、自然と意識が低くなってしまいますね。
先日、テレビで「国鉄職員は勤務中にキャッチボールをしたり、風呂に入ったり、出勤すると駅長を吊るし上げていた。」と放送されていました。

回答者様のお答えに納得が出来ます。


再度、質問させて頂きたいのですが、その頃(国鉄民営化以前)の私鉄の職員さんの意識はどうだったのでしょうか?それも興味が持てます。
宜しくお願い致します。(当時、私は松浦鉄道を利用はしておりませんでした。)

お礼日時:2010/07/26 10:19

 人によると思います。


 意識の低い人もいましたし、高い人もいました。
 そうなっていたのは硬直化した組織に原因があると思います。
 民営化によってこのあたりは変わりました。

 意識の低い人の話はあまりしたくないのですが、例をあげますと電車等の運転席には暗幕があります。車内の灯りが反射して見えにくくなる事を防ぐ為ですから、最後尾の場合は下ろす必要はありません。国鉄時代は下ろす車掌さんは多かったと思います。車内を見えなくして乗客の安全が保てるのか疑問でした。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2010/07/25 14:35

そのドイツと正反対だと思えばよいかもしれません。



列車の遅れなどには敏感でしたが、お客には不親切。「乗っていただく」ではなくて「お願いするなら、乗せてやる」という態度が、駅員から車掌にいたるまでみえみえでした。国鉄職員の意識は、決められたダイヤ通り、正確に運行する事にあり。お客はダイヤを乱す邪魔者と考えていたとしか思えません。

「みどりの窓口」できっぷを買おうとして「すいません。東京まで・・・」話かけると、カウンター前の台を指差し「申込書」と一言。申込書には、乗車駅、下車駅、列車名、発車時刻など細かく記入しないとなりません。親切な駅員だと新大阪、東京、ひかりぐらいで、後は口頭で10時ごろで空いている列車で済むのですが、意地悪な駅員だと「「ひかり何号」と書いてもらわないと、わからん」と怒られます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2010/07/25 14:32

>実際に職員の方の意識の低さというのは、当時の国鉄を利用していて感じましたか?



いわゆるサービス接客業としての意識はゼロに等しかったと思います。窓口に客が来ても応対せずに職員同士で雑談していることはざら。こちらが「すみませ~ん!」と声をかけたら面倒くさそうに振り向いてようやく来てくれる。まあ当時は市役所も郵便局も病院も応対は良く似たもので、べつに国鉄だけでなく、それが当たり前と言う雰囲気でした。今のようにお客様を神様のように扱ってくれるところは百貨店くらいでしたね。(だから昔は百貨店は人気があったのかも。)

一方で、運転士の使命感は今と変わらず強かったです。1分たりとも遅れは許されないと言う感覚は、国鉄時代からあったと思います。福知山線脱線事故を起こした運転手のような人も、昔は居なかったように思います。ただ、順法闘争やストの時は別で、5月になったら年中行事のようにストを繰り返してました。総じて、職人としての意識と仕事に対するプライドは非常に強く、その意味では信頼できる存在でしたけど、いわゆるお客様第一と言う感じではなかったですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>職人としての意識と仕事に対するプライドは非常に強く、その意味では信頼できる存在でしたけど、いわゆるお客様第一と言う感じではなかったですね。

とても分かりやすいご説明です。

お礼日時:2010/07/25 14:29

>国鉄の分割民営化の原因となったのには国鉄の労働組合の存在があると言われています。



国鉄民営化の引き金は、膨大な債務で経営が立ち行かなくなった事と民営化が世界の趨勢だったと理解しています。
労働組合の存在は、一つの要因で有った事は否定しませんが、膨大な債務と生産性の低さが最大の要因だと思います。

>もっと詳しく聞いてみたら、民営化前の職員は意識が低かったと聞きます。
>とにかく日本のレベルの高さを感じております。

国鉄当時の当事者では有りませんので推測の域ですが、SL終焉期からの鉄ちゃんとして鉄道雑誌で得た情報や実際の現場で見たりした印象でお話します。

意識は決して低かったとは思いません。寧ろプロ意識は人一倍だったと思います。
SLの機関士は、過酷な労働条件下で空転させずに秒単位の仕事をこなさればならず、それが為、退職後の平均寿命は5年だったとも言われています。
ただ、プロ集団の縦割り社会ゆえ、横の連携が希薄で、一人で何でもこなすと言う意識は低く、過剰な人員配置による生産性の低さが有った実態は否めません。

膨大な債務も、戦後の負の遺産である満州鉄道の職員の受け入れと、その退職金・恩給を国鉄に押し付け、更に政治指導の我田引水の赤字路線の建設、その上、荒廃した鉄道の近代化をおこなわなければならなかった事が最大の要因です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ただ、プロ集団の縦割り社会ゆえ、横の連携が希薄で、一人で何でもこなすと言う意識は低く、過剰な人員配置による生産性の低さが有った実態は否めません。

これは現在、管理職の私にも身近な問題だと思っております。

回答者様の見識には脱帽致しました。

お礼日時:2010/07/25 14:26

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