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広島・長崎への原爆投下について、

米運は原爆投下に先立って実験を繰り返したと思われますが、核実験はあったでしょうが、

実物の原爆投下実験はあったのでしょうか。

歴史的な爆弾です。ある意味では国家のメンツもかかっています。

また、不発に終わると、日本側に原爆が渡ってしまいます。

また、少数の編隊では撃墜される危険もあったはずです。

それで、質問です。

質問1. 米軍は、原爆投下に先立って、実物の投下・爆発実験をしましたか。

質問2. 通常は、大編隊で爆撃するのですが、何故、原爆の時だけ少数機で飛来したのでしょうか。

質問3. 米軍は、不発の場合の危険性を考慮しなかったのでしょうか。

質問4. 米軍は、撃墜された場合の対応を考えていたのでしょうか。状況から、全く考慮されていない無謀な爆撃としか考えられません。これは、兵士の安全について無謀というのではなく、国家のメンツにかけて無謀だと考えるのです。

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

1。

ネバダ州の砂漠で実験したように思います、

2。うまくいかなければやられる僚機の数が少なくてすむ、と思ったのでは。

3。不発で落ちても敵の土地、敵の手に入っても降伏までに分析、まして生産に入る時間はないと読んだのでしょう。

4。ソビエトより先に作ったことを戦争終結前に誇示しなければならなかった、ギリギリじゃなかったのではないでしょうか。

 戦争と無謀は切り離せませんよ。
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> 質問1


 ネバダ砂漠で実験してたと思いますが。

> 質問2
 原爆単体での効果を確かめるために、他の爆撃機は不要だったからです。

> 質問3
 原爆の構造としては、核物質(ウランやプルトニウム)を臨界質量にして核爆発を起こさせるための通常爆薬が仕込まれています。何らかの原因で核爆発が起こらない可能性はあったかもしれませんが、第一段階の爆発が起こっただけでも、そのまま原爆として再利用することはできないでしょう。

> 質問4
 当時の日本には高高度を飛行するB29を撃墜できる戦闘機はありません。通常の爆撃では爆撃目標を絞るために爆撃機は高度を下げる必要があるので、そこを迎撃戦闘機に狙われる恐れがありましたが、原爆は特定の標的物ではなく都市をまるごと破壊する兵器なので高度を下げる必要がありませんでした。
 したがって爆撃機が撃墜される危険性はほとんど無かったと考えられます。
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>質問1. 米軍は、原爆投下に先立って、実物の投下・爆発実験をしましたか。


 長崎に投下されたプルトニューム型原爆に対しては、トリニティ実験と呼ばれる起爆実験が実施されています。
 (ただし、航空機からの投下でなく実験塔で起爆した。)

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA% …

>質問2. 通常は、大編隊で爆撃するのですが、何故、原爆の時だけ少数機で飛来したのでしょうか。
 この時点での帝国陸海軍の迎撃能力はかなり減少しており、偵察やビラ撒きなどを目的とした少数機の迎撃は、行なわなくなっていました…。
 (来るべき米軍の上陸の時などに備える為、無事な機体の温存と燃料の節約をやっていた。)

 なお、広島・長崎の原爆投下は、原子爆弾による都市部へ与えられる損害を図ると言う目的がありますから、随伴機が爆撃したら、厳密な原子爆弾の損害を調べられなくなってしまいます。
 (大編隊で行っても、投下機と観測機以外はやる事が無い。)

 また、原子爆弾の衝撃波は投下機ですらも相当の衝撃を受けたそうですから、大編隊だと、原爆の衝撃波で墜落する機体も出かねません…。
 (小型の戦闘機などは、かなりやばいのでは…。)

>質問3. 米軍は、不発の場合の危険性を考慮しなかったのでしょうか。
 広島に投下したウラン型原爆は、ほぼ100%の起爆が出来ると自信を持っていたそうですし、そもそもウラン235の精製は当時の技術では難しく、広島投下時にはただ1発しか完成していませんでしたから、起爆実験したくても出来ませんでした…。

 起爆に失敗した場合[爆縮に失敗]であれば、核物質があたりに飛散する訳ですから失敗したとしても現物が日本に渡る可能性はあまり無いと思いますし…。
 (起爆装置自体が全く動作しなかった場合でも、爆弾が地面に激突する事に成りますから、その地面が沼とかでもないと…。)

 まあ、当時の日本の戦力では、米軍の重要拠点を爆撃できるほどの航空戦力なんて有りませんし、肝心要の核物質の取得が出来ない(原料も無ければ、精製も出来ない)ので複製される危険性も無い訳ですし…。

>質問4. 米軍は、撃墜された場合の対応を考えていたのでしょうか。状況から、全く考慮されていない無謀な爆撃としか考えられません。これは、兵士の安全について無謀というのではなく、国家のメンツにかけて無謀だと考えるのです。

 当時の米軍は、迎撃を受けて損害を受けても、太平洋で着水すれば潜水艦や飛行艇などで救出する態勢を整えていました。

 また、空爆の初期から高高度迎撃能力に劣った帝国陸海軍の防空戦力では、日本上空で撃墜される事は稀で、空爆による爆撃機の損失の大部分は基地まで辿り着けずに海上に着水するか、基地に帰還した後に再使用不能として米軍の手によって処分された物が多いです。

 また、既に単機や少数機による日本本土の偵察などは実施されていましたから、危険度はそれらの任務と比べて高いとは言えません。
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アメリカで見ているヒストリーチャンネルやその他の本などの話から、No.3 さんのがもっとも近い答えなのかな、と思います。



あ、この件で私にお礼は入りませんから。無駄遣いしないでください。
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 実物の投下実験は行われておりませんが、「パンプキン」と名付けられた模擬弾(プルトニウムの代わりに爆薬を入れたものもあり)を、訓練のために投下しています。

【参考URL】
 パンプキン爆弾 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3% …

 実物は投下実験はされませんでしたが、1945年7月16日に行われた「トリニティー」と名付けられた実験で、ニューメキシコの砂漠に建設された高さ20mの鉄塔の上に、長崎に投下された「ファットマン」と呼ばれるプルトニウム型原子爆弾と、ほぼ同型の、「ガジェット 」と名付けられた爆弾を設置して、爆発する事を確認する実験が行われました。
 原爆を爆発させる前に、100トンのTNT爆薬を爆発させて、爆発威力を測る際の目安にしています。

【参考URL】
 トリニティー実験 - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA% …

 ガジェット (爆弾) - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%B8% …

 尚、広島に投下された「リトルボーイ」と呼ばれる原爆と、長崎に投下された「ファットマン」と呼ばれる原爆では、構造も使用されている核物質も異なります。

【参考URL】
 リトルボーイ - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88% …

 ファットマン - Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1% …

 「リトルボーイ」はガンバレル(砲身)方式と呼ばれる方式で、半球形の2個の高濃縮ウランの塊を、大砲の様な頑丈な筒の両端にセットして、片方の塊を砲弾を発射する場合の様に火薬で推進させて、もう片方の塊にぶつける事で、ウランの臨界量を上回る塊を作り出す事で核爆発を起こします。
 「ファットマン」はインプロージョン(爆縮)方式と呼ばれる方式で、低密度になる様に加工したプルトニウムの球を、その外側を包み込んでいる、2種類の爆薬を組合わせた特殊な構造を持つ爆薬を爆発させた際に発生する衝撃波(球の中心に向かって進む)を使って圧縮する事で、プルトニウムの密度を臨界条件を超える密度にまで高める事により、核爆発を起こします。
 インプロージョン型は構造が複雑な上に、僅かでも寸法や起爆タイミングに狂いがあると爆発しないため、実際に爆発するかどうかを、「トリニティー」実験で前もって確認したのです。
 これに対して、ガンバレル方式の「リトルボーイ」は、爆発実験が行われず、ぶっつけ本番で、広島に投下されました。
 これは、インプロージョン方式に使われるプルトニウムが、原子炉を使えば、天然ウランから作り出す事が出来るのに対して、ガンバレル方式に使用する高濃縮ウランは、原子炉など問題にならない位の大規模な設備を使用して、大量の天然ウランを長い時間をかけて処理する事で作り出されるため、実験用の爆弾を造る事が出来る程、高濃縮ウランを充分な量だけ用意する事が出来なかったためです。
 ガンバレル方式は構造が単純なため、実験で確認しなくても作動はするだろうと判断されて、実験無しで投下されました。
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 回答番号:ANo.5です。




 爆撃機が編隊を組んで多数で飛来するのは、広い範囲を攻撃するために、1機では搭載出来ない程の大量の爆弾を投下するためです。
 原子爆弾は1発で広範囲を破壊する事が出来ますから、何発も投下する必要性があまりありません。
 それに、当時は例えアメリカであっても、原子爆弾は完成したばかりの実験的な兵器で、何発も保有してはいませんし、原爆を量産する体制も作られてはいませんでしたから、何機にも搭載する事は出来る程、原爆の数はありませんでした。
 又、新兵器である原子爆弾を投下した場合、実際の街に対して、どの様な威力があり、どの様な影響があるのか、原爆を使用した攻撃を行う際に、どの様な問題や注意すべき点があるのか、等々に関するデーターを集めるためにも、1箇所に投下するのは1発だけにした方が、データーを評価し易い、という事もあったのではないかと思います。



 当時のアメリカが原子爆弾が不発になるリスクに対して、どう考えていたのかに関しては、私には解りません。
 但し、「ファットマン」はレーダー高度計を利用して起爆する方式ですが、レーダー高度計以外にも、タイマー式の起爆装置や複数の着発信管を備えていましたから、それらの全てが作動不良を起こす事は考え難いと思います。
 インプロージョン方式の原爆は、内部にかなりの量の爆薬がありますから、万が一、核爆発にまで到らなかった場合であっても、信管が1つでも作動すれば、爆薬の爆発だけでも爆弾の構造は破壊されると思われますので、不発弾が原形を留めて敵に解析される可能性は低いのではないかと思います。
 「リトルボーイ」は気圧高度計を利用して起爆する方式だと耳にした事がありますが、その情報源は信頼出来るものではなく、実際にはどの様な起爆装置を備えていたのかは、私には解りませんが、おそらく「ファットマン」と同様に、複数の起爆装置が備えられていた可能性は高いのではないかと思います。
 そして、ガンバレル方式は、一旦、ウラン塊推進用の火薬に点火すれば、ほぼ間違いなく核反応が起きますから、例え大規模な核爆発にまでは到らなかった場合であっても、やはり爆弾の構造は破壊されてしまいますので、不発弾が原形を留めて敵に解析される可能性は低いのではないかと思います。
 因みに、当時の日本には、原爆を製造する際に必要なウランがありません(国内の鉱脈も知られていなかった)でしたから、万が一、原爆の不発弾の構造を解析されても、日本に真似をされるおそれは殆どなかったと思います。



 当時の日本には、原爆搭載機に選ばれたB29が飛行する高度において、満足に戦闘を行う事が出来る戦闘機はなく(空気が薄いため、性能が極端に低下してしまう)、B29を撃墜出来る数少ない手段である五式十五糎高射砲も、試作されたものが僅かに2門だけ完成して、東京の久我山高射砲陣地に配備されていた程度でしたから、撃墜される心配は高いものではなかったと思います。
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 No.3.4.5でとても詳細な回答がされていますので、私は一つだけ。



>質問4.米軍は、撃墜された場合の対応を考えていたのでしょうか。状況から、全く考慮されていない無謀な爆撃としか考えられません。これは、兵士の安全について無謀というのではなく、国家のメンツにかけて無謀だと考えるのです。

 有効な打撃を加えうる性能を持った要撃機がほとんどなかったことに加え、当時の陸軍・海軍航空隊とも慢性的な燃料不足に陥っていたため、特に少数機の来襲に対しては迎撃そのものが行なわれなかった傾向があったようです。
 したがって、撃墜以前に迎撃される可能性が極めて低い、と判断したのでしょう。
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漫談です



日本側は、当時「アメリカがB29を使った、なにか前例のないことを企んでいる」ということは把握していました。テニアンを飛ぶB29には各々ラジオコードがあるのですが、ある日突然、普通のラジオコードに該当しない機体が2機登場し、それがかなりの頻度で練習らしきことをしているのを、電波傍受で把握していたのです。

日本の暗号解読の努力暗号そのものを解読攻撃する以外に、暗号の使われ方、発信地、などを総合分析して、「この暗号がこのように使われたとき、なにがおきるか」を予測する方向にもリソースを傾注していました。
ただし、この分析方法は、いつ、何が、まではかなりわかるのですが、どこで、がダメな欠点があり、結果として日本防衛にはあまり(ゼロではない)寄与しませんでした。

おかしなラジオコードの機体が今日は何機か付き添いをつれて飛んだ、までは把握していたのです。実際、広島では機体がレーダー照射をうけた記録があるそうです。ただ、単なる偵察だと判断し、高射砲は撃たれませんでした。そんな高高度ではないので、迎撃したらどうなったかは、わからないとしか言えません。一応、呉鎮守府飛渡瀬砲台では155mm高角砲がエノラ・ゲイを有効射程内に捕捉し、射撃命令を待っていました。
爆弾1発ですが、先導機、観測機、科学観測機、写真撮影機、と6機が広島を飛んでいました。

B29の乗員にとって、日本爆撃は決して楽な仕事ではありませんでした。B29は離着陸に難がある機体で事故を頻発し、加えて日本上空は天候の荒い空域で、一番近い不時着場所は硫黄島まで行かなくてはなりません。
B29の乗員が日本上空で脱出する、というのは本当に最後の最後の手段で、可能な限り海まで機体をもって行きました。はなはだしい例では、相模湾にアメリカの飛行艇がおりて、救助をしていた記録があります(さすがに撃墜されました)。ブッシュ大統領父も、日本近海で撃墜され、潜水艦で救出された人です。

日本上空で脱出した乗員は、まず日本の官警の保護を求めようとしました。これはドイツ爆撃のときも、やはり地上のドイツ市民に袋叩きにされ殺される事例が多発したからです。
また、日本当局もB29の情報はほしかったので、市民が殺害する前に、乗員を確保する通達をだしており、お巡りさん何人かが、怒り狂っている市民を必死で押しとどめ、脱出パイロットを軍がくるまで交番に押し込んでおいた、というハナシもあるほどです。
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1.ネヴァダ州の砂漠地帯で起爆実験が行われています。

たしか成功したのは1945年7月だったと
思います。

2.何かで読んだ記憶があるのですが、B29と一括りに言っても、原爆を搭載可能な機は限られていた
と言われています。特に、広島型のリトル・ボーイは搭載重量ギリギリだったということを読んだ
記憶があります。また、大編隊だと回避運動に不具合が発生するからではないかと推測できます。
原爆は接地した時点での爆発ではなく、時限信管を用いて空中で起爆させるので、当然、高高度に
いたとしても、衝撃等の影響はあるからです。

3.その危険性は十分に考えられていたと推測します。なぜなら、特に最初の投下において、
不発を起こさないために、原始的かつ単純な構造の「ガンバレル方式」のリトル・ボーイを
広島に投下しているからです。但し、この方式はリトル・ボーイ1発のみです。
長崎は「エクスプロージョン方式」のファットマンを使用しています。

4.現実的に、B29を確実に撃墜できる日本機は非常に限られていました。また、この時期燃料も枯渇
していて、単機もしくは少数機で飛来する機体に関しては迎撃するだけの余裕はなかったと思います。
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