一回も披露したことのない豆知識

相対性理論の要請の一部分からの質問です。

相対性理論の要請では

  (1)時間と空間は同じものである。
  (2)光の速度Cはどのような系から測定しても不変
   である。

 それによる一つの結論はこうですね?

  光が300,000(km)進む時間が1(秒)である。
  (300,000kmは厳密な値ではありませんが...
  「約」です)

  同様に1km=1/300,000(秒)である。


例題として

1.今、宇宙空間に物体AとBがあり、相対距離が300,0
   00(km)で相互に静止と見なせる場合、

  空間=時間からAとBの間には1秒の相対時差があ
  るといえる。
  
  したがってAの時計で見たBの時計は1秒遅れてお
  り、Bの時計で見たAの時計も1秒遅れている。

  よって、AとBが時々刻々離れる場合は相対時差が
  大きくなり、近づく場合は小さくなる。
  
  相対運動とは(この場合AB相互間の)距離の変化
  をいうのであるからそれは同時に相対時差の変化
  でもある。
  
  ここまでは間違いないでしょうか?

OKなら 
   
2.AB間の距離が0でない限りABは時刻を共有できない
  わけで、その場合、私が手を前に伸ばして指先を見た
  とき、私の指先と目の間には僅かながら距離があるの
  で時刻を共有していないことになり僅かに過去の指先
  が見えている。

  これも間違いないでしょうか? 

  OKなら

3.「相対距離=相対時差」である。
   
   としてもよいわけですか? 
  
  OKなら 
 
4.そこで変な疑問が浮かんでしまいました。  
  
  私の時計が1秒を刻んだとき、1秒前の過去の
  時計と1秒後の時計には1秒の相対時差があり
  ます。
  
  時間=空間なら1秒前の過去の時計と1秒後の
  時計の間には30万kmの相対距離がなければな
  らないということになりますか???

  もし時計や私を含む全てが一緒に1秒前の過去の
  状態から30万kmの相対距離の位置に移動したと
  すれば、移動した事実は確認できませんが...
  (想像もつきません...)

  しかしそれは1秒で全てが30万km移動、つまり光
  速Cで移動したことになってしまい....ううう困りま
  した。 
  
  これは「AとBの相対時差」と「A自身の過去と今の相
  対時差の比較になりますが、同じ「相対時差」ではな
  いのでしょうか?

  何か考え方がおかしいでしょうか?
  どう考えるのが正解でしょうか? ご教授下さい。   

A 回答 (2件)

<(1)時間と空間は同じものである。



関連はありますが、同じではありません。
時間と空間を関連付けて考える場合は単位をそろえるためにct(光速×時間)
を使いますが、
時間と空間を等価なものとして扱うためには時間による軸をcti(ct×虚数)
として扱わなければなりません。
数学的な話では実感わかないと思いますが、とにかく同じものではないということです。

後、もうひとつ
おそらく2つのものが等価なら一方をもう一方に置き換えられる。
とお考えみたいです。
等価は「イコール」という意味ではありません。
例えば、空間的にx方向とy方向は等価ですが、
x方向に1m進んだからといってy方向に1m進んだことにはなりません。
時間経過と等価な距離を数学的に求めることは出来ますが、
あくまで時間経過は時間方向の経過であるので、そのまま距離に置き換えてよいものではありません。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。

>等価は「イコール」という意味ではありません。

仰ること、私も非常に疑問でした。

ある文献にAB間の相対距離は光速で「1秒」だと
と言ってもよいし、30万kmだと言ってもよいとあ
りました。 素人には「置き換えられる」と読めて
しまいまいた。 

確かに相対性理論の要請から「空間は時間」と言
ってよいならそうなるな~と思わず感心したもので
す。
一方、空間は3次元のベクトルを持てるのに時間
は1次元しかない。 同じとはいえない気もする。

しかし移動のベクトルは同時には1方向しか選べ
ない。そうでないと体が裂ける。

時間の単位は同じ、次元も1つであれば相対時差
は光速で1秒の距離にあるAB間とA自身の1秒前
と今とでなにが違うのか?と考えました。

相対時差が有る以上やはり後者にも相対距離を
認めなければならないのかな~という疑問でした。

しかしそれではとんでもないことになってしまう。
自分自身の過去と未来に距離があるなどありえな
い...まして光速とは..さあ困ったと...

「時間軸を虚数として扱う必要がある」ことについ
ては勉強してみます。 自然界が虚数に従うという
ことにはかなり違和感も...

このままでは釈然としないので...また睡眠不足
になりそうです。

有難うございました。

お礼日時:2010/08/05 11:26

その「1秒」=30万kmというのは、最初にあなたが述べられた


「時間と距離の等価性」によって、時間軸的な距離として「あなた」は
移動しているのです。
相対性理論の解説書に見られる4次元時空の図、「ミンコフスキー空間」
において、時間軸と空間軸の等距離面が「ライトコーン(光が描く面)」と
なっています(その45度が我々の日常では光速(角度でいうとフラット)に
なるところに「1秒と30万kmの違和感がある」)。
相対性理論の表す4次元時空の式において、時間項は虚数となっており、
相互作用において自乗=負となって、空間軸(正)と相殺する界面原点を
成すのです(0が相対的に有限の領域を占める)。

全ての存在性が量子的な確率波動に基づくなら、無限につめ込むと存在確率
の山が平らになり、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇の中に、仮想的な
認識体の断面を切り、その仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は
光になり、認識体はその光の向うに、自我仮説の補完(相補的不確定性)
としての時空仮説を認識するのです。

我々は、「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、
「存在は現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での
量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による
予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。
超弦理論により存在の根源は量子=光速に還元され、非光速性は階層現象を
(本質的に確定せずに)表面的に捉える時に派生する虚像であることが
明らかとなっています。

「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における
hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、絶対化としての
無限不確定性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に
相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、
相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的
存在(=非光速)を幻出しているのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>時間軸的な距離として「あなた」は移動している
>のです。

「時間軸的な距離として」考えれば「移動している」
といえなくも無い。 というお答えと捕らえました。

文脈がとても哲学的で素人の私には難解な部分も
多く申し訳なく思います。

しかし個々のキーワードからたとえば、

>無限につめ込むと存在確率の山が平らになり、無
>と等しくなります。

とは、空間に同じ状態のものを無限に詰め込んで
如何なる手段をもってしても、どこもかしこも何ら差
異が見出せないなら見方によっては無と等価という
ことかと...

虚数時間については勉強します。

「自我」...今この瞬間このお礼を書いている自分が
存在するということを認識できる何か...それは何な
のか?という根源的な疑問があります。

また見方(主観)によって変わるということの意味?
「客観」と言った時点ですでに「主観」が存在し、その
呪縛からは逃れられない現実があります。

全ては認識体の感受表面上での「幻」なのかも知れ
ません。
つまり「幻」(実態でないもの)或いは認識できないも
のに「何故」を問うことは原理的に不可能なのかもし
れませんね。  それにしても物理は奥深く面白い。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/05 12:39

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