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外国に数年暮らすと愛国的になるというのは本当でしょうか?

A 回答 (6件)

本当だと思います。



私自身、子供の頃にアメリカで生活していた頃があり、それ以来「やっぱり俺は日本人だ!!」と強く意識するようになりました。

まず外国に行くと当たり前ですが「ここではよそ者」ということになります。国とか地域などには、必ず文化や風習などの「空気」感があって、溶け込むのは容易ではありません。これは日本国内でも、今まで住んでいた場所から別の地域に移れば感じることだと思います。

このような別の地域に居ることなった場合、日本ならまだ「比較」の程度で済みます。たとえば前の地域は納豆を食べないがここはすごく食べるとか、前のところでは通用する言葉がここでは通用しない、などです。
ところが外国だと「比較」というレベルを超えた事態が割りと簡単に起こります。たとえば労働に関する価値観の違いとか、宗教に関する価値観の違いなどです。特に日本人は自分のことを「無宗教」だと思っている人が多いですが、ほぼどの国でも「無宗教:no religious faith 」と言うと目をむいて驚かれますし「無神論者:an atheist」と言おうものなら「人でなし」扱いを受けます。
これはほとんどの国が近隣諸国と地続きの国境をもっており、文化=宗教観の違いが国を分けていることが多いからです。多神教の国であってもメジャーな宗教が違えば国が違うことも多いのです。
このような価値観の中で生活している人々(つまり世界の大多数の人々)からすれば「何らかの宗教を信じているのが普通で、それが私と違うならそれは認めてうまくやっていこう」と考えてくれるのですが「どのような神でのまったく信じていない、という人間はどのように自分を律するのか?そんな得体のしれないヤツとは係わり合いなりたくない」ということになってしまいがちなのです。
通常の日本人の生活や考え方からすれば、まったく違う考え方であり、受け入れるのが非常に困難を伴う考え方といえます(本当はそんなことは無いのですが、ほとんどの日本人が自分の宗教観を理解していないので困難を伴います)

また労働に関する違いもあります。たとえばアメリカの会社では日本人上司はすこぶる評判が悪いのが普通です。それは簡単にいうと部下を「褒めない」からです。日本では上司に怒られることはあっても褒められることはほとんどありません。逆なんですね。
あとよく言われるのが時間に関する考え方、こんなジョークもあります。
「みんなが集まってパーティーをするときには、予定の時間よりアフリカ出身者には2時間前、スペイン人には1時間前、アメリカ人には30分前を集合時間として教えたまえ、ドイツ人には予定時間ちょうどでいい。ああそうそう日本人には予定時間の5分後を教えておきたまえ」
つまり日本人の5分前行動をジョークにしているわけです。

このように、外国に行くと価値観自体がまったく違うため、慣れ親しんだ日本の様式が懐かしくなるわけです(もちろんそれ以上に物事がなんでもキチッキチッと正確に動く日本が恋しくなるわけですが)

また日本人は島国に住んでいるために国境と自国の歴史を意識することが少ないですが、外国の場合は、地面に線を引いて他国と国境を接しているため「なぜこの国があり、自分はこの国に住んでいるのか」という自問自答が子供のころから繰り返されています。アメリカは移民の国ですし国境がカナダとメキシコしかありませんので、ちょっと違うのですが、国内の人種問題から「自分が住んでいるアメリカは世界中から移民を受け入れて強大な国になった、だからアメリカ国旗に忠誠を誓う人はどんな肌の色でもアメリカ人だ」と納得して受け入れるような価値観をもっています。
私は子供の頃、現地の学校に通い、毎朝の「忠誠の誓い:the Pledge」が嫌いでした。だって私は日本人でアメリカに忠誠を誓うつもりは無かったからです(だから国旗に敬意を表して起立・敬礼はしたものの誓いの言葉は言いませんでした)
このようなことが積み重なると、自分が日本人であることを意識せざるを得ないのです。

どの国も「この国がある理由」がありその国に住む理由と誇りがどの国民にもあります。しかし日本人は、国境を接していないせいか、あまりそのように意識しません、しかし、そのように意識して外国からみると日本は実に素晴らしい国と言えます。
まず1500年にも渡り独立した国の形をほぼ維持してきた特殊な国であり、だから天皇制の貴重さに思い至ります。同時に日の丸が国の旗として使用された歴史の長さにも思い至れば、日の丸に愛着を覚えるでしょう。
そのほかにも、秩序だった犯罪のほとんどない、物事がきちんと動き、約束はほとんどの場合守られる、それなのに世界第10位の大人口を抱えていて、経済もすごい、となれば愛国的になるほうが普通だと思います。
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この回答へのお礼

>労働に関する価値観の違いとか、宗教に関する価値観の違いなどです。特に日本人は自分のことを「無宗教」だと思っている人が多いですが、ほぼどの国でも「無宗教:no religious faith 」と言うと目をむいて驚かれますし「無神論者:an atheist」と言おうものなら「人でなし」扱いを受けます。

私も種類が違いますが似たような経験があります。女の子数名に女性の好みを聞かれてまだ19歳だったので「ぼくは女嫌いのタイプで・・・」と答えました。それはうまく女性と接することができないという意味だったのですが、女の子たちは顔を見合わせて変な顔をしました。ゲイと思われたんです。

>「無神論者:an atheist」と言おうものなら「人でなし」扱いを受けます。

そうですね。私の住んでいた国はカトリックでしたが、生活にカトリックが密着しています。

>また労働に関する違いもあります。たとえばアメリカの会社では日本人上司はすこぶる評判が悪いのが普通です。それは簡単にいうと部下を「褒めない」からです。日本では上司に怒られることはあっても褒められることはほとんどありません。逆なんですね。

そうですね。挨拶も上司のほうからします。

>つまり日本人の5分前行動をジョークにしているわけです。

日本に帰国して間もない頃、麻雀の約束をして時間通りに行ったら他の三人はもう坐ってました。「麻雀の約束に時間前に到着する! 日本ってそんな国なんだ」と感動しました。

>アメリカ国旗に忠誠を誓う人はどんな肌の色でもアメリカ人だ」と納得して受け入れるような価値観をもっています。

私の住んだ国でも同じでした。

>どの国も「この国がある理由」がありその国に住む理由と誇りがどの国民にもあります。しかし日本人は、国境を接していないせいか、あまりそのように意識しません、しかし、そのように意識して外国からみると日本は実に素晴らしい国と言えます。

同感です。

>まず1500年にも渡り独立した国の形をほぼ維持してきた特殊な国であり、だから天皇制の貴重さに思い至ります。同時に日の丸が国の旗として使用された歴史の長さにも思い至れば、日の丸に愛着を覚えるでしょう。

そうなんです。私も日本に住んでいた頃は皇室無価値論者でした。人は平等であるべきだと思ってました。でも海外で皇太子殿下(現天皇)をお迎えしてそのとき考えが変わりました。人は平等だけど天皇は例外だと思いました。以来、天皇制を支持しております。

>そのほかにも、秩序だった犯罪のほとんどない、物事がきちんと動き、約束はほとんどの場合守られる、それなのに世界第10位の大人口を抱えていて、経済もすごい、となれば愛国的になるほうが普通だと思います。

まったく同感です。貴方のような人と一晩飲み明かしたいと思いましたよ。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/14 08:35

特に愛国的にはなりません。


他国と母国の制度や風習の違いに「深い感動」を覚えるだけです。
その後ろの人間性についてはかえって「同じ人間である」ことに「感動」します。
頭の軽い人は他国の「事情」を無視して母国の制度が無上の物だと「勝手」に思い込み愛国的になるかも知れません。
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この回答へのお礼

>特に愛国的にはなりません。

そういう人もいるでしょう。人それぞれだと思います。

>他国と母国の制度や風習の違いに「深い感動」を覚えるだけです。その後ろの人間性についてはかえって「同じ人間である」ことに「感動」します。

仰ることはわかります。私も異国に住んで最初の二年間くらいはそうでした。でも私は当時若かったし、向こうの人間と一緒に生活しておりましたのでそのような思いはなくなりました。貴方が感動したことも向こうの生活にはまり込むと当然と思うようになります。因みに私は海外に17年暮らしました。海外に暮らしてほとんど現地の人となり帰化を考えるようになると、今度はまた強烈に日本人としての意識が盛り返してきます。そのとき帰国できる環境にない人、たとえばこどもが現地の人となっている場合などは我慢して乗り越えて現地の人になりきります。そうでない人間は日本に帰国します。

>頭の軽い人は他国の「事情」を無視して母国の制度が無上の物だと「勝手」に思い込み愛国的になるかも知れません。

勝手に思い込む - そうですね。たとえば納豆が最高に旨い! というのは勝手に思い込んでいるだけです。外国人から見たら納豆はただ臭いだけです。
でも外国の人も同じ傾向があります。私の住んでいた国の人はフェイジョンという豆が最高と信じ海外旅行にもフェイジョン豆を持って出かけます。それはどこの国の人にもあると思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/14 08:56

アメリカもそうですが外国の店員の愛嬌の無さにはまいりますね。


日本の店は素晴らしい。
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この回答へのお礼

全くです。
外国がダメと言うか日本がすごすぎるというか。日本は素晴らしいです。日本のつもりで海外で同じように思うとしっぺ返しをくらいます。
香港に旅行した時免税店で買う気もないのに女性の店員に軽い質問をしたら私の質問に答える代わりに鋭い視線で親の仇のように睨まれました。恐らく店員は「日本人が大嫌いだけど、お客だから仕方なく応対してあげてるんだからね。買わないのならくだらないこと聞いてるんじゃないよ」とまあこういう意味を含めた視線だったのでしょう。以来、香港には行っておりません。

お礼日時:2010/08/14 08:41

日本に住んでいる外国人の全てが、母国に対して愛国心を持っていると言えますか?

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この回答へのお礼

外国人が愛国心をもっているかどうかは出身国をけなしてみるとわかります。愛国心があまりなさそうに見える日本ファンの外国人に一度母国をけなしてみてください。一緒になって貶す人は少ないです。まあ本人が母国の欠点と認めているような事なら一緒に貶すかもしれませんが、いろいろと貶すと「いや、そこは違います」と反論してくると思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/13 08:35

それは、たとえば地方出身の人が都会で生活していて、帰郷したときに「やっぱり田舎はいいな」と言わないといけないのと同じではないでしょうか。


「東京の方が良い」なんて言おうものならば「ならば、もう帰ってくるな」と言われてしまいます。

日本の場合、そんな暗黙の了解が特に地方に行くほど決まり事として存在していますからね。
「地方の人は良い人ばかり」もよく覚えておかないと大変なことになってしまう言葉です。
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この回答へのお礼

面白い視点です。似ているけど少し違うような気がします。
一世代昔の日本から欧米に行くと欧米が進んでいました。アジアに行くと遅れてました。
都会、田舎に限らず外国に数年住むと愛国的になる傾向があるように思います。
特に留学生として外国に住むとその傾向が強まるように思います。
1.若い頃は感受性が強い。
2.留学生はある意味で日本の代表としてその国にいる。教授が日本のたとえば経済を褒めたら、嬉しく思うし、日本を貶したら恥ずかしく思います。
経済学の講義で教授が日本の貯蓄率が高いことに触れ、一人の学生が「じゃ、日本人はけちなんですか」と質問したらクラスの学生たちが笑って一斉に僕の方を見ました。恥ずかしかったです。
また経済史の講義で教授が脱線して日米戦の話になり日本軍が強かった話をしました。神風特攻隊にも触れました。授業が終わったらある学生が「日本人って勇敢なんだね」とぼくを尊敬のまなざしで見てくれました。嬉しかったです。
このような経験が何度か繰り返されると日本=自分となるように感じています。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/13 08:53

人によります。



人によりますが、大半はなると思います。

小さいうちは母の有難さがなかなか分からないものですが、

一人暮らしをすると、母の有難さが分かるのと同じ感じです。

それで日本語では「母国」といいます。

しかし、自分の世界に入り込んでいる人の中にはそう感じない人もいるみたいです。
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この回答へのお礼

母親の話は非常にわかりやすいです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/13 08:36

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