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マナー違反になってしまうかも。

誰かに聞きたいと常々思っていました。ここで聞いたらマナー違反かなと悩んでいましたがお聞きします。

ある宗教の件です。
神(私)を信じるならば息子を殺せ
というくだりがあったと思います。

何て怖い神様なんだろうと思ってしまいました。
人を試したり、俺(神)以外の神を信じるななんて
神様にしては心が小さすぎませんか。

私の信じている神様は寛大で、いつも私の心の中に居て、見守ってくれ時には助けてくれます。

A 回答 (29件中11~20件)

お礼欄の内容とかとても興味深いですね。



しかし

>何のことは無い、自分の心なんですけどね。

半分醒めた状態で状況をわかってらっしゃる。

もうこのへんで締めましょうよ。


ちなみに、私の神(?)は自分のやるべきことに集中しているときに閃きを与えてくれ
他人にちょっかいを出したときは失敗を与えてくれますwww

まあ、神なのか精神なのかは微妙ですが、どちらでもいいと考えています。

この回答への補足

読んでいてくれたんですね、非常に嬉しい回答です。ありがとうございました。

>ちなみに、私の神(?)は自分のやるべきことに集中しているときに閃きを与えてくれ
>他人にちょっかいを出したときは失敗を与えてくれますwww
これ、貴方の神様ですよ。私もこれを信じていますし、しばしあります。
神様の使い方を分かるともっと凄いんですけどね。
ヒントは貴方の心に貴方の願いを刻み込むだけで、信じるのみです。
気が向いたら、私のプロフィールで「出前講座」「高校生」「10分」
がキーワードです。

そろそろ閉めようと考えていましたがもう少し様子を見させてください。

補足日時:2010/08/19 18:03
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この回答へのお礼

1ヶ月か、最後の回答者から2週間経ったら閉めようと思います。
その時は私の神様を紹介しようかなと考えています。
それこそ、マナー違反かもしれませんが、各自が独りで行う方法ですので問題ないかなとも考えています。
これからも時々見に来てください。

お礼日時:2010/08/19 21:37

 No.6&8&10です。



 神はアブラハムに何語で語ったのか? アブラハムの神がかりとは どういうことか?

 直接に言葉で語ったわけではないということ。あくまで仮りの言葉で 神のノックの音を受け取ったのだということ。何語でもありえないということ。――これをおぎないます。


 まとまった論考を掲げます。
 ▲ (いかなる国語にも属さないこころのことば)~~~~~~
  《いかなる国語にも属さないこころのことば(verbum cordis)》は もしそれがあるとするなら 人間の心の窓を真理(神)へ開くきっかけであるかも知れない。

 ところが わたしが何かを疑うとき その疑う対象や内容についてのことばではなく 疑いそのことについてのことばがある。
 《世になぜ善と悪があるか》と疑っている主題がどう展開するか このこととは別にわたしは わたしが今疑っているということを知っているというそのことについての言葉がある。

 それは ほんとうは疑うべきではないのではないかという隠れた思いであるかも知れない。
 それは いやいや疑うべきであり 疑って必ずや真実を明らかにしなければならないという義憤でありうる。――そういった・あいまいだがわづかにでも意味のとれる言葉のようなものが 心の奥に動きを見せるときがある。

 これらは そうとすれば 限りのある・移ろいゆく・あやまちうる存在である人間にも みづからに得られる真実のことばであるように思われる。

 けれども――いまの問題は―― この真実のことばが いかに なぞの真理のことば(非思考の場)から遠いかを わたしたちは 見なければならない。

 今このように思惟していることは いかんせん 持続し得ないのだ。だからである。
 思惟の成果も せいぜい座右の銘になるのが 落ちである。

 《疑いを持ったゆえ思考すること》に伴なうふつうの日常生活に用いるのと同じ言葉と そして《その疑いや思考をあたかもさらにその奥にあって見守りつつ思惟をかぶせるように及ぼすこと》に伴なう真実の言葉とがある。後者は いかなる国語にも属さないと考えられる。そのあと 判じるようにして いづれかの国語において意味を取るかたちである。
 これらふたつの種類の言葉は いづれも或る種のかたちで 《わが精神が旋回しつつ運動する》かのようである。

 旋回する精神が 求める解を見つけ出したときには しかも その解とは別に 解は もはやあたかもどうでもよいと思わせるかのように奥のほうには 真実のことばが控えている。とわたしたちはいま言おうとしている。二つの種類の言葉である。
 けれども心の奥からの真実の言葉は 《わが日本語やどの言語にも属するとは思われないような音や声》として こころに語られるかのようである。
 《よくやったぢゃないか》とか 《そのとおり。そこに われわれはあるのだ》とか きわめて単純な安心のことだったり もしくは 或る種の仕方で意志の一時の休息のごとくであったりする。とも言い得る。

 もしそうだとしたら もしそうだとしても わたしたちはなお このわが心の真実としての《親しき内密のことば(verbum  verum intimum)》 これをも超えてさらに窓を 開かねばならない。  

 (アウグスティヌス:《三位一体論》の一部を 脚色したものです)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ すなわち 真理(心の窓)は 人間には表象し得ないのである。
 《いかなる国語にも属さないこころのことば(verbum cordis)》も――それは いくらか神の言葉に似ているように見えるが それでも―― 神の言葉にはほど遠いという見方を言おうとしています。
 だからアブラハムに いわゆる縄文人に見られると推測されるような《神憑り》はない。あり得ないということを おぎなっておきたいと思います。
 そこから 息子のイサクを神にいけにえとしてささげるという要素を伴なう物語が生まれてきたものと推測します。極限にまで推理を尽くしているでしょうが 精神の普通であることにもとづいています。ひとは見よ 聖書記者の強靭な精神力を。

この回答への補足

再度のご回答ありがとうございます。
うーーン難しすぎます、言葉が踊っているようで目が回りそうです。
再度挑戦してみます。

>けれども心の奥からの真実の言葉は 《わが日本語やどの言語にも属するとは思われないような音や
>声》として こころに語られるかのようである。
これは、禅の境地と同じものと思われます。
只今禅をやっておりますが、この境地にはまだです。
現在、必死に私の神様の穴を叩いていますが、何故かなかなか起きてくれません。
そんなにこき使っていないのに!
まだまだ、こき使ってやると思ってますけど・・・・ハハハ

楽しいですよ、こき使い方が分かると。多分聖書にも書いてあると思います。
具体的にではなく抽象論で書かれていると思いますが、何処に書かれているかは分かりませんし、
探す元気はありません。
多分「悔い改めます」がそうなのかなと思いますが、これでは益々消極的な人間が出来あがるのではないかと危惧しております。

補足日時:2010/08/19 16:10
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
ここのシステムが良く分からず、遅くなってしまいました。

お礼日時:2010/08/20 20:38

えーと、回答者の皆さんが


呆れ返ってる事に気が付きませんか?
ま、無宗教なのに都合よく神が守っている
らしいのも怪しい限りですがね、、、。
まあ、それか都合良いように自分で
とらえているかのどちらかですね、、、。

ま、質問者は「神様は寛大だ」とかよく言いますが
せめて実例を示してくれないと
納得はしませんがね

とりあえず自分の場合は

小さい頃、コックリさんをしているのを見て
イエス・キリストに祈りをしたら
コックリさんをしていた人達が
「コインが止まった!!」と皆さん口々にして
紙を捨て始めましたね。

それとか
現在結婚は出来ましたが
仲介者が「こんな結婚解消だ!!」とか
叫んでいましたがそんな障害にさえぎる事もなく
無事に今でも嫁は家にいますね、、、
ただし、自分も努力が足りなかったせいで
妻との話し合いはうまく行きません。

これらはほんの個人的な一例ですが
質問者はしっかり言える実例とかお有りですか?

この回答への補足

>えーと、回答者の皆さんが呆れ返ってる事に気が付きませんか?
はい、気が付きませんでした。そのような方は来ないと信じていました。
呆れ返ったら相手にしないで、こないですよ。誰も。

>小さい頃、コックリさんをしているのを見てイエス・キリストに祈りをしたらコックリさんをしていた
>人達が「コインが止まった!!」と皆さん口々にして紙を捨て始めましたね。

御免、意味不明。

>現在結婚は出来ましたが仲介者が「こんな結婚解消だ!!」とか叫んでいましたがそんな障害にさえぎ
>る事もなく無事に今でも嫁は家にいますね、ただし、自分も努力が足りなかったせいで妻との話し合い
>はうまく行きません。

ここに貴方の神様が居ることに気が付きませんか。貴方の神様も寛大じゃないですか。
奥様との話し合い頑張って貴方の神様にお願いしてみてください。
自分に「家内とよく理解し会える」と心に刻み込むと、貴方の神様が手伝ってくれますよ。
真剣度合いですけどね。数日では無理です、真剣であればあるほど1ヶ月くらい。
そんなに待てないと言う気持ちが強ければ早まります。

今から30年近く前、世の中に初めてパソコンがNECから発売されました。
以前から、プログラム付き電卓で何とか仕事を楽にしたいと日々思い楽しんでいました。
当時で100万円のパソコンは個人で買えません。何とかパソコンで仕事し遊びたいと日々思っていました。
神様が会社に買わて、仕事と遊び両方出来る手段を教えてくれました。

エジプト赴任で3年間英語と悪戦苦闘しました。
このときも、神様が「度胸英語」でやればいいじゃないかと教えてくれ応援してくれました。
無事、潜り抜け感謝感謝です。

ある日、人生にレールが敷かれていると実感し、目に見えたように思いました。
これも、私の神様のお陰です。

自分に神様が居ると知ったのはずっと後ですけどね。
そして、神様の穴を叩いて実行する方法も、最近です。神様の穴を叩くんですから・・・ハハハハ
面白い神様ですよ。

まぁこんな感じの神様です。
信じてはもらえないでしょうけどね。
当時は、神様の穴を叩けばいいんだとは知らなかったから、大したことは出来ませんでした。
知っていたら希望のNASAに就職し宇宙遊泳していたと思います。

補足日時:2010/08/19 15:44
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
ここのシステムが良く分からず、遅くなってしまいました。

お礼日時:2010/08/20 20:39

ある事件。


一家を惨殺した人がいて、どうしてやったのかと聞くと、この人の場合は神ではなく男が言ったから でした。

その男とは誰ですか? と聞くと、名前もどこに住んでいるかも知らないが、確実に存在する人だと言う。

「人に言われたからといって、自分の愛する家族を男の指示通りの方法で殺せるもんなんですか?」
そう聞いても、「だって男が命令したのだから」と埒があかない。

妄想を止める強い薬を投与してからは、もう男はその人の前に現れなくなった。


統合失調症という病気は、100人に1人くらいの割合で現れる病気。
(どの国もだいたい人口の1%の割合で発生していると考えられている)
特徴としては幻覚・幻聴がある。

存在しないものを存在すると知覚したり、聞こえたと誤認識してしまう。

人によりけりだけど、一年のうちにある時期だけ症状が現れる人もいる。
季節の変わり目に起こりやすい。


幻覚・幻聴は人によって違い、壁の中に人がいて、そこから自分を一日中監視している者がいると認識したり、すれ違う人が自分の悪口を言っていると認識したりとさまざま。

中には現実起こりえる内容だったりするので、それが病気による幻なのか家族はわからず受診が遅れる。
遺伝も関係しているので、親も同じ病気の気があり幻聴が起こるので、それを「神からの声だ」と思って宗教を信仰してしまっているので、子どもが発病したとは思わず、「あなたも神に選ばれたんです」と子どもの発病を喜んでしまう。
猟奇殺人をする人を捕まえると、ものすごく信仰深いわけですが、病気が原因で信仰することになり、幻聴を神の声だと思ってそれに従い殺人を続けていくわけです。


宗教を信仰している人の中で、神はいつもあなたを見ている(監視している)という宗教を信じる人は日本では1%。
信者に聞くと、いつも誰かに監視されている感覚があるとみんな言う。
その正体は神だと納得しているわけです。

まあ 壁に中に人が入っていて自分を監視している と怯える統合失調症患者はは日常生活ができませんが、神に常に監視されていると怯えて、悪事を働こうとしても働けず、結果 他者に害を与えることが無く過ごせるのなら、その妄想はその人にとってはいいことなわけで。


こんな妄想ならいいのですが、神の声が聞こえ、その内容は「殺せだった」と言う人が後を立たず、精神鑑定を視野に入れ警察は調査をしている という新聞記事を1年に一度はみかけます。


アブラハムが実在していたとして、現代に生きていたとしたら、アブラハムがイサクを殺そうとし、そこに第三者が通りかかり止めたら「神が命令したかやらなければならない」とやめよとせず「そこに動物がいるが、それを身代わりにしろってことじゃないですか そうですよ きっと」と言って説得し、彼を医者に連れて行って、医者は彼を「統合失調症」と診断するでしょうね。


あなたはこのようなことを命令する神を信仰する人達の気持ちがわからない とのことですが、これでどうでしょう?
何が原因で起こったか、現代の科学ではその謎を解くことができます。

信者全員が幻聴・幻覚の体験者なんです。
病気の進行が穏やかな人もいれば、神の命令があったとして殺してしまい医療刑務所に入っている敬虔な信者さんもおられます。
この場合の敬虔は、自分の頭の中の妄想に従順に従うって意味です。

時には他人の妄想に従順に従う信者さんもいるでしょう。。
このカテでもアウグスティヌスやパウロの発言を書いて、すばらしいと賞賛し、その行為を自画自賛し酔いしれる公開自慰している患者さん。
キ モ チ ワ ル イ ・・・と目をそらさずにはおられない。


<アブラハムはいかに信仰深かったか>という話として、一般的に納得されているかのようですが、現実こんなことが身近で起こったら、果たして信者は「敬虔深い信者だ」と思うでしょうか?

信者なら認めるはずです。
なんちゃってクリスチャンでは無いなら、子どもの身代わりとして人形にガソリンかけて燃やして殺す人より、息子のガソリンかけて殺した人の方が敬虔深い立派な信者だと思うはずです。

宗教ってほんとに恐ろしいものです。
この魔物の心を覗き込むときは、細心の注意をしなければならない。
調べているうちミイラ取りがミイラになってしまう危険があるから。

強い精神を持っていなければ、覗いては駄目。 
魔物に食われるよ。
というか あなたの足 もう消えてますね  食われちゃっている・・・・ ああ・・

この回答への補足

>あなたはこのようなことを命令する神を信仰する人達の気持ちがわからない
残念ながら狂人の言うことは信じられないし、哀れだなと思います。
神様へのお願いの仕方を間違えているだけかも。
もっとも、大脳神経に異常がある場合はどうしようもないですよね。
刑務所に入れておくほうが良いかも。

>宗教を信仰している人の中で、神はいつもあなたを見ている(監視している)という宗教を信じる人は
>日本では1%。
私の神様は、私が監視しています。監視を怠ると本当に寝てしまうんです。
ある意味では困った神様ですが、いざとなると味方してくれますので有り難く思っています。

>強い精神を持っていなければ、覗いては駄目。 
>魔物に食われるよ。
>というか あなたの足 もう消えてますね  食われちゃっている・・・・ ああ・・
ご心配ありがとうございます。
私は私なりに神様の扱い方を知っています。絶対に他人を不幸にするお願いをしてはいけないことです。
うっかり、その気でお願いすると他人を平気で不幸にしてしまいます。罪の意識も無く、神の声でね。

本当はみんなに、各個人が持っている神様のこき使い方を教えたいんですけどね。
誰も信じないから、布教活動と思われても困るし、各人一人で神様にお願いする方法なんです。

補足日時:2010/08/19 10:00
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
ここのシステムが良く分からず、遅くなってしまいました。

お礼日時:2010/08/20 20:37

「私の信じている神は私によくしてくれ、私は守られている。

それは私の人格が優れているからです。あるいは特に理由もなく、私は特別に守られています。」

 という事を言いたいのでしょうか?

それとも、「なぜ私は守られているのでしょうか。何か理由があり、神様に好かれているのか、それとも偶然であり、特に理由もなく特別に守られているのでしょうか。」

 という質問でしょうか。


>その内罰が当たるかなと思うくらいです。

 そう思っていて、これからも今までのように生き続けるなら、その思いはさらに強くなり、実際にそうなるのではないでしょうか。そういった、一抹の不安を感じたからこの質問をしたのでしょうか。

この回答への補足

>それは私の人格が優れているからです
これは、違う誰でもが神様を持っているのにと思っているだけ。その神様の利用方法を知らないんだとね。教えたいけど信じてもらえないので書けないだけ。初めの質問趣旨と異なるし。変な宗教の布教と思われても困るし。基本的に独りだけで行うものです。

>そう思っていて、これからも今までのように生き続けるなら、その思いはさらに強くなり、実際にそ
>うなるのではないでしょうか。そういった、一抹の不安を感じたからこの質問をしたのでしょうか。
大当たりです。これが私の神様なんです。分からないでしょうけどね。「罰が当たる」と思いながらこないように私の神様に頼んでいます。簡単ですよ。

以上補足でした

補足日時:2010/08/19 09:42
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この回答へのお礼

基本的に怖い神様がいるのは何故?
みんな、どうしてそんな怖い神様をありがたがるの?
これを知りたい、一方
私には都合の良い神様がいるのに。
と言うことです、

お礼日時:2010/08/19 09:35

>>神様の波長に合わせる方法は聖書に記載されています。

誰でもそのままで決断さえできれば即座に、神様が与えようとして人生に入ることができます。

>これが書かれているのですか、知らなかった。これが書かれて居る事をみなに話せば皆幸せになったかも。是非とも手短にお教え願いませんか。

神様の波長といったのは小生の翻訳ですので、聖書には載っていません。趣旨は神様の意向が解るようになるには神様の求められる決断をする必要がありすということです。その決断をすると聖書がよくわかり、また不思議なほど確信を持って解るので、「まるでラジオのつまみをまわして周波数があったときと同じようだと思ったものですので、そのような表現にしました。

もしクリスチャンであるならば聖霊がなどというべきと思いますが、あまり聖書の言葉を解説もなく使いたくなかったので、そのような表現をしました。お詫びして訂正申し上げます。

私自身のことを述べさせていただけるのであれば、自己中心で、罪を罪とも思わない、まるで自分があたかも神であるがごとき人生を歩いていました。一方自分はどこからきてどこに行くのか解らずに、目的もなく当てもなく人生という怪物に対峙しておりました。しかし最大の問題は自分の罪であるということにある日気づきました。私の心の中は真っ黒な罪という水に満たされておりまして、半分捨てて水を入れても真っ黒で、90%を捨てて新たに水を入れてもまだ真っ黒でした。何度入れ替えても真っ黒だったということは器がすでに罪の固まりであったということだと思います。いずれにせよ比喩的ですが、私の罪は汚れすぎていましたので、何を持っても清めることができなかったのです。ところがある時どのようなコストを支払っても(偉い人になれなかろうが、貧乏になろうが、大げさに言えばこの命を失っても)イエスキリストに従ってゆこうと決意しました。そのときイエスキリストが死人の中から復活し、また私の罪が許されたことが解りました。突然歓喜が私をとらえました。どこを押さえても体から吹き出すような歓喜を味わいました。その後日々神様が約束した将来と希望と平安を体験しております。

その後私は聖書を読んでみて驚きました。いままで何の意味も持たなかった聖書が特定の意味を持つようになったのです。その意味を皆様にお伝えしたいというのはそのときより35年以上かわらずに持ち続けています。

聖書の物語は本当の意味を知るまではおとぎ話のように聞こえますが、体験者には実質的な意味と力を与えるものです。詳細はプロテスタントの牧師とお話していただくか、聖書をお読みいたくことでさらにご了解いただけると思います。

この回答への補足

>また私の罪が許されたことが解りました。突然歓喜が私をとらえました。どこを押さえても体から吹き
>出すような歓喜を味わいました。その後日々神様が約束した将来と希望と平安を体験しております。
これは良かったですね、凄いことです。

非常に分かりやすい説明何度も何度もありがとうございました。
本当に申し訳なく思っています。
偏屈爺にお付き合いいただき幸いです。

もしかして同じ年代より上の方かな、私還暦です。

事情があって敢えて補足欄に書かせてもらいました。
この掲示板を閉める時に、お礼欄を使わせて貰います。

聖書だけはご勘弁、知人に貰ったものがありますが、読み解く元気は今はないです。
聖書をかじった時に、私の考えが比ゆで説明されており、あぁこういうことなんだなと思いながら目を通したことがありました。
牧師さんが貴方のように忍耐で応対して貰えるかどうか分からないことと、文章にすることで疑問が浮かび上がるので、また何方かが引き継いでくれることを祈っています。

>私の心の中は真っ黒な罪という水に満たされておりまして
これ妬み、怒り、猜疑心、不信感、等々他人を不幸にする様なものではありませんでしたか。
(所謂、残留不要本能心のことですが)

本当に、貴重な時間を割いていただきありがとうございました。

補足日時:2010/08/18 22:08
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この回答へのお礼

>神様の波長といったのは小生の翻訳
もし、再度目を通していただけているなら幸いです。

私の「神様の波長」へのあわせ方。
ただ、「自分の限りない可能性・能力を信じ、こうしたい」と自分の心に言い聞かせます。
寝付く前、朝目覚めたら、日中思い出すたびに、ひたすら、信じて行います。
そうすると、心の中の神様が目を覚ましてエネルギーを必要な分だけちょっきり過不足なしでくれます。

多分これを読んで、聖書の中の一説に似ていると思われるかと思います。
私自身聖書をかじっただけで読んでいません。
あの「悔い改めますを」私の「神様の波長」へのあわせ方にすると簡単なんですけどね。
鉄則があります、他人を不幸にしないこと。
神様は何でも言うことを聞いてくれます、ここに大問題があるのです。あいつを殺してくれと頼むと本当に頼んだ人があいつを殺すからです。

お礼日時:2010/08/19 10:15

長いご返答ありがとうございました。



>神様は人間も愛していますよね、神様は、神様の一番大事なものを何か人間にくれたのでしょうか。

聖書は聖書の言葉を読みながら理解するだけでなく決断することを要求しています。その決断をすることによりおとぎ話のような表現である物語の背後にある真実にぶち当たるようになっています。教会の牧師の話を聞いたことがあるかどうか知れませんが、「講釈師見てきたような話をする」と言うのがまさに牧師の仕事です。かれらは聖書の言わんとした事実に一度あたって、それを理解しておりますので、また聖書はそのことを人間に理解させようとしているので、どの文章を読んでも「納得」という理解に至るわけです。読む方の牧師の波長と読ませようとする神様の波長が合うので、理解できるというわけです。ラジオの原理と似ています。人間の側で周波数を合わせてやる必要があるのです。もし神様の方で周波数を合わせるというのであれば、私どもに自由がなくなります。むしろそのほうが幸せなのかもしれないとも思いますが。

長い話になりますので、単刀直入に申し上げますが、神様の波長に合わせる方法は聖書に記載されています。誰でもそのままで決断さえできれば即座に、神様が与えようとして人生に入ることができます。

その前に神様は人々に平安と希望と将来を与えると述べられたように豊かな人生を与えようとしています。ただ聖書ではエバが神様が取ってはならないという木の実をを食べたので、それ以来人類に罪が入りました。お伽話を用いて、どうして我々はともすると悪いことをしてしまうのかという事を述べています。つまり人は罪びとです。聖書に「義人はいない一人もいない」と述べられています。見回してみるとたしかに納得するところがあります。この罪のために清く正しい神は人を救えないのだと述べています。

キリストと言う男は私どもクリスチャンの間ではそのまま聞いてほしいのですが、人間であり、神でもありました。聖書によればキリストは神でしたがその立場を離れて人間の姿になられたと説明しています。その人間になられたキリストは丁度神様の子供の様だとおもいます。かみさまはそのご自分の子供を十字架の上で罪びとの手に渡すことで命をとりました。これが神様の愛の具体的な表れです。それでキリストは死の直前、十字架の上から自分の体に槍をさすようなローマの兵隊や多くの見物人に対して、「神よ彼らをお赦しください。かれらは何をしているのかわからないのです。」と罪びとの救いをお願いしたのです。

また同時に2人の罪びとが十字架にかかっておりましたが、その内の一人が自分の罪を悔い改めました。するとイエスは「あなたは私とともにこの後パラダイスにいるであろう」と宣言されてたのでした。この言葉は1980年前頃多くの群衆の前で語られましたが、私の内側では今日この日も私の内面の事実となり、自分の罪が赦されたことが分かるのです。

聖書は論争を起こすような目的では書かれておりません。難しい決断ですが、もし自分の罪を神様の前で認めるならばあなたに永遠の命が与えられと述べています。またおとぎ話的な書き方をしてしまいましたが、永遠の命とは神学的にはいろいろあるのだろうと思いますが、死の恐れを乗り越える心理状態と言えなくも無いと思います。

聖書ではたとえあなたが全世界を手に入れても命を失ったら意味がないと述べています。イエスキリストを受け入れない人生はその命をいずれ失うとも読むことができます。お子様がおられると思いますが、私は自分の子どもは宝だとおもっていますので、自分の子どもが十字架で死ぬことなどとても受け入れられません。幸いも神様からそのような命令を受けたことはございません。ただし聖書のお話をご理解いただけない方々に遭遇した時に、この命を捨ててお見せしなければならないのだろうかとふと考える時があります。
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この回答へのお礼

度重なるご回答ありがとうございます。
聖書の内容がやっと見えてきたように思えます。

昔、人間は罪深いもので悔い改めなければならないと聞いて、何でそんな悪人を神様は作ったのと思っていました。
多分その意味が最近分かりました。
人間に「不要残留本能心」があります。消極的な態度、怒り、妬み、そしり、その他諸々悪いことばかりが「不要残留本能心」と言われる物です。
多分これをもっている事を指すのかなと考えています。
この「不要残留本能心」は、数億年前に哺乳類から人間になり生き抜くための知恵だったのだと思います。そして長い年月をかけてDNAに書き込まれたものと思います。
でも、平和な現在は要りません。数千年前から要らなかったのですけどね。2000年前は既に不要なのに剥き出しだったのではないでしょうか。

>神様の波長に合わせる方法は聖書に記載されています。誰でもそのままで決断さえできれば即座に、神
>様が与えようとして人生に入ることができます。
これが書かれているのですか、知らなかった。これが書かれて居る事をみなに話せば皆幸せになったかも。
是非とも手短にお教え願いませんか。

>この罪のために清く正しい神は人を救えないのだと述べています。
なんで?引っかかる。全知全能の神様が出来ないの、それじゃ全知全能ではなくなってしまうのでは。

>死の恐れを乗り越える心理状態と言えなくも無いと思います。
うん、これは分かる。生きている限り生きていろ。死ぬ時は死ぬんだ。という考えに似ている。
私はどっかの信者じゃありません。偶々自分の考えを具体的に書いてくれた人の言葉を借りています。

>ただし聖書のお話をご理解いただけない方々に遭遇した時に、この命を捨ててお見せしなければならな
>いのだろうかとふと考える時があります。
とんでもない、自分の命は自分のもの。宗教ごときでと言ったら不謹慎かもしれませんが。
絶対に捨ててはいけない、その時がくるまで。人生を謳歌しなければ、孫の顔を見るまでも。

蛇足
>「講釈師見てきたような話をする」
私が知っているのは、「講釈師見てきたような嘘を言う」

お礼日時:2010/08/18 17:40

>神様は何をしてくれようとしたんですかね。

まだ実行されていないのでしょうか。
>2000年近くたつのに。
>でも結局神様は何も手を下していないのではないですか。

神様は通常の方法では理解できませんが、ご質問者様が生まれたこと、また日々の生活を楽しんでおられるその原因は神様です。あるとき惑星と惑星が衝突し、しばらくしたらわけのわからないうちに人間が生まれてきたというわけではございません。目の前に展開する風景や出来事の背後には神様の手の働きが隠されています。20年前に映画でBack to the futureという映画がありましたが、あるとき悪い人間が残ったためにその社会の未来が荒廃し、それを過去に戻って良いものが残るように過去に変更を加えるという物語がありましたが、2000年まえに大工の男で、イエスキリストという名の男が死にましたが、もし彼がそのとき死んでいなかったならばら今の西洋文明、ひいては今の平和な日本もどのようになっていたわかりません。

神様が手を下したのはイエスキリストの死を通して私どもに生きるという事の意味を示したと思います。誤解や避難を恐れずに書けば神は愛であるということに尽きると思います。愛の内でその友のために命を捨てるほど大きな愛はないと聖書でも述べています。神様はもう少し正確には約1980年前頃、大工の男を殺すことによって愛とは何かということを示しました。あなたが一番大事にしているものをあげてしまうということが愛です。

>これも、その一つ貴方と話したかった。
>この意味分かるかな。

この意味は分かりません。少しどきりとしましたが、当方の回答はご質問者様だけに語っているのではなく、このシステムの性質上多くの方にも語っていると思い書いておりました。またこのシステムを通して聖書の話ができることを喜びとしていますので、再度返答に回答することに致しました。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございました。感謝感謝です。

>>これも、その一つ貴方と話したかった。
>>この意味分かるかな。
>この意味は分かりません。少しどきりとしましたが、当方の回答はご質問者様だけに語っているのでは
>なく、このシステムの性質上多くの方にも語っていると思い書いておりました。またこのシステムを通
>して聖書の話ができることを喜びとしていますので、再度返答に回答することに致しました。

私は以前から信徒の方と少し話したかったのです。もう数年になります。よく街頭や自宅訪問で布教活動をされているのを見て何度も聞きたいと思いながら時間が無く聞けなかったのです。
私の神が覚えてくれていて、おいここに書いてみろ!と指示を出したので書いて、貴方と質疑が出来たのです。(これが、私の神への感謝感謝なんです。初めの感謝感謝は貴方様へです)

>イエスキリストという名の男が死にましたが、もし彼がそのとき死んでいなかったならばら今の西洋文
>明、ひいては今の平和な日本もどのようになっていたわかりません。
否定はしません。

>愛の内でその友のために命を捨てるほど大きな愛はないと聖書でも述べています
何となく分かりますが、何となく。でも納得は出来ない。
天皇を愛するなら戦場で死んで愛を天皇に差し出せと一緒ではないでしょうか。
ちょっと屁理屈かもしれませんね。偏屈爺と思ってお許しください。

>神様はもう少し正確には約1980年前頃、大工の男を殺すことによって愛とは何かということを示し
>ました。あなたが一番大事にしているものをあげてしまうということが愛です。
神様は人間も愛していますよね、神様は、神様の一番大事なものを何か人間にくれたのでしょうか。
ホント、偏屈爺ですね。

お礼日時:2010/08/18 16:01

度々ですがー



自分が思うには「一喜一憂」した結果で
神はこうであると決め付けるもではないと
思っています。
(例えば、宝くじ当たったから神が恵んで
くださったとか、悪い事あったから
神が見捨てたとかなど、、、、)

今の所は悪い目にも会ってないから
「神は良い」事ですか?
それはたぶん間違いだと思いますし
質問者が「神とはこうでなければならない」
幻想を持ちすぎているようにしか見えないです。

>特定宗教だけの問題でもないと思いましたので
あのー
質問文の「神(私)を信じるならば息子を殺せ」は
聖書のくだりを連想させるものですし
最初から特定の宗教に発信しているようにしか
見えないのですがね?
質問者は都合の良い様に考えられる節があるので
言っている意味が理解出来ないのであれば
「信念」もお持ちのようですから
質問せず自己解決すべきでしょう。
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この回答へのお礼

他に有名な宗教で
俺以外の神様は全て俺が作った偽者だ。それを信じている奴はばか者だから連れて来い
と言った神様がいます。
何で、人間を騙したり、試したりするような心の小さい神様をありがたがるのかそれが理解できないのです。
神様は絶対に人間に不遇な境遇を与えません。
それは、他の人間がしたことと思っております。
人生は山あり谷ありは事実です、認めます。

自己解決はしております。

お礼日時:2010/08/18 15:41

 No.6&8です。



 ★ (No.8お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 私は私の神様を揺り動かして助けて貰っています。
 時々寝ちゃうのが私の神様の欠点、たたき起こせばなんでもやってくれます。
 他人に出来ることでやりたいと神様に伝えれば。
 従って《非思考の場》はないみたいです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 具体的にどうであるのか もうひとつはっきりとは分かりませんが この場合にはやはり無神論としての非思考の場があるというようには思うのですが。
 これの説明は ややこしくなります。 
 《無神論としての非思考の場》であるゆえ ただ《神様》と呼ぶのだとまづ思います。誰かが伝えたあるいは昔から土地に伝わるといったどこどこの神でもないようですので いわゆる有神論ではないかと思います。ということは 無神論派になるかと思います。
 しかもこの何と呼ぶか分からないなぞの《非思考の場》を訪ねてくる者 これのはたらきとして あなたは《神様》と呼んでいるのではないかと推し測られます。
 すなわち推測にしたがうならば 《非思考の場》は無神論で 実際の日常生活における具体的なはたらきとしては《神様》と呼ぶかたちとなっている。――ちょっときついでしょうか?

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 貴方の心の中にも居るんですけど、やっぱり《非思考の場》ですか。
 貴方は、何かの信者又は神学者なのでしょうか。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしの心の窓をたたいてくれたのは キリスト・イエスの神つまりいわゆる聖書の伝える神です。そしてすでに述べたように 宗教には入っていません。どの教会にも属していません。ひとりだけの信徒です。
 わたしの場合は わたしのほうがしばしば眠ってしまいます。わたしのほうが たたき起こされます。(これは 聖書やアウグスティヌスを読むときなどに起こります。あぁ 知らなかった こういうことだったのか。というふうに目を覚まされます)。ということは 非思考の場が活動していてくれるのだと思います。

 わたしは詳しく知らないので何ですが かんたんに言えば あなたの場合 ドラえもんのようにも見えますが そう言っては おかしいのでしょうね。
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この回答へのお礼

bragelonneさん度々回答ありがとうございます。

やっぱり貴方の心の中に神様が居るんですよ。
その神様が聖書を読めと指示しているんですよ。気が付かないかな?
ドラエもん・・・そうかもね。

私は、自分で心に可能なお願いを刻み込むだけなんです。それが信念になり、私の神様はお願いを聞いてくれるんです。
そう、ドラエモンみたいに従順で頼りがいがあります。
気づくのに遅すぎましたけどね、でも無意識にやっていました。

お礼日時:2010/08/18 11:35

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