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なぜ才能がないのに努力をしようとするのか?

それとも、才能がないから努力をするのか?
しかしいくら好きでも才能がないと、どうしょうもない
ものもあるだろう。

僕には高校時代に、野球部に所属している友人がいた。
しかし、彼はいたって野球がヘタであった。
案の定いっこうにうまくなれず三年間玉拾いをしていた。
それでも、彼は野球をやめなかった。
ある意味えらいとは思うが、スポーツの世界は才能が
なければ、上達は難しい。ということがわかった。

また、音楽の世界も同じ事がいえるだろう。
モーニング娘に道重さゆみというこがいる。
「私かわいいでしょう」というキャラでよくテレビに
でているので、ご存知のかたも多いだろう。

彼女は数年前にモー娘に入ったのだが、そのころから歌がヘタだった。
おそらく歌の才能がないのだろう。
そして先日、最近の彼女の歌を聞いたのだが、やっぱりヘタだった。
数年間、きびしい歌のレッスンを受けているはずなのに。
つまり歌唱力も才能だということを、彼女が証明してみせた。

才能がもろにでるスポーツや音楽の世界では、やるまえから、
あるいはやっている途中で、自分に才能があるかないかは
本人が気づくはずである。

そして、才能があるものしか日のあたる場所にでれない。と、
いうことも、心の中ではわかっているはずではないのか。
それなのに、それでも努力し練習する人が多いのはなぜか?

ちなみにモー娘の道重さゆみちゃんは、歌がヘタでも可愛いので
まったく問題はないのですが。

A 回答 (19件中11~19件)

>それでも努力し練習する人が多いのはなぜか?



人間というものは、そういうものです。
貴方などの理解の範囲にはありません。
もちろん私にも解りません。

人間、この不思議な、不可解な存在!

サルの一種が相対性原理を導き、宇宙へ行く。スカイツリーを建てる。

誰にも予想はつかなかったでしょう。

可能性は(人間であれば)誰にでもあるということではないでしょうか。

おわり。
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もし後悔したくなかったら、才能のある人もない人も出来ることは、



人事を尽くして後は天命を待つ

だけです。
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夢中になれるものがそれだったから じゃないかと。
大好きなものに携われる。

その携われることをするためには、何かをしなければならない。
それをすれば携われる。
だからやるわけです。
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 こんにちは。


 水差し浪人です。

 ひとは みなどんぐりの背比べです。
 才能もそうです。

 学力だけに限らず 人びとの評価において 100点満点を取ることと50点を取ることとでは 差があります。どんぐりの質の差をも問われかねないかも知れません。
 そこで 一方では ニュアンスが変わりますが 五十歩百歩だと見るひとと 他方で いやいや百歩を取って五十歩は捨てるという判断をするひとと 一般にこの二つの場合に分かれるでしょう。
 そして それだけの話ではないでしょうか。

 努力は 才能があろうがなかろうが したければするでしょうし したくなければしないでしょう。
 才能があるにしろ無いにしろ 努力するひともいれば しないひともいる。

 才能の有無を問うよりも たとえ無くても 何がしたい・かにになりたいといった目標を持ったときには それに向かってすすむということだと思います。そのとき 努力などしないで成功したいというひともいると思いますよ。

 ウド鈴木とかゴリとかの場合 才能の問題ではなく ひととの話し合いの仕方が変わっていると思います。ずれているように感じます。それを――時間を取ってしまったとしても――その場でみんなで考え合っていくのがいちばんよいと思います。
 北野武は 本人はコミュニケーションに問題があるわけではなく しかも かれの発言に対する周りの人びとの反応の仕方が 変わっていると思います。(最近年は見ていませんが)。何でもかでも面白いという反応を見せるのではないか。おかしいと思います。
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なぜ才能がないのに努力をしようとするのか?



 努力を重ねることで才能の無さを補おうとしている。

 才能があるかないか、いったい誰が判断するのかね。
 まさに歌の才能なんて声さえ出せるなら誰にも才能がある。
 ピッチがずれようが、リズムがずれような、心地の良い歌がある。
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才能が「ない」というのは、死人のことである。


他人と比較して少ないことを、「ない」と表現するのは勘違いである。
人間、生きてさえいれば「才能」の違いなんて、60点か90点かの程度の
違いに過ぎない。
もし、他人との競争社会であれば敗北は死=1点の差が「才能がない」と
言えなくもないが、助け合いとしての社会においては、60点が10点で
あっても、協調性のある人は確実にプラスであり、100点であっても
自己チューで周りを攻撃し、不快にする人はマイナス100点であって、
その「才能」は死人以下(マイナス)である。
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幼児期に音楽教室に通わせてもらったおかげで、歌は苦労しませんでした。


残念ながら苦労したかたの気持ちをわかってあげることができません。

運動は苦手意識を持っていたためあまりせず、後れ馳せながら、部活などで、夢中になりました。きっと野球なら、質問者様のお話のように万年補欠だったのでしょう。

「三つ子の魂百まで」恵まれた時期にはじめれば、ほめられ、調子にのって、取り組むので、上達も早いですね。高校生になるころにはもう余裕ですよね。

ただ、私の場合は練習嫌いで小さい頃はなにもせず、譜読みもめんどうがっていました。指を怪我した後遺症があったので、やる気がでたころには、プロ仕込みの先生の耳をごまかせず、指の力を出せず音が抜けがちになり、均一に音が出ないのを克服するよう、あたり前のスケールを何時間も練習しました。いい先生に出会えました。

スタートラインの早い遅いで、才能の有無を決めるなんて、つまらなさすぎます。歌手の女の子はおそらく、下勉強なしで、芸能界入りして、しかられながら仕込まれて、苦手意識もちながら歌ってます。
ほめられて嬉しそうに歌っている人みたいに上達しません。

また、トンネルを抜けるまでやめてほしくないです。一年でだめでも、翌年、翌々年に、出口にいけるかもしれないのです。

また、うまいだけじゃ、声のよさだけでは、人は感動しません。
音楽が好きでたまらない人の音楽が、感動するのです。
あるとき、何かのはずみで音楽に夢中になったかたの音楽のすばらしいこと。私の学生時代はバンドブームで、あちこちからギターの音が聞こえてきました。
必死で練習して身につけていったかたの音楽には魅力を感じます。

才能うんぬん関係ないです。
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好きなことだから努力するんです。


野球が好きだから、歌が好きだから。

しかし、好きなことでも才能が無いために努力を途中でやめてしまう人も多いんです。

つまり、その友達や道重さんのように努力し続ける人は、努力の才能があるのです。
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人間には物事全ての損得勘定を出来るほどの脳みそはありませんので


才能のあるなしはだいぶ努力してからじゃないと気づかないものなんですよ

もっと良い脳みそ積んでれば良かったんですけどね~
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