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A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
文殊の智恵という処世や世間の知識や判断がでてくると、いろんな作用があるものだと経験します。
つまりいろんな状況を忘れた状況では、人は意外に素直に行動しているし、思っているのではないかと存じます。
それと(或いは上記と同じことかもしれませんが)、自分という存在を忘れる、或いは意識しないときは、人って生来のあり方で考え、言動すると存じます。
>自分という存在を忘れる、或いは意識しないときは、
確かに仰るとおりです。自他を扱っているので自分を忘れること即ち他を忘れることとなり質問が成り立たなくなります。しかし、そこが唯一、自他の合一点なのでしょうか。
No.8
- 回答日時:
○ 人間は本来、「人の喜びを我が喜びとし、人の悲しみを我が悲しみとする。
」ように出来ているのです。これは個別であるように見える人の心は、本来自他一体のものだからですね。元は同じで分裂してできたという意味です。これを否定するものが「嫉妬、疑い、慢心など」ですね。仏教では六大煩悩ともいいますが、これらは人間の性質ではなく「動物」の性質なのです。動物的人間を悪魔といいますが、肉体を持って生きるということは人間が人間と動物の狭間をさ迷うことでもあるということですね。
そこで、動物的思考や行動が起きた時、人間本来の自分が働きかけてくるのですね。それが「逆行してませんか?」という自問自答ですね。人間本来の自分を哲学者は「絶対理性とか純粋理性」とよび宗教家は「仏性、神仏の子」などと呼んでいます。
これがなくなり前向きに「人の喜びを我が悲しみとし、人の悲しみを我が喜びとする。」ようになれば、もう人間(人の心)ではなくなるわけです。人間の姿をした動物、悪魔と呼ばれる存在になるということですね。
このような人間も多いですから何が正しい自分かを常に見つめる姿勢が必要ですね。
日々人であるか動物であるかの選択が人生かもしれませんね。
仏教思想 でしょうか。
>人間は本来、「人の喜びを我が喜びとし、人の悲しみを我が悲しみとする。」ように出来ているのです。これは個別であるように見える人の心は、本来自他一体のものだからですね。
おそらくそうなんでしょうね。私も最終的にはそうなるのでないかとイメージしていますが完成はおろか逆行します。
これは世の問題ではなく私の問題なのですね。
現実は単純ではなく、善悪を自分が判断し、他人の判断した善と対立する。どちらが優先かですね。
No.6
- 回答日時:
人間だからではないですか・・・
人の不幸は蜜の味・・・と言いつつも、心のどこかで引っ掛かっている・・のが人間でしょう。
状況によって、その人間らしさを試される時があります。
そうした体験を実際に味わった人ほど、人の不幸は蜜の味・・・と口に出すようです(わざとでしょうかね?)
私の友人の体験ですが
仕事に行く途中で、田舎の田んぼ道を車で走っていると
田んぼの中にトラクターが逆さになって仰向けになっているのを見つけたそうです。
あれっ、どうしたのかな、と思って近くまで行ってみると
そのトラクターの下から、人の腕が伸びているのが見えたそうです。
急いで駆け寄って、声をかけると、返事が聞こえたので
おいっ大丈夫か、しっかりしろ、家はどこなんだ、〇〇〇〇〇〇〇
一人ではどうしようもない状況の中で、とにかく近くの農家へ駆けて行って助けを求めてあげたそうです。
皆なで協力して、別な機械をもってきて引っ張ってトラクターをずらして、何とか下敷きになっていた親父さんを無事に助けることができたそうです。
友達は仕事が待っている事もあったので、すぐにその場を立ち去ってしまったそうですが
困ったのは、助けられた親父さんの方で、お礼をしたくても相手が分からない
命の恩人にお礼をしたくてもできないので困ったそうです。
幸い、一緒にいた人が車のナンバーを覚えていたので、警察に事情を話して調べてもらったそうです。
そうして、友人に電話をして確認してから、お礼に来たそうです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
友達いわく・・・
ただ夢中だったよ、それだけだ。
その友人がよく言うのです・・・人の不幸は蜜の味・・と・・・
人の不幸を喜ぶ心と、そうでない心と
両方の心を知っているから言えるのでしょう。
また、その心の比重の違いは体験してみないと分からないものなのかもしれませんね。
試される時ってありますね。
或いは、常に試されているのかもしれません。
逆行している、と思っているうちは案外大丈夫のような気がします。
ご参考まで。
いいお話をありがとうございます。
心がどうあれ行動こそがその人の意志だと思います。
>逆行している、と思っているうちは案外大丈夫のような気がします。
確かにそうですね。逆行していると思っているうちは大丈夫な方向の行動を選択するでしょう。
No.5
- 回答日時:
三つ子の魂百まで とも言うし、肉食をしているのも原因でしょうか。
肉食でもあるから脳が発達して人間となったと言う説がありますね。
天敵がいないということも関係するのでしょうけど、人間は協調しあい、そして殺し合うという不思議な種ですね。
No.4
- 回答日時:
知性筆さん。
こんばんわ。>他者の喜び悲しみを自分のものとして感じる
:なかなか美しい光景ですね。
と言っている当方も、
つい、こうなっちまうんですが。
まず、
知性筆さんは、「他者(がいる)」というのを、
どのように認識しているのでしょうか。
類似性があって、
だけど「ちがい」があるもの、でしょうか。
>私は他者の悲しみを大いに喜び、
他者の喜びを悲しむことがあります。
:いいんぢゃないですか。
たとえば(古い話になりますが)、
ホリエモン(?)にさんざん文句を言って
エクスタシーを感じている人たちに
「文句言ってるお前らムカつくわ」と思ったり、
オレより先に専務とか常務になったヤツに
「オメデトウ」と「思わずに」、
「なんかあいつムカつくわ」と思ったり、
する、のを、大切に、しても、
いいんぢゃないですか。
喜ぶ【べき】時に喜び、
悲しむ【べき】時に悲しむ、
というのは、
実はとても簡単でラクだと思いませんか。
自分の感受性の世話をしなくて済むから。
過剰な適応であっても、
適応するのは簡単でラクだから。
>では、なぜ、世はその方向へ進まず、
逆行するのでしょうか。
:「オレ」が大事だと分かってきたからかなあ。
特に、オレの「不快」を、
堂々と大事にすることが大事、
だと分かってきたからかなあ。
「不快ぢゃ!」と言い合えることが大事、
と分かってきたからかなあ。
>それとも逆行しているのは私でしょうか。
:「逆行」と名づけても「順行」と名づけても、
どっちでもいいんぢゃないですか。
知性筆さんが選んだらいいんぢゃないですか。
「逆行」だとしても
別にトラブルではないと思いますが。
知性筆さんが納得してるなら。
なるがままに。すばらしい知恵ですよね。
他者と言っても結局その他人は自分の中にいます。
現実は、善人が悲しむことを喜び、悪人を応援したりして---
善がひろがると、悪が牙を剥く。
悪がはびこれば、善が立ち向かう。
そして、自分と他者とは、同じもので善と悪が同居したりする。
それをなるがままとするなら、この同居状態なんです。
この質問を自分側からみると、自分の反射である他者がある状態であろうと自分が判断していることに、
なぜ、自分が素直に反応しないのかですね。
つまり、この人はうれしがっている。私もうれしい なのか くそ頭に来る なのか。
背景や状況によりますが、問題は、善がひろがると、悪が牙を剥く でしょうか--
最終地点を自分と他者(自分の中の他者)の合一だと思っていることに考えが引っ張られているのかも知れません。
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No.3
- 回答日時:
他者の感情・感覚を自分のものとして感知する、と言う事自体が不可能というか、
傲慢と考えた方が良いのではないか?と考えております。
他者のものは決して自分のものにはなり得ないのです。
感知は不可能と思います。
でも、理解しようとすることは可能と思います。
ただし、完全な理解は不可能かと。
理解へ向かって進む事は可能で、その姿勢こそが「理解」なのだと私は考えます。
ただ、、、理解って、主体者が意識して臨むほど、困難で過酷なものです。
意識無く行う理解が理解となり得る場合はとても希少で、
或いは浅い範囲で留まり、誰かの心に力添えできるほどの力を持ち得ないように思います。
お望みの回答にはならないかもしれませんが。。。
No.2
- 回答日時:
今や分業化の発達により、産業や経済はグローバル化し、
個人の生存は、衣食住どれも世界中の人々の営為によっており、
そうした社会性の範囲での「利己」は「利他」を包含します
(組織の順調な営為こそが、その構成員の最大の利益)。
そこに自己存在の本質に根差した“生きる意志”として求めら
れるのは、他我(=自己の延長として他を認識する=愛)です。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命
=助け合うために集まっているものとしては、働くことが
生きることとなる。
しかし今、そうした「人を助ける」=愛のために働いている人が、
どれほどいるだろうか?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”
という虚構の価値であって(他律的社会性)。
本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”である
にもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)
それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになって
しまっている(その錯覚の端的な例が、取引きに於いて役に立つ
ものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた
紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙)。
真の生きる目的たる“人生を通算した精神的充足量の最大化”は、
衝動的な物質的豊かさや虚栄心に置き換えられて希薄化するのみ
ならず、その“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北
となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
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