どうしても《絶対》ということが 腑に落ちないでしょうか
たとえば次の文章の中の《永遠的なもの》 これが《絶対》を表わします。《時間的なもの》は 《相対》です。経験世界における経験的なものごとです。したがって 絶対は 非経験です。
▲ (アウグスティヌス) ~~~~~~~~~~~~
たしかに時間的なものと永遠的なものの違いは次の点にある。
時間的なものはそれを手にする前にはとても大切に思われる。
しかしいったんそれが手に入ると 値打ちがなくなる。
永遠だけが真実の確かな住み処である人にとって 時間的なものはたましいを満たしてくれないからである。
ところが永遠的なものはそれを獲得しようと願っていたときよりも ひとたび獲得すると 以前よりもいっそう熱烈に愛するものとなる。
(アウグスティヌス:クリスチア二スムのおしえ 1・38)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《絶対=非経験=無限=永遠》は たしかに表象し得ないことですから 無いと言えば無いですし そもそも根拠もありません。ただのナゾであるだけではなくはっきりと無根拠です。
これをわれわれ日本人も 《かみ》と言って表わしてきたのではないでしょうか? やほよろづの神々は その絶対なる《かみ》が仮りにみづからを表わした分身のすがたなのではないでしょうか?
表象し得ないナゾですが このように仮りに言葉で表わしたなら それとして概念となります。
この《絶対》という概念を ふつうに日常に使えるように知るための《たとえ》は ないものでしょうか?
いくつかの視点からのご見解ともども おしえてください。
No.5
- 回答日時:
世の中に絶対はない。
絶対に! アウスフェーパーさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
そうですね。
★ 世の中に
☆ ということが この経験世界という意味だとすれば――《絶対》は その経験世界を超えた非経験の領域なわけですから―― そこに《絶対》はありません。どこを探しても見つかりません。《絶対に!》です。
では
○ なぜこの《絶対》ということばがあるのですか?
○ どういう意味で《絶対》を使っているのですか?
☆ そうです。われわれ人間は この経験世界を超えたところにもその思惟なり感性なりをあたかも及ぼして その領域を想定しているのです。
だから 経験思考を超えたところのものごとを――たとえばこの《絶対》やら《無限》やら或いは端的に《神》やらといった言葉で 代理して(あくまでも代理させて)―― さらに広い世界を想い定めるかたちを取っています。これは 一般に――《考える》ではなくそれを超えた《非思考の場》ですから―― 《信じる》ということばで表わしています。
あるいはまた数論として――直前の回答へのやり取りで――
○ ∞ ÷ 2 = ∞ ( ∞ ÷ n = ∞ )
☆ を提出しました。この《無限大》ないし《無限》は 二つに割ってもさらに割っても つねに無限です。《絶対》ですね。そう想定されています。
たしかに《世の中にはない》ものですが そういう取り決めをして使いこなしています。
どうでしょう?
つまりこの想定を互いに前提としていなければ 話が成り立たないという場面に出会います。そのためにこの質問は 欠かすことが出来ません。
No.4
- 回答日時:
絶対は、充分に周知されている。
人によっては理解しえない。何人にも侵されざる聖なる領域を表しており、どの比率かは人によって
意見が分かれるところだ。
浮世とんぼさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。わたしの質問にご見識を示してくださってありがとうございます。
★ 絶対は、充分に周知されている。人によっては理解しえない。
☆ そう言えば 無限大の数式を思い出しました。
○ ∞ ÷ 2 = ∞ ( ∞ ÷ n = ∞ )
☆ 例の三位一体というのがありますね。そのように神の本質が 三分の一づつに分かれるのだという専門家による解説すら見かけたことがあります。三つの位格がそれぞれ全体つまり無限なのであるという理解が 得られるようで得られない傾向にあるように思います。
★ 何人にも侵されざる聖なる領域を表しており、
☆ これは 一面において無限なら無限が そのように数としても表象し得ないというかたちで人を寄せ付けないところを持ちますが もう一面においては それゆえにこそその無限は 有限なるわれわれ人間をも覆い包み含み得るというところがあると考えるのです。
煮詰めて言って お釈迦さんの掌ではないですが その聖なる領域は――寄せ付けない一面とともに しかも――人びとをそのふところにいだき寄せるという一面をも持つ。こう帰結させたいと思うのですが どうでしょう?
No.3
- 回答日時:
度々失礼します。
自分ではこの世は「無限」ではなく「有限」と
捕らえているからです。
ただまあ、見えない神が「無限」であってほしいと
願うばかりですし、他にも「無限」な物質が
存在するかもねーと思うからです。
>やほよろづの神々は その絶対なる《かみ》が仮りにみづからを表わした分身のすがたなのではないでしょうか?
面白い考え方です
そう言えば以前「世界一受けたい授業」だったけな?
菩薩や~天とかの神様を
会社に例えると理解しやすいと言われてましたが
色々な役職の人が現在あるのですから
今現在が神の国と考えるのも、、、、。
とりあえず今はこんなものかな?
つづいてお考えを明らかにしてくださってありがとうございます。
そうですね。
★ 自分ではこの世は「無限」ではなく「有限」と / 捕らえているからです。
☆ 《目に見える・見えない》の区別がまづは 大きく影響していましょうか。
★ 菩薩や~天とかの神様を / 会社に例えると理解しやすいと言われてましたが
☆ ということは 仏性が皆にそれぞれあるように神の霊という言い方をするとすれば その霊が一人ひとりに宿るといった通念だと言ってよいでしょうか。
★ 色々な役職の人が現在あるのですから / 今現在が神の国と考えるのも、、、、。
☆ なるほど。一方で 《絶対や永遠》は 相対的で有限な存在であるわれわれ人間とはそれこそ絶対的にへだたっている。他方ではそれでも あたかもその絶対なる神の霊が分身としてのごとくおとづれて われわれ人間の一人ひとりにすでにはたらきをおこなっている。会社や社会の秩序やまとまりのことであると。
しちめんどうな神学よりは 現実的なように思います。どうでしょうか。
No.2
- 回答日時:
こんにちは、アホのヘボイです
たぶん、混じりっけない100%の「絶対」は
人間の目では見えないからではないのでしょうか?
だから非経験なのは普通なのではないのでしょうか?
はっきりとは言えませんが
アウグスティヌスの教えは
見えないものに対する確信が
永遠的なものと言いたいのでしょう。
ただ、まあ「永遠」は存在すると思いますし
「無限」も存在してほしいと願うばかりです。
ヘイボーイさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
たぶんこのお話のような感覚が大事なのではないか。こう感じた次第です。
だって 理性で捉えただけならその知識は ただの着せ替え人形のようなものですから。
ただ
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
ただ、
(あ) まあ「永遠」は存在すると思いますし
(い)「無限」も存在してほしいと願うばかりです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この(い)が (あ)のようには表わされずに おぼろげなのは何故でしょう?
予感し得たなら それでよいのではないか。
《存在してほしい》またそう《願う》と言われると あぁ だめかぁ だめかもとこちらまで思ってしまいます。
★ 人間の目では見えない
☆ ところの無根拠のもののほうが いっそう確かなことであるかも知れないぢゃないですか。
だって 根拠のあるものだと その根拠が――科学の進歩によって――間違っていたと分かることもあります。ちょっと へりくつですかね。
・ No.1で ちょいとしたいぢめに遭っちゃった。ハハ。
No.1
- 回答日時:
ソレ イジョウ ハ シツモン シテモ ダレモ コタエラレナイ デショウ
アナタハ モウ ガクモン ノ ソツギョウシャ デス
コレカレ ハ アナタ ジシンノ トビラ ヲ ジブンデ ヒラキ ジブン デ カイケツ スル チカラツケテ クダサイ
アタラシイ ジンセイ ノ スタート デス
イイ ジンセイ ヲ ジブンノ タメ ニ ヒト ノ タメ ニ ツクリダシテ クダサイ
アナタ ハ オオクノ ヒトニ ミマモラレル コトニ ナルデショウ
ドムドムさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
それにしても つっけんどんですね。或る意味 上から目線。
★ 学問の卒業
☆ まづわたしは学問のみとして問い求めてはいません。哲学は 生きること・生活することだと考えますから ひとり学問にかぎるものではありません。
しかもその学問においてすら 《卒業》などということはありません。あり得ません。それは 単なる知識の有無・つまり知ったか知っていないかで《学問》を取り扱うことです。
ね? あなたは思い上がっていましょう。
そのこころの高ぶりが 言わしめているのです。
★ ダレモ コタエラレナイ デショウ
☆ それにしても ここの参加者はなめられたものです。はづかしめを受けたことになります。
それともその侮辱は 妥当なものなのでしょうか?
★ コレカラ ハ アナタ ジシンノ トビラ ヲ ジブンデ ヒラキ ジブン デ カイケツ スル チカラツケテ クダサイ
☆ これこそは 独我論。《発信は開国 受信は鎖国》思想。社会は 人間と人間との交通から成っているのですよ。受信も開国してみましょう。
★ アタラシイ ジンセイ ノ スタート デス
☆ ヨ。
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