
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
ひとつには年号を数えたのでしょうが、
もうひとつ、「十干十二支」という年の数え方がありました。
漢字を書くのが面倒なので詳しい説明は省きますが、
Googleで「十干十二支」で検索してもらえばいろいろ出て来ます。
わかりやすく言うと、いわゆる「干支(えと)」を拡張したようなものです。
というか「干支」が「十干十二支」から来ているのですが。
たとえば「甲子」とか「丙午」などの名称が年ごとに付いていて、
それが60年で一回りします。
古い歴史の本、たとえば「吾妻鏡」などには、
元号とともに十干十二支が記載されていることがあります。
これにより、ほぼ正確な年代が決められます。
もともとは中国から入ってきました。
日本では推古天皇の時代から使われ出したようです。
それ以後の年代は正確だと思っていいと思います。
神武天皇などの年代になると、「実在しなかったのではないか」という説もあって、
正確性には欠けます。
回答ありがとうございます.
十干十二支という方法があることを忘れておりました.
関ヶ原の合戦や鎌倉幕府ならそこそこしっかりとした記録が残っているはずなので,
太陽暦に変換さえすれば元号と西暦を合わせることできるなとは思っていたのですが,
奈良時代や飛鳥時代とかの古事記や日本書紀の記録からどうやって西暦を割り出していたのか疑問があったのです.
奈良時代や飛鳥時代や「○○10年を●●元年とする.」というような記録がちゃんと残っているのか分からなかったし.大化改新や壬申の乱のような混乱も国内にあったし.
元号と十干十二支がそろって書いてあったら西暦に変換しやすいですね.
ありがとうございました.

No.10
- 回答日時:
(1)大化以来、改元の年月日は、まさに「○○十年を●●元年とする」という形で、全て史料として存在しますから、これを前から並べて逆算すれば、西暦和暦対照表は簡単に作ることができます。
日本書紀の時代は、まだ元号がありませんでしたが、例えば「仁徳天皇五年三月甲子(*1)……。四月壬申……。」というように、年月日を特定して事件が記録されていますから、天皇の在位年数を足して逆算すれば、これも西暦と対照することができます。
日本書紀以降も、文徳天皇までは朝廷の編纂した正史が存在しますし、それ以降も公家日記など、いくらでもこれを補う史料はあります。
また、明治以前にも、日本通史を書こうとした人は沢山いるわけで、これらの作品では、当然、改元年月日がまとめられています。
(2)もっとも、特に飛鳥・奈良時代などの場合、これらの記録が必ずしも全面的に信用できるとは限りません。
そこで、同一の事件を記録した他の史料、例えば中国の史書など、あるいは考古学上の遺物、と照らし合わせて年代を比定します。
この「年代比定」という作業は、歴史学のもっとも基礎的かつ重要な作業と言えます。
(3)実際、推古天皇以前の事件ぐらいから、年代の特定は怪しくなってきます。
もちろん、日本書紀を信用すれば簡単に年代は特定できます。しかし、神武天皇が紀元前660年に即位した、とは信じられないでしょう。
そこで、中国の史書と照らし合わせて、「倭の五王」がどうしたこうした、という話になるのです。
しかし、それらの作業にも限界がありますから、結局「6世紀ごろ、大和の王権が…」となるわけです。
(4)ちなみに、「西暦への年代比定」は、ヨーロッパ史でも問題になります。
というのも、キリスト紀元が年代記述の方法として普及したのは9世紀ごろからに過ぎないからです。
したがって、トゥール=ポアティエ間の戦いがキリスト紀元732年であると比定するには、平城京遷都がキリスト紀元710年であると確定するのと同じく、歴史学者の作業が必要なのです。
(5)なお、太陰暦と太陽暦の変換も行わないと、1年程度の誤差が生じることは、今までの方の指摘されるとおりです。
しかし、この太陰暦と太陽暦の変換(*2)というのは、かなり厄介な作業で、最近、コンピュータを駆使し、ようやく正確な対照表ができたところです。
(6)また、皇紀というのは、まともに使われ出したのが明治以降であり、飛鳥時代にはそのような概念さえないので、年代比定の史料にはなり得ないかと思います。
*1:「甲子」とは日付を干支で表したものです。
*2:正確には、宣命暦以下の和暦とユリウス・グレゴリウス暦の変換ということになります。
回答ありがとうございます.
(2)のようなことが頭の中にあったので,
「平城京は・・・」という考えになったのです.
ありがとうございました.
No.9
- 回答日時:
>例えば,大化改新とか平城京のようなずっと前の時代
>は,5~10年位の誤差があるのでしょうか
全くありません。年表に載っている元号は、すべて改元の年月や干支が分かっていて、何年何ヶ月続いたかが記録に残っています。
歴史家は現代に初めて登場したわけでなく、奈良時代にもいたわけで、ちゃんと調べて記録を残してくれたのです。
ですから西暦への変換も容易にできるのです。
ちなみに、私は江戸時代の文書を読む機会が多いのですが、10年以内に改元されることが多いので、手紙などでは元号を使わず、干支で表すことが多いようです。
現代人は正月を過ぎるとすぐに今年の干支を忘れますが、江戸時代の人は年末までちゃんと覚えてました。
ですから、干支で言った方が瞬時に何年前か分かって便利だったのです。
回答ありがとうございます.
>歴史家は現代に初めて登場したわけでなく、奈良時代にもいたわけで、ちゃんと調べて記録を残してくれたのです。
この部分も「十干十二支」同様に
考えに入ってなかった部分でした.
言われてみればそうだった.
>ちなみに、私は江戸時代の文書を読む機会が多いのですが、10年以内に改元されることが多いので、手紙などでは元号を使わず、干支で表すことが多いようです。
この部分は初めて知りました.ありがとうございました.
No.8
- 回答日時:
#4です。
ようするに日本では元号だったのに西暦に変換するのはむつかしいはずだという訳ですね。
実は、日本には、西暦以前に紀元節というのが有りました。
2月11日(建国記念日)ですが、その第一日目が西暦で言うと、紀元前660年です。
で、今年は紀元歴でゆうと、2663年という事になります。
1600年関ヶ原の合戦 ---> 2260年
1192年鎌倉幕府 ---> 1852年
794年平安京 ---> 1454年
710年平城京 ---> 1370年
645年大化の改新 ---> 1305年
と単純計算ができるんです。
なぜ紀元前660年に日本国が出来たかというと、
日本書紀では神武天皇の即位の年を紀元としていて、
この即位の年以降、日本書紀は歴代天皇の治世年数でもって年代を記録していますが、それらを累計していけば、神武天皇の即位は最初の女帝である推古(すいこ)天皇の九年(西紀六〇一年)からさかのぼること千二百六十年、西紀でいえば紀元前六六〇年ということになります。
つまり、西紀六〇一年を元にして1260年という数字の語呂合わせをした節が有るんです。
これには、色んな説があって、
日本書紀はなぜ、神武即位の年を辛酉年にしたのかという点については、明治大正期の歴史学者、那珂通世による仮説があって、中国古代の俗信である讖緯説によれば、千二百六十年(干支(かんし)二十一巡目)ごとの辛酉の年
に大革命が起きるとされている。推古九年は辛酉年にあたるので、そこから千二百六十年前の辛酉年を日本の紀元とした、というのである。
これが、現在のもっとも、有力な説となっています。
No.7
- 回答日時:
年号の対照表については、もう皆さんが詳しく紹介されているので特に新しい話はないのですが...
>5~10年位の誤差があるのでしょうか
1年くらいの誤差はあるようです。
なぜか?
現代と江戸時代以前では「年の数え方」が違います。
例えば、赤穂浪士の吉良邸討入りは「元禄十五年十二月十四日」と言われています。単純に考えると
元禄十五年=1702年ですよね。
でも、当時のお正月は今で言う「立春(西暦≒太陽暦での2月上旬)」から始まったため、
当時の十二月(師走)は西暦に換算すると1703年1月になる可能性があります。
余計混乱しましたか?イヤ私もです...
参考URL:http://www.nobi.or.jp/calendar/nengo-3.html
この回答への補足
みなさん回答ありがとうございました.
少し言葉足らずだったようなので
申し訳なく思っております.
この質問は「平城京は本当に710年だったの?どうやって西暦710年だと決めることができたの?当時元号しかなかったのに.」と思ったので投稿したまでです.
これまでにもらった回答の中で
「十干十二支」という回答が
今のところ納得がいく回答でありました.
まだ,回答は締め切りませんので
詳しい方,
教えて下さい.
回答ありがとうございます.
太陰暦の太陽暦への変換についての
質問ではなかったのですが
参考になりました.
ありがとうございました.
No.5
- 回答日時:
1番さんが的確な回答をされていますので、
その補足程度ですが.....
結局、1年=4季が一巡 なので、
どのような暦を使っていても年号だけは必ず合うのです。
これが日付になると多少混乱します。
時々閏月がある太陰太陽暦の場合、同じ9月1日だと
しても、閏がある年と無い年では、全然季節が違います。
そこで、占い師!?の登場となり、
農作業で大切な節目の日には別に名前を付けておくように
なりました。
24節気と呼ばれる物がこれにあたり、
立冬なんかがそうです。
茶摘みをするのも、○月×日ではなく、
八十八夜(立春から数えて88夜)なわけです。
回答ありがとうございます.
太陰暦の太陽暦への変換についての
質問ではなかったのですが
参考になりました.
ありがとうございました.
No.4
- 回答日時:
太陰暦には閏月というのがあります。
つまり1ヶ月28日1年336日なんです。
この誤差を言っていると思うんですが、これを調整するのが、閏月なんです。
閏月は2年に1度1年が13ヶ月になります。
古典で8月の読み方が2種類有ると習ったでしょ?
これって、閏月が8月という事なんです。
で8月が2回ある年が2人に1回あるんです。
こんな事、学校で、古典の時間に教えてほしかったなぁ...
これは、以前不思議になって、色々調べて見ました。
だから、太陰歴も、太陽暦も年単位では、かわんないんです。
ただ、何月というと、怪しいんですね。
特に8月というと、どっちの8月だ。なんてなねんです。
回答ありがとうございます.
太陰暦の太陽暦への変換,
閏月の挿入についての
質問ではなかったのですが
参考になりました.
ありがとうございました.
No.2
- 回答日時:
明治以前に日本で使われていた「太陰太陽暦」は、1ヶ月を月の周期に合わせて29日か30日とし、それが12ヶ月で1年としていましたが、それでは太陽の周期365.25日と合わなくなってくるため、2~3年に一度閏月を設けて13ヶ月としていました。
ですから例え飛鳥時代であっても1年の誤差が生じることはありません。
下記のサイトに暦について非常に詳しく載っていますので、参考にして下さい。
http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html
参考URL:http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html
回答ありがとうございます.
申し訳ありませんが
太陰暦の太陽暦への変換についての
質問ではなかったのですが
参考になりました.
ありがとうございました.
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