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宗教の「修行」と社会の「勉強」
私はむかし一生懸命仕事をしていると、
悪い友人が私の渾名を「サティアン」といい
恰も新興宗教の信者のように言われましたが、
宗教の「修行」と社会の「勉強」は紙一重だと
思いました。ちょっとした宗教にひっかからない
手立てはあるでしょうか?是非、教えて下さい。

A 回答 (1件)

>>ちょっとした宗教にひっかからない


手立てはあるでしょうか?

なかなかそれは難しいところがありますね。インドで釈迦さんが生きていたころ、頭がよくてハンサムなアヒンサという修行者が、師の奥さんに迫られ、それを断ったため奥さんは、師の帰りを待って「アヒンサに乱暴された」と偽って訴えた。で、師は「明日より100人(あるいは1000人)の人々を殺してその指を切り取って、鬘(首飾り)にすれば、お前の修行は完成する」なんて命じたんですよね。
それを素直に実行したアヒンサは殺人鬼になってしまうわけです。まあ、最終的には釈迦に諭され彼の弟子になるわけですけどね。

世の中の常識で全てを判断していたら信仰は成り立ちません。かといって信仰を第一とし、世の常識・法律を無視し、たとえば「殺人がお前の修行である」と命ぜられるままに行動したら地下鉄でサリンを撒いたオウムの信者のようにもなりかねません。

「この宗教は本物か?そこそこまともなものか?」という判断は、就職先を決める時「この会社はブラックか、そうじゃあないのか?」という判断以上に難しいところがあると思います。それは、会社ならば労働基準法を守っているか?などの判断基準もありますが宗教の場合は、宗教の良し悪しを判断するための情報がまともに得られず、さらに良し悪しを判断するための”価値基準”も日本人はおろか世界の多くの人たちも持っていないと思います。

手前味噌ではありますが、幸福の科学では、「目からウロコの宗教選び」というシリーズで新興宗教について、開祖の霊や現会長の守護霊を呼び出して、自分の宗教について語らせています。なので、このシリーズ3冊を読めば、”ちょっとした宗教”にはひっかからなくなると思います。

ただ、この書籍を出しているのも宗教団体である幸福の科学です。なので、「その書籍の内容は信じられるのか?」という疑問が出てくると思います。

なので、宗教に対するそういう判断は、私は最終的には”博打”であると思っています。自分の第六感を信じて判断するしかないと思います。その判断が”当たり”だったか”はずれ”だったかの判断は、自分の死後に自己の人生の短編映画を裁判所のようなところで関係者といっしょに観るわけです。そこで自分の判断がどうであったか?の結論が明確にされると思います。


また、宗教に無関心な方、宗教なんて要らないっていう方も多いと思います。そういう方は、「自分はひっかかるわけがない」と考えられると思います。でも、「大失恋をして生きる気力を失った」「ガンなど不治の病を宣告された」「最愛の人を失った」「成人式直後、愛する子に先立たれた」「事故で半身不随になった」など生きる気力を失うようなシーンが人生にはどうしてもあるものです。そういう機会を狙って宗教は勧誘を仕掛けてきます。

宗教に対する知識や自分なりの考えを持っていればいいのですが、そういう知識が無いと、落ち込んで気力が無い状態の時、簡単に落とされることがあります。なので事前に死生観、死後のこと、宗教のことを考えておくと免疫ができてひっかからないと思います。


ちなみに、オウム真理教が拡大しているころ「麻原の写真を見ると気持ち悪く感じる」「秋葉で配っていたパソコンショップ・マハポーシャのチラシを受け取ったあと気分が悪くなった」という経験をしたので、幸福の科学が警察よりも先に「サリン事件の犯人はオウムである!」と言い切ったとき、会社の社長より「君が入信している幸福の科学の主張は本当か?」と聞かれたとき素直に「それは本当ですよ」と答えたものです。そのあとしばらくして自衛隊と警察が合同で強制捜査が始まりました。
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この回答へのお礼

丁寧な解説有難う。

お礼日時:2010/10/04 20:08

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