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先日、青山しんじ監督のユリイカという映画を見ました。引きこもりの、少年、少女の兄弟がでてきます。映画みてたら、引きこもりの、根のふかさ。簡単に、ナワつけて学校に行かせる、そんなレベルの話しじゃないことがわかります。

引きこもりと、名をつけたマスコミに、憤りを感じます。引きこもりとは、目の前の可能性に目をつぶり、挑戦しないこと、戦わないこと、そういう風にとられる解釈が可能になります。はたして、挑戦してないのか、戦ってないのか?

脳には、いろいろな部分にわかれます。考える部分。感じる部分。爬虫類の部分。その中で、考える部分に重きを置くのが、現代です。そのことと、繋がりがあるとおもうます。

私は、引きこもりは、怠け者とは、思いません。治療の対象にするのも反対です

A 回答 (16件中1~10件)

引きこもりについては世間の誤解が多いようです。



わたしは占い師ですが引きこもりの相談をよく受けます。
占いなんかで何が分かるんだと誰もが思うかもしれませんが
実は引きこもりのほとんどは四柱推命という占いで調べると
その原因が分かります。

こんな事をいうとどうせ占いの営業か宣伝の為だろうとすぐ勘ぐる人が
いますが、そのつもりは全くないと断言します。
ただ、知って欲しいからあえて書かせていただきます。

引きこもりで悩まれている方には一定の傾向があり
巡る運がぶつかり合ったり、精神を弱める運の時に引きこもりとなる場合が
非常に多いです。

または命式と呼ばれる持って生まれたそもそもの気の状態をしめすものの中に
衝突や精神を弱める星を多く持つ方が引きこもりとなっています。

この2つに当てはまらない場合は引きこもりであってもとても軽い場合が多いです。

怠けているから外に出ないのではなく
弱った精神から自身を守る為に引きこもるという行動をとらざるを得ない
という事です。

分かりやすく言えば引きこもりという状態も人間の1つの個性であり
病気でもなければ、レッテルをはって見るべきものでもありません。

生まれながらに気の強い人もいれば弱い人もいる
こう言った方が分かり易いかも知れません。

ただ、人間には運気の流れと循環があるので
どんな人でも気の強くなる時期もあれば弱くなる(元気のなくなる)時期が
あります。

引きこもりで悩まれている方も強い運気やぶつかり合いが解消する運気が
巡ると引きこもりが解消したり、軽くなったりします。
ただ、中には巡る運のまわりが悪く引きこもりの状態が長く続く方もいます。

引きこもり=怠け者という図式が誤解だと
知って欲しいと思います。
このあたりの事を取り上げている方が占い師の中でもほとんど見当たらないので
うちでは5年ほど前から引きこもりについてのページをHPで詳しく説明していますが
参考URLはあえて掲載致しません。
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すみません。

私も、回答させてください。

最初に、色んなタイプがいるので「引きこもり」という言葉で、片付けようと一縄に考えられてる事自体が、先ず間違いです。

虐めを受けて、対人恐怖になり不登校から、外に出られないタイプ。

大学まで順調に行けたが、就職が見つからず、フリーターや無職の自分を受け入れられないで、籠もるタイプ。

上の2つは、私が思うに、現在多いタイプの引きこもりだと思います。

質問者様は、社会復帰する際にどちらが難しいか分かりますか?
同じに思いますか?


私は、前者は、私自身経験しましたが、一種の病気と一緒で、止まった時から現在において皆でやりたかった事をすれば治ると思います。

因みに私は、小5から不登校になり、悩み続けてたのですが、23の時にフリースペースに行き、キャッチボールやカルタで遊んだら、心の隙間が埋まり、洗脳されてしまって辞めてしまいましたが、就職も経験しました。


しかし、後者は、大人になってから引きこもりになったタイプなので、私には怠けに見えます。
しかも、プライドは高くなってる気がするので、厄介な感じに見えます。
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題名が気になって、回答を見るつもりだったのですが、何となく納得できないので私も回答することにします。



『引きこもり』という言葉自体が気に入らないようですが、だったら何なら良いというのでしょう?
社会的に見て『引きこもり』になってしまっているのだから仕方がないと思う。

冷静に考えて理不尽な対応という物が無いわけがない。
誰かを守る為には誰かを犠牲にしなければならないから。

『引きこもり』と、大きく区切る事や詳しい原因の究明をしない大勢も怠け者であるとは言えるが、最終的に『社会的にこうだ!』と言われても反撃や反論,または改善を行わないのは怠け者といえないでしょうか?

たしかに、本人が何かをしようとして失敗しらり、何かに苦しんで仕方がなかったりもするかもしれません。
でも、最終的に自分の努力が他の人に認められない事を本人は十分承知なハズです。(でなかったら社会常識を知るという努力が足りないから怠け者)

どうでしょう?
最終的に働いてないと人が怠け者だと言われる事と同じだと思いませんか?
実際に怠け者かどうかは別として社会的には怠け者と呼ばれるのが相応しいと思います。


>怠け者を、カバレロ君あなたとします。(中略)組織に集団で引きこもるのも、世界を呪ってるからかも知れません。

それを、知らない人が見たら単なる変な人です。
引きこもりで怠け者です。
『知らない人』と言うのがミソです。
一般的に社会一般の物事の定義は多数意見や権力者の意見を採用しています。
なら、カバレロ君(何度も使ってすいません)の事を知らない人がほとんどでしょう。
その人達は『怠け者』と言わないでしょうか?
nabayoshさんと同じく、私も引きこもりは社会問題だと考えています。ただ、違うのはそれは本人が解決すべきであり、社会全体で救うべき事ではないと考えている事です。

本人だけでダメなのも分かっています。
医者に連れて行けば治る様な物ではないとも分かっています。
でも、それを一人一人に対応しなければならないほど、まだ世の中は豊かではないと考えるからです。(精神的にも)
もし、これを見て、『そんなことは無い』と思うなら自分の出来る限りの人に『引きこもり』が居ないかを確かめて、彼らを助ける手伝いに専念するといい。
そんな事は絶対に出来ないから。
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あなたと同意見ですよ。

反論者には反吐がでそうなくらいです。
ただ、人間社会で生きていくには、非常に苦労するでしょうし。心の病といえます。(しかし、薬で治るもんじゃないと思っています)

怠け者かどうかについて・・
例えとして、交通事故に在った者がいたとします。半身不随でもなり、
彼はまともに歩けません。当然、仕事も出来ません。
リハビリが精一杯です。
果たして彼は怠け者でしょうか?

引きこもり(鬱病なども)も同じ事です。
心の運動力が無いのです。そんな人に「怠け者」だと言うのは、酷な話です。交通事故は皆に分かる症状ですが、引きこもりなどは、健康人には理解されにくい症状というだけです。
いずれ、世間の理解が深まれば、社会は改善されると思います。
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僕は引きこもりです。


しかし僕は甘えています。
なさけない。。
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これまでの回答とお礼を読ませてもらって、哲学の知識を持っていない


私(私的哲学はありますけど(笑))ですが、ちょっとおじゃまします。

引きこもり以外でも最近は精神的に悩んでる人が多いんでしょうね。
人間社会がどんどん複雑になってきて、人間が本来の姿を失ってきて
いるからなんでしょうか?

便利な世の中で、ある程度、経済的にも時間にも余裕がある時代だから
みんな色々考えすぎちゃうのだと思います。
人間も動物だから本能があると思うけど、そういうことを押さえつけて
理性的な生活のみを追及しすぎる反動とも思うけど。

極端な話、原始時代、毎日狩りをして、木の実を取っていないと
生きていけなかった時代にはこういうことは考えもしなかったのでしょうし、
もっと自然な生活をしていたのではないでしょうか。

文明が進み、人間頭で考えることが多くなり、時間もできると精神的に
アンバランスになってくるのかな?
私は母子家庭で育ち、裕福ではない子供時代だったので、親に迷惑を
かけることは絶対にできないと思っていたし、生活の危機感もあったので
ただただ、たくましく生活してましたけど、引きこもれる状況は
ちょっと裕福なのですか?姉の子は家庭に何の問題もないけど、引きこもって
ます。

哲学な皆様に単純とも思われそうですが、人間単純なものではないでしょうか?
朝日が昇ったら起き、自分の仕事をし、日が沈んだら寝、今日の食事があれば幸せ
でいいんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

僕も実はそう思います。朝起きて、お母さんが作ってくれた御飯をよく噛んで食べて、朝日は、美しく大地を照らし、学校に行けば今まで知らなかった事を学ぶ喜びにみちて、家に帰ると、お母さんが、カレーを作って待っててくれる。友達の話しや、今日あった話をする。うん単純でいいんだけど、

なんで、姉の子は、いっぱい、いっぱいになって、引きこもるのか?姉の子が、閉じられた世界の内部で自己満足的かつ暴力的に主観が膨れ上がるのか、そして金縛り状態になるんでしょうね。-食欲、貧乏、の不安がないのに。明石家さんまの、生きてるだけで、まる儲け。となぜ胸をはって言えないのか、疑問だらけです。

でも、実はもうあなたは、質問しながら答えをいってます。単純にすればいいのかも。会社とか学校は、いざと言う時動けない。一ケ所に定住して、一定の生活様式を強いられる。これを支えてるのが、電気のシステム、ガスのシステム、上下水道のシステム、道路のシステム、そういうもののすごい国家規模の巨大システムです。それらのシステムに頼らなくても、したがってそういうシステムに縛られて定住しなくても、一件一件、一個一個のマシンが、ちょっとした太陽電池かなんか付いていて、その機械だけで自立できたり、ひとりひとりの人間が自立してやっていけること。そのほうが、風とうしよくなりそう。このことを、スタンドアローン時代を目指してとよんでいます。

お礼日時:2001/06/11 01:29

引きこもり大いに結構!! 確かに経済に寄与してないのは


もったいないが より大きな損害あたえる政治家や犯罪者よりは
ぜんぜんOk 出番があるまで待機してくださいな
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これ以上いわんが、caballeroさん



2回めの発言
>「引きこもり」だからといって、
>「怠け者」じゃぁないというのはおかしいと思える。と言う意見なのです。

1回目の発言
>引きこもりは、怠け者だと思います。
>組織に集団で引きこもるのも、一人で部屋に引きこもるのも、
>共に怠け者だと思います。やまごもりじゃぁないですからね。


これは相反してるよ。
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>「働いてないから怠け者って論理はどうかと思う」って問いなんじゃないかい?これは?


 
 働いていても怠け者はいると思います。私が、「組織(学校や企業のことです)に集団で引きこもるのも、一人で部屋に引きこもるのも、共に怠け者だと思います。」といったのは、そういう気持ちからです。学校にいっているからといって、労働者であるからといって、「引きこもり」と比べて「「怠け者」ではない。」とはいえないでしょう。「怠け者であるかそうでないかはいかにして判断付けられるのでしょうか?
 「いわれたことをするだけで・・・・」と、質問者が言っておられたので、「いわれたまま学校に通う子供達、いわれたままする労働者達」いずれも、大半は怠け者だよね、と共感していたのです。質問者に対する私の意見は、学校に通う子供達、多くの労働者を総じて「怠け者だ!」と言うのは無理がある。それは、全ての引きこもりが、「怠け者でない!」と言い切れないのと同じじゃぁないですか?と、いう思考から、「引きこもり」だからといって、「怠け者」じゃぁないというのはおかしいと思える。と言う意見なのです。
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この回答へのお礼

すいません。あなたの言うとうりです。固有名詞のない意見は論理として欠陥があります。例えば、最近の若い女は、援助交際をしてる。と言った時に、今だに、若くて、援助交際してる女にあったことがありません。正しく、言うのは、若い女の田中さんが、援助交際してると、固有名詞をだすべきです。関西人は毎日たこやきを食べてる。このような人もまだ合ってません。だから、関西人の渡辺が毎日たこやきを食べてる。こういうべきですが、テレビ、ラジオのメヂィアは、固有名詞を出す環境がありません。だから、いつも話がややこしくなりますね。

だから働いてる人の、大久保さんが、なまけもので。引きこもってる、三浦は、怠け者だけど、引きこもってる、宮田は、苦しんでると言うべきでした。あなたの言う通りです。働いてても、怠け者はいます。それは、陶然です。

お礼日時:2001/04/16 20:54

怠け者ってのは簡単に現状を肯定し、


ただ単に「そういうもんでしょ?」と話を区切る人のことである。
ことに論理の世界においては。

caballeroさんはこれにあてはまるが、ひきこもりの人は必ずしもそうでない。
脳の運動をしましょう。caballeroさん。
あなたは、passagen22さんが
「引きこもりとは、目の前の可能性に目をつぶり、挑戦しないこと、戦わないこと、そういう風にとられる解釈が可能になります。はたして、挑戦してないのか、戦ってないのか? 」
と書いてることを見落としてます。「働いてないから怠け者って論理はどうかと思う」って問いなんじゃないかい?これは?


>引きこもってる人環境変えれば、いいと思います。
>タイが、いいと思います。タイにいけば、ホッとするよ。いっちゃえば。
ちなみに、これは有効かも。
この間NHKで登校拒否児童のための中学校が沖縄の離島にあるっていうことでドキュメンタリーやってたけど、だんだん、みんないい顔になっていてました。

言葉尻をひっつかむような考え方ではこういうことは理解できないと思う。
小津安二郎の「生まれてはみたけれど」を全ての人に。
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この回答へのお礼

小津安二郎。東京物語。
いやあ、そんなこたあない。
ええんじゃよ、忘れてくれて。
いやあ、ずるくない。
ええんじゃよ、それで。やっぱりあんたはええ人じゃよ、正直で、、、、
いやあ、ありがと。

肯定することは、存在するものを背負い引き受けることではなく、生きてるものを、解放し、その重荷をとりのけてやりたいです。小津安二郎の東京物語のおじいさんみたいにね、

お礼日時:2001/04/16 20:23

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