先日、青山しんじ監督のユリイカという映画を見ました。引きこもりの、少年、少女の兄弟がでてきます。映画みてたら、引きこもりの、根のふかさ。簡単に、ナワつけて学校に行かせる、そんなレベルの話しじゃないことがわかります。

引きこもりと、名をつけたマスコミに、憤りを感じます。引きこもりとは、目の前の可能性に目をつぶり、挑戦しないこと、戦わないこと、そういう風にとられる解釈が可能になります。はたして、挑戦してないのか、戦ってないのか?

脳には、いろいろな部分にわかれます。考える部分。感じる部分。爬虫類の部分。その中で、考える部分に重きを置くのが、現代です。そのことと、繋がりがあるとおもうます。

私は、引きこもりは、怠け者とは、思いません。治療の対象にするのも反対です

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A 回答 (16件中11~16件)

>ほんと、せちがらくて、殺風景で、しゃらくさくて、子供は引きこもり、政治家は、ばかばっか。

仕事は、言われたことだけを守って。アメリカの大学が日本に根ずきもしない。ほんと、風通し悪いね。

すいません、引用させていただきます。
引きこもりは、怠け者だと思います。組織に集団で引きこもるのも、一人で部屋に引きこもるのも、共に怠け者だと思います。やまごもりじゃぁないですからね。
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この回答へのお礼

引きこもりは、怠け者じゃないと、思います。これは、フィクションだけど、怠け者を、カバレロ君あなたとします。ごめんね。カバレロ君は、本来真面目過ぎる態度で、自由の刑と向き合います。ともかく何か行動を始めなければ、何か全身全霊を打ち込めるものをさがさなければ、と焦ってたよね。焦れば、焦るほど、自我のぬかるみにはまる。

そして、いつも自分の行動には自覚的で積極的に他人と関わり、世界とも関わろうとするカバレロは、傷だらけになり、打ひしがれ、敗北を重ね、他人に利用され、快活さを失い、世界を呪い始める。

そして、世界を呪ってるのも忘れ。自分の思考が正しいと錯角をし、偶然を排除し、変な歴史の教科書を作ったり、組織に集団で引きこもるのも、世界を呪ってるからかも知れません。

でも、あなたの言うとうり、甘えもあるよね。家で引きこもれる状況は、かなり恵まれてる。食事、家賃、ガス、電気。ボーっとしてる暇ないからね。
引きこもってる人環境変えれば、いいと思います。タイが、いいと思います。タイにいけば、ホッとするよ。いっちゃえば。

お礼日時:2001/04/15 09:23

ん~、誰だって、ひきこもりたい時ぐらいあるさ。


と思う。

恋人にふられたとき、近しい人を失ったとき。
失業したとき、病気のとき、辛い仕事が会社に待ってるとき、
テストが帰ってくるとき、面接のとき、合格発表のとき、
などなどなど。

病気とか、いじめとかに答えなんか求めなくても、そんなことは
いくらでもある。だから、やさしくしてあげましょう。
これすんごくわかる。たいへんわかる。痛いほどわかる。

でもね、人間は一人では生きられないけど、ひとりで生きようとしなきゃいけない生き物なんだ。

ひきこもってても生きていける状況にある人なんて、ほんの少しの恵まれた人だけなんだ。

「助けてあげたい。」これはわかる。
でも「助けちゃいけない。」のときだってあるんだ。

このことは君の言う通り病気だけではないんだけれど(病気の場合もあるかもしれない)
それよりもっと大きいのは社会問題のもつれなんじゃないかな?
ひきこもる彼や彼女の中に解けなくなってこんがらがったもつれがある。
それを知って、歩み寄ってあげる、一緒に沈んであげる、できることなら、
もつれをみつけてあげる。

でもね、他人ができるのはここまでなんだ。
もつれを認めてほどくのは彼や彼女の仕事なんだ。
自分がそのもつれを認めたり、引き受けたり、ほどいたりできるように
するためには、助けてばかりでもいられないんだ。
許したり、叱ったり、笑ったり、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、
彼らに必要なそれらを、かたよりなく与えてあげること。

僕らにその他の何ができようか?
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この回答へのお礼

同感です。「助けちゃいけない。」のときだってある。これは、大事です。なんでも、いじくるのは、よくありません。ものごとを徹底的に放置したままでいられるような生活態度は最高の知性だと思います。

タイにいったとき、小津安二郎の映画をみたとき、ブラジルの音楽を聞く時に感じる、いきな感じ。テレビ、東京を散歩した時、jpopがコンビニからながれてくる時の、殺風景な感じ。

ほんと、せちがらくて、殺風景で、しゃらくさくて、子供は引きこもり、政治家は、ばかばっか。仕事は、言われたことだけを守って。アメリカの大学が日本に根ずきもしない。ほんと、風通し悪いね。

お礼日時:2001/04/13 00:18

 まったくの素人ですが私にもひとこと発言する自由をお許しください。



 ひきこもりは病気なのか個性なのか。一概には言えないと思います。外見からは同じに
見えることでも、その人によって、抱えている問題・背負ってきた境遇は、それこそ文字
どおり百人百様ではないでしょうか。ネガティブな逃避(または反抗)か、ポジティブな静養
(または模索)か、あるいはまったく違う何かか。個々の事例を見ずに議論することはまったく
できないと思います。

 passagen22さんの今までの質問や、そのお礼を読ませていただいておりますが、たいへんな
読書家で、深い文学的・哲学的な思索をなさっている方と想像しています。
社会的なものと文学的なもの、あるいは公的なものと私的なもの(こういう画一的な切り分け
はよくないし、社会が公で文学が私という訳でもないのですが)、それらは、ある意味では
いつも対立した緊張関係にありますし、またその緊張が社会や人生に意味や意義を与えて、
両者を生かしていると、私は考えます。

 私は三十代のはじめ、会社の課長職だったころ、一人の若い社員をクビにしたことがあり
ます。一ヶ月のうち半分以上遅刻し、何度注意しても直らなかったからです。彼の生い立ちや
境遇に起因する生活能力の未熟と思われましたが、私が彼に語った言葉は、あまりに一方的・
短絡的・企業論理的でした。今思うと胸が痛みます。もう少しなんとかしてやれなかったのか。
もう少しこころのある対処はできなかったのか。(ひきこもりの事例ではないですけれど)

 「会社は慈善事業団体ではない」これは企業の管理職がよく口にするセリフです。が、しかし
企業論理が悪でないことも、もちろんです。こういう厳しさがなければ、電車は動かないし、
現金引出機からお金は出ないし、スーパーの棚の商品は並ばないからです。その背後では、
何千人・何万人もの「ひきこもらない人」がきちんとルールどおりに仕事をしています。
(ただしかし、こういう「近代社会」が無条件に肯定されうるのかという、大問題もあります)
 「ひきこもる人の内面理由」と「社会を成り立たせるためのルール」、どちらかだけが一方的に、
正しいとか、尊重されるべきであるとか、そういうことはないと思います。かと言って折衷的
相対主義は、思考停止・問題放棄であると考えます。

 何でもそうですけど、客観化したり概念化したり、一般対処法を学問的なマニュアルにしたり、
そういうことの不毛・こころの喪失、それを感じずにいられません。生の人間・個々の人間が
抽象化され、殺されてしまい、個がかえりみられなくなるからです。

こういう「ひきこもり」などに対しては、それぞれの場所で、それぞれの当事者が(もちろん
本人も)学問的マニュアルなどに頼らず、また「弱者は守られるべきである」というような
固定観念なども持たずに、自分の頭と心で直接対峙するしかないのではないでしょうか。

 質問のしかたですが、文系学問のカテゴリではpassagen22さんのようなスタイルは容認されて
よいのではないでしょうか。私自身、「私はこう思うのですが皆さんはどう思われますか」という
問い方を何度もさせていただいております。また、抽象的で短い質問に対しては「背景を説明して
ください」とか「自分はどう考えるのか示してください」という補足要求がつくことが、少なか
らずあります。このOKWebがより内容の深い豊かな知識資産になるためにも、短問短答の
「正解を答えて終わり」という形式だけに限定すべきでないと考えます。

 質問の答えにほとんどなっていないですね。ごめんなさい。

この回答への補足

売れない人、不機嫌なひとには、ちかずきません。売れないのと、不機嫌は、伝染するので嫌いです。引きこもってる人の論理は、偶然がありません。やる前から、結果がわかってます。だるいじゃん。何のために?引きこもってる人は、不機嫌です。いやですよね、遅刻くりかえす人。遅刻して、居心地悪くないんですかね。それで、あなたが、居心地悪い。居心地悪く感じる事ができるのは、知性ですからね。

補足日時:2001/04/13 00:20
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この回答へのお礼

引きこもってる少年、少女、そして、どうしていいか分からない親達。殺風景。このあたりじゃ誰もが気にしちゃいない。誇りをなくした子供たちの目。引きこもってる子供の心を想像するだけで、せつないです。

子供達が、やわらかくて、あどけなくて、無垢な笑いに、つつまれますように。

お礼日時:2001/04/12 01:12

 や。

おひさでした。
 引きこもりね…。またぞろ、アレかもしれない。「近代の病」ってやつ。「狂気は近代になって発見され、隔離された」というフーコーの理屈と似たような構図で、「勤勉に労働する理性的近代人」という人間像から外れる人間を、ことさら鮮明に切り出してクローズアップし、「治療・矯正」の対象にするという流れの一環。
 その力学の目立つ部分を成しているのがマスコミであることはたしかだけど、それだけじゃないよ。「一方でそれを作り出しておいて、もう一方で病気と規定して診察台に乗せる」…近代社会のいつもの手口だもん。しかも「それ」を生み出す自身の構造には何らの反省も加えることなく、自分たちの「挑戦する、戦うルール」をただ押し付ける。それにしたがわないからと言って「挑戦してない、戦ってない」と決め付ける。いつもの手口だ。何も解決しない。マスコミはただ報じるだけ。「こんな人たちがいますよ、問題ですね、イヤですね」。そうして排除の論理を社会の中に再生産する。

 いろいろなケースがあるだろうけど、引きこもる彼らも彼らなりの仕方で「探している」んだと思う。「見つからない」のは彼らだけのせいじゃない。「探しにくい」時代のせいでもある。いちおう、オレは引きこもってはいないけど、でも「オレは知ってるぜ、オレは見つけてるぜ」と自信を持っては言えない。言える人がどれくらいいるのか。いや…「時代のせい」だけでもないかも。もともと、人間というやつは「見つけにくい」世界に投げ込まれているのかも。だとしたら、「引きこもり」も一つの人間の姿、真の姿の一つと言えるかもしれない。

    *

 さて…質問履歴が見られなくなったことの弊害がちょっとここに出ている気もする。でも、passagenくん、叩かれ慣れてるから大丈夫だよね。
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この回答へのお礼

彼のリゾームはこわされ、彼の地図はよごされ、その地図は、位置は、正され、あらゆる出口は塞がれて、ついに彼は、自分自身の恥辱と罪悪感を望むにいたり、彼のうちに恥辱と罪悪感、<恐怖症>が根を生やす。「彼に対して建物のリゾーム、街路のリゾームが封鎖され、フロイト先生に金縛りにされる。

大地に忠実であれ。そして地上を超えた希望などを説く者に信用を置くな。かれらは、生命の軽蔑者だ。

地上を超えた希望。身体の軽蔑者。

いまやもっとも恐るべきことは、大地を冒涜することだ。さだめることのできない者を設定し、そのえたいのしれぬ臓器を大地の意義以上に高く崇めることだ。

大地を冒涜し、地上を超えた希望が、蔓延してる、現代。生命の軽蔑者が、ルサンチマン抱え込んで、引きこもりに、同情し、励まし、地上を超えた希望を説く。このことが、本質なら、根はふかいです。

お礼日時:2001/04/12 01:48

引きこもりは社会問題です。

それを「哲学」のカテゴリーとして考える方には、私の意見は外れているかもしれません。
また、脳のはたらき、という「生理学」に踏み込んだ質問にも答えられません。

私は「社会学」および「心理学」という面から、この質問に取り組むことにしました。

日本には「出る杭は打たれる」という文化があります。打たれてへこまされたまま、立ち直るのに時間がかかる人が最近は特に多いのです。
打たれ弱いので、何か運動(労働にしても何にしても責任を伴うこと)をおこすことができないのです。「打たれるのが怖い」からでしょう。
働かない・学校へ行かない→これは(引きこもりに限らず)昔から怠け者だと言われています。ですから、こういう症状が出た場合は怠け者と言われても仕方がないと思います。

でも、打たれ弱いままでいいのでしょうか。本人がいいと言っても、それを支えていかなくてはならない社会にとっては深刻な問題です。だから、社会としては治療を要求しているのです。

passagen22さんの主張で、こちらとしてわからないのは、
・引きこもり、の命名はマスコミなのですか? 精神分析者の命名かと思っていましたが。マスコミはそれを広めたのでは。
・現代が脳の考える部分に重きをおく時代というのもわかりません。この話の流れで突然脳の話が入ってくることで、論点が不明瞭になっています。補足説明があればお願いします。
・「私は~思いません。治療の~反対です」は、前の人もおっしゃる通り、ご自分の意見をお持ちということですね。では、なぜ質問されたのでしょうか。推察するに、passagen22さんはご自分の意見に自信がないのではないでしょうか。そこで同調者を求めていらっしゃる。誰でも反対されるよりは賛成してもらう方が心地いいものです。どこか賛成を求めた文章なので、これは自己弁護ではないかと私は推理しました。つまり、「passagen22さん自身が引きこもりの症状を持っており、怠け者と言われるのが怖く、治療などされたくない」ということです。

これを見て御立腹になるかもしれません。しかし、私は率直にそう思いましたので書かせてもらいましたし、お怒りになるのならば、それが図星である可能性もあるということだけは一言申し添えておきます。
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この回答へのお礼

脳の話しが、突然出てきてすいません。ある日ぼーとテレビを見てたら、南方熊楠の伝記をやってました。ある学者が、熊楠は、言語の脳じゃなくて、爬虫類の脳でも感じるんだ。とデマカセをいってました。爬虫類の脳は、メタファーで、別に無意識といってもいいし、丸山圭三郎の身分けといってもかまいません。

あなたの言う通り、打たれ弱くて、「打たれるのが怖い」打たれ弱いままだと、社会にとっては深刻な問題で。だから、社会としては治療を要求しているのです。そのことも、引きこもりの人は、よくわかっていると思います。でも無意識が拒否をする。爬虫類の脳が、居心地の悪さをしめす。人間は、ファミコンじゃありません。Aボタン押しても、ジャンプしませんし、Bボタンおしても、ダッシュしません。こいつ、使えねーなと言われても、そんな事する必要はないと思います。

お礼日時:2001/04/12 02:19

質問されているのですか?


回答は既に御自分でされているようですが。
討論の場ではないので、主張なさりたいのでしたら、
引きこもりに関する掲示板などを探されるのをお勧めします。
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Q幽霊をしんじますか?。

もうずっとこの手の質問をされ続けられたと思いますが、よろしくお願いします。もちろん実際に体験された話も歓迎します。

Aベストアンサー

まず、霊は、死んだ人の霊も生きている人の霊も違いはないと思います。生きている人の霊も分離して別の場所にいる時があります。その人が眠っているとか気絶している時が多いと思いますが。

最近不思議だったのは、親戚の仏壇にお盆でお参りした時のことですね。

私がその仏壇を前にしたとき、5歳くらいの女の子が中にいることがはっきりわかって、「飴を買ってきて。」としきりに催促するんですね。
見えた訳でも、声が耳で聞こえた訳でもないのですが、心にその声が響いてくる感じです。
しょうがないので近くのコンビニに行って飴を買ってきて、なぜ飴を買ってきたか、その家の人に話をしたところ・・・

私も知らなかったのですが、その仏壇には、わけがあって、血のつながりのない子供の位牌が入っていたんですね。
その親戚では位牌をその子の血のつながりのあるお宅の仏壇に移すように何度も働きかけていたんですが、話がまとまっても、なぜかいつもうまくいかない。持って行こうとする当日、車が壊れて行けなくなったりすることが重なっていたようです。

戦争中の話で、いろいろといきさつがあったようですが、その子は、今の仏壇の場所から移りたくなかったんですよ。
今ある家の仏壇は毎日のように水あげして、供物をあげ、線香を焚いているのに対して、行く先の家では仏壇を比較的粗末にしているんだとおもうんですね。

その子がここにいたいんだという気持ちを話をしてその親戚も納得したようです。
その親戚がもう位牌は移さないと言ったところで、その子はすごく喜んでいました。

ここで、誤解してほしくないのは、位牌なんてものに霊がついていたりするのではなくて、単に象徴なんです。
ここに名前が書いてあるという程度のものですけど、その子にとってはそれが大切なことなんです。

こういったことに興味を持たれることは、悪いことではないと思いますが、意外とどうでもいいことです。影響は非常に弱い。
生きている人の方が遥かに大切。実際に苦も無くコミュニケーションが出来るのですからこんな素晴らしいことはありません。

あと、悪霊とは何かというと、生きている人がこの手のことに興味を持ちすぎて、その生きている人間が霊から受けすぎてしまった影響のことです。
ほどほどに。

まず、霊は、死んだ人の霊も生きている人の霊も違いはないと思います。生きている人の霊も分離して別の場所にいる時があります。その人が眠っているとか気絶している時が多いと思いますが。

最近不思議だったのは、親戚の仏壇にお盆でお参りした時のことですね。

私がその仏壇を前にしたとき、5歳くらいの女の子が中にいることがはっきりわかって、「飴を買ってきて。」としきりに催促するんですね。
見えた訳でも、声が耳で聞こえた訳でもないのですが、心にその声が響いてくる感じです。
しょうがないので近く...続きを読む

Q《怠け者》と《モチベーション》・・・

●人間は基本的には、《怠け者》なのになぜ、スポーツ選手や、一流と言われている人達は、《モチベーション》を高く維持することが、出来るのでしょうか?

Aベストアンサー

>人間は基本的には、《怠け者》なのに

○こういう考えの方は「つりばか日誌」とか「とらさん」が好きな方でしょうね。決して悪いことではありませんが人間には大きく分けて2種類の人間あるように思います。釈迦・孔子型のように向上を目指すタイプと老子・荘子型のように怠けタイプですね。世界を見渡せば、どちらが多いんでしょうかね。日本は受験などがありますから向上を目指すタイプが多いように見えますが、「つりばか日誌」とか「とらさん」が好きな人もいますから怠け型も比較的多いのでしょうね。
要は基本的に向上を目指すタイプと、基本的に怠けるタイプの2種類の人がいるということなんです。全員が怠けがたではないんですね。向上タイプから観れば落ちこぼれに見えるのでしょうが、怠けタイプから見れば何故、そこまでして続けるのかが理解できないということですね。イチロウや葛西は40過ぎているのに諦めずにやっていますね。すごいなと思う一方、ある意味、哀れを感じることさえありますね。
この複雑な感情が本当の人間ですね。怠け続けてもいけないし頑張り続けても良くないということだと思いますね。その狭間で格闘するのが人生で良いのではないですか。

>人間は基本的には、《怠け者》なのに

○こういう考えの方は「つりばか日誌」とか「とらさん」が好きな方でしょうね。決して悪いことではありませんが人間には大きく分けて2種類の人間あるように思います。釈迦・孔子型のように向上を目指すタイプと老子・荘子型のように怠けタイプですね。世界を見渡せば、どちらが多いんでしょうかね。日本は受験などがありますから向上を目指すタイプが多いように見えますが、「つりばか日誌」とか「とらさん」が好きな人もいますから怠け型も比較的多いのでしょうね。
要は...続きを読む

Q"怠け者"とは?そしてその意味するものとは?

"怠け者"と"怠け心"とは違うはず。

ここでの質問は"怠け者"の存在の役割に付いて、それが有るならば知りたいと言う事です。

我こそはと思う人はもちろん、それほどには思わない方でも関心のある方は「回答」に挑戦して見てくれませんか。

出来れば回答者同士の議論なども起きるほどの"意見交換"があればいいな、と思うのでそのきっかけになればと、まずは私の考えから・・・

"怠け者"の存在は、"いざ事が起こった"と言う時の予備軍として重要である!
・・・と、主張します。

ご回答、期待しています。
よろしく。

Aベストアンサー

こんにちは、yy8さん。

>ここでの質問は"怠け者"の存在の役割に付いて、それが有るならば知りたいと言う事です。

昔話の「三年寝太郎」のように、いつも寝ている=(けれども)頭のなかではあれこれと試行錯誤している、その結果、村を干ばつから救うことが出来ました。といった功利主義的な見方もなりたつでしょうが、わたしはロシア文学における「余計者」や漱石の「猫」に出てくるような明治期の「高等遊民」という存在に惹かれます。

彼らは食うに困らない経済的な背景があるので、仕事もせずにぶらぶら暢気に暮らしていますが、同時に彼らは市井のインテリでもあり、寝太郎とは別の次元での「考える人たち」です。

漱石の「猫」に登場する高等遊民たちとロシア文学の「余計者」の系譜とは異なりますが、寝太郎も含め、社会はその内部にどれだけ異質なものを抱え込むことが出来るかによってその成熟度が測られます。もはやそれは、寝太郎のように、「いつかは役に立つだろう」という期待すら持ちえない「無償の抱擁」です。結果として彼らが寝太郎であったのか、全くの社会的デラシネであったのかは最後までわからない。けれども、怠け者、余計者は生産者ではないがゆえに何の価値もないという見方は社会を限りなく硬直したものにし、最終的に、人間とはけっきょくは生産力であり、支払い能力である、というような人間観を醸成しかねないと思うのです。であれば、カレル・チャペックの『ロボット』のように、「ロボットの方が人間より優れている!」という「ロボットによる人類殺戮の」主張に重なるように思えるのです。

こんにちは、yy8さん。

>ここでの質問は"怠け者"の存在の役割に付いて、それが有るならば知りたいと言う事です。

昔話の「三年寝太郎」のように、いつも寝ている=(けれども)頭のなかではあれこれと試行錯誤している、その結果、村を干ばつから救うことが出来ました。といった功利主義的な見方もなりたつでしょうが、わたしはロシア文学における「余計者」や漱石の「猫」に出てくるような明治期の「高等遊民」という存在に惹かれます。

彼らは食うに困らない経済的な背景があるので、仕事もせずにぶらぶ...続きを読む

Q無能な働き者と怠け者

ハンス・フォン・ゼークトの組織論で、無能な働き者は処刑しなければならないと
書いてありますが、
大半の日本人は処刑されなければならなくなりませんか?

それに、今は無能でも、一時的には周りに迷惑をかけるかもしれませんが、
一生懸命働いている人は次第に仕事ができるようになったり、
一生懸命勉強している人は有名な大学に入ったり国家試験を取ったりしますよね?

無能な怠け者である、ニートとかの方が、どちらかというと不要な気がします。

一時の判断ミスが多数の犠牲を出すような一過性の局地戦にのみあてはまる
論理であって、現代社会に当てはめるのは無常かつ非効率的な考え方だと思います。
真意を取り違えているのでしょうか。

Aベストアンサー

う~ん。質問者様は知った上で質問しているのだと思いますけど・・・。これの全てを知る人とそうでない人では、結構、解釈は変わるかと思います。

この組織論は、いわゆる軍の統率や軍の組織頂点が、軍の指揮官や下士官をどう選ぶかという点で、述べられた論述です。彼は、ヴァイマル共和国軍の陸軍総司令官でしたから、現場のものが現場の判断でどう見るかというものではないのです。
強いて言えば、ある程度その分野で頂点を極めているものが、高みから見下ろして、それを大別する場合に適用する統制の理論です。

無能な働き者は、戦争においては間違いに気がつかずに突き進み、より大きな間違いに繋がる恐れがあるためといったものでしょうか・・・。
これは、当時の戦争において、特に陸軍歩兵団が、ここまでやりなさいと伝えそこで待機を命じたとしたら、無能な働き者は次の日の分もやろうとする可能性があるのです。そうすると、戦線の防衛ラインにほころびが出る恐れもあります。そういう意味で、周りを見て有能に判断できるものと、そうでない無能を指揮官として見てこう大別しました。

この大別は4つあり、

有能な怠け者。これは前線指揮官に向いている。
有能な働き者。これは参謀に向いている。
無能な怠け者。これは総司令官または連絡将校に向いている、もしくは下級兵士。
無能な働き者。これは処刑するしかない。

軍人将校は、この4つで判断するのだというものです。

まあ、自衛官で戦時で且つ肉弾戦や白兵戦が多いのであればもしかすると、これはある意味価値があるかもしれません。ただ、その考え方が、優れているかというと・・・。

尚、無能な怠け者は、自分が楽をしたいと最大に思う傾向があり、司令官などにすると比較的、上に忠実に行動しようと人に押しつけます。何せ無能だから物事を考えず、言われ通りの動きをします。それしかできません。だから、動かし易い。しかも、何も考えないから、マインドの制御も楽です。だから、ロボットとして使いやすいのです。さらに、少し汚い作業でも、ポジションと楽であるという印象を与えれば、働くでしょう。だから、働き者より軍人としては良いと考え、彼は4つに分けたと思われます。

尚、軍組織に属さないものは該当しません。
まあ、これは今の時代でもある程度は言えることと言えばそういう場合もあるかもしれませんし、そうでない場合もあるかもしれません。実際には血液型のように数個で済むなら、それほど楽な世の中はありません。そんなものではないから、未来も世の中も、人間関係も、楽にことを運べないことがあるわけです。

個人的な意見を言えば、これを当てはめるなら、無能な働き者とは何かを考えるべきです。
一般にここでいう有能な働きものは、何かを立案したり、より良い環境構築、軍略を出来る人です。しかも率先して出来る訳です。そのために、労働を投げ出さない。
無能とは、言われないと行動できない人を言います。働き者とは、行動を生き甲斐にする人です。
言われたことを遂行する能力があり、言われた以上に働くのが働きもの。
怠け者は、言われたことは遂行する努力をします。今のように怠けて何もしないのではなく、行動はするが、評価として最小限となる範囲か、人に任せようとするものを怠け者と言います。

これは、今の飽食の時代ではなく、第一次世界大戦後頃の話ですから、働かなくて生きていける時代ではありません。年寄りでさえも、農業なりなんなりを営んでいた時代です。だから、この中にある無能な怠け者を、今の仕事をしない底辺や仕事をただ押しつけるだけの人ではないのです。

だから、ニートはもちろん、会社でただいるだけの仕事で何もしない人なども対象にはなりません。
自分に与えられた業務はするという人であることが絶対で、その中で、より頑張る人か、やることはやるが、怠けたいと思う人か、頭を使うか、使わないかの違いです。

う~ん。質問者様は知った上で質問しているのだと思いますけど・・・。これの全てを知る人とそうでない人では、結構、解釈は変わるかと思います。

この組織論は、いわゆる軍の統率や軍の組織頂点が、軍の指揮官や下士官をどう選ぶかという点で、述べられた論述です。彼は、ヴァイマル共和国軍の陸軍総司令官でしたから、現場のものが現場の判断でどう見るかというものではないのです。
強いて言えば、ある程度その分野で頂点を極めているものが、高みから見下ろして、それを大別する場合に適用する統制の理論です...続きを読む

Qニート・引きこもり・うつなど精神疾患は 社会源病だ。

ニート・引きこもり・うつなど精神疾患は 社会源病だ。


 まづつぎのような随筆を見かけました。表題にぴったりの内容です。読んでみてください。

 ◆ 大野裕:精神疾患は社会の病気 ~~~~~~~
 〔こころの健康学・日経2010・10・08夕刊7面〕
 ――立ち場によって男女比変化

 しばらく前 このコラムでうつ病になるのは女性が多いと書いた。うつ病と診断される女性の数は 男性の二倍であることが分かっている。アルコール依存などは男性が女性の二倍になっている。

 女性にうつ病が多いのは 月経や出産 更年期などの女性ホルモンの変化が影響するからだと考えられている。そうした体の仕組みの違いだけでなく 社会的な立場がそれ以上に強く影響している。

 ところが その立場が変わってくると 精神的変調の表われ方も違ってくる。世界保健機関( WHO )の国際比較研究を見ると 女性の社会進出が進めば うつ病やアルコール依存の男女比の差が小さくなってくる。うつ病では女性の割合が減り アルコール依存といった男性に多い精神疾患では女性の割合が増えてくるというのだ。

 この傾向は国際共通だが 女性が社会進出するようになると ストレスへの対処の仕方が違ってくるのではないかと考えられる。

 社会的な立場が弱いときには 内向的になって心の中で悩む傾向が強くなるが 社会のなかで自分の立場を主張できるようになると 行動を通して悩みを発散する傾向が強くなるのかも知れない。精神疾患は単に脳の病気や心の病気だけでなく 社会の病気なのだと思えてくる。
 (大野裕:慶応義塾大学保保健管理センター教授)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ さて 一般に上に立つガミガミ役に対して下に身をおくアース役。前者が一般に 意識の排泄をおこない 後者がこれを受けとめる。
 この関係を広く

  《アマテラス( A )公民主導‐スサノヲ( S )市民従属》連関
  
 ということにします。これは そもそもふつうの主権在民=スサノヲイズムをさかさまにした連関関係ではないでしょうか。
 この《逆立 A - S 連関制》から成る社会のあり方によって――《アース役》であることを通じて―― 精神疾患のすべてが起きている。のではないか?

 この見方について 見るところ感じるところ考えるところをお聞かせください。

 引用の随筆について解説をしていただける方は おしえてください。

 この質問は 【Q:ニートや引きこもりは 未来社会への陰画だろうか】
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6191141.html
 を継いでいます。

ニート・引きこもり・うつなど精神疾患は 社会源病だ。


 まづつぎのような随筆を見かけました。表題にぴったりの内容です。読んでみてください。

 ◆ 大野裕:精神疾患は社会の病気 ~~~~~~~
 〔こころの健康学・日経2010・10・08夕刊7面〕
 ――立ち場によって男女比変化

 しばらく前 このコラムでうつ病になるのは女性が多いと書いた。うつ病と診断される女性の数は 男性の二倍であることが分かっている。アルコール依存などは男性が女性の二倍になっている。

 女性にうつ病が多い...続きを読む

Aベストアンサー

 おはようございます。Hidocchiでございます。

 Ano.3の方も言っておられましたが、デリケートな問題かもしれません。
 ですが、愚生(自立支援医療を受けております)は、これら問題の根底には、何かしらの共通する原因等があるものと考えておりますし、もしあるのならそれを追求するのが、哲学の問題でもあろうかとも考えております。従いまして、ご質問をお続けになられることを切にお願い致します。
 とは申しますものの、個人(そのご家族様も含みます)への誹謗中傷がみられる回答が散見された場合には、その回答に対しまして、今回は積極的に、”通報”をしていこうかとも考えております。

> たしかに言挙げせずとも以心伝心で分かり合えるという側面も 日本人どおしにはあったのだろうけれど これも通用しなくなって来たのだと思われる。
 大きい声でともかく論理を通した話をすればよいというアメリカニズムのどちらかと言うと悪い一面と そして日本人の間に見られる事なかれ主義とが合わさって 最悪のサラダが出来上がったのでしょうか。そこまでは行かないでしょうか。

 愚生は、お互いの“悪いとこ取り”をしてしまっているように、考えております。
アメリカニズム賛美のもとに、“個としての尊重”といったものが、“個としての確立および自立心なき、単に駄々っ子なだけの個人主義”へと向かい、また、それとは逆の、“家元制度的慣習”・“事なかれ主義”を後生大事に存在させているという、ある意味、奇怪な現象が現れているものかと思っております。
 さらに申しますと、思考停止させているところをも 鑑みますと、日本社会では、幼児化現象が起こっているのかもしれません。

 話が変わりますが、ただ、もし仮に、一個人の問題と解してしまいますと、近年増加しております、うつや引きこもりは、自己責任になってしまいかねないかと考えております(実際、そういった論調はネットでも結構みられます)。つまり、これもまた増加傾向にございます ”自分のことは棚上げし、人様に対しましては「他責」的な人達(人様に責任をなすりつけ、自己の精神の安定化、もしくは優越感を抱くような人達です)” が増えてきているのも事実かとも考えております。従いまして、個人のみの問題ではないものと考えております。
 では、何が原因なのかと問われますと.......
 残念ながら、すぐには回答を用意はできていない状況でございます。もし、考え等が見つかり次第、駄文、お聞きいただければ、幸いでございます。

 ご参考になれば、幸いに存じます。

 おはようございます。Hidocchiでございます。

 Ano.3の方も言っておられましたが、デリケートな問題かもしれません。
 ですが、愚生(自立支援医療を受けております)は、これら問題の根底には、何かしらの共通する原因等があるものと考えておりますし、もしあるのならそれを追求するのが、哲学の問題でもあろうかとも考えております。従いまして、ご質問をお続けになられることを切にお願い致します。
 とは申しますものの、個人(そのご家族様も含みます)への誹謗中傷がみられる回答が散見された場合には...続きを読む


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