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ドーハの悲劇など、代表の歴史的一戦を用語みたいに呼んでるものをまとめて教えてください。できればあまり知られていないマイナーなやつもこのさい勉強したいです。オーストラリアに1-3で負けたのはなんとかの屈辱とか言いませんでした?

A 回答 (6件)

 追加



 1949年5月4日:イタリア・セリエAでリーグ4連覇をしていたトリノの選手が、
ポルトガルのベンフィカ・リスボンとの親善試合の帰りの飛行機が、雷雨による視界不良で
トリノ近郊のスペルガの丘に立つスペルガ大聖堂に衝突。18名の選手、他の乗客乗員13名全員が亡くなった「スペルガの悲劇」
(優勝を目前にしていたトリノは飛行機事故後に、連盟から名誉スクデッドを与えられて
 リーグ5連覇を達成。)


 1950年7月16日:第4回W杯ブラジル大会で、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムで行われた決勝リーグのブラジル対ウルグアイ戦で(この時は決勝リーグ方式)引き分けでも優勝できたブラジルが逆転負けを食らってしまった。この事により2人がショック死、20人以上が失神した「マラカナンの悲劇」。
 (ブラジルはこの敗戦を忘れる為にホームのユニフォームの色を白から黄色(カナリア色)に変えた)


 1958年2月6日:マンチェスター・UがUEFAチャンピオンズカップの帰りに
ミュンヘンにあったリーム空港から飛び立ったチャーター機が離陸に失敗し、空港のフェンスを突き破り、空家に激突。機体は大破し、選手8名、他の乗客乗員16名が死亡した「ミュンヘンの悲劇」。
 (このシーズンのUEFAチャンピオンズに敗退するも、この事故で一命を取り留めたマッド・バズビー監督とボビー・チャールトンらチームを立て直し10年後の1968年に、イングランドのクラブで初めてUEFAチャンピオンズカップを手にする)

 
 1985年5月29日:ベルギー・ブリュッセルのヘイゼル・スタジアムで行われたUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)決勝の「リバプール」対「ユベントス」戦で、
互いのサポーターの小競り合いから衝突に発展。ユベントスのサポーターがリバプールのサポーターの襲撃から逃れる為に、スタジアムの壁によじ登り、重さに耐えきれなくなった壁が崩壊。39人が死亡。400人以上が負傷した。「ヘイゼルの悲劇」。
(これによりイングランドのクラブは5年間、当事者のリバプールは7年間クラブの国際試合出場停止処分が下った。)

 
 1989年4月15日にイングランド・シェフィールドのヒルズボロスタジアムで行われたFAカップの準決勝、リバプール対ノッティンガム・フォレストの試合、当時イングランドのスタジアムにあった「立ち見席」(この当時フーリガンの全盛期だったために、警備対策の為に一部の立ち見席は鉄柵と鉄条網でいくつかの区画に仕切られていた)+途中の交通事故で到着が遅れた事により立ち見席にどっと人が押し寄せた状態で試合が始まってしまった。警備担当者が鉄柵を開こうとしたが開かずに人の圧力で鉄条網が倒れ、中にいた96人が圧死、200名以上が負傷した「ヒルズボロの悲劇」。
(この後、イングランドの名物の立ち見席がスタジアムから消えた)

 など、サッカーの「~の悲劇」として有名な事例としてこういうのがあります。
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この回答へのお礼

世界に目をむけると、飛行機事故、ファンの暴動など、単に試合に負けただけという悲劇ではないので、こわいですね。ありがとういございました。

お礼日時:2010/11/09 09:18

1936年 ベルリンの奇跡(ベルリン五輪でスウェーデンを破る)


1993年 ドーハの悲劇(ロスタイムに失点、94年のワールドカップを逃す)
1996年 マイアミの奇跡(アトランタ五輪でブラジルを破る)
1997年 ジョホールバルの歓喜(初めて98年ワールドカップに出場)
2001年 サンドニの悲劇(親善試合でフランスに0-5)
2004年 重慶の奇跡(アジアカップでヨルダン代表にPK戦での大逆転劇)
2006年 カイザースラウステルンの屈辱(悲劇)(ドイツ大会で豪州に残り6分から3失点)
2006年 ドルトムントの悪夢(ドイツ大会でブラジルに1-4の大敗)
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この回答へのお礼

マイアミ、重慶で活躍した、伊東、川口らがまだ現役というのがうれしいですね。ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/09 09:15

出ていないものでは「サンドニの悲劇」でしょうか。



2001年3月25日にフランスと対戦し0-5とボコボコにされた試合です。
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この回答へのお礼

サンドニはしりませんでした。親善試合なら悲劇とまでは言いすぎかも。サンドニの勉強会というのはどうでしょう。ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/09 09:13

 先ほど挙げられた事みたいなものは良くあるわけで、



 日本以外のものとしては、
1994年アメリカW杯欧州最終予選プレーオフで
フランスが、ブルガリアとのプレーオフの最終戦。
ホームで引き分けでもW杯出場できたのに、
後半ロスタイムに勝ち越しゴールを奪われた
「パルク・ド・プランスの悲劇」や

 2006年ドイツW杯、アフリカ最終予選で
カメルーン対エジプト戦で、先に全日程が終了している
コートジボワールに対してこの試合ホームで勝てばW杯出場が
決まるカメルーンが、同点で後半ロスタイムにPKのチャンス。
 決めればW杯出場というPKをエトーが外した
「ヤウンデの悲劇」(ヤウンデはカメルーンの首都)
(このあと両国代表はスタジアムをパトカーの護衛付きで出ました。)

 2010年南アフリカW杯のアジア最終予選プレーオフで、
サウジアラビア対バーレーンの試合で、ホームのサウジが
バーレーンが後半ロスタイムに追いつかれ、
アウェーゴールの差で敗れた
「リヤドの悲劇」
(バーレーンはこのあと、ニュージーランドに大陸間プレーオフで敗れた)

 など、「~の悲劇」や「~の歓喜」、「~の屈辱」というのは
重要な一戦での劇的な形の試合の言い回しでマスコミが使うのだと
思います。
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この回答へのお礼

日本以外のものまで教えていただきありがとうございます。とても勉強になりました。

お礼日時:2010/11/09 09:10

こんばんは。



代表の歴史的一戦は数あれど、「ドーハ」の様に特別な呼称を有する試合。
さらにサッカーファンほぼ全員で共有されている「公式な」物となると、
以下の4つ程度ではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■ ベルリンの奇跡
  1936年 ベルリンオリンピック1回戦 対スウェーデン戦
  >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB% …

■ ドーハの悲劇
  1993年 ワールドカップ・アジア地区最終予選 最終戦 対イラク戦
  >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC% …

■ マイアミの奇跡
  1996年 アトランタオリンピック第1次リーグ 対ブラジル戦
  >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4% …

■ ジョールバルの歓喜
  1997年 ワールドカップ・アジア地区予選 対イラン
  >http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7% …

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記の様ないわば「公式な」呼称ではありませんが、こんなのも有ります。

■ 10月26日 日本が負ける日
  1985年10月26日 ワールドカップ・アジア予選 対韓国
  1987年10月26日 オリンピック・アジア予選 対中国
  1988年10月26日 日韓定期戦 対韓国
  >http://blog.goo.ne.jp/nekonabe48/e/036b874e8f039 …

後年になって10月26日に勝利したAマッチが登場し、現在では必ずしも
「負ける日」ではなくなりました。
しかし80年代当時、立て続けに世界を目前にして敗れた無念さと、
代表の暗澹たる未来を嘆いて、10.26はこんな風に呼ばれていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私的には、銅メダルを獲得したメキシコ五輪や、木村和司の伝説FKで
有名な上記の韓国戦などには特別な呼称があっても良い気がします。
当時の活字メディアが統一した呼称を定着出来なかったのでしょうね。
ちょっと残念です。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

木村のFK、じつはぼくもテレビで生中継でみました。なにか、スペシャルな名称みんなで考えてやれないものでしょうか。また、ベルリンの奇跡というのは、僕の思い違いかもしれませんが、日本のユニホームが青になったのは、ここからとかいうのではなかったですかね?ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/09 09:06

サッカー大好きのおっちゃんです



有名なところでは

「ジョホールバルの歓喜」でしょうか。

日本が初めてワールドカップに出場したフランス大会の最終予選。
イランとのアジア第三代表を争って、中立国であるマレーシアのジョホールバルで見事勝利。

岡野のVゴールが決まった瞬間、右手に持っていた寿司を握りつぶしたのを覚えています。

>オーストラリアに1-3で負けたのはなんとかの屈辱

それは「カイザースラウテルンの屈辱」ですね。
ちなみに「カイザースラウテルンの悪夢」とも呼ばれています。

後半39分、ケーヒルに同点弾を撃ち込まれた時はまだ「最悪引き分けでも・・・」と思ったのですが、同44分にまたもやケーヒルに逆転弾を撃ち込まれがっくり。
さらにロスタイムにアロイージにダメ押し弾を撃ち込まれた瞬間、日本のドイツ大会グループリーグ敗退を悟りました。
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この回答へのお礼

カイザースラウテルンとは舌をかみそうな名前で、それでぼくは忘れて
しまったのでしょう。この試合1-2ならまだリーグ突破の芽があったのですが、どんなときも最後まであきらめないのが大切という教訓でもあります。ありがとうございました。

お礼日時:2010/11/09 08:59

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