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脳は一生の出来事を全ての事を記憶出来ないと聞いた事が有ります。
後記憶は忘れる要に出来て要ると聞いた事が有りますが本当ですか?

A 回答 (3件)

こんにちは。



>脳は一生の出来事を全ての事を記憶出来ないと聞いた事が有ります。

どのような理由からそう述べられたのかは分かりませんが、我々の脳の記憶容量にも限界というものがありますので、物理的には無理だと考えて差し支えないと思います。ですが、そのためには脳の「記憶力(注意力)」と「記憶容量」の100%が使われるということです。稀に「サヴァン症候群」といった特殊な例もあるようですが、さもあらず、記憶が満杯になって新しいことが覚えられなくなったなどというひとはまずいないと思います。
因みに社会生活に必要な一般常識が1~2TB、そこにどんな専門知識を詰め込んでも数TBですが、我々の脳の記憶容量は大脳皮質だけでたっぷり16TBはあります。ですが、人生の全てとなりますと、どのくらいの量になるかはちょっと検討が付きません。

次に、我々の記憶といいますのは作られるときに重要度が判定されています。何らかの情報が入力されますと、脳内では生物学的な価値判定を基に「情動反応」が発生します。この情動反応は記憶の形成を司る「海馬」の機能を一時的に活性化させるため、感情的に印象の強い体験は記憶に残りやすくなります。一時的に活性化させるということは、実はこの海馬の機能といいますのは通常は安静状態に抑制されており、余計なことは覚えないようになっているということです。では、このようにして情報が選別されるということは、一生の全てを記録するというようなことは、果てして現実には行われないということです。

>後記憶は忘れる要に出来て要ると聞いた事が有りますが本当ですか?

そうは言えないと思います。
上記のように、記憶が形成される段階では生物学的な必然性が働いています。そして、このようにして情報が整理されるならばそれが使いやすくなるという利点はあると思います。ですが、忘れてしまう、思い出せないというのは、こちらはやはり脳の不正確さや偶然をその要因と考えた方が良いのではないでしょうか。
記憶には以下のようなプロセスがあり、これに応じて「思い出せない理由」も三通りあります。
「記憶の形成:覚えることに失敗した」
「記憶の保持:記憶が劣化、あるいは消失した」
「記憶の再生:検索に失敗した」
既にご回答も寄せられていますが、このうち二番目の「記憶の消失」というのが脳内で本当に起こるのかどうかはまだきちんと解明されていません。
同じ記憶でも、「短期記憶」といいますのは時間と共に消却されるものであることは概ね確かめられています。これが繰り返され、やがて「長期記憶」に移行されるのですが、この長期記憶で短期記憶と同様の消却が行われるのかどうかはまだ確認されていません。ですから、どうして忘れてしまうのか、そのメカニズムが分からないのであります。このため、果たしてその記憶を忘れてしまったのか思い出せないのかは、現時点では確かめることができないというわけです。

では仮に、記憶というのは忘れるためのものであるとしましても、それが不要なのか必要なのかをどのようにして判定するのでしょうか。いちいち確かめていたのでは何時まで経っても忘れることはできません。ならば、もし脳内で忘却が行われるとしますならば、それは内容的には何の根拠もない無作為な偶然ということになります。
もちろん我々は、覚えたいことをすぐに覚えられるわけではありませんし、忘れたいことを都合良く忘れることもできません。記憶とは本来、自分の意思でどうにかできるものではないです。情動的に印象の強い体験といいますのは生物学的な価値に従って判定されたものです。ですが、学校で習うことは我々の脳が決めたことではなく、これは文部省が決めたことです。このため、我々はそれを反復訓練によって何とか長期記憶に育てます。
記憶というのが時間と共にあいまいになってゆくのは経験的な事実です。ですが、その生物学的な意義が解明されない限り、忘却を生理学的な構造とすることはできないと思います。
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何かを思い出せなかったり忘れてしまったりする事があるのは事実ですが、忘れていくように出来ているかどうか、そのメカニズムは謎です。

忘れているのじゃなくて覚えているのに記憶にたどり着けないだけかもしれません。

忘却に関しては色々な説があります。
一番有名なのはエビングハウスの忘却曲線です。再認可能な「忘却」と「完全忘却」を区別していないという批判もありますが、記憶における忘却の問題に最初にとりんだ功績はとても大きいです。

他には、記憶の干渉説や検索失敗説、精神病理学的忘却など、色々な説がありますが、記憶の仕方や内容や記憶の使い方によってさまざまなのでこれが正しいとは言い切れません。
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「一生の記憶」どころか、ついさっきの記憶さえ、


思っているほど完全ではないものです。
特徴的な部分だけを意識し、それ以外のものは
ボンヤリとしか見ていないのです。

それでは、何でも忘れるかというと、個々の現象
としての記憶はなくなっても、その積み重ねによる
特定のニューロネットの活性化のしやすさ(あるいは
特に20才以降は使われない脳細胞が死滅する)という
形で記憶されてはいるのです。

たとえば、色彩は、光の特定の波長に結びついた
五感の相関した経験の蓄積によって得られた、直感
的記憶であって、それゆえそうした経験の少ない
子供の頃は、調和のとれた美術作品より極彩色で
くるくる回ったりする“刺激優先”の嗜好なのです。
つまり、個々の事例を忘れることで平均化し、その後
の直感的対応の基盤にしているので、うまく「忘れる」
ことも重要なのです。
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