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皆さんは自殺をどう考えますか。



否定的な見解を考えてみるに、まず反省の機会がない人殺しだと云えます。

とはいえ、人殺しにも区別があり、実際に裁判では老々介護による委託殺人のようなものは実刑ではないですし、自殺は少なくとも無差別殺人ではなく、さらには突発的な怒りからの殺人とも違います。



一概に自殺と云っても、年齢や思考過程による違いはあると感じますか?

例えば、太宰が(本当に死ぬ気があったのかは知らないですが)未遂ではなく死ぬのに成功していたら、彼の実際の最期とは彼自身も彼の周りも全く違っていました。

また、その太宰の自殺と、不謹慎ではありますがいじめによる学生の自殺を比較しても、その性質は異なると思います。


芥川の自殺と、悪行がバレて会社が倒産してしまいメディアにも追いかけられる予定だった企業の社長が自殺したと仮定して、それらを比較しても、その性質は異なる気がします。

同じく企業の倒産が大きな要因か最後のきっかけになったと考えられる自殺でも、地道にやってきたけれど為替の影響で倒産し保険金を得る為に自殺した方とでは同じでないような気もします、が、わかりません。

ちなみに私はそういった状況にある身ではありません。




個人的な印象の話で哲学とは反しますが、例えば三島由紀夫は自身は自害しましたが、その直前に彼は自衛官を斬りつける計画的なテロ行為にさえ及んでいます。

テロなので政治色が強く参考にはならないかもわかりませんが、率直に申しまして、三島の文章は美しいですし、喋っている映像を見ても内容もですが眼差しが人間として素敵で、彼を浅はかな人間だとは全く思えず、むしろ逆の印象です。

(私は特別に三島由紀夫が好きなわけでも、三島由紀夫や自殺に憧れたこともありません)




様々なご意見を頂戴願います。

「本人が死にたいのなら死ねばいい」というような回答でも何でも結構ですが、本気で思っておられる回答のみでお願いします。


心理学でも別の質問を致します。

A 回答 (45件中41~45件)

自分の考えですね。



まず、自殺と言うのも色々なものがあります。
自殺者の数だけ自殺があります。
恋といっしょで、それを一つにまとめるなんて無理だと思います。
でも、自殺は割とそういうとこに行かずに思考停止してどうこう言うのが多いです。
それは不思議な気もします。

自殺をするな、と言うのは簡単ですが。多分理屈でそう思える人は自殺しない。
理詰めでどうにかなる状態であれば自殺しないのです。

それに対して、これこれだからダメだよ。と言っても多分逆効果でしょう。
頑張れと言ったら、頑張っているけどダメなので死にたいと言われるかも知れません。最悪そのまま死んじゃいます。

本当に自殺を減らしたいなら、まずその人の話を聞けばいい。
そして、原因を取り除けばいい。可能な限りで。

自殺も戦争も犯罪もですが、行為を否定する前に、原因を取り除くのが「現実的」な対処だと思っています。

私も、自殺を考えたことはあるし、そういう人もたくさん見てきました。
可能な限りの協力はして来たし、今後もするつもりです。
しかし、その他大勢を全員救うのは無理です。

見殺しにしますが、目を背けて綺麗事言うよりは良いと私は思います。
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この回答へのお礼

自殺について考えるといっても、どれくらいの時間考えたか、どういう感性と頭脳の持ち主が考えたか、で大きく変わってきます。

芥川は二年間死ぬことばかりを考えてきたと書いていますし、太宰は20年くらい死にたがっていました。

芥川や太宰の“話を聞く”など畏れ多いですし、私が聞いても理解できないでしょうし、本人もあまりわかっていないかもしれません。


自殺を考えたことがある、と書かれておりますが、一時的にでもよいですので回答者さんはどういう結論に至ったわけでしょうか。

お礼日時:2010/11/30 00:10

生物的に、本質的原動力は生きる意思であり、生存は任意であって、逆に死も任意です。


(法規も、「守らないといけない」のではなく、罰との選択ですし、自殺者はすでに「死刑」という最高刑を受けているわけだから、それ以上罰することもできないし)

それを、個人的なポリシーとする分には「問題」ありませんが、社会的に「良い」と評価される事を求めるのは無理です。
なぜなら、次世代に伝承できないポリシーは、世代交代の中で淘汰されて、社会常識にはなり得ないからです。
(死んでもいい、という文化を持った集団は淘汰される)

物質に「目的」はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。
であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。
生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。

要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕している。
そこにおいて初めて、生命として根源的衝動である「生」と相反する欲求、「自殺」が可能になるのです。
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「自殺」とは、人間に与えられた最後の権利だと思います。



だから人は生きていくことができるんだ、とそのようにとらえてください。
自ら死ぬという権利すら奪われた人の苦しみを想像してみてください。

死にたいのに、「死んではいけない」と、死を考える気持ちさえ否定され、これを口にすることすらできな
い苦しみを考えてみてください。

矛盾するようですが、彼らが死を選ぶのは、「自ら死を選ぶことを否定されている」ことが原因であるケー
スも非常に多いという事を多くの人に認識してほしいと思います。

「死にたい」という気持ちを抱いているんだ、ということを認めること。また、そういう人たちがごく当た
り前のようにいる世界なのだ、ということを認めること。影に光を当てることが、結果的に自ら死を選ぶ
人たちの気持ちを救うことになります。

何も自ら死を選ぶ行為を煽れ、とか、そういうことを言っているわけではありません。

「ああ、君は死にたいと思っているんだね。そうか。大変なことがあったんだろ」

と、否定も肯定もせず、当たり前のようにその気持ちを受け止めることができる社会の形成こそが、
何よりもの「自殺防止活動」です。
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この回答へのお礼

私には他人の自殺を止めようとする理由が全くわかりませんし、それで自殺を思い留める人は更に理解できません。

お礼日時:2010/11/29 23:54

自殺・・・何か原因があるから自殺を考えるんでしょうが現実から逃げてはいけないと思います。

人間、いつかは死ぬんだから、わざわざ自分から死ななくても良いのにと思いますね。
自分は死んだら楽になるかもしれませんが残された家族、周りの人は一生忘れる事が出来ない大きな悲しみになるって事も考えてほしいですね。
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この回答へのお礼

自殺が現実から逃げているとしても、生きていることが逃げている結果でないとは言い切れないと思います。

例えば芥川も、「死ねないに過ぎない、というのに同意する」と書いています。


また、生きるか死ぬかを考えるのに、周りの人間関係を考えるのは私はかなりの阿呆だと思います。

それこそ、生きるためのこじつけに過ぎないのではないでしょうか。

お礼日時:2010/11/29 23:42

はじめまして、よろしくお願い致します。



自殺は、自己責任でしてください。

近隣の方に迷惑をかけないでしてください。

しかし、自殺を止めることは困難でもあります。

今は、わたしは自殺を止める側ですが、毎日?自殺するという人の話を聞いてショックで苦しんでいます。(自殺する側も止める側も苦しむのです)しょうがないのか?

精神科の医師も自殺は、自殺する人の話を聞くくらいで対処方法は
ないとの返答でした。

ご参考まで。

この回答への補足

どのような回答でも歓迎すると書いたのは私でした。

本心では、もう少し哲学な回答が欲しかったのであのように書いてしまいました…

せっかく回答して頂いたのにすみませんでした。

補足日時:2010/11/30 01:18
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この回答へのお礼

ここで示されているような突発的な自殺や自己を見失っての自殺に関しては質問しておりません。

あと、なぜ他人の自殺を止める必要があるのかがわかりません。

ここは、そういうことを書く場であり、そのために質問しています。

お礼日時:2010/11/29 23:36
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