動物も人間のように言語のようなものを用いてコミュニケーションをとっています。動物と人間が使う言語にはそれぞれどのような特徴があると思いますか?また違いなどもあれば教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

人間の脳内には『動物として或は生き物として或は命ある者の命を守る』働きとしての脳の機能と、生きてゆく事から学び取ってゆく機能としての能の働きがあります。



もっと簡単に言うなら、『目の前のものや、森羅万象』と同時に反応する機能としての脳の働きと。『目の前のものや、森羅万象』を受け止めようか、受入れないようにし様かとする『分別する機能』から成り立っている脳の働きが存在しています。

始めに書いた機能をもっと簡単に言うならば『仏性=命そのものの働き=神』という事になります。

後者を『自我意識=言葉を持つ事によって生じた機能=分別』という事になります。

一人一人の命は『その命を生まれる前から守っている働き』と云う働きのお陰で生まれた瞬間から適切に働いていて、教えられないにも拘らず、不安や安心を嗅ぎ取って、その環境に順応して命を守って生きることが出来ています。

子供の時代を聖書では天国と形容しています。脳の機能が未発達で脳内の人格が未だ二つになっていない時代を言います。『幼子が天国に一番近い存在』と云う事なります。

脳の機能が完成に近くなる頃、いわゆる思春期頃から、脳内の機能分化が完成に近くなる頃『人間には悩みが生じ始めます』知恵が付いて天国から追放されると云う言い方です。

『命の働きの意思=仏性』は、無意識界と潜在意識界を司っていて、更に、脈拍からホルモンの分泌からその場に応じての呼吸数までも調節しています。命をそのままに働かせる働きという事になります。

他方『我=自我意識』は、意識界を司っている事になります。

天国から追放されたと云う意味は、二つの意識が『同調できなくなる』ことを意味しています。

眠る事を例に取るなら、眠る時には『自我意識』は一旦無くなって『無意識の自分が』体と心を統率した状態になって、それから深い眠りが保障されています。』その状態とは『自我意識が眠ろうとは計らわない状態です。=言い方を替えるなら眠る事さえ忘れ果てた時』本当の眠りが保障されています。

神経症の場合には全て、今言った事が当てはまります。神経症の原因とは無意識の自分に任せて置くなら全てがOKという事ですが、『自我意識が出て無意識の自分になれない事を』意味しています。

二つの意識が同調できなくなる事は、言い方を替えるなら『心に矛盾や対立や分裂』が生じた事を意味しています。

人間の言語は見た事や聞いた事や感じた事を『分別意識』と云うフェルターを通して言葉にすると云う特徴があります。この特徴の為に人間にのみ天国や地獄を知り得る事になります。言い換えるなら『目の前には無い不安におびえる事がある』と云う意味になります。

何の不安の実態も現実には無いにも拘らず『身体と心が』不安と感じて、不安におびえる事があると云う意味になります。

この事を『妄想や地獄』と聖典や仏典では形容しています。

人間には不安解消の道は在るのか?と云う事が宗教の永遠のテーマになっています。具体的にその道を指し示す事が困難なために、簡単に書いてみます。

人間の悩み苦しみとは『心の矛盾』と書いています。心の矛盾の解消がそのまま『不安解消の道』という事になります。

例えば自律神経失調症の場合なら『心の矛盾の解消』とは、自我意識がどんなに頑張っても身体の機能は何一つ自由にならないと云う事を判る事です。『自我意識には出来なかった』と知るところにあります。

例えば不安障害やパニック障害ならば、不安を感じる事が悪い事ではなかったことを納得する中に存在します。不安の元が『自身の不安を感じさせるシステムであった事』を納得して受入れる中に存在します。

心を病む事も悩みを悩むことも今言った事が関係します。自分で自分を病ませたり悩ませていた事を知る中に存在します。

言い方を替えるなら『自身の心の中の識られざる神と和解すると云う事』になります。

自我意識の受けている圧迫は『自分自身の無意識からの圧迫です』その意味するところは『もっと無意識の自分を信頼してもらいたい』と言う要請に他なりません。

我を忘れる機会が在るならその時には、心は=自我意識は休んでいます。自我意識がでしゃばって引っ込みが、付かない状態を『意識地獄=妄想』と呼んでいます。
    • good
    • 0

言語の違いに入る前に、人間と動物の違いそのものについて触れたいと思います。



最も大きな違いは、人間の脳は未熟状態で生まれてきて完熟するまでも25年という長い年月を要するという点です。そして、動物の脳は生まれて間もなく完熟に向かいます。

そうした脳の観点から観ますと、人間は脳が未熟状態でのコミュニケーションを行いますが、動物は完熟された状態でのコミュニケーションを行います。これによって、人間は未熟を補おうとする姿勢が生まれ、それが理性や考えに繋がり、同時に社交性を養う様になります。

動物と人間は、どちらも交流する様に見えますが根本的に違います。

人間は、未熟・不完全をベースとしながらの疎通・交流であり、従いまして環境の変化を自らに取り込みやすく、取り込むだけでなく環境を創造するにまで至っています。

そして、人間は悟る事が可能ですが動物は悟る事が出来ません。

以上を踏まえまして、動物と人間の言語にはどういった違いがあるのか?が観えてくるかと思います。如何でございましょうか?
    • good
    • 0

 ANo.4:類似のことを回答とうこうしているのは以下のご質問でした。

失礼しました。
 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6393359.html
    • good
    • 0

 専攻は法学と図書館情報であり、ご質問のことについては特に勉強はしていません。


 生まれて長く、そして人と付き合う野生の動物や雀は、或いは植物にはある程度言語性は見出せます。
 それは西洋の近代法学や哲学の、言語的概念性とか象徴性はどこまであるかは判りません。
 研究もしていなし、中島敦の作品のようにその動植物や鳥類の世界に意識投入をしておりませんので。
 人間の世界との接点や付き合いのない動植物や鳥類とは少し違うことが、大好きな山野跋渉との経験からうかがい知る事はできます。
 経験ですのお話でお伝えするのは難しいですが。

 私たち中学、55年以上の前ですが、ターザンという映画の主人公は、人間の言語界に馴染む事は困難があるでしょう。
 アヴェロンの野生児という本がありますが、ネットにもでています。
 名著です。
 そして狼などに育てられた人間の少年や少女が何人か発見されていますが、かれらが先天的に狼の頭脳機能しかないとか言語発生できないのかというのも疑問でしょう。
 そういう面からのご研究もかのうであるし、私もいくつかそういうHPを保存していたのに今はどうしても見つかりません。
 アヴェロンの野生児がネットで見つからなければ、日本社会事業大学図書館が所蔵しております。
 卒論でも何人かがテーマにしています(直接ではありませんが)。
 関連の書物も結構あると記憶しております。
 Hpでは動物ランドとかいう名称であったかと存じますが、いま探したのですが見つかりませんでした。
    • good
    • 0

人間にとっての言語は自分自身を対話者としているところがほかの動物とは違うのではないかと思います。

この点で少し似ている気がするのは蝙蝠が発する超音波です。超音波の反射によって自分の位置を確認するのは人間の独語(ほぼ思考に近い)に似ているように思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

つまり、人間は言語を用いることで自分の心に問いかけている、ということですね。確かに人間は自分自身に問いかけ思考する点で動物とは異なると思います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/12/20 16:28

人類、および人類に近い動物に特徴的な行動は、


道具を使うことです。
もちろん鳥類や昆虫にも、自分の体以外のものを
使って目的を果たす行動がない訳ではありませんが、
それらは本能的なもので、環境認識(五感からの入力を
脳内で再構成して外的存在として把握)することで、
鳥や虫におけるような条件反射ではなく、予測による
道具(環境改変)を可能にするのです。

その「環境認識=相対としての自我の目覚め」において、
他の方のあげているような、感情や文化的伝承といった
ものが可能になるのです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。言語の意味について自分は「情報の共有」「情報の保管」「情報媒体の活用」を円滑的に行うための記号のようなものだと解釈しています。つまり、人と動物の異なるところは、「情報媒体の活用」といった文化的、芸術的側面において言語を用いているか用いていないかの違いでよろしいのでしょうか?

補足日時:2010/12/20 16:22
    • good
    • 0

人類の祖先と同時期に存在したネアンデルタール人は、声を出す機能は発達していなかったらしいです。


それでも、墓とおもわれる遺跡からは花の痕跡が発見されました。

言語での会話が制限されていても、亡骸に花を飾るという行動をしていたわけで、
「感情の共有や伝承」という行為があったのだという発見です。

コミュニケーションする動物は多くいます。
でも悲しんだり喜んだりしてる時間があるというのは、余裕のある生活があればこそです。
多くの動物では隙を見せれば捕食されてしまうので、危険の通報という意味での鳴き声や、
縄張りの表明という雄叫びが多いようです。

セミや野鳥の鳴き声にも地域性があるそうで、一概に遺伝のせいばかりでもなさそうです。

知ってることだけ書きましたが、ドキュメンタリー番組やネットを探せばもっと興味深い情報もあるはず。
図書館に行く手もありますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございました。確かに住む生活環境によって言語の使い方は異なりますね。ということは、言語というものが不変の存在でないと解釈してもよろしいのでしょうか?
今度、インターネットや本などでも調べてみたいと思います。

お礼日時:2010/12/20 16:10

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qヨーロッパでは進化論ではなく、人間は人間として動物は動物として神様が作

ヨーロッパでは進化論ではなく、人間は人間として動物は動物として神様が作ったと信じられている(た)と聞きました。
そして牛や豚などは家畜として食べるために、犬や猫などはペットとして作られたためアジアと食文化でもめるとも聞きました。
これは本当でしょうか?
本当ならどこかにこの考えは書いてるんでしょうか?聖書とか?

Aベストアンサー

聖書の創世記にあります。

そうして神は大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂,すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの,また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造してゆかれた。・・・ 次いで神は言われた,「地は生きた魂をその種類にしたがい,家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように」。するとそのようになった。そして神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。そして神はそれを良いとご覧になった。-1章21~25。

 次いで神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。-1章29、30。

  ~この後、アダムとエバが楽園から追放され、地が暴虐で満ち、ノアの時代の洪水、その後~

 次いで神はノアとその息子たちを祝福してこう言われた。「子を生んで多くなり,地に満ちよ。そして,あなた方に対する恐れ,またあなた方に対するおののきは,地のあらゆる生き物と天のあらゆる飛ぶ生き物,地面を動くあらゆるもの,また海のすべての魚に引き続きとどまるであろう。それらは今あなた方の手に与えられる。生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい。緑の草木の場合のように,わたしはそれを皆あなた方に確かに与える。ただし,その魂つまりその血を伴う肉を食べてはならない。-9章1~4。

 ~その後、イスラエル人に与えられた律法に、食べてよいものと食べてはならないものが制定され、モーセの律法のもとにある人たちにのみ適用されました。西暦一世紀キリスト・イエスの犠牲の死に基づいて律法が廃止されると共に,全人類は再び大洪水後ノアに告げられた同一の広範な規定のもとに置かれたと考えられるようになりました。


 

聖書の創世記にあります。

そうして神は大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂,すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの,また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造してゆかれた。・・・ 次いで神は言われた,「地は生きた魂をその種類にしたがい,家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように」。するとそのようになった。そして神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆか...続きを読む

Q容姿端麗頭脳明晰身体能力抜群血統家柄も文句なし|このような別世界の人間を目の当たりにしても戦意喪失したりやる気を削がれた

容姿端麗頭脳明晰身体能力抜群血統家柄も文句なし|このような別世界の人間を目の当たりにしても戦意喪失したりやる気を削がれたりしない方法を教えてください。質問者はフィロソフィの素人です。

Aベストアンサー

お友達はいますか?
あなた個人の魅力に気付いているから友人ているんですよ。

容姿端麗でもフィロも関係ないです。
自信持ちましょう。

Q論理学・言語哲学・分析哲学それぞれの言葉の意味や関係

これから分析哲学を基礎から学ぼうと考えているのですが、論理学・言語哲学・分析哲学それぞれの言葉の意味や関係がはっきりとは分かりません。自分で調べてみてもいまいち明確になりません。どなたか教えて頂けませんでしょうか?

Aベストアンサー

あー、なるほど。しかしとても一言では。

でもま、批判と誤解を恐れずにざっくりといってしまえば、言語とは何か、という問いに答えようとするのが言語哲学で、論理学はその一部です。分析哲学は言語を通して世界を見ようとする立場で、言語哲学とは逆といえば逆です。

しかし、すべてを包含して言語哲学といっても構わないでしょう。

そういう意味では、言語哲学はギリシャ・ローマ時代からの伝統があります。パラドクスのゼノンや、アリストテレス、ストア学派などですね。

特にアリストテレスは論理学の創始者と言っていい。ただ一般に論理学というときには非常に厳密で数学的な分析を指します。形式論理学・命題論理学・様相論理学など、p → q のような記号の連続ですね。

さて最後の分析哲学ですが、私の挙げたヴィトゲンシュタイン、ラッセル、クワイン、などはこの仲間です(本人がどう考えているかは別)。こうしたそうそうたる顔ぶれを見ると、現代言語哲学とは分析哲学であるといってもいい。

さらにややこしいことに、この人たちは論理学者でもあり、フレーゲやモンタギューは形式意味論の祖であるとも言える。

というわけで、結論。
言語哲学の中に分析哲学があり、その中に論理学がある。歴史的経緯を一切無視して現状だけ見れば、そう断言しても、いいんじゃないかな。

あー、なるほど。しかしとても一言では。

でもま、批判と誤解を恐れずにざっくりといってしまえば、言語とは何か、という問いに答えようとするのが言語哲学で、論理学はその一部です。分析哲学は言語を通して世界を見ようとする立場で、言語哲学とは逆といえば逆です。

しかし、すべてを包含して言語哲学といっても構わないでしょう。

そういう意味では、言語哲学はギリシャ・ローマ時代からの伝統があります。パラドクスのゼノンや、アリストテレス、ストア学派などですね。

特にアリストテレスは論...続きを読む

Q無理に外向的になろうとしなくてもいい、というアドバイスに甘えるような人間のままでいいのでしょうか?

私は関西に住む大学生です。この4年ほど代わる代わるさまざまな方々にカウンセリングを受けています。精神的な悩みが絶えず、人に頼るという形でなんとか今まで生活を続けて来たというような状態です。本質的には内向性の塊のような人間なんですが、なんとかそんな自分を変えなければと焦り、外向的な付き合いや休日の過ごし方、物事に対する自発的な態度を理想に掲げてみたものの、一向に変化の兆しがみられない自分にうんざりしています。おかげで自分の内面について深く悩む時間が増え、1人になりたいと思う時間が増え、余計に外向的とはかけ離れていってしまいます。そんな悩みを相談すると、どのカウンセラーの方も「自責の念によって常に自分を苦しめている、無理に嫌悪感を感じる環境にとびこまなくても、今の自分が快適と感じる環境の中で等身大の努力をすればいいのではないか。」とアドバイスをいただきます。私はそこに疑問を感じてしまいます。

今の社会を生き抜いていくためにはなにごとにも自発的な態度で臨む必要があるということに大学に入って強く実感するようになりました。もちろん、それが人間としての生き方の全てではないことはわかっています。ただ、どうも私にはその最低限の姿勢すら備わっていないのではないかといつも不安に感じています。私は自分が、精神疾患と診断されたこともないのにカウンセリングを受け自分に都合のいい励ましをもらってその場その場の苦しみから目を背けて楽に生きている人間だと思っています。なので私にはカウンセラーの方にそんな言葉をかけてもらう資格がないのではないかと疑ってしまうのです。

前半と後半で言っていることに矛盾があるとは思うのですが、変わりたいという向上心を持つ自分も楽をしていたいという自分、どちらの性質も間違いなく同居しています。必ずしも純粋な自責や焦燥感だけを持っているわけではなく、同時に逃避欲もありありと認識できます。アドバイス自体は的を得ていて至極正論だと思うのですが、その理論は自分には例外的に当てはまらないんだといつも頑固に固執してしまい、現状維持にも改善のための努力にも、どちらにも転べずにまた苦しんでいます。厳しい言葉でも構いません、踏ん切りをつけるためのきっかけとなる言葉が頂ければ幸いです。漠然とした、支離滅裂な質問ですみません。他にいい方法がもう見つかりません、よろしくお願いします。

私は関西に住む大学生です。この4年ほど代わる代わるさまざまな方々にカウンセリングを受けています。精神的な悩みが絶えず、人に頼るという形でなんとか今まで生活を続けて来たというような状態です。本質的には内向性の塊のような人間なんですが、なんとかそんな自分を変えなければと焦り、外向的な付き合いや休日の過ごし方、物事に対する自発的な態度を理想に掲げてみたものの、一向に変化の兆しがみられない自分にうんざりしています。おかげで自分の内面について深く悩む時間が増え、1人になりたいと思う時...続きを読む

Aベストアンサー

カウンセラーのアドバイス、非常に的確です。私もそう思いますし、そうアドバイスするでしょうね。
この世は前向きで外交的でないと、なかなか上向きにはならないです。

が、あなたの場合、その頑張るためのスタートラインにすら立っていません。あなたは立ってるつもりでしょうが。

物事には順序があります。
焦ってはダメです。焦るから結果を求め、結果が出せないことに勝手に焦り、勝手に凹む。

もう十分空回りしたでしょう?
あなたはギアを入れずにアクセル踏んでる状態です。
一旦、アクセルを踏むのをやめましょう。落ち着いて。

自分を見つめ直すことも大事ですが、自分の悪いところだけ見て悲劇のヒロインな自分に浸っています。

一旦、自分のダメなところを書き出したらどうです?
そして、そのうちの一つだけを徹底的に改善する。そこだけに集中する。

それから他人の意見を否定せず、そのまま受け入れてみて。
あなたはダメ人間なんでしょう?なら、自分の考えは間違ってるんだから、その考えに従っちゃダメです。
自分の意見は捨てましょう。

分かりましたか?

Q動物と人間の違い?

こんにちは。ちょっと悩んでしまって、1人ではどうしても同じ考えしか出てこないのでみなさんの意見をお聞かせいただければと思っています^^;

動物も植物も含めたこの世界(nature)における「ヒト」とは何なのでしょう?私は「食物連鎖の頂点」とか「文明をもつもの」とかという言葉で漠然ととらえていましたが、もっと根本的にヒトの自然界におけるアイデンティティみたいなものを探りたいのです。

「考える葦」という表現を分かりやすく説明してくださる方、お待ちしていますm(_ _)m

Aベストアンサー

あくまで私の考え方です。

ヒトも自然界の中では生物の1種類でしかないと思います。
ヒトだけが他の生物に対して特別なアイデンティティを持つ、
というのはあくまで人間の自分本位の考え方でしょう。

「食物連鎖の頂点」というのは、たしかに人間を捕まえて
食べてクラス動物は聞きませんが、町のようなものを作って
動物と共存していないだけのような気もしますし、
捕まって食べられない動物は他にもたくさんいます。

「文明を持つもの」というのも、類人猿は文化的な面もあるし、
イルカや鯨のように言語を持っていると考えられる動物もいます。
人間が優れているとはいえ、程度の大小の問題であって、
他の動物にまったくないというものでもないことなので、
「チーターは早く走れる」というのと変わらない気がしますし、
ヒトのアイデンティティを特別視するものではなさそうです。

「ヒトとは」と考えるのは、自分がヒトだからであって、
たとえばヒトが絶滅してから数千万年、数億年後に進化を遂げて
化石を調査できるような文明を持つものが現れたとしたら、
彼らは我々の恐竜と同じような感覚でヒトを見るでしょう。

今までにも地球は何回か、ほとんどの生物が姿を消すような
大規模の大量絶滅を何回か経験していると聞きます。
ヒトが増えて環境汚染をしたとしても、ヒトは苦しむけど、
地球から見たら、今までの何回かの1つにも及ばない程度の
変化であって、ヒトの力なんて自然というレベルで見たら
そんな程度の力しかないような気がします。

あくまで私の考え方です。

ヒトも自然界の中では生物の1種類でしかないと思います。
ヒトだけが他の生物に対して特別なアイデンティティを持つ、
というのはあくまで人間の自分本位の考え方でしょう。

「食物連鎖の頂点」というのは、たしかに人間を捕まえて
食べてクラス動物は聞きませんが、町のようなものを作って
動物と共存していないだけのような気もしますし、
捕まって食べられない動物は他にもたくさんいます。

「文明を持つもの」というのも、類人猿は文化的な面もあるし、
イルカや鯨...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報