マックスウェーバーの前提知識がない人に、ウェーバーについて説明するとしたら、どのようなことを話したらいいのでしょうか?
私自信もまだ勉強不足なため、上手く説明できません><;

1.ウェーバーの思想とは、具体的にどのようなものだったのか

2.それが現代社会に及ぼす影響とは何か

特にこの点についてお聞きしたいです。

明日までというかなり緊急な状態のため、回答できる方はぜひお願いします!!!

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A 回答 (1件)

 理系なので、多少偏っています。



 マックスウェーバーは、歴史学者で社会学者ですが、自分ではどちらとも言った事はないと思います。当時のドイツ(プロイセン帝国)では伝統的に、歴史的必然によって現社会になった、という立場が主流だったと思います。そう言われると当然のような気もしますが、当時の内容は、現在思い浮かべるものとかなり違います。その辺りは、ご自身でご確認下さい。キーワードは、シュモラー,ドイツ歴史学派などです。

 ウェーバーも先の学派の一員ですが、歴史学と社会学を分離するところから始めます。自身の社会学的方法を、歴史的文脈を分析できるかどうかで検証し、検証結果に基づいて現社会に適用する、という行動だったと思えます。

1.理念型モデルの提唱
 ある社会なり時代なりを、いわばステレオタイプ化して、その社会を成立させる動機付け(エートス)の明確化を可能にする、理解社会学の基礎を提唱します。この手法は、今ではある意味常識だと思います。フィールドワーク的な有名な著作は「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」です。

2.学問価値自由論
 歴史の分析を通じて(と思えます)、エートスの価値は、学問(科学)によっては説明も証明もできないという立場を取ります。故に学問は、いかなる価値判断とも無関係だとなります。例えば核物理の研究の正否は、それが核戦争に用いられるかどうかとは関係ないという話にもなりますが、ウェーバーの言いたかった事は逆です。学問はいかなる価値判断にも準じるな、です。これも今では当然と思えますが、当時は違いました(シュモラーらとの対立)。

3.価値の通約不可能性
 よって価値は、説明可能なものでなく、信じるものになります。つまり、ある価値を信奉すれば、原理的に他の価値は認められません。価値の衝突は絶え間なく起きる事になります。何か、イラン・イラク戦争などを想起させますが、これにより、どんな社会(西欧,非西欧など)も、ある意味平等です。そして学問は、他人の価値を理解する方法にはなる、という立場を取ります(価値の根拠の説明はできないが)。ある価値を理解する事と認める事は違うという彼の立場が通じないために、歴史学派の学会の席をたったという有名(?)な話があります。

4.職業としての政治
 ゆえに政治とは、価値の表明です。これはさっきと逆です。政治とは、学問と無関係な行為です。これも危なく聞こえますが、政治に学者を抱きこむな、と言っています。2.とこれは合わせて、当時のドイツの官学癒着に対する、独特の学会批判と政治批判になっています。

5.心情倫理と責任倫理,近代人
 信じるもの,価値=心情倫理(キリスト経含む),結果責任(学問?)に基づく行為=責任倫理という構図です。価値は説明できなくても、結果責任により価値の衝突を回避する(理解する)事、だと思います。この結果、人は、自身と社会との間に「異様な緊張を孕む、自律的存在」となるが、それが近代人の宿命だと言います。

6.組織論
 以上の統合を経て、これも彼が先鞭を付けたと思われる組織論が出ます。その中で彼は、当時のビスマルク官僚体制を批判すると同時に、同じ視点から返す刀で、黎明期にあった社会/共産主義は、いずれ破綻すると言います。自分には、ソ連の崩壊を200年前に予見したように思えます。ウェーバーはある意味、自由主義の申し子です。

7.ウェーバーその後
 ふるいですが、1960~70年代にウェーバー・フリークと言われる学派(?)がありました。バーガーに代表される人達です。バーガーの有名な著作は、「聖なる天蓋」「故郷喪失者達」などです。ウェーバーの始めた理解社会学のその後の系譜がわかると思います。
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Qドリームウェーバー8のテーブルの枠について

こんにちは。ドリームウェーバーでテーブルを作った時に枠のボーダー
の色変更が出来ると思うのですが、この枠の太さなのですが、最小単位
が1となっていますが、それ以下にはできないのでしょうか?
他のサイトなどを見ていると(このおしえてgooもそうですが)明らか
に枠の太さがドリームウェーバーでいうところの1以下に見えます。

ソースをいじる方法でもいいのでどなたかアドバイスくれませんか?
あともう一つ聞きたいのですが、文字の固定はどのコマンドでするの
でしょう?ついでに教えていただけると助かります。

Aベストアンサー

私ドリームウェーバー持ってないので、一般的な方法を。
枠を細く見せるには、CSSでセル間をなくします。
さらに実線(solid)を指定。
文字の固定は大きさを固定したいのでしょうか?
同じくCSSで固定できます。
↓例
<html>
<head>
<title></title>
<style type="text/css">
<!--
table { border-collapse:collapse; }
td { border: 1px solid #0080ff; }
-->
</style>
</head>
<body>
<table>
<tr>
<td>あ</td><td>い</td><td>う</td><td>え</td><td>お</td>
</tr>
<tr>
<td>か</td><td>き</td><td>く</td><td>け</td><td>こ</td>
</tr>
<tr>
<td>さ</td><td>し</td><td>す</td><td>せ</td><td>そ</td>
</tr>
</table>
<p style="font-size:25px;color:#0080ff;">あいうえお</p>
</body>
</html>
色は自由に設定してください。

私ドリームウェーバー持ってないので、一般的な方法を。
枠を細く見せるには、CSSでセル間をなくします。
さらに実線(solid)を指定。
文字の固定は大きさを固定したいのでしょうか?
同じくCSSで固定できます。
↓例
<html>
<head>
<title></title>
<style type="text/css">
<!--
table { border-collapse:collapse; }
td { border: 1px solid #0080ff; }
-->
</style>
</head>
<body>
<table>
<tr>
<td>あ</td><td>い</td><td>う</td><td>え</td><td>お</td>
</tr>
<tr>
<td>か</td><td>...続きを読む

Qマックス・ウェーバーの本についての質問

ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)を読み始めています。
1章1節「信仰と社会層分化」を読んでいるのですが、31頁に
「しかし、コルベールの闘争からも知られるように、フランス自体でも、十七世紀には、事情はまったく同じだった。」とあります。
この一文の意味がよくわかりません。なにが「同じだった」のでしょうか?

「しかし」で始まっている文なので、前の文に対して否定的な意味を持つのあだと思ったのですが、いまいちピンときません。

ちなみにその前の文の内容はフランスやオランダの経済的文化的優越や、追放と伝統的生活からの離脱の深刻な影響がカルブァニストの散在を「資本主義経済の育成所」たらしめた原因ではないか?という理屈もなりたたないわけではないというものだと思います。

『プロテスタンティズム~』をお持ちのかたがいましたら、該当箇所の文脈にそくしてご教示いただければ幸いです。

Aベストアンサー

わたしが持っているのは河出書房の全集(『世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集』ですから、訳文・ページ数ともにちがっています。

先はまだまだ長いし、本格的な論考が始まっていくのはもうちょっとあとからですので、ここらあたりは大きく流れをとらえながらどんどん読み進んでいってください。

冒頭
「プロテスタント派(…略…)は、事実が示すところによれば、支配者の地位にあるときにも、被支配者の立場におかれたときにも、また多数者の地位に立つときでも、少数者の立場にあるときにも、つねに一貫して経済上の合理主義をつらぬく傾向をもっていた。これに反してカソリック派は、前者の地位にあるときも、後者の立場にたつときのも、経済上の合理主義を志向する傾向を、いまだかつて見せたことはなかったし、こんにちでもそれを見ることはできないのである。」(p.127-128)

これを受けて、「信仰=宗派の特性を形成している諸要因」のなかで、いったいどんな要因が「経済上の合理主義」を志向させているのか、の考察に移っていきます。

ご質問のパラグラフでは、フランスとオランダでの資本主義の興隆の要因をカルヴァン主義に求めることができるのではないかという仮説を立てている場所です。
とりたてて問題の箇所とも思えなかったのですが、ご質問は、なぜ「しかし」という逆説が使われているかということですね?

ですから、このパラグラフでのそこにいたるまでの論理の流れを追っていきましょう。

・キリスト教信仰での内省的な立場を代表する人たちが、商人階層から多く出ている。
 ↓
・だが、彼ら商人が単に「内省的な性格」だった、というだけでは、説明のつかないばあいがある。
 ↓
・とりわけカルヴァン主義の場合は、資本主義的な企業家の精神と、強靱な信仰が同時に存在しているケースが頻繁に見受けられる。
 ↓
・オランダの資本主義が興隆したのはカルヴァン主義者たちがディアスポラによってオランダに流れ込んできたからと考えられる。(注:本文には書いてありませんが、カルヴィニストが弾圧されたのは16世紀ですから、この箇所の記述は16世紀半ばのオランダのことを言っているのだと思います)。
もとより
(1)フランスとオランダは経済文化が卓越していたから、オランダの資本主義が興隆していたともいえるし
(2)カルヴァン教徒たちが追放され、伝統的な生活環境から切り離されたことから、彼らが商業活動に邁進したから、とも考えることはできる。

だが「しかし」、17世紀のフランスでも同じことが見られたのである。
ここでの「同じ事情」とは、その時代のフランスでも、カルヴァン主義者たちが勃興しつつある資本主義経済の担い手であった、ということです。

ここで「闘争」といわれているのは、貨幣の蓄積を国力の基礎においたコルベールが国内経済を統制しようとし、もっぱらその統制の対象となったフランス国内の小規模手工業者と激しく対立したことを指しているのだと思います。わたしはここらへんの歴史はあまり知らないのですが、ウェーバーの記述を読む限りでは、その小規模手工業者の中心は、フランスのユグノー派であったのではないでしょうか。

ともかく、ここは、カルヴァン主義の精神そのものに、資本主義の興隆を起こさせる要因があったのだ、という流れであることをつかんでおけば大丈夫かと思います。

以上、参考まで。

わたしが持っているのは河出書房の全集(『世界の大思想23 ウェーバー 政治・社会論集』ですから、訳文・ページ数ともにちがっています。

先はまだまだ長いし、本格的な論考が始まっていくのはもうちょっとあとからですので、ここらあたりは大きく流れをとらえながらどんどん読み進んでいってください。

冒頭
「プロテスタント派(…略…)は、事実が示すところによれば、支配者の地位にあるときにも、被支配者の立場におかれたときにも、また多数者の地位に立つときでも、少数者の立場にあるときにも、つ...続きを読む

Q単位の定義

ふと、思ったのですが、
秒、メートル、グラム
の定義って何ですか?

ついでに
wb(ウェーバー、磁気量)、c(クーロン、電気量)またはA(アンペア、電流)

温度の摂氏、華氏

atm(気圧)

音の大きさ(デシベル?)、光の強さ(単位は?)

これらの、定義も教えて下さい。

Aベストアンサー

mmkyです。
vortexcoreさんのご指摘の通りだと思います。質問者さんの指摘のような変化は正常ではない、異常な状態でしか起こりえないので、Kms単位採用の国々の商業的なリスクを最小限にするためにそのように処理されると思います。
 それは、さて置き、vortexcoreさんのご指摘のように「質量の基準が「原器」という人工物に頼っている。」これはそう遠くない将来に別の問題を提起すると予想しています。
月とか火星、他の惑星へ人類が行く場合の密度の定義を決めておかないと、
地球上のKg原器を標準にするのでは大変困ったことになるからです。原器を月や火星に持っていくということになりますね。月での1Kgは地球の原器を持っていくと、eatern27さんの1gどころの騒ぎではありませんね。
1K(earth),1Kg(moon)、1Kg(mars) という風にしないと惑星間貿易はできませんね。こういうことも今後は考慮する必要があります。原器に頼らないで密度を正確に確定する方法がいりますね。
蛇足まで

Q無知の無知たる所以は?

 ここのサイトでも多くの方が、質問されていますが、分からなくて悩んで質問されているのでしょうが、どうして、回答が偏っているのに、それで満足されるのでしょうか?
 実際には、それが正解でないかもしれませんが、自分の知識の範囲で気に入ったものを良しとしているとしか思えません。
 分からないのでしょ。
 それで、どうして、それが良しといえるのでしょうか?
 お互いに論議して、糸口を見つけ出すことが大事なんじゃないでしょうか?
 それが知ることじゃないですか?
 回答者諸兄には、いろんな方がおられますが、正誤、真偽等もあるでしょうが、認識の違いはあるかもしれませんが、一つの意見でしょ。
 それが、本当に正しいのかは、本来、質問者には分からず、理解されないことではないのでしょうか?
 助言は、本人には耳が痛いことが多いということです。
 安易な選択は墓穴を掘ることになるのではないのでしょうか?
 如何でしょうか?
 耳の痛い話を聞かせて下さい。

Aベストアンサー

お邪魔します。
最近お名前をみるとオモシロそうだなと思い立ち寄ってしまいます。
私の考えはgould09さんに近いかな?
でももう少しシニカルな考え方です。

質問者は知らないから判断できない・・その通りです。
律儀な方は、あらためて調べ直して納得したものに「良」をつけることをしてますが、多くは判断したのではなく選んでいるのだと思います。選ぶだけでしたら、うちのラッキー(ビーグル13歳)でもしますので、別に『知』はいらんと思いますよ。

>或る程度、回答を知っていて、試しているとしか思えません。
これについては、それを悟られなければいいのでしょう。悟られるとは、知識を披露して回答者と議論になってしまうことです。それにコレを完全に否定すると『あいまいな知識で・・コレって本当?』と聞くものも出来なくなるような気がします。回答を読んで「はいそうですか、ありがとうございます」だけ書いておく分には良いんじゃないかと思いますよ。間違いをきつく指摘したりすると和を乱す意味で引っかかるのではないでしょうか?

徹底した議論をした上で解に到達することは実社会では正しいですが、このサイト内での扱いはbeginnersanさんが書かれたとおりだと理解しています。でもそれをかいくぐるようにしてあいまいな形で楽しむのもこのサイト内では可能なように思います。冷静に議論するとか、冷静におちょくるとか・・です。

>本当に正しいのかは、本来、質問者には分からず、理解されないことではないのでしょうか? ・・・その通りです(先に回答済み)
>助言は、本人には耳が痛いことが多いということです。
・・・その通りです。(言うまでもなく真理です。)
>安易な選択は墓穴を掘ることになるのではないのでしょうか?
・・・その通りなんですが、墓穴を掘ろうと尻に火がついてその後どうなろうとどうでもいいのと違いますか?
自分のことじゃあないし、質問者が自分で選んだことだもの。実生活の悩みがチョコチョコっとネットに書き込んだだけでそんなに簡単に解決するわけないですからね。解決したらそれこそ『ラッキー』なだけでしょう。
そう考えて気楽に行きましょうよ。

お邪魔します。
最近お名前をみるとオモシロそうだなと思い立ち寄ってしまいます。
私の考えはgould09さんに近いかな?
でももう少しシニカルな考え方です。

質問者は知らないから判断できない・・その通りです。
律儀な方は、あらためて調べ直して納得したものに「良」をつけることをしてますが、多くは判断したのではなく選んでいるのだと思います。選ぶだけでしたら、うちのラッキー(ビーグル13歳)でもしますので、別に『知』はいらんと思いますよ。

>或る程度、回答を知っていて、試していると...続きを読む

Qマックス・ウェーバーについて

今、マックス・ウェーバーについて勉強をしています。
で、あらゆる方面から彼のことを見たいと思っています。
そこで私だけの意見では偏ったものになってしまうので、みなさんの意見を聞きたいと思いました。
みなさんはウェーバーをどのように思っているんでしょうか?
ウェーバーについての感想で構いません。
どんなことでも構いませんので教えてください。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

 まあ偏らないように、ウェーバー論争みたいなものを勉強しつつ、ウェーバーを読むといいのではないでしょうか?ウェーバーは初期・中期・後期に分けられると思いますが、ここで説明できるほど私は詳しくありません。

 私のイメージでは社会学的な分析としての資本主義の精神や官僚制の問題、あとは彼の宗教社会学がとても大きい業績です。あと社会科学の方法としての「客観性」論文が今の社会学に大きな方法論的基礎を与えているので大切ですね。

 日本のウェーバー学はもともとマルクスの補完的問題として考えられ、「マルクスとウェーバー」としてとらえられた経緯があります。平たくいえば資本主義ってどうやってできるの?ということです。 これはもちろん経済学の祖アダム・スミス『国富論』と、それを批判的に発展させたカール・マルクス『資本論』によって解明されました。

 いうまでもなく厖大な理論体系。でも彼らの精錬された議論に、ある疑問が出てくるわけです。それまでヨーロッパは文明を生み出し、唯一資本主義を生み出して経済的に富裕化したといっても、もともと中国などのほうが発達していたくらいではないか、インドだって独特の高度な文明をもっていたはず。ではなぜもともと未開の地でど田舎だった西ヨーロッパ(イギリス・ドイツ・フランスなど)で、資本主義が出てきたんだろう。

 まあ簡単にいうと、こういう疑問が出るのは当然でしょう。ウェーバーは宗教社会学、比較文化の視野をもっていたので、きわめて鋭い問題点を提示したわけです。

 それが資本主義の精神的側面、ヨーロッパに独特なプロテスタンティズムの精神だったのです。一言でいえば、富を生み出す源泉としての貯蓄というか蓄積という観念があったということです。
 以上が日本のウェーバー学の問題でした。以後大塚久雄が経済史を確立する上でいろいろ応用していくこととなりました。
 1960年以降でいいますと、私個人の見方では、欧米の業績ではアンソニー・ギデンズ、日本の業績では山之内靖を注目すべきだと思います。

 ギデンズはマルクスとウェーバーの両方の理論を批判的に発展させて、近代社会の構造と問題を明らかにしました。簡単にいうと、マルクスは資本主義をとらえ、ウェーバーは資本主義と産業主義の両方の問題を見ていました。でも一番大きいのは、マルクスは国家の問題を軽視したのに対して、ウェーバーは国家の問題を強調したことにあると思います。ギデンズはそこで国家の支配や構造を重視するわけなのですが、これはウェーバーが取り組んだ「官僚制」の問題にルーツがあります。

 資本主義は資本主義で発達しえたか?いや無理です。人々の自由な労働と経済行為だけで、実は経済発展はありえないのですね。そこで資本主義とともに発達した官僚制があるのです。国民国家の統一は重要な意味を持ちます。かつて今のドイツは数十の自治的な地域でお互いに関税をかけまくっていた歴史があり、結果的にイギリスから遅れて後進国になります。

 そこには国民国家の支配と統制のあり方が関わらざるをえない。私にとってウェーバーはそういう視点を与えてくれる気がします。

 まあ他にもいろいろですが、ここらへんで。

 まあ偏らないように、ウェーバー論争みたいなものを勉強しつつ、ウェーバーを読むといいのではないでしょうか?ウェーバーは初期・中期・後期に分けられると思いますが、ここで説明できるほど私は詳しくありません。

 私のイメージでは社会学的な分析としての資本主義の精神や官僚制の問題、あとは彼の宗教社会学がとても大きい業績です。あと社会科学の方法としての「客観性」論文が今の社会学に大きな方法論的基礎を与えているので大切ですね。

 日本のウェーバー学はもともとマルクスの補完的問題と...続きを読む

Qこの時代、やはり、冷静で理知的な人や、勤勉で思慮深い人や、真面目で賢い人や、文武両道で優秀な人ほど、

この時代、やはり、冷静で理知的な人や、勤勉で思慮深い人や、真面目で賢い人や、文武両道で優秀な人ほど、逆に悲しい存在ですか?
何故なら、いつも、そう言う人達は、突拍子も無い事をすれば、「情けない」「間抜け」「馬鹿」「阿呆」「気が利かないなあ」「大人げない」「幼稚」等と謗られるパターンですね。
または、そのような人達の欠点や、抜けている所をわざわざ探って見付けてはそのように謗る。

しかし、明らかに幼稚で陰湿な人や、
文武どちらも駄目でチャラチャラとした遊び人や怠け者は、
陰湿な行為や姑息な事をしただけでも、無条件で「賢い」「利口」「知的」等といつも誉められてるみたいですし。

やっぱり、本当の阿呆や馬鹿や幼稚な人の方が、長生き出来て賢くて大人で、幸せ者なんですかね?

真面目で冷静で理知的な人は、都合の良い馬鹿野郎ですか?生涯、損ばかりする悲しい存在ですか?

Aベストアンサー

確かに より重みを背負うから辛いかもね。

人間 馬鹿になりたい気持ちはあるし そういう状態には憧れる。
持たず 悩まず 知らず わからぬ者は まあ天国の住人や小さな子どもみたいなもので 確かにずっとそれでいられれば 幸せだ。
天国のアダムとイヴも 無邪気でただ遊んで ただ食って ただ寝てるだけだったのだろう。

でも現実ではそうはいかない。
この世で生きるのであれば 迷惑をかけ 面倒をかけ 邪魔になる。
大切なモノを守れなかったり 失ったり 気付かないで壊したりしてしまう。
笑いながら他人の肉をむしり喰らい 痛み悲しみ苦しむ者には目も向けず 自分さえ楽ならば良い 楽しい楽しいと生きていくことは 自分には出来ない。
そんなモノに なりたいとも思わない。

本当に真面目な者は 言われたこと あるいは自分のやり方でやるのではなく 皆にとって良い方法で行う。
本当に冷静な者は 騒いだり楽しんだりしないのではなく 辛い時に耐え 与えるべき時に与え 必要な時に行動する。
本当に理知的な者は 自分の経験だけに頼るのではなく 他者の知恵や歴史を活かし その場所に適応させる。

そっちの方が 大変だけど まだマシと思う。

確かに より重みを背負うから辛いかもね。

人間 馬鹿になりたい気持ちはあるし そういう状態には憧れる。
持たず 悩まず 知らず わからぬ者は まあ天国の住人や小さな子どもみたいなもので 確かにずっとそれでいられれば 幸せだ。
天国のアダムとイヴも 無邪気でただ遊んで ただ食って ただ寝てるだけだったのだろう。

でも現実ではそうはいかない。
この世で生きるのであれば 迷惑をかけ 面倒をかけ 邪魔になる。
大切なモノを守れなかったり 失ったり 気付かないで壊したりしてしまう。
笑い...続きを読む

Qウェーバーの支配について教えてください

1、ウェーバーの支配の社会学について、なぜ彼は支配の問題を扱う必要があったのか教えてください
2、それとウェーバーの支配の社会学をわかりやすく説明していただけると助かります。
よろしくお願いします

Aベストアンサー

1かれは 支配の問題を扱う必要があったのか、というより、彼の生涯のテーマのように思います
2支配の社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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『支配の社会学』(Soziologie der Herrschaft)とは1922年に社会学者マックス・ウェーバーによって発表された官僚制を主題とした研究である。

概要 [編集]
ウェーバーの官僚制の理論では、古代エジプトや古代中国の前近代的な官僚制と、近代において出現した官僚制が区別され、後者には客観性(Sahilichkeit、即対象性、没主観性)という性質があるものとされる。即ち、彼は、近代的官僚制を、中立的に適用される規則や明確化された職務権限、更に階層性の組織構造という形式合理性で特徴付ける。 このような官僚制においては、他の組織の形態と比して、一方で、優れた業務の正確性と継続性や、曖昧性と恣意性を排除する性質などの積極的側面が認められ得るが、他方、官僚化が進むと形式合理性の論理によって組織は閉鎖化し、単一支配的な傾向が生じる。この閉鎖性をウェーバーは「鉄の檻」という比喩で表現する。 このように、ウェーバーは近代官僚制の、消極的な側面をも指摘する。

そもそも社会全体に影響を与える行政活動から政治性を排除することはできない。しかし官僚制は政治性を排除し、非政治的なものへと変容させ、合理化が進めることができる。これは官僚制の有効性であると同時に官僚政治の原因にもなり、そのことは「政治の貧困」をもたらし、価値観の対立や討議という政治の意義が失われることにもつながる。

関連項目 [編集]
職業としての政治
参考文献 [編集]
ウェーバー、世良訳『支配の社会学』(創文社、1962年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%85%8D%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6

1かれは 支配の問題を扱う必要があったのか、というより、彼の生涯のテーマのように思います
2支配の社会学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
『支配の社会学』(Soziologie der Herrschaft)とは1922年に社会学者マックス・ウェーバーによって発表された官僚制を主題とした研究である。

概要 [編集]
ウェーバーの官僚制の理論では、古代エジプトや古代中国の前近代的な官僚制と、近代において出現した官僚制が区別され、後者には客観性(Sahilichkeit、即対象性、没主...続きを読む

Q差別の撤廃と表現の自由が共存する方法はないのでしょうか?無知な自分にはその答えが出せないのですが…

差別の撤廃と表現の自由が共存する方法はないのでしょうか?無知な自分にはその答えが出せないのですが…

Aベストアンサー

ある程度の寛容さとある程度の無知とがあれば、共存します。

現実には、ABCD………が知っていることと、abcd………が知っていることは同じにはなりません。abが言って回り非難攻撃していても、ABがそれを知らないというのは、ポピュラーにあることです。Aがbを憎しみ排撃し攻撃に余念がなくても、bはそんな行為が行われていることも知らないし、Aの存在さえ知らないという事態は、極く普通です。
世界に成人が何億人なのかわかりませんが、異なる言語圏に属している遠方のヒト達がどう考えているのかなにをどう発言しているのかを知っているのは、僅かです。 
現実の世界は、「他人のことは知らない」 & 「その他人の数は膨大」の二つで成り立っています。 差別と差別の撤廃、表現の自由・倫理的発言・発言の規制自粛 なども、すべて、共存してしまっています。

自制と努力・精励を重要な人倫と考える人と、気儘・勝手・怠惰・飽きの気儘さを離せないと考える人が、意見を交換しつつ、共存するには、寛容さが必要です。 
刑法でも、責任能力とか、情状酌量とか、緊急避難正当防衛などで、殺人をどう扱うかを変えます。 しかし、現実の殺害で、どう判断するのかは百論あるかもしれません。 折り合うのは無理ですから、決定に寛容になるしか対応がないです。 

落語に「天災」というのがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%81%BD_(%E8%90%BD%E8%AA%9E)
どうやってもどうにもならないという諦めが肝要です。 それが寛容に繋がります。
「ああいうことはやっちゃダメ・あんなことは許せない・あんなヤツは死んでもらいたい」と思っちゃうのは仕方ない面があります。そのとき、自分で殺しに行ったり、糞尿を投げつけたり、街宣車で怒鳴り回ったり、web等で繰り返し投稿したり、ウイルスを撒いたりしないと言う程度の寛容さをもっていれば、なんとかなります。

寛容さをどれだけ持っているのか、持てるのかは、そのヒトの資質や知力も関係しますが、生活の余力、仕事上の躓きや自己能力についての残念感、他人に対する攻撃で気を紛らわしたい状況にも、周囲の衆のたき付けや感情傾向にも大きく左右されます。 寛容さが少ない人に、多くの情報を頻繁に提示することは、暴発を起こすように仕掛けているのと同じです。 生活にゆとりがなくなった人は、何かの攻撃対象を与えられると、そこに強い反応を示します。
そうした人が多い中で、「情報提供・ニュース・ネット情報」は火種と風とガスやアルコールを供給する行為です。 政治、外交、国際、宗教、紛争、殺人、傷害、破廉恥、非行、不登校、非正規雇用、不倫、貧困問題、脱税、汚職などの報道も、そうした人々を刺激し、不寛容の気分を高め、相互に争い殲滅や廃絶の攻撃を誘発する行為にもなっています。

どのように情報を多様に集中的に操作しても、独裁政権の下で民衆の攻撃性を高めることに成功しても、その状況で100年、200年を維持するのは無理です。
どのみち、100年以内には、他の考えを持つ人が増加してきます。
その100年間の中で、もっとも排他性が強く、排撃排斥殲滅の行動が盛んなときでも、1000人に一人以上の人数が別の考えを捨て切れずにいます。 1940年代の日本やドイツでも、少し前の中国でも、今の北朝鮮でも、ジャコバン体制下のフランスでも、魔女裁判のヨーロッパでも、一つの意見しかないようなことはなく、必ず共存していると考えて間違いは少ないです。

「公に、表現が自由で、(主流に反したり、制度や法制に背いたり、正統に抗することを)何でも言えて、それでも非難され攻撃されることはない」という状態は、マズないです。
どの社会にも、主流や正統、社会的正義の観念と実効ある強制があるので、完全なる自由な発言で公の非難を浴びることはないということはないです。 しかし、はちゃめちゃな意見や見解も実は共存していて、その具体的な実態は周囲にさえも知られてないことが多いです。 

(表現されいても、それを知っている人を少なくする仕組み)を壊して、(告げ口、焚き付けのような情報提供)を無制限に蔓延させるのを止めれば、共存度は上がると思います。
(告げ口、焚き付けのような情報提供を無制限に蔓延させるシステム)を広げれば、あちらこちらで頻繁に、色々の人々、集団、地域、国家、民族、企業、個人、階層が、たたき合い、攻撃にサラされることになるのは、しょうがないです。

ある程度の寛容さとある程度の無知とがあれば、共存します。

現実には、ABCD………が知っていることと、abcd………が知っていることは同じにはなりません。abが言って回り非難攻撃していても、ABがそれを知らないというのは、ポピュラーにあることです。Aがbを憎しみ排撃し攻撃に余念がなくても、bはそんな行為が行われていることも知らないし、Aの存在さえ知らないという事態は、極く普通です。
世界に成人が何億人なのかわかりませんが、異なる言語圏に属している遠方のヒト達がどう考えているのかなにをどう発言し...続きを読む

Qマックス・ウェーバーについて

カテ違いでしたらすみません。

大学のレポート課題で、ウェーバーの方法論の現代的意義について調べているのですが…

ウェーバーの思想や、それが資本主義に結びついたことなど、「ウェーバーについて」は本を読んで理解することはできました。

けれど、どうしても、「その現代的意義」とはなんなのかがわからないです…

ご助言お願いいたします…!

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全くの門外漢で申し訳ございませんが、この辺にヒントなどないでしょうか。。。

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Q日本人の宗教観を外国人に説明するとき

http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1403.html

日本人でもよく分かっていない日本人の宗教観を外国人に説明するときあなたならどう説明する?
ちなみに私なら「日本では神と宗教は別だ」と言ってみる。

Aベストアンサー

一言でいうなら「日本人は日本教というオリジナルな宗教を持っていて、ほとんどの日本人がこれを信じている」と言います。日本教というのは、日本の文化習俗をするどく考察した故山本七平氏の造語です。

もう一言足すことができるなら「日本の宗教はキリスト教化する前のローマと同じ多神教ですが、日本人は『宗教』というのは一神教のようなものを言うのだと勘違いしています。ですから、自分たちは『無宗教です』と言ったりしますが、日本にも信仰と宗教はあります」と付け足します。

>日本人の宗教観を外国人に説明するとき
この問題は、外国人に説明する前に日本人に説明する必要があります。その点で質問者様のいう「日本では神と宗教は別だ」というのは、ある程度真理をついていると思います。

本来「宗教」というのは、道徳と行動規範が一緒になっているものです。キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、やっていいことといけない、ことやるべきことや心の有り様などは、宗教の経典に書いてあるか、師匠(牧師や仏僧や神主など)が教えてくれるものです。
 しかし、日本の神様は「ただそこにいる」だけで、特に何かを教えてくれたり導いてくれたりはしません。ですから日本人は「道徳と宗教は別のもの」だと思っているのです。
 でも、その割には「宗教」というものは「キリスト教のように経典があったり、教会などで熱心に祈るものである」と西洋的な価値観を受け付けられていますので、日本人としての自分たちの行動が「宗教的行為」に該当するとはまったく思わないのです。

で、そう思っていない日本人が起こしたトラブルのエピソードがあります。

 いろいろな国から来た学生が住む寮がありました。その寮の規則に「他人に自分の宗教を押し付けないこと」とありました。イスラム教徒ならお酒を飲めないので、他宗教の人が酒を飲むのを咎めたりしてはいけない、ということでした。そこに日本人の学生がやってきました。彼は亡くなった祖母をすごく慕っていて、毎朝祖母の写真に炊き立ての最初のご飯を上げるのを習慣としていました。しかし、その寮のキッチンには炊飯器が一つしかなく、朝早く共同で炊くと、彼がお供えする前にご飯を食べてしまう人もいたのです。

そこで日本人の彼は「朝一番のご飯は私によそわせてほしい。朝早く食べるなら起こしてくれていいから、先によそわせてほしい」と寮のみんなに頼んだのですが、みんなは「それは、宗教行為を持ち込まない、という規則に違反するからできない」と拒否しました。しかし日本人の彼は「これは宗教行為ではない、単に祖母に炊き立ての一番のご飯を上げたいだけなんだ」と言ったのですが、誰もみとめてくれなかったのです。

このエピソードを見て、多くの日本人が「最初の一すくいのご飯を祖母の遺影にお供えするのが宗教行為?」と思うのですが、先ほど説明したように多くの国では、行動規範=宗教ですから、なんらかの行動は主教的な縛りであると考えてしまうのです。

そして、問題は「日本人が宗教をどのように捉えようと、多くの外国人はそのように捉える」ということです。じっさいのところ、先ほどの日本人の行動について、中国人と韓国人なら「宗教行為とは呼べない」と賛同してくれる可能性があります。

外国人に説明するためには、この日本人の独特な宗教観と行動規範を説明する必要があります。これを説明して初めて、初詣をすること・葬式の方式・教会で結婚式をあげること・クリスマスを祝うこと、が外国人にも納得がいくようになるからです。

という前提を踏まえて、私が外国人に日本人の宗教観を説明するなら、
「日本は多神教です。そして道徳と倫理観は古い中国の儒教という教えを基礎にしています。ですから、日本人は宗教と道徳や倫理観が同じところから来ている、とは思っていません。それが、外国人からみて日本人の宗教感が奇妙に見える最大の理由です。
 多くの外国人には日本人が「私は無信仰」というわりには、道徳や規律に沿った行動をするようにみえているはずです。
 ほとんどの日本人にも信仰心があります。神を敬う心・祖先を慈しむ心・慈悲や慈愛という心もあります。しかし、これらはどちらかというと儒教という道徳の教えを身に着けたもので、神様と対話して得たものではないのです。
 日本の神様はただそこにいるだけです。山の神は時に噴火したり地滑りを起こす代わりに普段は山の恵みを分けてくれます。海も同じです。日本人は箸や針のようなものや虫にさえ魂があること、トイレにさえ神様がいると言う考え方をするのです。これは「怖いものを恐れる気持ち」裏腹です。
 日本の神様は八百万いると言われています。仏様も阿修羅もキリストも「恐れ多きモノ」はすべて受け入れるのです。ですから、日本人は神社に初詣に行き、教会で結婚式を挙げ、仏式でお葬式をしつつ、クリスマスなども祝うのです。
 素晴らしいもの・怖いものはすべてカミと考えるのが多神教の特徴です。でも普段は道徳と神様を一緒のものとしては考えません、行動を律するのに神様は関係ありません。
 でも「宗教」というのはなんとなくキリスト教やイスラム教の信者のような規律や行動が必要なのだと思っているのが、日本人なので「あなたの宗教はなんですか?」と聞かれても「いや、私には信じている宗教はありません」というこたえになってしまうのです。すべての神々を信じる日本人には「特に思い当たる神様」はふつう居ないからです。」

一言でいうなら「日本人は日本教というオリジナルな宗教を持っていて、ほとんどの日本人がこれを信じている」と言います。日本教というのは、日本の文化習俗をするどく考察した故山本七平氏の造語です。

もう一言足すことができるなら「日本の宗教はキリスト教化する前のローマと同じ多神教ですが、日本人は『宗教』というのは一神教のようなものを言うのだと勘違いしています。ですから、自分たちは『無宗教です』と言ったりしますが、日本にも信仰と宗教はあります」と付け足します。

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