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ネット上で小説を書こうと思っています。

そこで、文体に特徴を与えるために、英語に翻訳しやすい文章で小説を書こうと思っています。

日本の小説が海外で翻訳される際、言語の壁によって日本語の持つ独特の味やニュアンスが失われてしまう、というような話をよく聞きます。

そのような、翻訳されることによって良さが失われてしまうような日本語文は使わず、言語の壁を超えても雰囲気やニュアンスが伝わるような文章を書きたい、と思っています。

そういった文章を書く上での決まりごとや法則は、描写や技術などを制限することになると思いますが、その制限の中で試行錯誤をして書いていくことで、却って特徴的な文体ができるのではないか、と考えています。

大江健三郎さんや村上春樹さんは、翻訳されることを意識した文章を書くことで、独自の文体を作り出しましたよね。

私も英語に翻訳しやすく、なおかつ日本語としても違和感のない文体で小説を書くことを目標としています。

英語に翻訳しても、きっちり雰囲気やニュアンス、表現したいことなどが伝わる文章の書き方を、詳しく解説している書籍やサイトを教えてください。

また、このような文章を書く上でのコツやヒント、注意すべき点、やってはいけないことなども教えて頂けると助かります。

御回答よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

 村上春樹について言えば既回答にあるとおり全く逆なんですね。



 翻訳されることを前提にしているのではなく、和訳(彼の場合は英文を)することで独特の文体を作り上げたわけです(初期の作品のことではあるのですけれども)。一旦、英文で書いて和文に変換するというように。
 村上春樹は小説家としての仕事もすごいけれど彼の翻訳家としての仕事を見れば、「訳されることを前提とした小説」がなんの力も持たないことは明白です。

 そのへんのところは、翻訳家としても著名な柴田元幸との共著『翻訳夜話』『『翻訳夜話2』を一読すればよくわかります。

 ガルシア・マルケスは果たして英訳されることを前提にして『百年の孤独~Cien Años de Soledad』を創作したのか? そんなことはやはりないわけです。翻訳(柴田元幸によると作者の召使)の力を信じることしかできないわけで、逆に言えば翻訳したくなるほどの日本語を駆使した作品でないと誰も召使なんかになってくれないわけです。


 新渡戸稲造なんかは英文で書いて各国語に訳されているわけで、その方が近道でもあるわけです(これもまた訳してもらうほどの力が本体に備わってのことです)。
 創作の動機は違ってもラフカディオ・ハーンもしかりですね。

 テキストが古くなってしまいますが「武士道」と「小泉八雲集」の原文(英語)と和訳(数多くあってどの訳がいいかそれこそわからないのですけれども)を比較するのも一つの方法かもしれません(村上春樹の英訳本をテキストにするのはあまりにも安易に過ぎますので)。

 

 一方、質問者さんの発想は新鮮でもあります、そんな貴重なアイデアをバラしてはもったいない・・・。


http://www.amazon.co.jp/%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E5%A4 …

http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2011/01/09 16:44

「翻訳されることによって良さが失われてしまうような日本語文は使わず」とおっしゃっていますが、それは話が逆で、日本語の持つ独特の味やニュアンスを失わないような翻訳をすべき、なのですよね。


大江健三郎についてはよく知りませんが、村上春樹は若いころから翻訳小説を好んで読み、日本語圏でない土地に長く住み、自分でも翻訳をするからこそ、そういう文体が生まれてきたのではないでしょうか。
つまり文章の書き方というのは、その人の中に何があるか、ということだと思います。
美しい日本語で書かれた完成度の高い文章が、才能ある訳者とめぐり会えば、何語に翻訳されてもきちんと伝わるものになるでしょう。
日本語を磨く方法のひとつとして、他言語を意識してみるというのは非常に面白いですね。それには英語で書かれたさまざまな本(現代の小説とは限らず)を読み、ご自分で日本語に訳してみると一番よくわかるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2011/01/06 16:56

 不可能。


 雰囲気やニュアンスまで伝えようと言うのは無謀。そもそも別世界の雰囲気やニュアンスを理解できるとは思わない。理解できないものを表現するのは不可能。特に小説などは、相手に理解してもらいたいから書かれた訳ではないし、相手からの評価は相手の文化からの視点での評価で、作者とは何の関係もない。異質な文化を融合できるということは、結局自分の文化を失うことと同じ。もちろんそれでも構わないが、それは結局日本語ではなくなる。
 ただ、少しでも近づこうとするならば、翻訳された日本語文を分析してみるといい。まず一旦、単文ごとにバラバラにして、それぞれに主語を加えてみる。こうすると視点が明確になって作品世界の状況が分かりやすくなる。それでおそらく気がつけると思うが、一神教の視点は、常に神にあることが分かるはず。(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6418639.html
 つまるところ、自分の世界を作るのが先。今から表現のことを心配しても意味がない。まわりの価値観に振り回されていたら、読んでもらえる文章は結局不可能。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2011/01/06 16:55

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