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よく、社会は弱肉強食のジャングルだ、と考える人がいます。

しかし、現実はどうでしょう? たとえ弱くても公務員だったり、一族で会社役員だったり、と、あらゆる縄張りに仕切られた中でのジャングルであり、これはもはや、動物園である。

一部の富裕層は、自分が弱くとも、安全圏にいて、なかなか倒せない。
その意味では「擬似的なジャングル」とも言える。

さて、社会が真に能力主義ならば「仕事の優劣を競い比べる」仕組みが必要となろう。
例えば、貧困層の私が、大手自動車会社のCEOと討論し、直接民主制でどちらかをリーダーに決める、てのはどうだろう? どちらがより社会に貢献するか?戦うのだ。これを全ての業種で行い、社会貢献ポイントの大きい方が継続勤務でき、もし負けたら、職場を退くのがジャングルのおきてだと思わないか?
もちろん、こうした実力主義には、生活保障の完備というセイフティーネットが必要なのは言うまでもない。

あなたが感じる実力社会のジャングルって「サファリパーク」か「アフリカの大地」か?
自由な、ご意見、お待ちします。

教えて!goo グレード

A 回答 (9件)

#7番です。



そうすると、
「せめてジニ係数をデンマークと同等にするよう国民が望むこと」
=国民への啓蒙。

”おい国民!さっさとせめてジニ係数をデンマークと同等にするように希望しやがれ!”
といっても誰も動きません。

啓蒙こそあなたの使命!

がんばって~!
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過度なセーフティネットなんか不要。

格差があるから進歩しようと
足掻き進化するきっかけを得られる。
正当な理由で労働に着けず生活できないのなら一時的に生活保護を受けて
心身を癒して、働けるようになったら労働に参加すれば良い。
この世は弱肉強食であり、不平等である。この舞台で私たちは足掻いて
生きていくしかないのですよ。実経済の10倍もの貨幣が投機で動いて
いる以上、一部の金持ちの支配を受けざるを得ません。
投機に勝てるのはそれに勝る投機ですよ。
否定されるのは結構ですが、現実は実につまらないもんですよ。
ただ、生き残っていく以上実労働に参加しつつ、虚業と言われる投資・投機にも
時折参加し、金を作って金持ちになるべきでしょうね。
何かしら革命を起こすにしても金は要りますよ。
まず、資金を作りつつ同志を募ってみたらいかがでしょうか。
一人でたられば論をしていても意味がない。
CEOと討論したいとあるが、あなたに話す価値はありますか?
彼らは企業という家族を必死に支え・維持継続していますよね。
彼らから討論する時間を奪う価値あります?
まず、彼らと同等な立場になられてみてはどうでしょうか。
セーフティネットがあったらいいなとかの話はまず、無駄です。
生活を変える努力してみましょうよ、こんな所で同じような事ばかり聞いていないでさ。
言いたい事も分かるのですが、世の中のルールに文句を言う時間が
あるなら、今手元にある物を利用して金を作り、貯める算段をすべきですよ。
このまま、落書きを書くだけで終わりたいのですか?
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わたしはもっとひのき舞台に出て、注目されても良いのだ!


なのに、公務員や金持ちの家系のやつらは弱いくせにのうのうとしてやがる!
貧しいわたしの努力は全然認められない!
こんな世の中間違っている!

ということが言いたいのでしょうか?

公務員には試験があり、勉強が必要でしょうね。
裕福な家系は、ご先祖様の努力の結晶、いわば恩恵です。

あなたが、将来の子孫のために恩恵の種を撒くときなんしょうね。
頑張ってください。

そうすれば、たとえ今が裕福でなくても、あなたは将来子孫から称えられるでしょう。

そういう意味で、「命だけは平等」なんですね。

この回答への補足

言いたいことがあるとすれば、
せめてジニ係数をデンマークと同等にするよう国民が望むこと。
格差を減らすことで受ける恩恵は、社会全体の幸福量の最大化につながる。

補足日時:2011/01/23 03:52
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>私が、大手自動車会社のCEOと討論し、、、、



実際、世の中は似たような仕組みになっています。

小さな討論と、小さな実践の積み重ねですね。

オッタマさんは、このような討論を通じて排除され、たまに選定されても実践で結果を残すことができず、口だけの人間だということが立証されたのです。
だから、大手自動車会社のCEOをやるでもなく、「○○するからカネをくれ、、」などと赤の他人に無心をする人物として生きているのです。
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社会は弱肉強食です。



真に能力主義>>幻想です。

実力主義が本当なら、セイフティーネットなど必要なし。

貧困層は貧困層で変わらない。

 主義がどうあろうとも、人はそんな事どうでもいい。通用しないし無視するでしょう。

 人は自分の思いを形にするために、個々が生きてます。

 ですから、主義がどうとか、それが正しいとか言っても、それが常識だといっても、、人は機械ではないので、守らなければそうなりませんし、それが悪いといっても、何も変わらない。
社会は弱肉強食です。
 それを何とか抑えるようにして規制をかけてますね。
 しかし、個人のレベルからいえば、そんな事知った事じゃないと、みんなわがままに生きようとしてるんじゃないでしょうか?
 奇麗事を口でいって、そうなってないのが、悲しいですね。
 まぁ、地球はサファリパークより危険ですよ。本来、柵など無いのですから。
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「調教された馬は野生の馬より偉い。

改良された豚は猪より偉い。」ということになるかな?

猪突妄信ではないですか。


「親の言うことを聞くように調教されなくては成らないのです。」だってさw

野生の花々だって人間のいうことを聞かないでしょうに

偉い・偉くないという問題派とは別だということだけは確かです。

弱肉強食の社会にしたのはNo.2さんのような考え方を持っている人かもしれないですね。
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 ジャングルは 「コンクリートジャングル」ですね 笑





 ええっと 弱肉強食をはじめ
 ジャングル などもそうなのですが
 言葉と言葉の間に横たわる 他者との観念の差異に付いて。

 これは決して埋めらない溝でもありますので
 あなたのおっしゃる「社会」というもの 「弱肉強食」ということば
 所謂“通俗的”な受け取り方をした結果ですので
 気を悪くなさらないでください


 ええっと 
 >社会が真に能力主義ならば「仕事の優劣を競い比べる」仕組みが必要となろう
 の部分
 そもそも 仕組みは、あとから解明できるものであるとおもっています
 自動車なんかを最初に作るのは、理論と計画 実践 だとおもいますし
 「仕事の優劣」は金銭に変換して競い比べているとおもいます

 お金はあれば便利なものですが
 なくたって生きていけます 笑

 「お医者になりなさい」「国家公務員になりなさい」
 どこの親でも 子供に口が酸っぱくなるほど言うのは
 それは 給料が安定しているからなんですね


 戻ってしまうのですが
 >たとえ弱くても公務員だったり、一族で会社役員だったり、と、あらゆる縄張りに仕切られた中でのジャングルであり、これはもはや、動物園…
 世間を「箱」称するひともいますし
 べつに「ジャングル」だとか「動物園」とか思うのは勝手です
 比喩の一形態
 人間社会はなかなかに愉快だとは思うのですが そこで自分が“拘束されている”と感じたら
 生きにくくなるでしょう

 これは あなたの先天的な傷害のことを言っているわけではありませんのであしからず


 さて、順番通りでなくて申し訳ないのですが
 >実力社会のジャングル
 ですから、強いて言うならばコンクリートジャングル。

 いくら社会的な生き方をしようと というよりも
 速く走れない 空も飛べない 毒をもつ牙もない
 そんな弱いからだでは 「社会的」に生きざるを得なかった

 人間 人間 とおもっても
 結局はケモノ。本能というものがありますので
 ジャングルという表現を用いることは あながち的外れではありませんが
 とりあえず、「擬似的なジャングル」は存在しないでしょう

 実力社会の野蛮さを
 ジャングルに置き換え 考察するのも
 個人の自由ってもんですが そこで自分が弱者 或いは傍観者でいるとおもってはいけません
 ボケっとしてたら食われますよ 笑

 それと 実力社会ということばは
 随分単純で 人間の脳はシンプルで 所詮“けもの”だという証拠にも繋がります

 あなたを攻撃しているわけではありません

 通俗的に“劣っている”とみなされ
 確かに少々、“生きづらい”とのことは察しますが
 ライオンは獲物を取り逃がすことのほうが多いのですよ

 考え方です


 回答になっていなかったら
 ごめんなさい

 弁明するつもりもありませんが
 わたしは富裕層ではないし
 まだ社会にも放り出されていない高校1年の生意気なので
 言葉を知りませんので 不快な思いを与えてしまったかと存じます

 そのときには、通報してください


 長文 失礼しました



 
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>どちらが偉いわけでもない。

しかし、「親が偉い、なぜならコドモは自分で自分を養う実力、能力がないからだ」だってさ。

うんにゃ、子供は人間ではないからです。昔から子供は半人前と言われて来ました。だから子供には大人と同じ人権を与えられていませんね。生物学的にはヒト科のDNAを持っているで、ヒトの種の一部には違いないが、人間は人の間と書くことからも解るように、人間関係を理解できないうちは未だ一人前ではない。即ち、子供は人間ではないのです。それを躾て人間にするのが親の役割です。だから親は調教師、子供はそれに調教される半分動物半分人間と言うことです。だから、子供は一人前の人間に成るための訓練として、親の言うことを聞くように調教されなくては成らないのです。そうしないと、弱肉強食の世の中に生き残れる人間には成れないからです。

何か社会が退化してしまったのかどう知りませんが、子供も人間だなんてことを言う連中が増えて来てしまったみたいですね。やはり、ゆとりの弊害だったのでしょうか。あるいは、そんな連中が増えて来たからゆとりがまかり通って、皆で後悔するようになってしまったのでしょうか。ゆとりが先か、半人前の意味が判らなくなってしまったのが先か、多分ここで皆さんの意見が分かれるところのような気がします。
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狭い家の中での実力主義としてのジャングルです。

ほとんどすべての家庭は。

どちらが偉いわけでもない。しかし、「親が偉い、なぜならコドモは自分で自分を養う実力、能力がないからだ」だってさ。
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