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児童虐待、暴力について意見聞かせてください

昨今、児童虐待のニュースが多く取り上げられ悲痛な思いをすることが度々あります。
なんてひどいことを・・・と感じます。

しかし、ちょっと過保護すぎるのでは?と思うこともあります。
もう少し鉄拳制裁に寛容になれないかと思うのです。

私は幼少期から野球一筋でした。
高校時代の監督は特に厳格な方で、鉄拳制裁は当たり前のように行われていました。

顔の片方がビンタにより赤く変形したこともあります。

しかし当時は、母親父親も最初は心配しますが事情を説明すると、やられて当然だ、といわんばかりに
逆に私を戒めるのが普通でした。 

当時は、この暴力野郎が!と殺してやりたい気持ちもありましたが何故かチームメイト全員、野球に打ち込み、選手の両親が介入してきたことは一回もありませんでした。

今では監督の当時の心情、教育方針が痛いほど理解でき、皆感謝しているくらいです。
OB会では、当時の監督と、当時のことを懐かしみながら、笑い話にしながら楽しく話しています。

この監督のおかげで今の自分がいます。
ちょっとやそっとでは諦めない、人一倍強い我慢強さはこの監督のおかげで身についたと思います。

今はそのような鉄拳制裁教育の手前でストップがかけられているような気がしてなりません。

途中で辞めたら真意は伝わらないような気がします。

理不尽な暴力はいけませんが、本当に理不尽な暴力なのかはわかりません。
意図がある場合もあります。

痛みを伴わなければわからないことも沢山あると思うんです。。

卒業してから聞きましたが、監督は、野球部に所属する両親を集めて最初にこう言ったそうです。

『野球を上手くさせたい。野球を一生好きになってもらいたい。勝つ喜びを知ってもらいたい。努力するこ との大切さを学んでもらいたい。人を守れる、優しい人間になってもらいたい。
 私はこのことを念頭に指導します。この指導方針がわからない子は野球部を辞めてもらいます。
 また、場合によっては鉄拳制裁も辞さない方針です。私の方針にNOという親御さんは、是非息子さんと 相談の上で入部させてください。了承得られるならば、3年後には、立派な息子さんに成長させます。』

こんな感じで親達にはあらかじめ話してたらしい。

結局3年間通じて文句言う親はいなかった。

最後の大会に負けた直後に、監督が『3年間、疲れ様でした』と泣いていた姿を見て私もワンワンと泣きました。

野球だけに限らず、このような方針を根底から潰すのはどうかと思うのです。

最近は甲子園に出る球児が、相手選手の悪口をブログに挙げて問題になったり、なんて心の狭い子なんだ・・・と悲しくなります。

常識がわかってないような。

こういう行動したら相手が傷つく、または社会的に問題になるってことを全くわかってない。

時には暴力もありなのではないかと思います。

青春時代の若者に親が過剰に介入するから、おかしくなる。 と思う。。


どうでしょうか。

私は間違っていますか。批判も全然OKです。意見ください。

gooドクター

A 回答 (12件中1~10件)

 最近の子供は過保護と言えば確かに過保護ですね。

精神的にひ弱で一度殴られたらそのままDVになって怪我より大きな心の傷?が残りそうです。 我慢するとか耐えるとかの経験が極端に不足していますね。
 厳しくすると言う意味では質問者さんの意見に賛成です。子供がうそやわがままを言ったときは、きちんとしからなければならないでしょう。手を上げられないとすればその指導は困難を極めることになるでしょう。世の中には無条件で上司に従うこともあるし、必ずしも合理的な指示が来るとは限りません。ひ弱なまま社会に出て本人が苦労すること請け合いです。
 人生の中で一生甘い状況が続くわけではないので、手を上げてでも厳しい指導をする必要があると私は思っています。

 さて、児童虐待ですが、これは「しつけ」とは程遠いもので、単なる暴力です。泣いてうるさいとかむしゃくしゃした、邪魔になったなど理由にならない理由で恒常的に暴力を振るうといったものです。昔からありましたが民事不介入の原則があって今まで放置されてきました。児童相談所は親が相談員や近所の人に嫌がらせや暴力を振るう中でおびえる子供を保護するので今まで(現在でも)なかなか手を出せません。保護しても子供が家に帰りたがることが多いのでなかなか解決できません。テレビの報道は断片的で真実を伝えているとは思えません。
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 子供が悪いのは、すべて、大人の責任です。


 そういうことをいえる大人が少ない。
 無責任はなはだしい。

 大人は、すぐ楽を考える、手を抜く。いいことは言うが、自分では何もしてない。苦労をさける。
 私は成人してますが、自分も大人ですから大人は無責任だと思います。
 子供が何もしらず、大人は知っている。その大人に責任がある。
 そういう正しい事をいえる人が少なすぎます。
 
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 最近事件は残酷すぎます。



人の苦しみが空想できない、痛みを創造できない。
この心無いのは、異常です。
 人間性の問題です。
 生活の中に苦労があるのは、人の苦しみを創造できるように、自分でも体験してるわけです。
 ですから、連想できるはずです。
 しかし、そういう訓練、練習は、人間教育でやる必要があります。

鉄拳制裁は、その人間教育、創造する練習を 教えることのできない無能さの露呈になります。

拳骨は簡単です。最近は体験がないから、痛みがわからないということもあるでしょう。
 拳骨は信頼関係や、それ以上の愛情が豊かな関係でなくては、通用しません。

 以前、そういう拳骨で教えるといっていた、年配者を殴ったことがあります。
「お前がこういうやり方をしたいといってたな」と
 殴った結果、嫌われました。
 結局、その相手が、その話をした瞬間、「殴られれば痛いし、そんなことでいうこときけというのはやくざだと思います」と思ったものです。

 そういうことをいってた人にやりましたが、思ったとおりの反応で、反発だけでした。笑えますね。
 結局拳骨などといってるやつは、逆にやられると反抗してきます。
 結局、その程度の想像力、現実想像力の乏しい状態でしょうね。

 その人は、拳骨で教えると言いながら、殴られて、やり返すぐらいの醜い醜態をさらしました。
 いったことには責任を持ちましょう。
 殴られて、謝るやつはいません。
 殴られたら、殴り返しますし、嫌いますし、忘れません。

 まぁ、私に拳骨で、、、などと、脅しをかける教え方を使用などといって、通用すると思ったのが馬鹿だと思います。
 あなたも、拳骨の前に、愛情で包むことを考えましょう。
 拳骨は胆略的で弱い人間のいう話です。あなたも殴られるとわかるでしょう。
 また、そのことで殴りかかって、逆に教えてやるよという精神の人もいますので、注意することですね。
 ちなみに、私は逆に教えてあげましたが、やらないことですね。そう思います。
 あなた自身、忍耐の力がないから、拳骨というんでしょう。その弱さでは、教育できませんし、その資質もありません。
 殴ってついていくのは、強いものと弱いものとの畜生の関係で、暴力団の世界です。
 うらまれないように気をつけたほうがいいですよ。
 
つまらない原因を作る前に、勉強して、前頭葉の血流が弱いと「きれる」という症状や、衝動殺人などおこす場合があると脳化学では何年も前に言われています。


 まぁ、拳骨は自業自得の行為で、教育にはそれ以上に信頼と愛情が必要で、それがないからといって、拳骨は早いです。まず信頼できず、愛情がない、伝わらない、苦労が見えない、そのあなた自身に未熟な原因があると思います。
 伝わるというのは、たとえば、専門学校いってない息子に、督促状が来てても、父親に内緒で、子供に学費を何も知らないように2年間送る母親。そういう何年もの苦労が一人の人間を動かします。そのご母親が、息子が学校に行ってないの知りながら仕送りしてくれたと息子がしる。
 こういう苦労に耐える母親という存在が、感謝と反省を促します。
 これこそ教育です。
 ですから、親には頭が上がらない。幸せになってほしいと子供は努力するものです。親は裏切れません。
 その覚悟がないなら、拳骨は使わないことですね。
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>>卒業してから聞きましたが



これが回答ではありませんか。
お互い信用に応えたから、貴方があるのです。

相手を信じない行為に出れば、相手もまた人を信じなくなる。
野球はそれを鍛える道具に過ぎません。
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意見聞かせてください、すぐに回答ほしいですと要求しておきながら、質問者自身が24時間以上経ってもお礼も補足もしてこない。


他人の批判よりも、まず自分を省みることが先じゃないですか?

あなたは結局、世の中を変えたいのではなく、「あなたは正しい」と言ってもらいたいだけなんでしょ?
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もし、野球の指導について興味があるなら、桑田真澄さんの話を読んでみるといいですよ。



「指導」とは何か、教育者に値する技術を持っている人がする「指導」と、技術を持たないど素人が気持ちのみでする「指導もどき」の違い、分かりますか?

気持ちを伝える手段として、時に拳がある、というのは、子供同士が喧嘩を通じて仲良くなるというのとスタンスとして同じです。

技術のない人が、人を育てる=「教育する」 立場になった場合に、「立場を利用して殴ってでも従わせる」ということは必要かもしれません。
また、
心理学的に、暴力を使って、「シンパ」を作る方法というのがあります。悪用すると独裁者になれますし、従順な大人を作ることもできます。力で従わせるというのとは違って、心を作り替えてシンパを作る手法があるんです。
これって、「指導」「教育」に属する行為でしょうか?
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人間は言葉の生物です。

言って聞かせることが第一です。いきなり実力行使はダメです。
今はコミュニケーション能力が重視されます。力による押さえつけでコミュニケーション能力は培えません。言葉のキャッチボールが大切です。

「努力することの大切さを教える。」は、「なぜ努力をしなければならないか?」、「努力の具体的なやり方はどんなことか?」を教えないとダメなんです。

ところでご質問者様の文中にある表現を揶揄するのではなく、現代の青年には

「ちょっとやそっとでは諦めない。」→執念深い、しつこい、粘着質。
「我慢強さ」→我慢は美徳ではない、理不尽。

と捉える人が男女問わず多いです。よく言えば効率と合理性を重視します。最小の手間で最大の成果を得るのが目標です。

参考意見として回答します。
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  私も、質問者さんの意見には反対はしません、寧ろ、有る程度賛成かも。



 然し、些か疑問なのは、質問タイトルでは{児童虐待、暴力}とのテーマが
本文内では、高校生に対する「鉄拳制裁」と言う様に変わって居る点です。 
 私が、敢えて「反対しない」と言ったのは其の点に就いてです。

  然し質問者さんがタイトルとして居る、幼児虐待、暴力に関しては絶対
許しません。 屡、紙上で報道される事件は、虐待以外の何物でも有りません。
  我々の年代では鉄拳制裁等は日常茶飯事でした。  特に戦争中等は。
 
 然し、幾ら鉄拳制裁が日常茶飯事とは言っても、当時は現在の様な幼児虐待
等の話は、聞いた事も有りません。  勿論、恵まれ無い階層(とでも
しなければ差別語だとコンプレインが入るかも知れないので)では父親が
呑んだくれて子供たちをぶん殴った、等と言う話はざらに有りましたが。
  然し、当時はぶん殴ったらそれで終わり、ネチネチと後は引きません。
 同様の階層では、(間引き)等と言う話は聞きましたが、之と現代の幼児
虐待、暴力とは些か筋が違う様な気がしますが。
 
 現代の様に、乳幼児を殴り体中に痣を付ける、カチカチ山じゃ有るまいし
子供の衣類に油を掛けて火を付ける等の話は聞いた事が有りません。
 これ等は虐待どころか、保護の義務が有る親が義務どころか親の力で
行う殺人です。  従って、この様な殺人を行う親どもは、当然の報いとして
相応の罰(死刑を含む)を受けるべきです。

 質問者さんの趣意とは少し外れたかも知れませんが、悪しからず。
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(すみません。

非常に長い回答になってしまいました。)

 私は今のこの社会問題は、核家族化による個人主義が進みすぎたせいだと思います。

 一昔前であれば、地域全体で子育てをしている的な風潮があり、隣近所との付き合いも緻密でした。
ですから、学校の先生や近所の人に自分の子が怒られても、「しつけをしてくれている。ありがたい。」という思いを持ったものです。しかも、近所づきあいが密である分、いろんな意味の自己抑止力が働き、理不尽に子供に怒るということはなかったですし、逆に子供も悪いことをすると必ず見つかるんだということで子供なりの自己抑止力を身につけ、社会のルールに自分を適用させていくという非常に望ましいサイクルができていました。このことは、いろんな海外の文献にも、非常に良い国の見本として日本が挙げられていたほど、日本の社会が世界中に誇れるすばらしい社会の仕組みでした。

 しかし、現在は自分は自分、他人は他人とはっきり線引きをし、隣近所との付き合いさえも、めんどくさいなどの理由でしない人が増えたため、せっかくその人・子供のためにしかってくれても、「うちのことにかかわらないで」とか「なぜ他人に怒られなきゃならないの」「ほっといて」という人が増えてきたため、せっかく良かれと思ってしたことで非難をあび、いやな気になるのであれば、ほっとくほうがいいという流れに流れ、今最大の社会問題のひとつ「ことなかれ」主義が発達しました。

 それが、今現在の虐待問題や犯罪多発(特に凶悪犯罪の横行)の問題につながっていると私は考えます。

 核家族化が進み、個人主義社会になってしまったため、他人の目による自己抑止力は失われ、悪いことをしても絶対見つからない、もしくは、見つかったところで見て見ぬふりをしてくれるので、悪いことをしてもゆるされるという風潮がひろがってしまった結果だと思いますし、親の不要な介入等が増えていったのもこの個人主義の落とし子だとおもいます。

 特に子供の虐待については、やはり子育てというのは大変な仕事です。親一人、夫婦だけでではなかなか厳しいことも多いため、それがストレス等につながり、虐待へと向かっていくケースが多いと思います。

 昔であれば、親兄弟じゃなくとも、近所の人が子供の面倒をみてくれたり、何かと助けてくれたりしてくれたため、親の負担も今に比べるとずっと軽く、人に子供を預けて用事や気分転換ができたところ、今は人の子をあずかると、もしものときが怖いので面倒見れない・預かれないという社会なってしまい、親のほうも家の子育てに口出されるのはいやとかいう人が増え、子をもつ親は息抜きもできないし、思う用事もできない、しかも子供の自己抑止力も社会性も人として育たない社会になってしまっているので、子供にかかる手間はさらに増えているのが実際のところだと思います。

 長くなってしまいましたが、私もあなたの考えに共感しますが、同時に日本の社会のシステムが大きく変わってしまったせいだということもいがめません。
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子どもにモノをわからせるために、多少の暴力があっても良いのではないかという考えについては、そういう考え方もあるよなとは思います。

痛い目を見なければわからない子供もいるだろうと思います。

>こういう行動したら相手が傷つく、または社会的に問題になるってことを全くわかってない。

という点については、最近の子どもは過敏になっていると思います。問題を起こしたくないと思って、表だったことをしないという子供が増えていると思います。
殴られることもないので、暴力と言うことにも過敏で、ちょっとのことで大騒ぎになります。

鉄拳制裁が減ったことと関連しているかはわかりませんが、青少年が起こす暴力事件などは、かなり減ってきています。
http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html

参考URL:http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html
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