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あの小室哲哉氏は5億円もの大金を詐取しておきながら執行猶予付き判決によりすでに社会の中におり仕事をしたりしています。
その一方でその日暮らしのホームレスのおじさんたちが500円や600円の無銭飲食をすると10ヶ月から1年くらいの実刑になりますがこれは不公平ではないですか?
もちろん無銭飲食も初犯なら執行猶予付き判決もあり得ますが、住所不定のおじさんたちは圧倒的に実刑確率が高くなります。
刑務所の中にはこの手の、社会に戻っても生きていきづらい人たちであふれかえっています。
その一方でこれら微罪と比べてどう考えてももっと重い刑にすべき事案が執行猶予付き判決になっています。
もちろん社会の中で立ち直れるだけの社会的基盤のある人だから実刑にせず執行猶予付き判決にするんだという考え方はあって当然ですが。
もどうしても僕は不公平感を感じるのです。
この考えはおかしいでしょうか?

A 回答 (3件)

感情的には間違ってないです。



では10万円を1度詐取したことと1000円を100回詐取したこととどっちが罪が重いのでしょう?

それが法というものかと。
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感じるのは勝手ですが、判決は個々のケースによって背景や状況が異なります。


小室哲哉氏と住所不定のおじさんたちと、漠然と比べても無理があります。

住所不定だから実刑確率が高くなる事はありません。

まああまり思いこむのも程々に
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どちらともいえません。

でも法律と現実はしばしば

ねじれたり真逆の効果を生んだりします。そもそも

刑法とは、犯罪者を処罰するためにあるのではなく、

「裁判官が恣意的な判断で、被疑者の人権を阻害

しない」ために規定されており、裁判官のための法

律なのであって、検察官や犯罪者のための法律で

はありません。ここが大きく誤解されています。こう

なると、いくら小室さんが悪いことしても刑罰は小室

さんをこらしめるために適用するわけではかならずし

もないということです。    犯罪の防止の他に、再

社会化、というのも重要な機能なのです。刑法の役

割とは、思ったよりも小さく、我々は普段刑法以外の、

道徳や、人間関係、教育、家庭などに縛られています

から、こういうものにできる限りゆだねること。刑罰とい

うのは、できる限り適用されない方がよい。これを刑罰

の謙抑性といいます。こういうわけで、事案によって裁

判官がどう判断するか、というのは、刑法にある程度し

ばられるのみになります。逆にいえば刑法通りであれば

OKなんです。3年以下ですね。執行猶予できるのは。

で、小室さんは初犯。裁判官が小室さんに3年以下の

懲役を言い渡した場合、執行猶予ができるわけです。

刑法通りです。過激なことを言えば、5億円もとったんだ

から一生刑務所で働かせたり、社会に出して毎月の生

活費から多額のお金をぶんどっていく。逃げられないよう

常に監視!!!とか体罰を1日に数回与えて奴隷のよう

にこき使う。とか犯罪者を徹底して懲らしめるというような

方向性が人の心には根強く残っているのも確かです。しか

し何度も言うように、刑法って犯罪者を罰するためにあるわ

けではなくて、実は犯罪の予防と、再社会化の推進のため

にあるわけです。となると行くあてのないホームレスは犯罪

起こす可能性高いですし、再社会化も容易ではありませんか

ら、不思議と長いこと刑務所に入れられるということもおかしい

ことではありません。さらに被害者としても、小室さんが捕まっ

ちゃって刑務所にずーーっと入れられて懲らしめられている、と

いうことで満足するよりは、どうにかしてまた才覚を発揮して、5

億円を返せるようになってほしい。5億円すべてでなくとも何割か

を返してくれれば、売れないより半額売りの方がまし。というスー

パーの理論のごとく、その方が全体として有益だからです。案外、

そういうこと期待されている小室さんは、そういうこと期待されるの

が心苦しいことであって、刑務所に閉じ込められるよりも苦しいか

もしれませんよ。だって5億円ですよ?小室さんを許せないし、こら

しめたくもなるでしょうが、そんなのより優先したくなる金額です。

また、返すことができたら小室さんにとっても自信になるかもだし、

心がすっきりすることになるかもしれません。刑法では、第一に、

被害者がその犯罪者をどうしたいのか。という点も、重要だったりし

ます。我々が被害者を差し置いて口出しするというのは、感情的な

行動なんです。(大多数の場合、心より犯罪者に謝ってほしいと

願い、コミュニケーションを求める被害者や遺族の人が多いそう

です。)悪いことしたから跡形もなく社会から消去。

それよりはできるだけ再生産させた方が被害者にとっても

うれしいことが多いのです。よく歴史で盗賊に身を落としても、

人との出会いによって変わった英雄の家臣や、「ああ無情」の

ジャンバルジャンのような人が出てくることもあるのではないでしょうか。

また、裁判官は一人じゃありません。ほんと裁判官によって

様々な判決になったりしますんで、これも法と現実のギャップの

一つなのではないかと思います。基準はほとんどない。

といってもいいかもしれませんね。

悪は攻め滅ぼすのではなく、何とか善へ転換させる姿勢が、

今の世の中に求められているのかもしれません。

長文失礼しました。
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