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国家の舵取りをする国会議員
国民選挙で選ぶべきでしょうか?

100人のグループ中
間違った意見が78人
正しい意見が22人
多数決で意見の多い方によって
方向が決まるなら・・・

その100人のグループは間違った
方向へ行くのは当然だと思いますが。

A 回答 (5件)

>国家の舵取りをする国会議員


国民選挙で選ぶべきでしょうか?

回答:日本はそうするべきだが、全ての国がそうするべきとは言えない。

質問のテーマは、多数決に依存する民主主義というシステムへの疑問だと思います。
質問者様の指摘している問題は確かにありますが、それは他のシステムとの比較において論じられるべき問題であって、民主主義のみで考えても無意味だと思います。
英国首相ですら、以下のように言っていますから。

チャーチル
「民主主義は最低のシステムだ。ただしこれまでに行われたすべてのシステムを除いては」

国民選挙に拠らない場合、誰がどのようなシステムで議員を選ぶべきだと思いますか。そのシステムでは議員を選ぶ人はどのようにして選ばれるのでしょうか。そのシステムに質問者様の指摘する欠陥はないのでしょうか。
どのようなシステムであれ、人が人を選ぶ以上、その選択への疑問と過ちを犯す危険性は必ず付いてきます。
民主主義はそれらの危険性が最小であると考えられている為に、採用されているに過ぎません。

民主主義は、それが間違っていた場合でも、その責任を多数派が被る為に、他への責任転嫁をしようがなく、無用な問題が発生しにくいというメリットもあります。
私は、これが民主主義が採用されている一番の理由ではないかと思っています。

私は、民主主義がどのような国家や未来においても、最良のシステムであるとは思ってはいません。
最良とは、その時代、その国においてそのシステムが最良であると言うに過ぎません。
ということは、情勢の変化次第では、過去のシステムを採った方が良くなる可能性もありえます。
未来において、全く新しいシステムが発見されるかもしれません。

民主主義は国民の程度が低い場合は害になる場合さえあります。
民主主義は、その制度上国民に高い民度を要求するので、どんな国でも導入できるわけではありません。
安易に導入した結果、腐敗した衆愚政治に陥り、そこから軍事独裁政権になってしまった国もあります。
独裁や共産主義の方が、レベルの低い国民を統制し導いたり、貧しい国で富を公平に分配するのには適している場合もあります。

国家は国民のレベル以下の政府しか持てないのです。

国家の状態で最適な統治システムは違ってくるのであれば、民主主義が常に最良のシステムであるという根拠はなくなります。
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おっしゃるとおり、正しい意見があったなら


例え賛成が零でも、その正しい意見に従うべきです。

でも、考えて下さい。現実問題として、
何が正しいか、そう簡単に判断出来るものではありませんよ。
例えば、TPPに参加するか否か、なんて専門家の間でも
意見が分かれるもんだいです。
これが正しいか、どうか、なんてどうやって客観的に判断できる
のでしょうか。

正しいなら、多数決なんか無視して、その正しいことを
やるべきです。民主制も関係ありません。なにしろ正しいんですから。
これに基づき、社会主義諸国は民意を無視して
「正しい」ことをやりましたが、結果は独裁と貧困
が発生し、世界中の人に苦痛を与えました。

何が正しいか判らないから、多数決によるのです。
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結論から言えば,選挙で選ぶ以外により良い方法がないので,選挙で選ぶのが最も妥当であると考えます。



もし仮に,この世に神様が存在し,ある候補者よりも,一方の他の候補者のほうが絶対に国会議員として適正がありかつ優秀であって,その候補者が国会議員になった方が絶対に国民のためになるとういことが最初から分かっているのであれば,選挙などする必要はなく,その人に国会議員になってもらえばよいのです。

しかし,人間は神様ではないので,ある候補者と一方の候補者のどちらが国会議員になるべきかについて,絶対的に正しい判断をする能力はありません。

だとすれば,国会議員を選ぶ際に,より多くの人が選んだ候補者を国会議員にするというのは,ある意味で合理的な方法ではないかと考えます。

質問者様が挙げられた事例には,「間違った意見」と「正しい意見」とありますが,最初からその判断ができるのであれば,多数決をする必要はなく,迷わず正しい意見を選択すればよいのです。
しかし,通常は,ある意見が正しいか間違っているかを絶対的に判断することはできません。
だとすれば,多数決により,より多くの人が正しいと思う意見を尊重することは,何が正しいか正しくないのかが分からない状況では,取り得る最良の方法ではないかと考えます。

しかし,多数決には重要な前提があります。それは,多数決をする場合には,少数の意見がいつでも多数の意見に変わりうるような状況が確保されていなけらばならないということです。少数者であっても自由に自分の意見を発言でき,多数者と公平に議論できる状況でなければ,多数決は単なる多数者の横暴となります。逆に言えば,そのような公平な状況においても多数意見とならなかった意見は,尊重されなくてもやむを得ないともいえます。

質問者様もご指摘のとおり,78人の意見が結果的に誤っていることもあり,その場合には100人全体が誤った方向へ向かってしまいます。
しかし,22人が,78人と公平に議論に,自由に発言できる状況のもとでそのような判断がなされたのであれば,その結果を全体で受け止めるしかないと言わざるを得ないでしょう。
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知の劣化が進む日本で公選したら、自殺行為でしょw



民主主義の落とし穴は「衆愚政治」

コロコロ変わる首相問題で、最近言われているポピュリズム問題は、衆愚政治の一種


日本の歴史は衆愚政治の歴史といって良い

ナチスもファシスト党も大政翼賛会も、衆愚政治から生まれた

あの大政翼賛会ですら、民主的選挙を経て有権者の承認を受けている
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多数決以外の方法でどう選出するかの提案が質問者さんにないのが気になります。



孰れにしても、どんな方法で選出しても、その選出した人や選出された国会議員が間違った意見を持っていたら、国民は間違った方向に行くのは当然だとお思いますが。

蛇足を承知で述べます。人間のやる事に対しては否定的な見解を述べるだけではなくて、建設的な提案がなくては余り意味がありません。質問者さんは、どうであれば良いと考えているのですか?
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