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今、このサイトを見ていたら、右側のコラムに「ら抜き言葉」のことがでていました。
私は名古屋出身ですが、私が名古屋にいた頃(もう、50年ほど前ですが)は、ら抜き言葉は名古屋では標準でした。受身は「~られる。」可能は「~れる。」でした。たとえば、「見られる。」は受身、「見れる」は可能で、誤った使い方という認識は有りませんでした。そこで、疑問がわきました。可能をあらわすのに「見られる。」を使う方は、受身と可能はどのように区別するのでしょうか?

ついでに、もう一つ。
最近、「頑張られて下さい。」という言葉を見たり、聞いたりすることがありますが、この使い方は正しいのでしょうか?丁寧な言い方として使われているようですが、名古屋出身者としては少し、気になります。

A 回答 (3件)

>可能をあらわすのに「見られる。

」を使う方は、
>受身と可能はどのように区別するのでしょうか?

前後の文脈でしか判断できないでしょうね。
「こんなに間近で見られるなんて感激です」なら可能
「誰かに見られているような気がします」なら受身
といった具合に。

>「頑張られて下さい。」

ベストセラーになったコミックエッセイ
『日本人の知らない日本語』(蛇蔵&海野凪子 著)
からの受け売りになってしまいますが
「頑張れ」は、目上の人が目下の人を励ますときに使う言葉で
目下の人が目上の人を励ますときには「お疲れの出ませんように」
と言うのが正しい、ということだそうです。

「頑張って下さい」を尊敬語化した「頑張られて下さい」は
尊敬語を使うべき相手(目上の人)に「頑張って」を使っているので
日本語としては正しくない、ということになるのでしょう。

ちなみにその本では「ら抜き言葉」については
専門家の間でも意見が分かれていて
「日本語の必然として認めてしまっていい」
と考えている専門家もいる、と書いていました。

この回答への補足

「頑張られて下さい。」の件を忘れていました。

やはり正しいとは言えないようですね。ありがとうございました。

補足日時:2011/02/10 20:24
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この回答へのお礼

詳しい回答を頂きありがとうございました。
やはり前後の文脈でしか区別出来ないのですね。方言では区別できるのに標準語では区別できないというのは少し違和感がありました。それも特定の動詞のときだけわざわざ「ら」をいれて、区別出来なくしているのは違和感というより「変だよ」と言いたくなるのは地方出身者のひがみでしょうか。
順序が逆になりましたが、質問の後、関連サイトがいろいろあることが分かりました。すこし勉強してみます。

お礼日時:2011/02/10 20:19

>受身と可能はどのように区別するのでしょうか?



区別できません。
よくら抜き言葉についてコメントを聞きます。その多くは批判的です。しかしながら言語というものは時代によってどんどん変化して行くものです。
ら抜き言葉を批判する年配のかたがたもそのもっと昔の人とは別の表現をしています。
変化にはおかしな変化と正当性のある変化があります。ら抜き言葉は正当性があります。貴方の仰るようにはっきりと受け身と可能を分けました。
進歩した言語を古い世代の人が非難するのは噴飯物と考えます。
ら抜き言葉は進歩であります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
やはり区別は出来ないのですね。また、ら抜き言葉に対し肯定的な回答を頂き、我々地方出身者としては、少しうれしくなりました。

お礼日時:2011/02/10 20:06

前後の文脈があるわけなんだが・・・、気づかなかったのだろうか?


「あなたに見られるのは嫌だ」という文章で、見られるを可能ととるだろうか?
「アンテナを購入したので、やっと地デジ放送を見られます」という文章で、見られるを受身ととるだろうか?

頑張られてくださいは、きっと謙譲語と丁寧語がまざってしまったのであろうな。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
やはり前後の文脈からですよね。愚問だったような気がします。

お礼日時:2011/02/10 20:00

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